赤羽一嘉の発言 (予算委員会)
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○国務大臣(赤羽一嘉君) あの東日本大震災のときは私は実は落選をしておりまして議席がなかったんですが、この未曽有の大被害、何とか現場に入ってできることはないかということで、たしか二週間後ぐらいに羽田から三沢に飛んで、そして知人から車を借りて、日帰りできるところということで、ぎりぎり宮古まで行きました。
〔委員長退席、理事馬場成志君着席〕
宮古の田老町とか大変な状況の中で、宮古市長さんとお会いをすることができて、その時点で質問されたことに大変ショックを受けまして、これだけの瓦れきの処理を、一体、費用負担は国がしてくれるんですかということを言われ、私は、そのときに、この問題というのは実は阪神・淡路大震災で決着をされておりまして、そんなことも政府からは連絡がないんですかと、いや、この間、全てテレビの官房長官のあれで知るだけですというふうに言われたことが大変このままではまずいというふうに思い、東京に戻ってから公明党の党本部、幹部にですね、担当を一人ずつ付けて、被災地ととにかく、寄り添うというのは言葉では簡単だけれども実際に行動しなければいけないということで、公明党の現職の議員がそれぞれの被災地の担当制を始めたと。私はそういうところから人間の復興というのは始まるのではないかと。
人間の復興というのは、私、阪神・淡路大震災からずうっと一貫して様々な災害現場に行き、復興復旧に携わる中で、ややもすると災害に遭ったからしようがないじゃないかと、しかし、多くの被災者は真面目に仕事をし、真面目に税金を納め、家族を養い、仕事、本当に立派な国民が阪神・淡路大震災ではたった二十二秒で家族を失ったり職場を失ったり自宅を失うと、それを仕方がないということで済ませることができるのかどうかと。
私も家を失った一人でしたが、国から何もそうした支援金というのは当時はなかった。十三年間掛かって被災者生活再建支援法というのが今の形ででき上がって、まあたかだか百万円とか三百万ですが、それは国が国民に対するせめてもの気持ちという思いで作らさせていただいたということでございます。
何か、災害があると体育館で、避難所に泊まって雑魚寝をするのが当たり前というのは、私、やっぱり余りにも、人としてのやっぱり尊厳というのは被災者になっても守られるべきだということで、この東日本大震災の復興のシンボルとしては人間の復興ということを言うべきだというのは党内で提案したことがございます。
そうした意味で、十年たつ中で、余りに大変な災害でありましたから、福島は、これから避難指示解除ができて、帰還困難区域もこれから第一歩だということでありますし、宮城県も岩手県も高台移転のところは大変空き地が多いと、まあ報道はそう気楽に書きますけど、そこの首長の皆さんの御苦労ですとか被災者の皆さんの思いとか、十年間で様々な状況が変わっている中で私はやむを得ない結果だったのではないかと思いますし、そうしたことをどれだけフォローをして、きめ細かいフォローをしながら、やっぱり震災以前の当たり前の生活をどう取り戻せるかということに心を政治が砕けるかどうかに懸かっていると、それは人間の復興ということの全てではないかと思います。