山田健太の発言 (法務委員会)

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○参考人(山田健太君) この表現の自由限界モデルについては最初の発言の中でも御説明させていただいたというふうに理解をしているんですけれども、基本的には、この太い線、表現の自由の限界というのがはっきりしていればいいんですけれども、表現の自由の場合には、この限界線がぎざぎざであったり、薄かったり、あるいは時代によってもやもやっと半分消えてしまったりということがあって、それがために、この図でいうならば③にあるように、どうしても自制あるいは萎縮をして、本来言ってもいいことまで行かずに手前で収まってしまうということが間々あると。
 それをできる限り避ける必要がある場合もある。確かに、今日議論がされているように、誹謗中傷の議論については自制してくれた方がいいわけですよ。これは自制した方がいいんです。だから、この自由のモデルでいうならば、自制が大事な場合もいっぱいあります。僕らも、面と向かっては言うのをやめておこうねという形で、言わないことの方が多いぐらいですよね。
 けれども、事、逆に自制をさせないようにしなきゃいけない場合もあるんだと。それが今日お話ししてきた批判の自由に関わる部分で、あるいは弱者から強者に対する心の叫びの部分で、そこに関しては、できる限り、その限界線越えてもいいんだよという、手を差し伸べるような工夫を社会にしていった方がいいと。
 あるいは、今回の侮辱罪でいうならば、基本的にはこの曖昧さというのをむしろ大事にして、それによって今言ったような批判とかあるいは心の叫びを一定程度許容するような社会こそが民主主義の懐の深さだというふうに理解をしています。
 実際、学生の方が、今の学生の話でいうならば、むしろ今はとっても萎縮して、あるいは自制して、基本的には言わない方が一般的ですね。何となく今の学生ってSNSでもう好き放題言っているという雰囲気がありますけれども、実際はそうではなくて、社会全体の空気としては言わない方向、この③の自制をする方向、傾向がむしろ強まっているというふうに言ってもいいんじゃないかと思います。
 以上です。

発言情報

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発言者: 山田健太

speaker_id: 8122

日付: 2022-06-07

院: 参議院

会議名: 法務委員会