金田勝年の発言 (本会議)

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○金田勝年君 
    謝辞
 この度は、院議をもって永年在職表彰の栄誉を賜りましたことに、心から感謝を申し上げます。
 思えば、今日に至るまで、ただひたすらに「公的なものへの献身という思い」一つで駆け抜けてきた日々であったと思います。
 私の父は、ふるさと秋田で水力発電所に勤務をする会社員でありました。
 父はいつも私に、自分が作る電気で世の中が明るくなるんだ、おまえも父さんを見習って、将来、人の役に立つような仕事をするんだぞと言われて育った少年時代、これが私の原点でありました。
 大学を卒業して、私は、大蔵省に入省し、国の予算を預かる主計局を中心に公務員生活を送るのですが、入省した当時は、主計局長のかばん持ちとして、国会の予算委員会に陪席したことがしばしばでありました。
 あれから四十八年。
 当初、第一委員室の末席に付添いで座っておりました私が、後に国会議員となって、昨年は、予算委員長の席に座る運命をいただくことになる。(拍手)
 人生とは実に不思議な巡り合わせでもありますが、こうした私ですから、大蔵省で働く中で政治の世界と関わる機会を豊富にいただいたことも事実であります。
 その例の一つとして、国会の予算を担当した際には、例えば、ここにおられる国会議員の皆さん全員がお世話になっております、なじみの深い制度、すなわち政策秘書制度の設立に携わったときのことであります。当時、各党並びに秘書会から、第三秘書をつくってほしいということで御相談をいただいたものですが、アメリカなども参考に、また、当時の議運の指導もいただきながら、それまでの第一秘書よりも俸給の高い格付で、新たに政策秘書制度をつくることができたのであります。我が国の議会政治の向上に資するのであればとの私たちの願いがかなった瞬間でありました。
 また、大蔵省時代には、大蔵大臣として薫陶を賜りました竹下登先生や渡辺美智雄先生のお世話になったことに加え、野呂田芳成先生との出会いもあり、ふるさと秋田のために力を尽くすべく、平成七年に参議院議員となり、後に衆議院に転じ、今日に至っております。
 すばらしい政界の先輩、同僚の皆様から御縁をいただいたことに心から感謝を申し上げる次第であります。
 この間、法務大臣や外務副大臣、党の幹事長代理、また、衆議院予算委員長、財務金融委員長などの要職を拝命するなど、折々に、政治と行政の枢要において汗をかかせていただきました。
 また、法務大臣時代は、百二十年ぶりの民法の債権法分野の改正、百十年ぶりの刑法改正に加え、長年の懸案となっていたテロ等準備罪処罰法の東京オリンピック前の成立に取り組むなど、僅か一年で二千回に及ぶ国会質疑に応じたことは、得難い体験でありました。(拍手)
 国民の安全と国際社会秩序の安定に取り組むという重大な責務を自分の手で果たすことができましたことは、政治家として大きな矜持となりました。
 振り返ればたくさんの思い出が去来いたしますが、それらは全て「公的なものへの献身の思い」の結果でありました。
 こうした私を後押しして支えてくれましたのは、地元秋田の皆様、同志議員の皆様、党や役所、また事務所スタッフの皆様たちであって、そして、今日まで私を支えてくれた妻に対しても、心から感謝を申し上げる次第であります。(拍手)
 今後も、国会議員としての職務に愚直に励み、次の世代に誇れる日本、愛するふるさと秋田のために、全力で責任を果たしていく決意を申し上げ、私の心からの謝辞とさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)
     ――――◇―――――

発言情報

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発言者: 金田勝年

speaker_id: 29756

日付: 2022-04-26

院: 衆議院

会議名: 本会議