川村百合の発言 (法務委員会)
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○参考人(川村百合君) 真の更生、真の反省というのがどういうことかというのはなかなか難しい問題だとは思いますが、真の反省という言葉を使わせていただきますけれども。
先ほども申し上げたとおり、被害者としての側面を持っている、背景を持っている少年が加害者になってしまったときに、その加害行為について反省し、被害者に、自分が加害したその被害者に対して、あるいはその遺族に対して真の謝罪の気持ちを持つというためには、まずは自分が被害者であったことが受容されケアされるということが必要だと考えています。
少年が非行を犯し、逮捕され、鑑別所に行き、少年院に入りという過程の中で、さんざん厳しくは接しられてきますし、また、そうでなくても、自分がやったことが悪いことだ、この社会の中で許されないことだということは、頭の中では当然分かっているわけです。
でも、じゃ、その自分がやったことのゆえに被害者がどれだけ傷ついたか、あるいは御遺族がいる場合に御遺族がどれだけ悲しい思いをしているかというような、その気持ちを考えてみましょうといったときに、いや、でも、自分は、暴力、さんざん暴力を振るわれて生きてきた、そのときに誰も助けてくれなかった、痛かったけど、でも、それは、心を閉ざして、痛みだけを右から左に受け流して今まで生きてきたというような少年は、どうして、自分は被害に遭ったときに、暴力を受けたときに助けてもらえなかった、誰も謝ってくれないのに、どうして自分は今捕まって、その被害者に悪いという気持ちあるけれども、でも何でこんなに言われなきゃいけないんだろうというふうに思う、ますます被害感情を強めて心を閉ざしてしまうということになりかねないと思っています。
ですから、少年院での教育というのは、まずは少年の被害性、少年の生きてきた人生のつらかったことなどを受け止め、受容して、その上で、でもこれは、あなたがされてきたことは許されないことであった、でも、それを誰も止めなかった、そのことを誰も謝罪していない、それは許されないことである、この社会の中で本当はあってはならないことである、それを、私たち社会の一員としてあなたに対して本当に申し訳ないと思う、でも、その上で、自分がやったことが人をどれだけ傷つけたのかということを考えられるようになりましょうというステップが必要なはずです。
なので、厳しく厳しくやるということでは真の反省というのにはたどり着かず、まずは受容してケアすると。その上に真の反省があるとすれば、やはり刑務所ではなく、少年院の教育が奏功しているということが言えると思います。