赤羽一嘉の発言 (国土交通委員会)
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○国務大臣(赤羽一嘉君) 東日本大震災というのは、大変な大地震に加えて大津波、それに原子力発電所の事故と、三重苦の本当に未曽有の大災害ですので、ちょっとここを簡単に総括するというのは非常に難しいわけですが。
私、一年九か月後の、政権が替わって二〇一二年の十二月二十七日に経済産業副大臣兼原子力災害の現地対策本部長という、実は十一代目でしたので、その一年九か月間で十人替わられた、二か月に一遍現地対策本部長が替わった後で、その職を全うするべく現地に行くようになりました。一年九か月間一人で務めたわけでありますが、そのときに思ったこと、さらに、阪神・淡路大震災のときは被災者でありまして、そのときからずっと思っていたことは、要するに、被災者というと、全員が真面目な国民で、それまで一生懸命仕事をして税金を納めて家族を養って、そうした人がある日たった何十秒間の災害で家族を失い、また自宅を失い仕事も失うと、大変な状況になってしまったことに対して、被災者だからやむを得ないみたいなことを政府というのはしがちなんですね。
しかし、私は、それは本当に全くおかしな話で、真面目な国民がたまたま災害に遭ってこうした状況になったわけだから、その被災者に対する復旧復興は、一貫してその被災者の尊厳、人としての尊厳は守られるべきだと。
ですから、私は、体育館に避難所として雑魚寝をさせるようなことというのは早く直すべきだというのは一貫して思っていることであります。ですから、そうした人間の復興というのも、その尊厳を守るという観点から見ますと、まず、政府が、被災者の皆さんに対する、政府に対する信頼感、信頼のきずなというのをつくるということがやっぱり時の政府に当たる基本的な姿勢なんではないかと、それはもう一貫して変わらないということが大前提でございます。
国交省としては、やはりインフラの整備ということで、今評価していただきましたが、まさにくしの歯作戦で、三・一一から一週間で東北自動車道から東西に、太平洋沿岸地域に十六のルートを通したというのは、私はもうこれ奇跡的な、また、あれがなし得たからその後の復旧復興、大変前進ができたのではないかというふうに、本当に私も、当時の東北地方整備局の中心とした闘いというのは大変評価するところでございますが、この復興道路、復興支援道路も間もなく、本年中にほぼ全部完了します。
ただ、そのハードができればソフトが付いてくるのかというと、全くそれは残念ながらそうではなくて、この十年間の時間の経過の中で、被災者の個人的な状況というのも随分変わるわけですね。家族の関係も変わるし御自身も十年年を取るわけで、そうすると、どうしても十年前の計画が必ずしもフィットしない。ですから、三・一一のときに空き地がすごく多いとか、そうしたことというのは、現象としては指摘されても、ある意味ではやむを得ないのかなと、これから克服をしなきゃいけないのかなと、私はそう思っているところでございまして、今後は、やっぱりまちづくり、柔軟なやり方というのは取っておりますけれども、町がきれいになって安全になった結果にぎわいがなくなったとか、前の人と違う人ががらっとなってコミュニティーが破壊したというようなことは極力避けるようなことを考えていかなければいけないのではないか。
国交省は、ハードのインフラだけでなくて、まちづくりも含めて責任があると考えておりますので、そうしたことはしっかり総括しながら、東日本大震災は、福島はこれからでありますので、今後、福島の復興に向けて政府の、福島の復興なくして日本の再生なしと、東北の復興なくしても同じですけど、そうした決意で取り組んでいかなければいけないと思っています。