土山希美枝の発言 (行政監視委員会)
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○参考人(土山希美枝君) ありがとうございます。
本日は、貴重な機会をいただきました。土山希美枝でございます。
経歴は御紹介のとおりですが、前職は京都の龍谷大学に二十年おり、さらに、その前、生まれは北海道の芦別市という旧産炭地の小さな町です。そうした小さなあるいは弱い地域の目線から、まず三点お話しさせていただきたいと思います。
一つは、まず、自治体、特に基礎自治体の現状を申し上げておきたいと思います。
地域や地域を構成する人々は疲弊しています。全国もそうですが、痛みというのは弱いところにより強く響くものです。いわゆる条件不利地域あるいは構造的に弱い立場の人々の疲弊は極めて深刻です。そこにコロナ禍が輪を掛けているという状態にあります。自治体もまた増大する負荷と疲弊に痛み、結果として政策展開の随所で萎縮やそんたくや放らつに落ち込んでいます。
自治体行政の問題の背景には、行政は無謬、つまり行政は間違わないという過去の誤った幻想があります。議会にも行政にも人々の間にも残っています。政策には本来正解はありません。しかし、行政は間違わないということが前提になると、政策がうまくいかないということは行政が間違えていたからということになる。そうした行政が間違えていたんだということを避けるには、職員にとっては前任者がやっていたとおりにやる、あるいは国や国の行政が間違っていないはずだからその予定調和を崩さないでやる。萎縮とそんたくにつながっています。
また、自治体行政運営の内部では、業務や労務、原価管理の仕組みの問題があります。
例えば、事業が体系化されて可視化され予算、決算と連動した自治体計画を持つ自治体がほとんどいないということです。自治体政策の最小単位は事業ですが、事業が全部で幾つで、それぞれの支出がどうなっていて、職員の労力がどれぐらい掛かっているかが捉えられていません。事業別予算、決算がなくて、そのため議会で見る予算は款項目節になります。それだと、何を幾らでやっているか、本当にそれが必要なのかどうかが議会にも市民にも見えないことになります。だから、事業単体としてもパッケージとしても評価がしにくいということになります。
労務管理でいえば、日報がないところがほとんどです。そのため、事業と職員の数と時間の関係も見えない。全体の人事管理に生かすことができないわけです。
こうした自治体経営の基礎情報が整理されていない、でも支出は削らないといけない。だから、部や課の単位でトータルで支出一割減とか、退職者不補充とか、声の弱い人に関わる事業が削られやすくなる。これがコストカット行革です。
外部の政策主体との連携もなお未熟です。市民活動との連携では、動員や下請扱いすることで市民活動のエネルギーを消耗させる協働疲れということも既に起こっています。
一方、国や環境、空気、雰囲気に許されると判断されるときには、放らつとも言っていいことが起こります。ここ十年、豊かな納税者と自治体が税金で得をしましょう、政府ですね、豊かな納税者と政府、自治体が税金で得をしましょうという政策が増えてきた。そういう政策がありだとなると、私が当選したら皆さんに税金から何万円キックバックしますという候補者も出てくるわけです。
災害時には、緊急事態だからといって専決処分がどんどんなされる。コロナ禍もある意味災害です。災害で緊急事態だから行政の邪魔をするな。その結果として様々ないろいろなものが専決処分に入り込んでくることもある。専決処分という制度はそろそろ考えた方がいい。
議会には、行政は間違わないという前提がまた色濃く残っています。行政が間違わないなら、真剣にチェックしなくても、提案しなくてもいいわけです。行政もその方がやりやすい。議会は歴史的に追認機構であってきました。自治体政策、つまり事業やその固まりについてチェックや提案を通じて責任を持つ、そういった政策議会としての模索は、先駆的なごく一部の自治体で始まったばかりです。
もちろん、厳しい経済状況の中で地域がしっかりと立とうとしている、そういう人々ももちろんいます。企業、職員、議会もあります。申し上げたように、全体状況では疲弊していても、個別の取組にはすばらしいところ、本当にいいところがいっぱいあるんです。ほとんどの自治体ができていないことをやっているところももちろんある。
でも、そうした事例は地域固有の状況で、固有の人々による真摯な努力の結果として現れるわけです。地域課題をめぐっては、地域の人々と自治体で、自分たちで自分たちの固有の状況を資源を使って模索してあがいていくしかないわけです。
さて、こうした状況を超えるために足りないものは何かを考えてみたいと思います。三点にまとめています。
まず、政策や行政の前提の共有です。今日の社会では、政府の存在理由は、そのエリアを構成する人々にとって必要不可欠な政策や制度を整備することです。国も自治体も必要不可欠以上のことはできません。ミニマムのことしかできないわけです。しかし、課題は無限ですが資源は有限です。そのためにちゃんと必要不可欠な政策や制度を整えること、一つ一つの政策効果が高いこと、この二つが政府に求められます。
しかし、この二つも、二つとも正解がないわけです。何がその地域に、エリアに必要不可欠で、どうやって地域の課題に対応するのか、そのエリアの主体である自分たちで選択して決めるしかないわけです。地域のことは地域でせざるを得ないんです。この前提は常に共有される必要があります。
足りないといえば、資源、リソースです。国も自治体も、人、物、金、時間、労力が足りません。まず人、いわゆる役所の職員はそろそろ減らし過ぎたと言ってもいいのではないでしょうか。なぜ減らし過ぎたか。事業、労務、原価管理ができていない状態でコストカット行革を進めたからです。事業の数は減っていないのに人は減り、市民への対応はより丁寧になることが求められる。ほかの政策主体との連携も、調整には時間と労力と資源が必要なんです。
情報化も、現在の環境から移行するためには人材や資源が必要です。標準化法が通りましたが、これまで独自で組み上げてしまった環境から移行することには大変な労力と資源が必要になる。
政令市でも、汎用機の中ではCOBOLという古語に近いようなパソコン、コンピューター言語が動いているわけです。相当に移行のためには資源が必要になる。しかも、それは自治体固有の状況が、対応が必要になるということになっています。
地域の課題に取り組む政策資源も足りません。特に、小規模や条件不利地域と言われるところには足りません。資源も少ないですが、申し述べましたように、政策資源を計画的に使う仕組みも未熟です。事業が体系化されておらず、原価の計算ができていない、だから総合計画は絵に描いた餅になるわけです。しかし、予算、決算と連動する自治体計画は今こそ必要で、しかもそれはほとんどないという状況にあります。
最後に、問題提起が尊重され、議論されるという営みが足りないということを申し上げます。
行政は間違わない、政策に正解がある、それであれば議論は要らないんです。でも、それは幻想で逆です。改革や改善は必ず少数者からの問題提起を起点として進みます。なのに、私たちの社会は、もめ事、つまり問題提起を避ける傾向があります。空気や上に逆らわず我慢する、それでは改善しないわけです。もめないことがいいことなのではなく、自分たちでちゃんともめ、ちゃんと治めるということが自治として必要なのです。
それらを踏まえて、では、国と自治体の役割分担を読み解いてみたいと思います。
地域は疲弊しています。それでも固有の課題にどう向かい合うか、どういう地域をつくっていくかは、その地域を構成する人々とその地域の政府である自治体にやってもらうよりほかありません。
地域も、地域の課題も固有です。いわゆるモデル事例をコピーしてもそのまま効くことはありません。その地域で、うちの町で、どうやったらうまくいくか、その真摯な努力と模索をする人々が必要なのです。しかし、それがうまくできない地域もある、差ができる。地方分権を前提にすれば、地域に差ができることは当然です。差と呼ぶか個性と呼ぶかの違いです。
ただ、うまくいかなかった結果として、ある地域の人々が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができないという水準になれば、そこを支えるのは国でしょう。ナショナルミニマムを支える責任は国にあります。それは、自治体との関係とは別に、人々に対して国が持つ責任なわけです。
国としてのマクロな課題も既に深刻化しています。自然人口の動態や晩婚化、一人親家庭の厳しさといった問題は、個別自治体の問題ではなく、本来、国レベルで対応するべき問題です。マクロで見たときの構造の格差が生み出す地域間格差もそうです。人々を支えると言いましたが、日本では、国の政策でも実際に人々に行政サービスとして届けるのは自治体です。そこで、国は、ナショナルミニマムが欠落しないよう、全国基準、枠組みを設定してそこに責任を持つ、そこに自治体が独自に必要不可欠とするものがあれば上乗せをする。市民から見たとき、これが国と自治体の責任を果たすということです。
自治体との政府間関係では、国も自治体もそれぞれの課題状況が違い、いわゆるお事情が違うわけです。分権改革で対等、協力と表現された政府間関係は、対等であれば協力だけではなく対峙することもあり得ます。国と自治体がそれぞれ責任を持つ対象である人々を挟んで対峙する緊張関係がある、それが実は本来重要なのです。そこに価値観の対立があり、議論があり、人々から見た国と自治体の在り方が問い直される。
繰り返しますが、国ができることは、人々に対しては国基準を基本に枠組みとなる政策、制度を設定すること、地域政府ではできない国全体のマクロな構造問題に対応すること、自治体にとっても重要なことですが、やはり自治体ではできない統計情報やしっかりした統計、その分析といった……