郡司彰の発言 (農林水産委員会)
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○郡司彰君 大臣の方からこれまでのことについてのお話がございました。
私は、これから課題ごとに長官等にお尋ねをしたいというふうに思いますけれども、その前に、ざっと、私たちの国の中における山林というものがどういうものであったかを確認をしておく必要もあるんだろうというふうに思っています。
今日、今、田名部理事の方で計らっていただきましたので、ちょっとこれ見づらいかもしれませんが、有名な富嶽三十六景の丸子宿というところの版画でございます。これ何が有名かというと、この辺に映っております裏山、里山には木が一本も生えておりません。つまり、江戸時代は、当たり前ですけれども、エネルギー源のほとんどは森林、要するに木材でございました。しかし、それとは別に、藩有の山などについては大変立派な、先ほどありました吉野杉でありますとか、いろんなものもあったことも事実でございます。
戦後、要するに戦争でいろいろなところで被害を受けて木材の需要が大幅に伸びた。そして、外貨がありませんから、木材を輸入するなんてことはあり得ませんでしたから、大変に山も一定の活況をにぎわしたというふうに思っておりますし、そのことだけではなくて、やはりこのように荒れていた山を戦後何とかしていこう。今は世界で七十何%、世界で一番、二番というような森林率というふうに当たり前に言っておりますけれども、その当時は五〇%を切るような森林率だったのがここまでになったというのは大変な努力だろうというふうに思っております。
ところが、そのうちに落ち着いてくると外材が安く入ってくるようになって、林業をやっていこうという人、営んでいこうという人が徐々に減ってまいりました。「ポツンと一軒家」で三、四週に一回ぐらいは、どうしてここに一軒だけあるんですかといったら、みんな昔はここで林業をやっている人が結構いたんだけど、今はうちしか残っていないんだというようなことがよく出てまいります。
昔は、山というのは木材と人材を供給するというふうに山の人たちは誇りを持って言っていたと思うんですね。ところが、今それがなくなってしまった。そういう中で、先ほど言った間伐だけではなくて、この特措法ができたことによって、私は物すごく山はよかったと思っているんですよ。予算が付いて人が付いて、荒れ放題にされようとしていた山に再びやっぱり日が照るようになった、人が入るようになった。結果として、山の水源涵養力など本来の力が戻ったと思っているんです。
私、国会議員になって最初の頃、もう二十何年か前ですけれども、栃木県の方で大変な雨が降りました。そのときに、栃木県であれだけの雨が降ると、私どもの県庁所在地の水戸に来るのには十四、五時間掛かって水かさが増えてくるというのが当たり前に言われてきたんです。
ところが、先ほど言った間伐等が行われていない時代でありましたから、あっという間に水が来て大災害になったというようなことがございました。そういう意味で、この特措法によって、いずれにせよ山の力が戻る、山がダムとして機能をするようなことが当たり前になってきたということはよかったことだろうと思っています。
しかし、先ほどのような経過の中で、五十五万に対して五十五万のときはいいですけれども、第二期になると五十二万に対して四十四万、これから四十五万ずつやっていこうということにもしなるにしても、なぜ作業が滞ってくるようになるかというと、それほど難しくないんですよ、単純なんですよ。やりやすいところから間伐を始めて、十年もたったらば奥に奥にと間伐の場所が移っていくということが大きな原因だろうというふうに私は思っています。
だとすると、そのために幾つかのことをやらなければいけない。まず第一は、路網の整備、林道、作業道、これをしっかりやらなければ山の再生はないんだというのが政権を取らせていただく前の民主党のプランの最大のところでございました。
この路網の整備、計画にも盛られておりますけれども、今現在の進捗状況、どのような形になっているか、問題は何が残っているのか、教えていただきたいと思います。