池田賢市の発言 (文教科学委員会)
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○参考人(池田賢市君) ありがとうございます。
十年のこの更新制ですけど、実は、〇七年のこの更新制が入るぞというときの水戸で行われた地方公聴会で、私、意見を述べさせていただきました。そのときにも本当に問題という話をしていて、実は中央大学は二〇〇八年の試行のときには参加したんですね。じゃ、〇九年の本格実施からどうするかというときに、やっぱりこの制度ちょっとおかしいし、もたないし、すぐなくなるんじゃないかと思ってやらなかったんですね。まあ、近くに東京学芸大学もあるということもありますけれど。ところが十三年間も続いて、廃止になるということであれば本当によかったんですけど。
どうしてこんなに続いちゃったのかということですね。大学に与えた影響などなどは先ほども少しお話を、最初に申し上げたとおりなんですけれど、制度として、一旦法律で制度になっちゃうことのある種の怖さなんだと思うんですけれど、いろんな意味をいろんな人がこの制度に付与していったんではないかと思っています。
大学から見ると、本当にこれ、こういう言い方になるんですけど、大学の経営上の問題として、多くの先生方に受講してもらうと、端的に言うと収入が増えるということ、商売の感覚ですよね、ということもたくさん聞いております。もうかるということですね。ただ、そのレベルに行くためには設備投資も結構しなきゃいけないので、毎年コンスタントに受講生を集めるためにどうしようかという、そういう議論になっていくとか。
あるいは、それと関連して、何せ学校の先生方に来ていただけるので、大学の宣伝になると思ったところもあると思います。特に、高校の先生が来てくれて、いい印象を持って帰ってくれれば、絶対受験指導のときにあそこの大学良かったみたいなことになる、まあなるかどうかは分かんないけど、そういう期待をついしてしまうということも、妄想かもしれませんけど、それはありますということですね。ちょっと露骨過ぎるんですね、それがね。
また、人によりますけれど、大学が関与するんであれば、大学によっては自分のところで教員養成した学生なら引き受けるよなんという話は初期の頃はありました。学生にとってみても、母校の大学で久々に講習を受けて、かつてお世話になった先生もいて、とても懐かしくてという感じで学生時代懐かしんで新たな気持ちで学ぶということはあったかもしれないんですけれど、いずれにしても、いろんな思惑が入り乱れた十三年間だったのではないかという感じもしております。
どれを取っても、子供の抱える課題とか学校、学級の課題とは大分離れているなという感じはしております。制度としてどう維持していくかだけがずうっと続いちゃったという感じですかね。
以上です。