竹内純子の発言 (原子力問題調査特別委員会)
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○竹内参考人 皆様、おはようございます。国際環境経済研究所の竹内と申します。
今日は、このような機会をいただきまして、誠にありがとうございます。
それでは、早速意見陳述に入らせていただきます。
まず、原子力規制行政の在り方を議論する上で、原子力規制行政の役割を考えてみたいというふうに思います。
お配りしておりますペーパーの一というところに書いてございますけれども、これは原子力にかかわらず、一般的に、規制行政というものは、技術利用に伴う、全ての技術には利用に伴ってリスクがあるわけでございますけれども、そうした潜在的危険性というものが顕在化をする確率を最小化する、また、仮に顕在化した場合でも被害を最小限に抑えるための措置を講じ、その技術が社会にもたらす便益を最大化することに貢献すること、これを目的にしているというふうに理解をされます。
原子力につきましては、原子力災害の特殊性から、事前予防、安全規制といったようなところと事後救済の制度、これの整備が特に重要な技術というふうに考えられます。
一般的に、技術の利用につきましては、施設の安全性の責任というのは事業者が一義的に負うということでございます。では、それに当たって原子力規制行政というのはどんな役割を果たすのかといえば、施設の運転に際しての安全に関する必要条件、これを提示をすること、そして、その条件に適合しているかどうかの審査を行うということ、これが役割として求められることでございます。
原子力規制は、国民、立地地域の住民からの原子力技術に対する信頼、これを大きく左右するものでございます。私の著書から、原子力に対する安心というのは、つまるところ、安全をつかさどる者への信頼感に尽きると書かせていただいておりますけれども、これまでのところ、少ないとはいえ、我が国で、福島事故後、再稼働というようなものを始めた原子力発電所、こういったものが数基出てきているということは、これは、原子力規制委員会、規制庁の皆様が非常に厳しい審査を行っているという信頼が国民からあり、そして、加えて申し上げれば、事故、トラブル等なく再稼働した炉が運転されているといったようなところかと思います。
もう一つ、原子力規制というのは、原子力事業の事業性にも当然影響を及ぼします。原子力発電というのは、燃料コストはほとんどかからないものの、発電及び廃炉、こういったものの費用、これらの大宗が固定費といったような性質を持っております。損益分岐点となる設備稼働率は約七〇%ぐらい、これは非常に雑駁な仮定を置いて計算をしたものでございますけれども、高い稼働率、安定的な運転というようなこと、これを満たすことによって初めて大量で安定的、安価な電気を生む技術として存在する、貢献することができるというものでございます。
そういった特徴を持つということを踏まえてこの原子力規制行政ということについて考える必要があるというところでございます。
次の、二に書かせていただいておりますけれども、日米の原子力行政、これに対する相違点から見る我が国の課題というところを申し述べたいというふうに思います。
なぜ日米を比較するのかといったようなところでございますけれども、国際的な核物質の管理の必要性、あるいは、各国の政策や安全規制の影響を強く受けること、もう一つ、大規模な投資を必要とすることから、原子力というのは、資金調達コスト、これを圧縮しないとプロジェクトとして非常に成立しづらいというような、こういった特徴がございまして、そのためにはやはり国が後ろにいるということが重要であったために、多くの国では、原子力事業というのは国営体制の下、発展をしてまいりましたが、日米というのは、事業創成期から民間、民営体制を取ってまいりました。
ただ、両者の原子力規制行政には黎明期から差があり、福島原子力発電所事故後、特に差が拡大したというふうに認識をしております。
日米の原子力基本法及び関連の法制、これを読み比べてみますと、大きく二つの特徴があるというふうに思います。
一つは、米国では、具体的に政府の行うべきプログラムが書かれているというようなこと、もう一つは、これは原子力に限らずでございますけれども、米国は、連邦行政機関の規制的活動全般に対して費用便益分析といったようなものが要求されるというようなところでございます。
原子力のまずプログラム化といったようなところでございますけれども、米国では、それまで軍事技術として発展をしてきた原子力技術、これを民間が利用することを促していく、要は原子力発電を導入していくということに国が方針転換をした際に、民間事業に参画を促した。その際に、民間事業者からは、技術開発、そして何かあったときの事故、そうしたときには国が必ず責任を持ってくれるということでなければ参画できないというような、ある意味、明確な意思表示が米国ではなされたというようなところ。
こういったところに比べて、我が国では、国策として推進されることへの強い信頼があったということと、電力事業者も規模が大きかったというようなところもあって、ある意味、非常に積極的な姿勢を民間事業者が見せたということが、当時の東京電力あるいは関西電力に勤めていた方の著書からもうかがうということができます。
こうしたところから、プログラムについての部分でございますけれども、国の関与というところについてでございますが、導き出される課題として、国の関与の曖昧さを残して、これまでは、本来民間事業者が取り得るリスクを超えた民営体制が確立をされてきた、その下で発展してきたというふうに我が国の原子力事業は言うことができると思います。それが、福島事故後に行われました電力システム改革、いわゆる電力自由化によって、そのリスクを取り切るということが難しい状況になっているというところでございます。
これは本日の主要テーマではございませんけれども、一方で、原子力規制の在り方の中においても、自由化に対する変化に対して、抜けや漏れがないかというようなことを改めて確認をする必要が出るということを意味しております。
もう一つ、日米との違いという中で申し上げると、米国の連邦行政機関の規制的な活動には費用便益分析を要求するということ、これは非常に歴史が、古くから行われているところでございます。
要は、新しい規制を導入するときには、その規制によって国民が受けるメリット、これが規制に対応するために必要とするコストよりも大きくなければその規制は入れてはいけないという考え方、これが一般的に取られているというところでございますし、それが原子力規制においても例外ではなく適用されるというところになってございます。
我が国の原子力規制を、そういった米国の方針、これを踏まえた上で概観をいたしますと、我が国の原子力規制委員会、こちらの行動原則、活動原則の中では、米国の規制委員会、これをなぞらえるような形で活動原則が定められているんですけれども、あえて効率性の原則というのが除外をされております。
安全性の向上を目指した対策を取ったとしても、取り続けたとしても、あるところ以降は、不確かさが大きくなり過ぎたり、あるいはかえって逆効果になるということすら起こり得る、こういった領域においてむやみに多くの資源を投じるというようなこと、これを、若干批判的な言葉として、「滑稽な安全の姿」というふうに私を含む二名の先生方との共著の中で書かせていただきましたが、やはり効率性の原則というのは必要な考え方であろうというふうに認識をしております。
日米の原子力発電関係の事業者あるいは規制機関、こういったものがどのように異なるのか、非常に似てはいるんですけれども異なるということを図解をさせていただいたのがその下に置いております図でございます。
こちらはちょっと細かくなってしまいましたので、後でゆっくり御覧いただければと思いますけれども、非常に似ているんだけれども異なるという点が、例えば、原子力規制あるいは原子力政策、エネルギー政策というものに対する議会のチェック、こういったものが機能しているかといったようなこと、あるいは、事業者代表の組織が、事業者が安全を考える代表機関として規制と綿密なコミュニケーションを取っているか。よい規制というのは、規制機関だけがつくるというものではなくて、やはりその技術を使う人たちとの綿密なコミュニケーションによって成り立つということだとすると、そういったものが成り立っているかというようなところ、ここを書かせていただいているところでございます。
おめくりいただきまして、三ページ目でございますけれども、こういった視点を踏まえまして、我が国の原子力規制行政改善に向けて必要な視点というようなことで申し述べたいと思います。
原子力エネルギーを持続的に利用することの価値は小さいものではないわけですが、一方で、安全の規制というようなところは非常に重要であるというのは先ほどの山口参考人も述べられたところかと思います。
適切なリスク管理と政策的意思、社会の理解に支えられて初めて原子力というのは役割を果たすということが可能になるわけですが、そうした中で、懸念をされる規制機関の方の御発言としてちょっと引用させていただいております。
審査ガイドよりも個々の審査官の判断の方が上位である。あるいは、審査というのはいつでも誰でもどの時点からでもひっくり返せる仕組みが大事、あらゆるメンバーがちゃぶ台返しができることが大事。あるいは、規制の立場では審査において制約条件が課されていない。
これは、安全最優先という点では同意をする向きもあろうかとは思うんですが、行政は憲法によって制約をされるのではないかといった根本的な原則、あるいは、ひっくり返るちゃぶ台の上で継続的な安全性向上を考えることができるかといった本質的な問題といったような課題がここからうかがえるというふうに思います。
こうした点で、必要なこととしまして、適切なチェックと健全な批判。行政機関としての当然有するべき規制の効率性や首尾一貫性について、やはり規制機関としてチェックを受けるという体制整備、あるいは判断根拠の明示化、明文化といったようなところを徹底する。
あるいは、積極的な外部の知見の取り入れや関係者とのコミュニケーション。独立性というのは孤立性を意味するものではないということの徹底、そしてもう一つ申し上げたいのが、国民、立地地域住民ともう少しコミュニケーションを取るというようなこと。米国のNRCでは、立地計画や、あるいは原子力防災についてもNRCが積極的に関与をしているというところがございます。
三点目が、継続的改善に向けたシステムデザインということでございます。特に、規制基準を満たすことはゴールではないというのが今の一般的な認識でございます。そこをむしろスタートとして、事業者が自主的安全性向上に取り組み続ける、こういったことができる、機能するシステムを設計する必要がございます。
ただ、その中で、自由化された市場においてコスト競争を求めるという制度と自主的安全性向上といったようなものを同時に求めるには、やはり社会として、どこがゴールだと、安全目標といったような議論が非常に重要になってまいります。そういった議論において、原子力規制委員会に期待される役割、社会とのコミュニケーション等においても期待される役割というのは非常に大きいというふうに理解をしております。
具体的に求められる措置としまして、三点列記をさせていただきました。これは、全て、これがなければといったようなところを申し上げたというよりは、これを基に議論をしていただく、させていただくということが重要であろうと思います。
まずは、我が国にとっての原子力技術の意義を原子力基本法で改めて議論をする、それにひもづいて原子炉等規制法というようなものが運営されるように、行う。
規制行政として、福島事故後、急遽立ち上げられた原子力規制委員会でございますけれども、改めて、活動原則といったようなものの中に効率性あるいは首尾一貫性を取り込むべきではないか。
そして、どのような機関であっても、やはり相互にチェック機関、チェックを受けるといったようなことがなければ独善に陥ってしまう、こういった考えから、原子力委員会なのか国会なのか、これはいろいろな考え方があるかと思いますけれども、チェックを相互的に受けるというようなことが必要ではないかということを集約させていただきましたのが次の図二でございます。こちらの図につきましては、私の私案でございますので、後で御覧をいただければというふうに思います。
私からの意見陳述はこちらで終わらせていただきます。
御清聴いただきまして、ありがとうございました。(拍手)