駒込武の発言 (文教科学委員会)
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○参考人(駒込武君) 御質問をありがとうございます。
今、国立大学で生じている事態は、一言で言うならば経営による教学の支配という、そうした事態であるというふうに思っています。
先ほど旭川医科大学の例を申し上げましたが、経営の観点と、地域の医療と連携しながら感染症患者を対応しなくてはいけない、そうした医療の公共性という観点が対立する場合もあるわけですね。それにもかかわらず、全体として経営の観点が優先されて、学部やコースのスクラップ・アンド・ビルドが、採算が合わない、そうした理由で様々な形で行われています。
一つ私が身近に見聞した例を挙げさせていただきますと、京都教育大学は特別支援学校のほかに特別支援学級がございます。必ずしも公立学校における特別支援教育、特別なケアを必要とする子供への教育体制が充実していない中で、京都教育大の特別支援学級は保護者の方からも非常に重要な場所であると支持されていました。
ところが、京都教育大は、一昨年ですか、昨年、この特別支援学級を廃止するという改組案を示しました。附属学校園の効率化のためにはやむを得ない、財政上の事情が許さないという、そういう教育大の先生方としても苦渋の決断ということでした。
これに対して、保護者の方、それに地域住民も一緒になって意見書を提出し、署名運動を行っています。その意見書では、普通学級と一緒に特別支援学級があることは数値では測り得ない大きな意味があるんだ、決してきれい事ではない関係の中で子供たちは育っていくんだ、それは子供たち自身の権利なんだ、そして、誰もが過ごしやすく、安心して生きられる社会づくりの出発点は一番弱い立場にある人に心を寄せることだ、そのように記しています。
こうした観点、私はとてももっともで大切な観点だと思いますが、経営の観点が優越されると否定されてしまうわけです。このような非常に微妙な教育の場というものをバックアップしていくためにも、大学における教育、研究、医療の体制が専ら経営の観点に依存する体制というのは改めていかなくてはいけないというふうに思っています。