上田英俊の発言 (予算委員会第五分科会)
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○上田分科員 今ほど、労働法規上は厳格な定義はないというふうに認識をいたしました。
ただ、私も、そうした挨拶回りの中で、働き方に対して大変強い問題意識を持ちまして、これは大変だなと。当時、その頃は、雇用問題だけではなくて、年金未納の問題だとか、社会保障関係で、医療関係、医療保険関係はどうなんだろうかということで、問題意識を大変強烈に持ったものですから、県会議員三期目から社会保険労務士の受験をいたしました。当時はもう四十歳を過ぎておりましたので、記憶力と忘却力の戦いだったわけでありますけれども、三回滑った後で、結果として四回目で社会保険労務士の資格を取得させていただきました。
私なりに正規雇用とはどう定義づけるかと考えた場合に、今の答弁の中にもかぶる部分もありますけれども、まずは、期間の定めのないものであること、そしてフルタイムであるということ、そして直接雇用ということ。そして、更につけ加えるならば、雇用保険、労災保険という労働保険、健康保険、厚生年金という社会保険が完備されているもの。この四つの条件を満たしたものを私は正規雇用というふうに、私自身は認識しております。
さて、労働者派遣法についてでありますけれども、かつては職業安定法において労働者供給事業といったものが禁止されていたということであります。言葉は悪いかもしれませんけれども、かつての親分子分的な支配関係であるとか、あるいは隷属的な関係によって、強制労働であるとか、あるいは中間搾取の温床となるということから、労働者供給事業といったものが認められていなかった、禁止されていたということなんだろうというふうに思います。
そうした中において、様々な働き方が模索される中で、当初は請負から始まったということだろうと思いますけれども、その請負の中で、偽装請負を何とかしなければならないということなんだろうというふうに思いますけれども、やはり、今の社会の在り方に大変大きな影響を与えているのが労働者派遣法だろうというふうに思っています。
昭和六十年に制定されました労働者派遣法は、働き方を、そして社会そのものを大きく変えたというふうに認識しております。
労働者派遣法は、バブル経済崩壊後、企業にとっては、過剰な人員であるとか、過剰な設備であるとか、過剰な借金であるとか、そうしたものを解消することに対して、結果として労働者派遣法は貢献した、大きなメリットとなったというふうに思いますけれども、一方で、労働者の安定した雇用を奪ったという現実も多分あるんだろうというふうに思います。
労働者派遣法は、当初、制定当時は、対象業務といったものが十三から十六、二十六へと変遷してきて、そして、これは派遣してもいいですよというポジティブリストから、これは駄目ですよというネガティブリストに変わった。そして、製造業への労働者派遣が解禁された。対象業務が順次拡大して、規制緩和という名の下に改正がされてきたというふうに思います。結果として、俗に言う雇用の流動化といったものが進んだというふうに思っています。
そこで、お尋ねいたしたいのは、労働者派遣法という法律が当然社会に与えたメリットといったものもあろうかと思いますし、一方でデメリットもあろうかというふうに思います。労働者派遣法の功罪について、厚生労働省の見解を求めたいというふうに思います。