國場幸之助の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)

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○國場委員 大臣、ありがとうございます。
 私は、沖縄振興の一つのゴール、出口は、沖縄に寄り添うという言葉がなくなったときだと考えております。つまり、沖縄の発展というものを我が事のように国会議員が、国民が考えていただく、当事者意識を持っていただく、そして、沖縄選出の国会議員も、この沖縄北方特別委員会は北方領土問題を抱えておりますから、北方領土を我が事として考えていく、私は、このような主体性のある当事者意識を国民全体が共有できれば、沖縄振興というものは、一つの、達成できたと考えております。だからこそ、この法案というものも国民の理解と共感が大切だと思いますので、今日は、限られた時間でありますけれども、しっかりと審議を進めていきたいと思います。
 また、最後に大臣の自らのお言葉で本当に貴重な答弁、ありがとうございました。
 過去、衆議院では二回の決議をしているんですが、最初の決議は、佐藤栄作内閣のときの一九七一年の十一月二十四日、このときは、非核三原則の堅持と米軍基地の整理縮小に関する決議が行われておりました。二回目の決議は、橋本龍太郎内閣のときの一九九七年四月の二十二日、沖縄における基地問題並びに地域振興に関する決議が行われております。
 今大臣からもコロナやウクライナの問題が指摘されておりましたが、私は、沖縄の持つ役割として、今回決議をする、また沖縄の発展というものをこの式典も含めて考えるとすれば、私は二つあると考えております。一つは、沖縄らしさを生かした国家戦略としての沖縄の強い自立経済を達成していく。またもう一つは、平和創造拠点という概念を沖縄が持つべきだと考えております。
 国際交流という視点は長らく持っておりました。沖縄が大きく飛躍、発展してきたとき、それは二〇〇〇年の、当時の小渕総理が沖縄のサミット、首脳会議を決断していただいた、あれから沖縄は大きく自信を持ったと思います。また、その一年前の一九九九年の、沖縄尚学高校が春の選抜で初めて優勝をした。やはり沖縄が野球という一つのルールの中で全国制覇をしたということは、そしてまたその次の年のサミットというものは、沖縄の発展の大きな変わり目だったと思います。
 私は、このことは、多くの、本土を含む全国民の沖縄に対する支援があったからだと思いますので、私は、沖縄の祖国復帰を考えるときに、やはりまずは、その復帰に携わってきた多くの先人たちに対する感謝を忘れてはいけないと思います。また、その志というものを継承していって、次の五十年を見据えた発展というものをしっかりと考えていきたいと思いますので、また引き続きの御指導をよろしくお願い申し上げます。
 また、大臣から冒頭にありました、沖縄振興が引き続き必要なのは、県民所得の低い今の現状と子供の貧困を解決することである、このことは全く同感であります。この子供の貧困は、当時の島尻安伊子沖縄担当大臣が大変に信念を持って、この問題こそ次の沖縄の発展に大事な問題なんだということを提案しております。
 二問お尋ねしたいと思います。
 この度の改正で子供の貧困対策が条文化されております。その法文については、沖縄の子供の貧困というものが括弧書きになっておりますけれども、どのような意味があるんでしょうか。
 そして二つ目に、そもそも子供の貧困対策は、既に施されている全国の対応策だけでは解決できない。今、子供の貧困、沖縄は深刻でありますので、特別な予算でもって十分の十の措置でスタートしております。それから、今後、貧困対策の事業の補助率が、現行は十分の九でありますが、今度また十分の八に変わるという中で、この子供の貧困に対する政府の取組が後退しているのではないのか、そういう指摘もありますけれども、この二問についての大臣の答弁をお願いします。

発言情報

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発言者: 國場幸之助

speaker_id: 2621

日付: 2022-03-09

院: 衆議院

会議名: 沖縄及び北方問題に関する特別委員会