法務委員会
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会
会議録情報#0
令和四年六月七日(火曜日)
午前十時開会
─────────────
委員の異動
六月二日
辞任 補欠選任
竹内 功君 山下 雄平君
六月三日
辞任 補欠選任
高橋はるみ君 山崎 正昭君
伊波 洋一君 高良 鉄美君
六月六日
辞任 補欠選任
山崎 正昭君 高橋はるみ君
六月七日
辞任 補欠選任
高橋はるみ君 堂故 茂君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 矢倉 克夫君
理 事
清水 真人君
高橋 克法君
有田 芳生君
安江 伸夫君
川合 孝典君
委 員
岡田 広君
加田 裕之君
堂故 茂君
中川 雅治君
福岡 資麿君
森 まさこ君
山下 雄平君
真山 勇一君
石川 博崇君
東 徹君
山添 拓君
高良 鉄美君
嘉田由紀子君
事務局側
常任委員会専門
員 久保田正志君
参考人
法政大学大学院
法務研究科教授 今井 猛嘉君
専修大学文学部
ジャーナリズム
学科教授 山田 健太君
龍谷大学法学部
教授 石塚 伸一君
─────────────
本日の会議に付した案件
○刑法等の一部を改正する法律案(内閣提出、衆
議院送付)
○刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係
法律の整理等に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
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この発言だけを見る →午前十時開会
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委員の異動
六月二日
辞任 補欠選任
竹内 功君 山下 雄平君
六月三日
辞任 補欠選任
高橋はるみ君 山崎 正昭君
伊波 洋一君 高良 鉄美君
六月六日
辞任 補欠選任
山崎 正昭君 高橋はるみ君
六月七日
辞任 補欠選任
高橋はるみ君 堂故 茂君
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出席者は左のとおり。
委員長 矢倉 克夫君
理 事
清水 真人君
高橋 克法君
有田 芳生君
安江 伸夫君
川合 孝典君
委 員
岡田 広君
加田 裕之君
堂故 茂君
中川 雅治君
福岡 資麿君
森 まさこ君
山下 雄平君
真山 勇一君
石川 博崇君
東 徹君
山添 拓君
高良 鉄美君
嘉田由紀子君
事務局側
常任委員会専門
員 久保田正志君
参考人
法政大学大学院
法務研究科教授 今井 猛嘉君
専修大学文学部
ジャーナリズム
学科教授 山田 健太君
龍谷大学法学部
教授 石塚 伸一君
─────────────
本日の会議に付した案件
○刑法等の一部を改正する法律案(内閣提出、衆
議院送付)
○刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係
法律の整理等に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
─────────────
矢
矢倉克夫#1
○委員長(矢倉克夫君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、竹内功君及び伊波洋一君が委員を辞任され、その補欠として山下雄平君及び高良鉄美君が選任されました。
また、本日、高橋はるみ君が委員を辞任され、その補欠として堂故茂君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、竹内功君及び伊波洋一君が委員を辞任され、その補欠として山下雄平君及び高良鉄美君が選任されました。
また、本日、高橋はるみ君が委員を辞任され、その補欠として堂故茂君が選任されました。
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矢
矢倉克夫#2
○委員長(矢倉克夫君) 刑法等の一部を改正する法律案及び刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案を一括として議題といたします。
本日は、両案の審査のため、三名の参考人から御意見を伺います。
御出席いただいております参考人は、法政大学大学院法務研究科教授今井猛嘉君、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授山田健太君及び龍谷大学法学部教授石塚伸一君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、今井参考人、山田参考人、石塚参考人の順にお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをいたします。
それでは、まず今井参考人にお願いをいたします。今井参考人。
この発言だけを見る →本日は、両案の審査のため、三名の参考人から御意見を伺います。
御出席いただいております参考人は、法政大学大学院法務研究科教授今井猛嘉君、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授山田健太君及び龍谷大学法学部教授石塚伸一君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、今井参考人、山田参考人、石塚参考人の順にお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをいたします。
それでは、まず今井参考人にお願いをいたします。今井参考人。
今
今井猛嘉#3
○参考人(今井猛嘉君) 皆様、おはようございます。御紹介いただきました法政大学の今井でございます。
本日は、本委員会で意見陳述を行う機会を与えていただき、大変光栄に存じます。
刑法等一部改正法案、以下、これを改正法案と略称しますが、そこには数多くの建設的な改正案が含まれています。
私からは、レジュメに沿いまして、次の二つの事項に絞り意見を申し上げます。その第一は、罪を犯した者の改善更生、再犯防止に向けた処遇をより一層充実させるための諸制度の導入であります。その第二は、侮辱罪の法定刑の引上げです。
レジュメの二の方、まず第一の点について意見を申し述べます。
まず、二の一の部分でありますが、改正法案は、現行の懲役、禁錮を廃止し拘禁刑を創設すること、拘禁刑の受刑者には、その改善更生、再犯防止を図るため作業を行わせ又は必要な指導を行うことができるものとしています。
これは、現行のいわゆる自由刑という制度を抜本的に改正するものですが、拘禁刑受刑者に対して作業又は指導を行うことができること、その趣旨は受刑者の、繰り返しになりますが、改善更生、再犯防止を図るためであることが明記されたという点は大いに評価されます。
作業又は指導は拘禁刑としての刑罰の内容に相当しますが、いかなる不利益賦課を刑罰として理解するかについては、刑罰の正当化根拠、すなわち刑罰目的論との関係で整理する必要があります。
この点がレジュメの二の一に書いてあるものでありますが、皆様御案内のことかと思いますが、若干説明させていただきます。
応報刑論というものは、犯罪とは一定の規範に違反することであり、刑罰は当該規範違反を是正するため又は正義を確認するための反作用であり、刑罰を科すことでどのようなメリットがあるかを問うことなく、犯罪の程度に比例した不利益処分を科すことを認める見解です。この理解は、犯罪による法益侵害の質と量を超えた刑罰を科すことはできないという比例性原則を導く点では優れています。しかし、刑罰を科すことにより期待されるメリットには着目されないため、刑罰の具体的内容を検討する際の道具概念としては不十分です。
そこで、従来から、刑罰を科す目的は何かという、より目的論的思考が展開されてきました。その中で、刑罰を科す目的は、受刑者の再犯予防にあるとする抑止刑論、拘禁中は受刑者による犯罪が制御できる点に価値を見出すとする無害化論、受刑者を犯罪をしない市民として社会に復帰させる点に価値を見出す社会復帰論などが主張されてきました。
これらを整理しますと、目的刑論という大集合の中に他の三つの小集合が含まれており、抑止刑論と無害化論は相互に独立して主張可能ですが、そのいずれもが社会復帰論と接続可能だということになります。したがって、刑罰内容を具体的に規定する際には、抑止刑論と無害化論の視点がとりわけ重要となります。
抑止刑論からは、受刑者にその再犯を予防するのに資する様々な措置の義務付けが導かれます。それは、例えば他者、特に潜在的被害者の視点の理解を促進するための認知行動療法や、経済的困窮から犯罪に出ることを防止するための職業訓練的な措置です。職業訓練的措置には一見すると有償役務の提供のように見えるものがあるかもしれませんが、労務提供がなされているわけではありませんので、強制労働との評価は妥当しないと思われます。
他方で、無害化論からは、一定期間、受刑者を社会から隔絶された施設に収容することで、その間の犯罪実行を物理的に不可能にするということが正当化されます。
このように考えますと、改正法案が拘禁刑の内容として想定する作業又は指導を受けることは、不利益的制裁として適切な事項を選択するものであると評価できます。
次に、二の二に移ります。
懲役、禁錮は、受刑者の自由を制約する処分として、従来、自由刑と呼ばれてきました。しかし、この名称では自由を付与するとの語感もあるため適切でないとの指摘、また過酷な制裁を科すことを当然視するかの時代がかった語感もあるとの指摘がかねてよりありました。
受刑者の自由の制約は受刑者が拘禁される結果として生じるものですから、端的にこの関係に着目して拘禁刑と表現することは、国際的な用語法にも一致する適切なものだと思われます。改正法案では、拘禁の目的は、繰り返しになりますが、改善更生と再犯防止に求められています。受刑者の再犯を抑止することは、抑止刑論と、また社会復帰論にも対応しています。また、拘禁中に個々の受刑者の特徴を踏まえ、犯罪抑止に効果的と思われる処遇である作業又は指導を義務付けることは、これも抑止刑論と社会復帰論から正当化できるものであります。以上の点は重要な点と思われますので、重ねて申し上げる次第でございます。
次に、レジュメの二の三に移ります。
刑の執行猶予制度の拡充でありますが、改正法案では、これを含めて数多くの生産的な提言がなされていると思われます。
まず、この刑の執行猶予制度に関わるものでありますが、例えば再度の執行猶予の適用範囲の拡大が提案されています。これは、刑法第二十五条第二項本文の一年を二年にするとの改正案ですが、これによりまして裁判所にとって執行猶予を選択する可能性が広がり、個々の事案への適切な対応を可能にするものであります。
すなわち、再度執行猶予に処せられると、その取消しがなされ拘禁刑が執行されることがないように、受刑者は日々の生活の中で、受刑者といいますか有罪認定された者は日々の生活で一層の注意を払うことから、犯罪抑止効果も期待できます。また、社会内処遇が継続されますので、家族、勤務先等のリエゾンが切断されることもなく、社会復帰への努力が無駄にならないという点でも有益でありますので、このような改正は支持できると思います。
また、猶予期間満了後の刑の執行の仕組みも考察されて、提案されております。詳細は既に御案内のことかと思いますが、このような執行猶予の取消しという不利益を考慮した再犯防止効果を執行猶予期間満了まで維持することは本来もっと早く検討されるべき事項であったと思われますが、今回の改正は適切だと思います。
再度の保護観察付執行猶予を受けた者に対する処遇の強化、ここも時間の関係で詳細は申せませんが、社会復帰を円滑に、かつ適切に行っていくために保護観察の一層の充実というものは避けては通れない課題であり、適切な御提案だと思っております。
レジュメの二の四のところも同じような評価が妥当しますが、項目だけ述べさせていただきます。
受刑者に対する施設内・社会内処遇の手法の改善策でございますが、具体的には、受刑者等の内省を深めさせるよう被害者の心情を受刑者等に伝達する施策、出所後の支援が必要な刑執行終了者等に対する一層の援助等が提案されています。いずれも、これも先ほどの刑罰目的論から推察しても理解可能な施策であります。刑の再犯を抑止し、社会に復帰させるためには、ただ懲役を、従来の言葉で言う懲役を科せばいいというものではありませんで、個々の受刑者に応じた手厚いテーラーメードの施策が必要であり、そのようなものを実現する御提案だと思っているところでございます。
時間の関係がありますので、レジュメの裏面に移らせていただき、侮辱罪の法定刑の改正について意見を申し述べます。
結論としまして、私は、ここに書きましたように、今回の改正案は時宜を得たものと考えております。その根拠を申し上げますが、まず立法事実でございます。この提案には、それを基礎付ける立法事実が存在すると思われます。御案内のように、近時、SNS等を用いて特定人に侮辱的表現が集中してなされ、その方がお亡くなりになるという痛ましい事件が起きました。その結果、二名の方が科料九千円に処せられましたが、これが適切な事件処理であったか、様々な意見が示されているところであります。
そこで考えますと、侮辱罪の保護法益は名誉毀損罪のそれと同じであります。いずれも、人の外部的名誉としての事実的名誉、すなわち社会で現に通用している、人に対する積極的な評価が保護法益です。この法益が公然と事実を摘示する方法により侵害される場合には名誉毀損罪が成立し、事実摘示はないが表現が公然となされる場合には侮辱罪が成立するものと解されています。保護法益が両者で同じであるならば、侮辱罪の現在の法定刑は名誉毀損罪のそれと比べて低過ぎるのではないかが問題となります。
この問題状況から侮辱罪の科刑状況を確認いたしますと、これは先生方既に御案内のところだと思いますが、法制審議会刑事法部会で配付された統計資料等によりますと、従前は侮辱罪による立件、処罰、確定した判決は数少なかったものでありますが、例えば、平成二十八年から令和二年までは有罪認定された者のうち拘留に処せられた方はおられません。ここからは、そうした有罪認定者の刑事責任が軽かったという解釈と、拘留には執行猶予を付すことができませんので、短期間とはいえ拘禁することを裁判所がちゅうちょしたとの解釈が可能です。後者の観点からは、執行猶予が可能な刑種を追加しようとする改正法案の選択は支持されます。
他方、科料に処せられた者は合計百二十名で、一年平均約二十四名でありますが、それらの方の九割以上の方が九千円以上の科料に処せられています。科料は一万円未満の罰則でありますから、侮辱罪で有罪認定された方を科料で対処することはそろそろ限界に近づいているという評価も可能であります。その点を考えますと、罰金刑を追加するという必要は認められまして、改正法案は妥当だということになります。
次に、三の二に移ります。
改正法案には批判的意見も多く寄せられておりまして、ここが大変難しいところかと存じております。
そこで、若干検討いたしますが、第一の批判といたしましては、侮辱罪の刑に懲役刑を追加すれば表現の自由を脅かすことになり、不適切であるというものがあります。これは傾聴に値する御意見でありますが、その御意見の中で、侮辱罪に刑法二百三十条の二に相当する規定を導入すべきであるという主張もなされています。ここも、なるほどと思う点がありますが、後でもまた説明する機会があるかと思いますが、刑法二百三十条の二に相当する規定を導入しますと、過失名誉毀損罪及び過失侮辱罪なるものが処罰されることになります。過失によって侮辱罪まで処罰するのか、これは過剰な処罰範囲の拡張であると考えますので、私としては刑法三十五条による対処を支持したいと思います。
刑法三十五条は正当行為につき違法性の阻却を認める規定ですが、違法性の阻却は行為により優越的な利益が保護される結果が生じた場合に認められます。具体的には、侮辱的表現がなされた場合、対象者の事実的名誉が害される危険が生じますが、他方で、代表民主制の基礎となるべき自由な意見公表がなされたと言われる場合には、表現の自由として憲法二十一条の保護を受ける行為がなされているわけでありますから、優越的利益があると認められ、正当行為として違法性が阻却されると思います。
違法性阻却が認められない場合でも、直ちに侮辱罪で処罰されるわけではございません。表現をした者の責任が阻却される場合はなお考えられます。
侮辱罪では、名誉毀損罪と異なり摘示事実の具体性は要求されていませんが、事実を摘示する際に、すなわち表現の前提となる事実を確認する際に、表現者がその真偽をできるだけ調査し、真実であると思って当該事実を摘示した場合には、誠実な事実調査に基づく表現であり、侮辱的表現をしているとの認識が欠けますので、侮辱罪の故意が阻却されるということになります。この点も留意していただきたいと存じます。
第二の批判的な見解といたしまして、インターネット上の誹謗中傷被害には、民事上の救済手段を一層充実させて対処すべきであり、侮辱罪の法定刑を加重する必要はないとの批判がございます。これも大変傾聴に値するものでありますけれども、日本ではなかなかこの基礎が欠けていると思います。
後で、次に説明するように、例えばイギリスのように侮辱的行為に対する民事的な制裁が十分機能していて、オーバースペックになっているような国においてはこのような主張が受け入れられる余地がありますが、日本ではそうではありません。
そこで、イギリスのことを若干申し上げます。
イギリスにおきましては、近時、侮辱罪が廃止され、他方で、侮辱に係る民事訴訟法の改正もなされております。これは、イギリスにおきまして非居住者同士の名誉毀損に係る民訴が大量に提起されまして、これは行き過ぎではないかということで、まず民事訴訟法が改正されました。具体的には、侮辱に係る民訴の提起の要件において、被告の表現により原告に重大な損害が発生する可能性があったということが規定されました。
これと併せまして、既に古くなったコモンロー上の侮辱に整理されていた犯罪四つが廃止されました。コモンロー上の犯罪というのは大変古い歴史を持っておりますが、表現の自由への配慮が当然ながら不足していた時代の残滓と言われていたもので、早晩廃止が必要と言われていたものをこの機に廃止したものでございます。
こうした一連のイギリス法の改革に着目しますと、日本とは異なる歴史的、文化的背景に由来する改正であったと思われ、日本法に直ちに導入することはできないと思います。すなわち、国王等政治権力に対する批判を過酷に弾圧するために用いられてきたコモンロー上の関連犯罪が存在した一方で、民事訴訟による損害賠償請求も活発で、あるときには目に余る濫訴的な利用もなされている社会においてはこのような改正も受け入れられる余地があると思います。
翻って、日本には、名誉毀損ないし侮辱的表現が民訴により抑止されるという状況は存在しません。そのため、そうした表現に対する刑事法的抑止力の強化が要請されると思います。
最後に、三の三でございます。
今述べたとおりでございますが、私は、このように日本における侮辱的行為を抑止するためには刑罰を使うことが必要であり、かつ、法益を同じくする名誉毀損罪との比較からも、法定刑の引上げが正当であると思うところでございます。
最後、少し駆け足になりまして大変失礼いたしましたが、私の意見は以上でございます。
御清聴、誠にありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、本委員会で意見陳述を行う機会を与えていただき、大変光栄に存じます。
刑法等一部改正法案、以下、これを改正法案と略称しますが、そこには数多くの建設的な改正案が含まれています。
私からは、レジュメに沿いまして、次の二つの事項に絞り意見を申し上げます。その第一は、罪を犯した者の改善更生、再犯防止に向けた処遇をより一層充実させるための諸制度の導入であります。その第二は、侮辱罪の法定刑の引上げです。
レジュメの二の方、まず第一の点について意見を申し述べます。
まず、二の一の部分でありますが、改正法案は、現行の懲役、禁錮を廃止し拘禁刑を創設すること、拘禁刑の受刑者には、その改善更生、再犯防止を図るため作業を行わせ又は必要な指導を行うことができるものとしています。
これは、現行のいわゆる自由刑という制度を抜本的に改正するものですが、拘禁刑受刑者に対して作業又は指導を行うことができること、その趣旨は受刑者の、繰り返しになりますが、改善更生、再犯防止を図るためであることが明記されたという点は大いに評価されます。
作業又は指導は拘禁刑としての刑罰の内容に相当しますが、いかなる不利益賦課を刑罰として理解するかについては、刑罰の正当化根拠、すなわち刑罰目的論との関係で整理する必要があります。
この点がレジュメの二の一に書いてあるものでありますが、皆様御案内のことかと思いますが、若干説明させていただきます。
応報刑論というものは、犯罪とは一定の規範に違反することであり、刑罰は当該規範違反を是正するため又は正義を確認するための反作用であり、刑罰を科すことでどのようなメリットがあるかを問うことなく、犯罪の程度に比例した不利益処分を科すことを認める見解です。この理解は、犯罪による法益侵害の質と量を超えた刑罰を科すことはできないという比例性原則を導く点では優れています。しかし、刑罰を科すことにより期待されるメリットには着目されないため、刑罰の具体的内容を検討する際の道具概念としては不十分です。
そこで、従来から、刑罰を科す目的は何かという、より目的論的思考が展開されてきました。その中で、刑罰を科す目的は、受刑者の再犯予防にあるとする抑止刑論、拘禁中は受刑者による犯罪が制御できる点に価値を見出すとする無害化論、受刑者を犯罪をしない市民として社会に復帰させる点に価値を見出す社会復帰論などが主張されてきました。
これらを整理しますと、目的刑論という大集合の中に他の三つの小集合が含まれており、抑止刑論と無害化論は相互に独立して主張可能ですが、そのいずれもが社会復帰論と接続可能だということになります。したがって、刑罰内容を具体的に規定する際には、抑止刑論と無害化論の視点がとりわけ重要となります。
抑止刑論からは、受刑者にその再犯を予防するのに資する様々な措置の義務付けが導かれます。それは、例えば他者、特に潜在的被害者の視点の理解を促進するための認知行動療法や、経済的困窮から犯罪に出ることを防止するための職業訓練的な措置です。職業訓練的措置には一見すると有償役務の提供のように見えるものがあるかもしれませんが、労務提供がなされているわけではありませんので、強制労働との評価は妥当しないと思われます。
他方で、無害化論からは、一定期間、受刑者を社会から隔絶された施設に収容することで、その間の犯罪実行を物理的に不可能にするということが正当化されます。
このように考えますと、改正法案が拘禁刑の内容として想定する作業又は指導を受けることは、不利益的制裁として適切な事項を選択するものであると評価できます。
次に、二の二に移ります。
懲役、禁錮は、受刑者の自由を制約する処分として、従来、自由刑と呼ばれてきました。しかし、この名称では自由を付与するとの語感もあるため適切でないとの指摘、また過酷な制裁を科すことを当然視するかの時代がかった語感もあるとの指摘がかねてよりありました。
受刑者の自由の制約は受刑者が拘禁される結果として生じるものですから、端的にこの関係に着目して拘禁刑と表現することは、国際的な用語法にも一致する適切なものだと思われます。改正法案では、拘禁の目的は、繰り返しになりますが、改善更生と再犯防止に求められています。受刑者の再犯を抑止することは、抑止刑論と、また社会復帰論にも対応しています。また、拘禁中に個々の受刑者の特徴を踏まえ、犯罪抑止に効果的と思われる処遇である作業又は指導を義務付けることは、これも抑止刑論と社会復帰論から正当化できるものであります。以上の点は重要な点と思われますので、重ねて申し上げる次第でございます。
次に、レジュメの二の三に移ります。
刑の執行猶予制度の拡充でありますが、改正法案では、これを含めて数多くの生産的な提言がなされていると思われます。
まず、この刑の執行猶予制度に関わるものでありますが、例えば再度の執行猶予の適用範囲の拡大が提案されています。これは、刑法第二十五条第二項本文の一年を二年にするとの改正案ですが、これによりまして裁判所にとって執行猶予を選択する可能性が広がり、個々の事案への適切な対応を可能にするものであります。
すなわち、再度執行猶予に処せられると、その取消しがなされ拘禁刑が執行されることがないように、受刑者は日々の生活の中で、受刑者といいますか有罪認定された者は日々の生活で一層の注意を払うことから、犯罪抑止効果も期待できます。また、社会内処遇が継続されますので、家族、勤務先等のリエゾンが切断されることもなく、社会復帰への努力が無駄にならないという点でも有益でありますので、このような改正は支持できると思います。
また、猶予期間満了後の刑の執行の仕組みも考察されて、提案されております。詳細は既に御案内のことかと思いますが、このような執行猶予の取消しという不利益を考慮した再犯防止効果を執行猶予期間満了まで維持することは本来もっと早く検討されるべき事項であったと思われますが、今回の改正は適切だと思います。
再度の保護観察付執行猶予を受けた者に対する処遇の強化、ここも時間の関係で詳細は申せませんが、社会復帰を円滑に、かつ適切に行っていくために保護観察の一層の充実というものは避けては通れない課題であり、適切な御提案だと思っております。
レジュメの二の四のところも同じような評価が妥当しますが、項目だけ述べさせていただきます。
受刑者に対する施設内・社会内処遇の手法の改善策でございますが、具体的には、受刑者等の内省を深めさせるよう被害者の心情を受刑者等に伝達する施策、出所後の支援が必要な刑執行終了者等に対する一層の援助等が提案されています。いずれも、これも先ほどの刑罰目的論から推察しても理解可能な施策であります。刑の再犯を抑止し、社会に復帰させるためには、ただ懲役を、従来の言葉で言う懲役を科せばいいというものではありませんで、個々の受刑者に応じた手厚いテーラーメードの施策が必要であり、そのようなものを実現する御提案だと思っているところでございます。
時間の関係がありますので、レジュメの裏面に移らせていただき、侮辱罪の法定刑の改正について意見を申し述べます。
結論としまして、私は、ここに書きましたように、今回の改正案は時宜を得たものと考えております。その根拠を申し上げますが、まず立法事実でございます。この提案には、それを基礎付ける立法事実が存在すると思われます。御案内のように、近時、SNS等を用いて特定人に侮辱的表現が集中してなされ、その方がお亡くなりになるという痛ましい事件が起きました。その結果、二名の方が科料九千円に処せられましたが、これが適切な事件処理であったか、様々な意見が示されているところであります。
そこで考えますと、侮辱罪の保護法益は名誉毀損罪のそれと同じであります。いずれも、人の外部的名誉としての事実的名誉、すなわち社会で現に通用している、人に対する積極的な評価が保護法益です。この法益が公然と事実を摘示する方法により侵害される場合には名誉毀損罪が成立し、事実摘示はないが表現が公然となされる場合には侮辱罪が成立するものと解されています。保護法益が両者で同じであるならば、侮辱罪の現在の法定刑は名誉毀損罪のそれと比べて低過ぎるのではないかが問題となります。
この問題状況から侮辱罪の科刑状況を確認いたしますと、これは先生方既に御案内のところだと思いますが、法制審議会刑事法部会で配付された統計資料等によりますと、従前は侮辱罪による立件、処罰、確定した判決は数少なかったものでありますが、例えば、平成二十八年から令和二年までは有罪認定された者のうち拘留に処せられた方はおられません。ここからは、そうした有罪認定者の刑事責任が軽かったという解釈と、拘留には執行猶予を付すことができませんので、短期間とはいえ拘禁することを裁判所がちゅうちょしたとの解釈が可能です。後者の観点からは、執行猶予が可能な刑種を追加しようとする改正法案の選択は支持されます。
他方、科料に処せられた者は合計百二十名で、一年平均約二十四名でありますが、それらの方の九割以上の方が九千円以上の科料に処せられています。科料は一万円未満の罰則でありますから、侮辱罪で有罪認定された方を科料で対処することはそろそろ限界に近づいているという評価も可能であります。その点を考えますと、罰金刑を追加するという必要は認められまして、改正法案は妥当だということになります。
次に、三の二に移ります。
改正法案には批判的意見も多く寄せられておりまして、ここが大変難しいところかと存じております。
そこで、若干検討いたしますが、第一の批判といたしましては、侮辱罪の刑に懲役刑を追加すれば表現の自由を脅かすことになり、不適切であるというものがあります。これは傾聴に値する御意見でありますが、その御意見の中で、侮辱罪に刑法二百三十条の二に相当する規定を導入すべきであるという主張もなされています。ここも、なるほどと思う点がありますが、後でもまた説明する機会があるかと思いますが、刑法二百三十条の二に相当する規定を導入しますと、過失名誉毀損罪及び過失侮辱罪なるものが処罰されることになります。過失によって侮辱罪まで処罰するのか、これは過剰な処罰範囲の拡張であると考えますので、私としては刑法三十五条による対処を支持したいと思います。
刑法三十五条は正当行為につき違法性の阻却を認める規定ですが、違法性の阻却は行為により優越的な利益が保護される結果が生じた場合に認められます。具体的には、侮辱的表現がなされた場合、対象者の事実的名誉が害される危険が生じますが、他方で、代表民主制の基礎となるべき自由な意見公表がなされたと言われる場合には、表現の自由として憲法二十一条の保護を受ける行為がなされているわけでありますから、優越的利益があると認められ、正当行為として違法性が阻却されると思います。
違法性阻却が認められない場合でも、直ちに侮辱罪で処罰されるわけではございません。表現をした者の責任が阻却される場合はなお考えられます。
侮辱罪では、名誉毀損罪と異なり摘示事実の具体性は要求されていませんが、事実を摘示する際に、すなわち表現の前提となる事実を確認する際に、表現者がその真偽をできるだけ調査し、真実であると思って当該事実を摘示した場合には、誠実な事実調査に基づく表現であり、侮辱的表現をしているとの認識が欠けますので、侮辱罪の故意が阻却されるということになります。この点も留意していただきたいと存じます。
第二の批判的な見解といたしまして、インターネット上の誹謗中傷被害には、民事上の救済手段を一層充実させて対処すべきであり、侮辱罪の法定刑を加重する必要はないとの批判がございます。これも大変傾聴に値するものでありますけれども、日本ではなかなかこの基礎が欠けていると思います。
後で、次に説明するように、例えばイギリスのように侮辱的行為に対する民事的な制裁が十分機能していて、オーバースペックになっているような国においてはこのような主張が受け入れられる余地がありますが、日本ではそうではありません。
そこで、イギリスのことを若干申し上げます。
イギリスにおきましては、近時、侮辱罪が廃止され、他方で、侮辱に係る民事訴訟法の改正もなされております。これは、イギリスにおきまして非居住者同士の名誉毀損に係る民訴が大量に提起されまして、これは行き過ぎではないかということで、まず民事訴訟法が改正されました。具体的には、侮辱に係る民訴の提起の要件において、被告の表現により原告に重大な損害が発生する可能性があったということが規定されました。
これと併せまして、既に古くなったコモンロー上の侮辱に整理されていた犯罪四つが廃止されました。コモンロー上の犯罪というのは大変古い歴史を持っておりますが、表現の自由への配慮が当然ながら不足していた時代の残滓と言われていたもので、早晩廃止が必要と言われていたものをこの機に廃止したものでございます。
こうした一連のイギリス法の改革に着目しますと、日本とは異なる歴史的、文化的背景に由来する改正であったと思われ、日本法に直ちに導入することはできないと思います。すなわち、国王等政治権力に対する批判を過酷に弾圧するために用いられてきたコモンロー上の関連犯罪が存在した一方で、民事訴訟による損害賠償請求も活発で、あるときには目に余る濫訴的な利用もなされている社会においてはこのような改正も受け入れられる余地があると思います。
翻って、日本には、名誉毀損ないし侮辱的表現が民訴により抑止されるという状況は存在しません。そのため、そうした表現に対する刑事法的抑止力の強化が要請されると思います。
最後に、三の三でございます。
今述べたとおりでございますが、私は、このように日本における侮辱的行為を抑止するためには刑罰を使うことが必要であり、かつ、法益を同じくする名誉毀損罪との比較からも、法定刑の引上げが正当であると思うところでございます。
最後、少し駆け足になりまして大変失礼いたしましたが、私の意見は以上でございます。
御清聴、誠にありがとうございました。
矢
山
山田健太#5
○参考人(山田健太君) おはようございます。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。専修大学ジャーナリズム学科の山田健太です。
本日は、主として侮辱罪の在り方につきまして、言論法の立場から意見を申し述べさせていただきます。
皆さん、スマートフォンはいつ買われましたでしょうか。思い出していただければ、東日本大震災のときには、まだほとんどの方が携帯自体を持っていないか、持っていてもガラケーと呼ばれるような携帯電話でした。それが二〇一五年には半数を超え、同時にSNSが広く普及し始め、それとともにネット上での誹謗中傷が社会問題となってきたわけです。あえて言えば、ここ五年ほどの新しい社会問題と言えます。これに対し、よく野放しとか無法地帯という言い方がされています。今回の法改正も、ようやく法がネット対応してくれるという声も紹介されております。
しかし、果たしてそうでしょうか。ここ一、二年の間に急速にインターネット上の法整備が進んでいます。昨年、プロバイダー責任制限法が改正され、今年一月からは具体的な運用も始まっています。警察庁や総務省が主導する業界とともに行う共同規制も、より細やかに、そして広範囲に、更に強力に運用が始まってもいます。プラットフォーマーも、ようやくではありますが、自らを表現者として認識するに至り、扱う情報に社会的責任を負うことを公的にも表明し、また人もお金も掛ける形で自主的な取組も始めています。
さらに、フェイクニュースに惑わされないぞといったユーザーの意識も大きく変わりつつあります。まさに今、ネット環境は急速に変わっているのです。確かに、デジタル庁もできてまだ一年ということになると思います。
新しいデバイスであるスマホ上で、新しいメディアであるSNSにおいて、行き過ぎた表現があることは事実です。しかし、残念ながら、みんなが幸せな環境を享受するような秩序が整うまでの間、多少の混乱をするのは新しい技術が誕生した時期の宿命であり、私たちが通らざるを得ない道です。そのときに過剰反応して必要以上の規制をつくることは、そのメディアの良さを殺すことにもなりかねませんし、社会全体のバランスを損なうことにもつながります。今回の場合でいえば、何よりも問題は、表現の自由の話であることにあります。今日現在、ネットは決して無法でも野放しでないことをまずは冷静に見詰め直していただければと思います。
もちろん、インターネット上の誹謗中傷で苦しむ方々を少しでも減らしたいと思うのは当然であります。その一つの方策として、法規制を強化することによって犯罪行為を抑止するという選択肢は確かにあります。一方で、既に本国会でも多くの指摘があるとおり、そのデメリットにどのようなことがあるかについてはよく吟味する必要があります。
一般に、法規制、とりわけ刑事罰を重くすれば犯罪の抑止につながり、発生件数は減少するでしょう。これは間違いありません。しかし一方で、そのために私たちの社会のゴールである民主主義が壊れることがあってはなりません。目の前の個別具体的な被害の救済はとても大切なことでありますが、それによってより大きな社会的損失を生むことがあってはならないのです。とりわけ、今回の場合、その壊れる可能性があるのは、民主主義社会の根幹である言論の自由、とりわけ批判の自由です。
昔から、表現の自由はガラスの城に例えられてきました。それは、一旦ひびが入ると、それがどんなに小さい傷であっても徐々に広がり、そして最後には全体が壊れてしまうという性格を持っていること、そして一旦入ったひびは修復できないことを指し示しています。取りあえず一旦試しにやってみて、もしうまくいかなかったら後でやめればよいというわけにはいかないのです。一度失われた表現の自由、批判の自由は元に戻らないことを私たちはこれまでの歴史から学ばなくてはなりません。
最初に、一ですが、批判の自由は民主主義の根幹であることについて確認をさせていただきたいと思います。
表現の自由が民主主義社会の基盤を成すことについては、ここで改めて言うまでもありません。その中で、批判の自由の拡大の歴史こそが表現の自由の歴史でもあります。
日本に限定してお話をするならば、戦後、現在の憲法が制定され、名実共に表現の自由が保障される時代を迎えました。同時に、刑法の名誉毀損罪には新たな条項が加わります。二百三十条の名誉毀損罪の追加条項である二百三十条の二の免責要件と言われるものです。これによって、たとえ為政者を批判しても、それが公共性、公益性を有し、真実であることを証明できれば、その自由な批判を保障することが定められたわけです。
それまでは、天皇、政治家、高級官僚を批判することは罪でした。むしろ、事実であれば事実であるほどその罪は重かったとも言えます。しかし、戦後、百八十度異なり、民主主義社会のためには、公人を自由に批判できる環境こそが大切であるとされたのです。その後、判例上でも批判の自由の範囲は徐々に広げられ、今日に至っています。
そして、国際的な潮流でも、国連自由権規約委員会の一般的意見でも、名誉毀損等については非犯罪化を検討すべきといった見解も出されているところであります。それは、国家の判断で、為政者を批判する発言を刑事罰で厳しく取り締まることの危険性が大きいことを表しています。にもかかわらず、今回の改正は、こうした流れに真っ向から逆らうものでもあると言えます。
日本の場合、いわゆる広義の名誉毀損法制は、中核の名誉毀損罪のほか、威力業務妨害、信用毀損、そして侮辱です。この侮辱罪は、名誉毀損罪の弟分のような存在ですが、事実の摘示がない抽象的な表現を幅広く対象にする代わりに、制裁である罪を極力軽くし、バランスを取ってきました。これは明治の制定時からの制度設計です。
同時にまた、名誉毀損自体も、公権力の行使を抑制的にすることで表現の自由への配慮を実現してきました。侮辱罪についても同様で、しかも侮辱の範囲が曖昧であるがゆえに、より恣意的な権力行使が可能であることを考慮し、より慎重な運用がなされてきた結果、既に審議されているように、過去の検挙件数が少ないという結果を生んできたわけであります。
今回の法改正は、こうした制度設計や運用を大きく変更するもので、名誉毀損と大きく変わらないような罰則に強化するにもかかわらず、その定義は曖昧なままで、しかも免責要件を有しないという意味では三重の過ちを犯していると言わざるを得ません。
二つ目には、大衆表現こそ一般市民の大切な表現活動であるということについてお話をしたいと思います。
今般、審議に何度か登場してくるやじ行為、あるいはデモや集会、立て看やポスター、チラシなどは、一般に大衆表現と呼ばれるものです。別の呼び方としては、原始的表現、プリミティブ表現と呼ぶこともあります。一般市民がお金や手間を掛けることなく、メディアを持っていなくても気軽に行使可能な表現形態であります。SNSも、時にネットデモと呼ばれることがあるように、今日的な大衆表現という側面を持ち合わせています。
この表現行為の特徴は、ショートメッセージであることが多く、また感情的な表現になるような場も多いと言えます。その結果、時には言葉が激しくなったり汚い言葉になったりもします。会社を首になった労働者が社長に抗議する場面などが当たります。そして、政府や政治家に対する抗議活動も同じです。国会や官邸前でも、あるいは沖縄の地でもよく見かけるところであります。
そうした激しい表現活動が特別な感情を社会に植え付けている側面を否定できません。もしかすると、それは政治家である皆さんにも共通しているのではないでしょうか。言わば、やじ、デモ、チラシへの偏見です。大衆表現について、一般社会から逸脱した人の行為である、負け犬の遠ぼえだ、金で動く人たちでプロ市民だ、一部過激派の運動にすぎないなどなどです。
なぜ迷い猫を捜しての張り紙がオーケーで戦争反対はNGなのか、もう一度立ち止まって考えてみる必要があります。そば屋の宣伝チラシはよくて政党活動報告が駄目なのはなぜなのかであります。同一線上に問題とされる侮辱表現行為があります。
そして、こうした運用上の差異を生むのは、取り締まる者、すなわち行政の恣意的な判断となっています。新聞やテレビを直接制約するのは好ましくないけれども、面倒くさくてうるさい大衆表現は多少厳しめに制限しても構わないという意識が世間一般にないでしょうか。
侮辱罪の適用対象は、多くの場合、こうした大衆表現であります。実際、法制審でも、侮辱的表現は低位な表現で保護する必要がないという発言があり、それが部会の空気を支配しているような印象さえ受けました。
表現の自由は必ず周縁から制約が始まります。言わば、社会の空気感で多くの人が気にしないところからです。まさに、侮辱表現であることを理由に大衆表現が恣意的に刑事罰の対象として取り締まられることは、表現規制の典型例でもあり、批判の自由の制限の始まりであります。
三つ目は、表現規制の特徴である曖昧さは自由拡大の方向で使うことの徹底であります。そして、法規制は最後の手段であることを、これまで私たちが守ってきた大原則でもあるということをお伝えしたいと思います。
さきにも触れましたが、侮辱は低位とのラベリングがなぜ危険かといえば、誰がどういう状況で言うかを考えると想像付きます。
確かに、強者から弱者への侮辱的言動は許し難いものです。その一つが、ネット上のマジョリティーの側から発せられるマイノリティーへの人格否定や罵詈雑言です。実際は情報発信者自身も社会の強者とは言えない、必ずしも言えない場合も少なくないのですが、匿名という殻に守られていることで強者の立場に立てるという構図が生まれています。
一方で、弱者から強者への典型が、一般市民から政治家、労働者から使用者、マイノリティーからマジョリティーへといった発言です。それらは、往々にして言葉が多少汚くなることも強い表現になることもあります。しかし、それらの多くは、勇気を振り絞り、やっとの思いで口にした、言わば心の叫びとでもいうべき必死の抵抗でもあるわけです。その場合、強者は、反省のきっかけにこそすれ、それを力で封じ込めることがあってはならないのです。
それを考えた場合、両者にもし同じルールを当てはめるならば、後者の心の叫びが罰せられないようにすることが大切なことは言うまでもありません。これまで罪をあえて重くしてこなかった理由を私たちは思いをはせる必要があります。こうした少数者の意見が出やすくすること、強者に対して物言いがしやすい環境を用意しておくこそが、民主主義の懐の深さでもあります。
言うまでもありませんが、もう一つの後者の発言を守る方法が免責要件と言われているものです。これについてはレジュメ右側のお手元の図を参考になさってください。
①は、一般的な刑事罰のありようで、境界線を境に、やっていいことと悪いことがはっきりしていることを表しています。そして、②のように、一線を越えると罰せられます。しかし、③で分かるように、表現活動の場合は、限界線が明確でないため萎縮効果が働き、手前で自制するのが一般的であります。そこで、④にあるように、批判の自由を最大限行使できるように、限界を超えられる工夫を施しています。これが免責要件です。その結果として、⑤に見られるように、目いっぱいの批判が可能になるわけです。ただし、往々にして、行政等が新たな限界線、境界線を本来よりも手前につくることがあります。これが⑥の状況と言えます。
それからすると、今回の侮辱罪の強化は、適用対象を変えていないということでは限界に変更がないというのが政府説明でありますが、実態として、政府が同時に繰り返し説明しているように、抑制効果を期待しているというわけですから、まさに壁自体を手前にずらす効果を生むことになるわけで、最もやってはいけないことであることが分かると思います。
この意味するところは、今回の改正が、批判の自由拡大のための工夫の成果である免責要件を有しないという危うさを持つだけでなく、罰則の強化ということによって全く逆に自由の限界線を引き下げる効果を生むという意味で大きな欠陥があると言えます。しかも、行き過ぎた表現行為に対処する場合には法規制は最後の手段であること、どうしても必要な場合もより制限的でない方法を取ることも、規制ルールの大原則としてこれまで国会が守ってこられた大切な規範です。
最初にお話ししたように、この一年で様々なネット表現ルールの改定がなされ、その効果も検証がされていないうちに最後の手段に踏み込むのは、勇み足と言われても致し方ないのではないでしょうか。
さらに、本当はもう一つ、民事訴訟を含めた表現活動に対する影響についてもお話をしたかったのですが、この点については、時間が参っているようですので、また別の機会にとさせていただきます。
以上、今般の刑法改正が持つ民主主義社会への影響、表現の自由への関係についての大きな話をさせていただきました。
私は、本法案に反対の立場であり、いま一度ゼロベースから誹謗中傷抑制のために何が必要なのかを議論いただきたいと思うわけでありますが、もし改正案が成立した場合においても、その運用において誤った方向に進み、私たちが大切にしてきた民主主義社会が揺らぐことがないよう、様々な運用可能性を十分に吟味し、可能な限り事前に歯止めをつくっておくことも立法作業の重要な役割であると思っております。
また、個別具体的な法条文の問題については、正当行為で運用上免責され得るのかとか、繰り返し確認されている適用対象が変わらなければ問題は発生しないのか、あるいは統一見解や衆院附帯決議にあったように現行犯逮捕されなければ問題は解消するのかなど、是非皆様からの質問の中で触れる機会があれば幸いです。最初に指摘した誹謗中傷対策として、より効果的な方法として今何をなすべきか、その解決策についても是非お答えができればと存じます。
委員長始め法務委員会の皆さん、今こそ良識の府である参議院の意義を発揮していただきたいと思います。政治家としての良心を示していただきたいと思います。
冒頭お話ししたように、目の前の声に過剰に反応することで、全体状況、森を見失うことは立法府が一番やってはいけないことではないでしょうか。皆さん方がこの七十七年間守り育ててきた民主主義を是非とも引き続き守っていただきたいと思います。皆さんの手で批判の自由を奪い、民主主義を壊すボタンを押さないでいただきたい。
自らの地位を守り、批判をさせないための悪法を作ったということを記録に残し、後世に引き継ぐことについてためらいを持っていただけると強く信じております。
以上で意見陳述を終わります。ありがとうございます。
この発言だけを見る →本日は、主として侮辱罪の在り方につきまして、言論法の立場から意見を申し述べさせていただきます。
皆さん、スマートフォンはいつ買われましたでしょうか。思い出していただければ、東日本大震災のときには、まだほとんどの方が携帯自体を持っていないか、持っていてもガラケーと呼ばれるような携帯電話でした。それが二〇一五年には半数を超え、同時にSNSが広く普及し始め、それとともにネット上での誹謗中傷が社会問題となってきたわけです。あえて言えば、ここ五年ほどの新しい社会問題と言えます。これに対し、よく野放しとか無法地帯という言い方がされています。今回の法改正も、ようやく法がネット対応してくれるという声も紹介されております。
しかし、果たしてそうでしょうか。ここ一、二年の間に急速にインターネット上の法整備が進んでいます。昨年、プロバイダー責任制限法が改正され、今年一月からは具体的な運用も始まっています。警察庁や総務省が主導する業界とともに行う共同規制も、より細やかに、そして広範囲に、更に強力に運用が始まってもいます。プラットフォーマーも、ようやくではありますが、自らを表現者として認識するに至り、扱う情報に社会的責任を負うことを公的にも表明し、また人もお金も掛ける形で自主的な取組も始めています。
さらに、フェイクニュースに惑わされないぞといったユーザーの意識も大きく変わりつつあります。まさに今、ネット環境は急速に変わっているのです。確かに、デジタル庁もできてまだ一年ということになると思います。
新しいデバイスであるスマホ上で、新しいメディアであるSNSにおいて、行き過ぎた表現があることは事実です。しかし、残念ながら、みんなが幸せな環境を享受するような秩序が整うまでの間、多少の混乱をするのは新しい技術が誕生した時期の宿命であり、私たちが通らざるを得ない道です。そのときに過剰反応して必要以上の規制をつくることは、そのメディアの良さを殺すことにもなりかねませんし、社会全体のバランスを損なうことにもつながります。今回の場合でいえば、何よりも問題は、表現の自由の話であることにあります。今日現在、ネットは決して無法でも野放しでないことをまずは冷静に見詰め直していただければと思います。
もちろん、インターネット上の誹謗中傷で苦しむ方々を少しでも減らしたいと思うのは当然であります。その一つの方策として、法規制を強化することによって犯罪行為を抑止するという選択肢は確かにあります。一方で、既に本国会でも多くの指摘があるとおり、そのデメリットにどのようなことがあるかについてはよく吟味する必要があります。
一般に、法規制、とりわけ刑事罰を重くすれば犯罪の抑止につながり、発生件数は減少するでしょう。これは間違いありません。しかし一方で、そのために私たちの社会のゴールである民主主義が壊れることがあってはなりません。目の前の個別具体的な被害の救済はとても大切なことでありますが、それによってより大きな社会的損失を生むことがあってはならないのです。とりわけ、今回の場合、その壊れる可能性があるのは、民主主義社会の根幹である言論の自由、とりわけ批判の自由です。
昔から、表現の自由はガラスの城に例えられてきました。それは、一旦ひびが入ると、それがどんなに小さい傷であっても徐々に広がり、そして最後には全体が壊れてしまうという性格を持っていること、そして一旦入ったひびは修復できないことを指し示しています。取りあえず一旦試しにやってみて、もしうまくいかなかったら後でやめればよいというわけにはいかないのです。一度失われた表現の自由、批判の自由は元に戻らないことを私たちはこれまでの歴史から学ばなくてはなりません。
最初に、一ですが、批判の自由は民主主義の根幹であることについて確認をさせていただきたいと思います。
表現の自由が民主主義社会の基盤を成すことについては、ここで改めて言うまでもありません。その中で、批判の自由の拡大の歴史こそが表現の自由の歴史でもあります。
日本に限定してお話をするならば、戦後、現在の憲法が制定され、名実共に表現の自由が保障される時代を迎えました。同時に、刑法の名誉毀損罪には新たな条項が加わります。二百三十条の名誉毀損罪の追加条項である二百三十条の二の免責要件と言われるものです。これによって、たとえ為政者を批判しても、それが公共性、公益性を有し、真実であることを証明できれば、その自由な批判を保障することが定められたわけです。
それまでは、天皇、政治家、高級官僚を批判することは罪でした。むしろ、事実であれば事実であるほどその罪は重かったとも言えます。しかし、戦後、百八十度異なり、民主主義社会のためには、公人を自由に批判できる環境こそが大切であるとされたのです。その後、判例上でも批判の自由の範囲は徐々に広げられ、今日に至っています。
そして、国際的な潮流でも、国連自由権規約委員会の一般的意見でも、名誉毀損等については非犯罪化を検討すべきといった見解も出されているところであります。それは、国家の判断で、為政者を批判する発言を刑事罰で厳しく取り締まることの危険性が大きいことを表しています。にもかかわらず、今回の改正は、こうした流れに真っ向から逆らうものでもあると言えます。
日本の場合、いわゆる広義の名誉毀損法制は、中核の名誉毀損罪のほか、威力業務妨害、信用毀損、そして侮辱です。この侮辱罪は、名誉毀損罪の弟分のような存在ですが、事実の摘示がない抽象的な表現を幅広く対象にする代わりに、制裁である罪を極力軽くし、バランスを取ってきました。これは明治の制定時からの制度設計です。
同時にまた、名誉毀損自体も、公権力の行使を抑制的にすることで表現の自由への配慮を実現してきました。侮辱罪についても同様で、しかも侮辱の範囲が曖昧であるがゆえに、より恣意的な権力行使が可能であることを考慮し、より慎重な運用がなされてきた結果、既に審議されているように、過去の検挙件数が少ないという結果を生んできたわけであります。
今回の法改正は、こうした制度設計や運用を大きく変更するもので、名誉毀損と大きく変わらないような罰則に強化するにもかかわらず、その定義は曖昧なままで、しかも免責要件を有しないという意味では三重の過ちを犯していると言わざるを得ません。
二つ目には、大衆表現こそ一般市民の大切な表現活動であるということについてお話をしたいと思います。
今般、審議に何度か登場してくるやじ行為、あるいはデモや集会、立て看やポスター、チラシなどは、一般に大衆表現と呼ばれるものです。別の呼び方としては、原始的表現、プリミティブ表現と呼ぶこともあります。一般市民がお金や手間を掛けることなく、メディアを持っていなくても気軽に行使可能な表現形態であります。SNSも、時にネットデモと呼ばれることがあるように、今日的な大衆表現という側面を持ち合わせています。
この表現行為の特徴は、ショートメッセージであることが多く、また感情的な表現になるような場も多いと言えます。その結果、時には言葉が激しくなったり汚い言葉になったりもします。会社を首になった労働者が社長に抗議する場面などが当たります。そして、政府や政治家に対する抗議活動も同じです。国会や官邸前でも、あるいは沖縄の地でもよく見かけるところであります。
そうした激しい表現活動が特別な感情を社会に植え付けている側面を否定できません。もしかすると、それは政治家である皆さんにも共通しているのではないでしょうか。言わば、やじ、デモ、チラシへの偏見です。大衆表現について、一般社会から逸脱した人の行為である、負け犬の遠ぼえだ、金で動く人たちでプロ市民だ、一部過激派の運動にすぎないなどなどです。
なぜ迷い猫を捜しての張り紙がオーケーで戦争反対はNGなのか、もう一度立ち止まって考えてみる必要があります。そば屋の宣伝チラシはよくて政党活動報告が駄目なのはなぜなのかであります。同一線上に問題とされる侮辱表現行為があります。
そして、こうした運用上の差異を生むのは、取り締まる者、すなわち行政の恣意的な判断となっています。新聞やテレビを直接制約するのは好ましくないけれども、面倒くさくてうるさい大衆表現は多少厳しめに制限しても構わないという意識が世間一般にないでしょうか。
侮辱罪の適用対象は、多くの場合、こうした大衆表現であります。実際、法制審でも、侮辱的表現は低位な表現で保護する必要がないという発言があり、それが部会の空気を支配しているような印象さえ受けました。
表現の自由は必ず周縁から制約が始まります。言わば、社会の空気感で多くの人が気にしないところからです。まさに、侮辱表現であることを理由に大衆表現が恣意的に刑事罰の対象として取り締まられることは、表現規制の典型例でもあり、批判の自由の制限の始まりであります。
三つ目は、表現規制の特徴である曖昧さは自由拡大の方向で使うことの徹底であります。そして、法規制は最後の手段であることを、これまで私たちが守ってきた大原則でもあるということをお伝えしたいと思います。
さきにも触れましたが、侮辱は低位とのラベリングがなぜ危険かといえば、誰がどういう状況で言うかを考えると想像付きます。
確かに、強者から弱者への侮辱的言動は許し難いものです。その一つが、ネット上のマジョリティーの側から発せられるマイノリティーへの人格否定や罵詈雑言です。実際は情報発信者自身も社会の強者とは言えない、必ずしも言えない場合も少なくないのですが、匿名という殻に守られていることで強者の立場に立てるという構図が生まれています。
一方で、弱者から強者への典型が、一般市民から政治家、労働者から使用者、マイノリティーからマジョリティーへといった発言です。それらは、往々にして言葉が多少汚くなることも強い表現になることもあります。しかし、それらの多くは、勇気を振り絞り、やっとの思いで口にした、言わば心の叫びとでもいうべき必死の抵抗でもあるわけです。その場合、強者は、反省のきっかけにこそすれ、それを力で封じ込めることがあってはならないのです。
それを考えた場合、両者にもし同じルールを当てはめるならば、後者の心の叫びが罰せられないようにすることが大切なことは言うまでもありません。これまで罪をあえて重くしてこなかった理由を私たちは思いをはせる必要があります。こうした少数者の意見が出やすくすること、強者に対して物言いがしやすい環境を用意しておくこそが、民主主義の懐の深さでもあります。
言うまでもありませんが、もう一つの後者の発言を守る方法が免責要件と言われているものです。これについてはレジュメ右側のお手元の図を参考になさってください。
①は、一般的な刑事罰のありようで、境界線を境に、やっていいことと悪いことがはっきりしていることを表しています。そして、②のように、一線を越えると罰せられます。しかし、③で分かるように、表現活動の場合は、限界線が明確でないため萎縮効果が働き、手前で自制するのが一般的であります。そこで、④にあるように、批判の自由を最大限行使できるように、限界を超えられる工夫を施しています。これが免責要件です。その結果として、⑤に見られるように、目いっぱいの批判が可能になるわけです。ただし、往々にして、行政等が新たな限界線、境界線を本来よりも手前につくることがあります。これが⑥の状況と言えます。
それからすると、今回の侮辱罪の強化は、適用対象を変えていないということでは限界に変更がないというのが政府説明でありますが、実態として、政府が同時に繰り返し説明しているように、抑制効果を期待しているというわけですから、まさに壁自体を手前にずらす効果を生むことになるわけで、最もやってはいけないことであることが分かると思います。
この意味するところは、今回の改正が、批判の自由拡大のための工夫の成果である免責要件を有しないという危うさを持つだけでなく、罰則の強化ということによって全く逆に自由の限界線を引き下げる効果を生むという意味で大きな欠陥があると言えます。しかも、行き過ぎた表現行為に対処する場合には法規制は最後の手段であること、どうしても必要な場合もより制限的でない方法を取ることも、規制ルールの大原則としてこれまで国会が守ってこられた大切な規範です。
最初にお話ししたように、この一年で様々なネット表現ルールの改定がなされ、その効果も検証がされていないうちに最後の手段に踏み込むのは、勇み足と言われても致し方ないのではないでしょうか。
さらに、本当はもう一つ、民事訴訟を含めた表現活動に対する影響についてもお話をしたかったのですが、この点については、時間が参っているようですので、また別の機会にとさせていただきます。
以上、今般の刑法改正が持つ民主主義社会への影響、表現の自由への関係についての大きな話をさせていただきました。
私は、本法案に反対の立場であり、いま一度ゼロベースから誹謗中傷抑制のために何が必要なのかを議論いただきたいと思うわけでありますが、もし改正案が成立した場合においても、その運用において誤った方向に進み、私たちが大切にしてきた民主主義社会が揺らぐことがないよう、様々な運用可能性を十分に吟味し、可能な限り事前に歯止めをつくっておくことも立法作業の重要な役割であると思っております。
また、個別具体的な法条文の問題については、正当行為で運用上免責され得るのかとか、繰り返し確認されている適用対象が変わらなければ問題は発生しないのか、あるいは統一見解や衆院附帯決議にあったように現行犯逮捕されなければ問題は解消するのかなど、是非皆様からの質問の中で触れる機会があれば幸いです。最初に指摘した誹謗中傷対策として、より効果的な方法として今何をなすべきか、その解決策についても是非お答えができればと存じます。
委員長始め法務委員会の皆さん、今こそ良識の府である参議院の意義を発揮していただきたいと思います。政治家としての良心を示していただきたいと思います。
冒頭お話ししたように、目の前の声に過剰に反応することで、全体状況、森を見失うことは立法府が一番やってはいけないことではないでしょうか。皆さん方がこの七十七年間守り育ててきた民主主義を是非とも引き続き守っていただきたいと思います。皆さんの手で批判の自由を奪い、民主主義を壊すボタンを押さないでいただきたい。
自らの地位を守り、批判をさせないための悪法を作ったということを記録に残し、後世に引き継ぐことについてためらいを持っていただけると強く信じております。
以上で意見陳述を終わります。ありがとうございます。
矢
石
石塚伸一#7
○参考人(石塚伸一君) 龍谷大学の石塚と申します。よろしくお願いいたします。
研究者として呼ばれていますので、ポレーミッシュに議論したいと思います。
今井先生のレジュメを御参照いただきます。二の二の一のところです。
確かに、刑罰の目的は応報刑論と目的刑論に分かれます。刑罰論はこの二つで展開してまいりました。
本日、目的刑論の中で、刑罰は犯罪の抑止、無害化、社会復帰に役立つものであるという御発言がありました。そのとおりでございます。既に犯罪を犯した者がいて、その人が二度と犯罪を犯さないようにするためには、特別抑止、特定の人に対して犯罪を犯さないようにするという効果があります。閉じ込める無害化、威嚇する抑止、特別抑止と申します。社会復帰のための諸手段、これもそうです。
ただし、一般市民が犯罪を犯さないようにするためには、刑罰は一般抑止あるいは一般予防という効果があります。つまり、刑法典に明確にやってはいけない犯罪と刑罰が書いてあれば、字の読める教育の進んだ社会では犯罪を犯すということを思いとどまります。本日、今井先生のお話の中にはこの一般予防のことの言及がありませんでした。
そういう観点から見ますと、私が今日配付させていただいた資料は、まず一番目のところですけれども、刑事政策学研究者の声明と書いてあります。今井先生は刑法の大家でいらっしゃいますが、私どもは刑事政策の研究者です。日本の刑事政策は、明治以来、刑政仁愛主義。仁義礼智信の仁です。愛は愛情です。人を大切にしながら、人の道を大切にしながら愛情を持って罪を犯した人たちに接する、そういう原理で成り立ってまいりました。
陸奥宗光という政治家がいらっしゃいます。国事犯として刑事施設の中に収容されていた御経験があります。その方は、元老院に申し出て、蘆野徳林という方の、儒学者でいらっしゃいますけれども、「無刑録」、無いという字に刑罰、記録の録でございます、「無刑録」という古い本を復刻するようにというふうに提案し、これが日本の刑事政策にとって非常な重要な資源になっております。
「無刑録」には、刑は刑なきを期すと書いてあります。人を処罰するのは将来的に刑罰が要らなくなるようにするためだと、その意味では矛盾を含んでいるというわけです。私の中央大学時代の先生である、恩師である八木國之先生は常にそのことをおっしゃっていました。刑罰は刑罰であるがゆえに持続するのではなく、刑罰は最終的になくなることを目指した制度なのです。
戦後、この刑事政策に基づいていろいろな方法が講じられてきました。戦前、大きな失敗を私どもは刑事政策でしております。正木亮という矯正局長を務められた刑事政策家がいらっしゃいます。立派な方です。戦後は死刑廃止についていろいろと活動されまして、死刑は日本の恥だというふうにおっしゃっています。
その方は、戦前、労働改善法というナチスの法を、これはすばらしいという論文を書かれています。労働をもって人を改善するという考え方はすばらしいというのです。懲役刑に一元化して、労働によって、懲役によって人を改善すれば犯罪はなくなるという考え方でした。当時の時代の流れの中では、それはある意味真っ当なものであったと言えると思います。
しかし、戦後はこのような考え方は捨て去られました。労働は人を教育するためのものではありません。その人の自己実現をするための一つの方法でしかないわけです。そのような考え方が広がりまして、国連の被拘禁者処遇最低基準規則という、原則というのがありますが、これは一九七〇年頃の日本の監獄法、刑法改正のときに非常に大きな手本となったものです。
今から五十年前、まあ五十一年前、二年前になりますか、京都で会議が開かれました。国連の犯罪防止会議という会議です。そのとき日本は、アジアのリーダーになって、刑法を最低基準規則の方向に進めるということで、アジ研と呼ばれるアジア極東犯罪防止研修所で、そこでアジアの人々の矯正の力をアップするという努力をされてきました。
そして、二年前本当は開催するはずだったんですが、二回目の京都会議というのが開かれました。犯罪防止及び刑事司法会議という会議でしたが、そのときに、この拘禁刑の改正というのをなされるということを法務省は一切おっしゃっていません。なぜか。これは、まさに今の世界の矯正の流れに反しているのです。
私たち刑事政策の研究者が声明を出させていただいたのは、この法案が、刑法改正です、刑法の改正です、一般市民に刑罰とは何か、犯罪とは何かを告げるための法改正であるにもかかわらず、法文の出来が極めて悪いのです。極めて悪いのです。
先生方見ていただくと分かると思いますが、この私のレジュメの十一ページ、資料七と書いてありますが、今回の法案の拘禁刑についての十二条の規定がございます。十二条の一項は分かります。二項も、拘禁刑は刑事施設に拘置する。自分が犯罪を犯すと刑務所に入ることがあるんだな、分かります。
三項、御覧になってください。拘禁刑に処せられた者は、改善更生を図るため必要な作業を行わせ又は必要な指導を行うことができる。誰ができるのか。この文章を読んで、誰ができるのか分かる一般の国民はそうたくさんはいらっしゃらないと思います。私は改善の指導してほしいですよと言ったら、その方が認めていただけるという意味なのでしょうか。私は働きたいと言ったら、私は働けるという意味なのでしょうか。
これは、刑罰執行、すなわち行刑における法律の規制を解釈している者が読めば、これは刑務所長はが主語だということが分かります。刑務所長は、拘禁刑に処せられた者に対して、改善更生を図るため必要な作業を行わせたり、あるいは必要な指導を行わせたりすることができるというのは、刑務所長ができるということなのです。一般国民にこういう犯罪、こういう刑罰が科されますよということを示す刑法典です。刑法典にこのような規定を設けることは、極めて出来の悪い条文だというふうに私どもは考えました。
そこで、元に戻っていただいて、声明の中では、まず、この法案が提案された経緯について説明した後、国会においてこの法律案を真摯かつ慎重に御審議いただきたいということを要望しております。次に、刑罰制度に関しては、関連学界、まあ刑法学会です、刑法学会において科学的かつ真摯な検討、国民の議論を踏まえて変更の可否を検討すべきであると。
刑法学会に、今までの刑法改正の場合には、こういう改正をしますというふうに法務省の方から提案、作成者の方がいらして説明をされました。この前の処遇法ですね、監獄法の改正の際には、現在、検事総長の林眞琴氏がいらっしゃいまして、分科会で説明をされて、私も質問をしてお答えをいただきました。そういうことをした上で、刑法学者はこういう意見を持っているんだということを学ばれた上で法案を提出されるという経緯を踏んでいます。
ところが、今年は、今回の案は、三月に閣法として出たときに私たちは初めてこの法案を見ました。五月に刑法学会ありましたが、その際も、分科会の第三部会は刑事政策の部会ですが、その際に若干の説明があっただけで、法務省の方からの説明はありませんでした。是非慎重な審議をして、私どもがこの法案をもう一度検討する時間が欲しいということでございます。
法案の内容に関しましては、まず、三ページ、三という足下の番号がある(2)ですが、まず第一に、懲役刑が実際上重くなる可能性があるということです。先ほど申しましたが、懲役刑は、拘禁して、定役とかつては言っていましたけど、所定の作業を課す刑罰です。必要的です。必ずします。それに改善の指導をするということが加わるのかという、加わるのであれば重くなります。
第二番目に、禁錮刑と拘留刑は、身体を拘束する、刑事施設に収容するというだけの刑罰です。これがなくなるということでしたから問題はないように見えるんですが、違います。現に、拘禁刑や拘留刑、先ほどお話ありましたけど、拘留刑はほとんど科されていませんけれども、禁錮刑や拘留刑に処せられている現在の受刑者の方、その方にとっては、同じ類型の行為を犯した方にとっては重罰化になるんです。
じゃ、どういうときに禁錮刑は使われているかというと、あの池袋で大きな事故を起こした年配の方、九十歳の方いらっしゃいました。あの方は自動車運転過失致死で刑罰科されましたが、禁錮刑を科されています。労働の義務付けをしていません。懲役刑ではないのです。これが何を意味しているかです。働けない人に働けということを強制するような刑罰は、やはりいけないのです。
次に参ります。
もう一つ、先ほど陸奥宗光の話をしましたが、刑法改正に際し、昭和四十九年に刑法改正草案というのが出ております。そこでもいろいろ議論がなされまして、自由刑を一元化するという議論がありました。しかし、そのときに最終的な結論は禁錮と懲役を分けて残すということでした。これは、国事犯に対して懲役刑を科すことは侮辱することになるからだということです。松尾浩也先生という法務省の顧問をされた先生が書いておられますが、国事犯があったので禁錮刑は残ったと書いておられます。これは、陸奥宗光のような人が懲役刑に科せられて刑務所の中に入ったとき、政治家が国を思ってあえて行ったような行為に刑罰が科されたときに、その人に労働を課したり改善のための教育をしたりするのでしょうか。
刑法は国の基です。今後、何年にもわたってこの国の基礎を守っていくわけです。現在の刑法は一九〇七年に作られた古い刑法で、明治四十年の刑法です。しかし、今までこの刑法はこの国を守ってきたわけです。この刑法を変えるのであれば、それだけの気概とそれだけの哲学を持ってほしいというふうに考えます。
私たちは研究者です。キルヒマンという方が、立法者が法の言葉を三言語れば汗牛充棟の書物がほごになるとおっしゃいました。研究を重ねてきていろいろな本を書いても、先生方が改正するとおっしゃれば私たちの研究は全てほごになります。是非慎重な審議をしていただきたいというふうに思います。
以上です。
この発言だけを見る →研究者として呼ばれていますので、ポレーミッシュに議論したいと思います。
今井先生のレジュメを御参照いただきます。二の二の一のところです。
確かに、刑罰の目的は応報刑論と目的刑論に分かれます。刑罰論はこの二つで展開してまいりました。
本日、目的刑論の中で、刑罰は犯罪の抑止、無害化、社会復帰に役立つものであるという御発言がありました。そのとおりでございます。既に犯罪を犯した者がいて、その人が二度と犯罪を犯さないようにするためには、特別抑止、特定の人に対して犯罪を犯さないようにするという効果があります。閉じ込める無害化、威嚇する抑止、特別抑止と申します。社会復帰のための諸手段、これもそうです。
ただし、一般市民が犯罪を犯さないようにするためには、刑罰は一般抑止あるいは一般予防という効果があります。つまり、刑法典に明確にやってはいけない犯罪と刑罰が書いてあれば、字の読める教育の進んだ社会では犯罪を犯すということを思いとどまります。本日、今井先生のお話の中にはこの一般予防のことの言及がありませんでした。
そういう観点から見ますと、私が今日配付させていただいた資料は、まず一番目のところですけれども、刑事政策学研究者の声明と書いてあります。今井先生は刑法の大家でいらっしゃいますが、私どもは刑事政策の研究者です。日本の刑事政策は、明治以来、刑政仁愛主義。仁義礼智信の仁です。愛は愛情です。人を大切にしながら、人の道を大切にしながら愛情を持って罪を犯した人たちに接する、そういう原理で成り立ってまいりました。
陸奥宗光という政治家がいらっしゃいます。国事犯として刑事施設の中に収容されていた御経験があります。その方は、元老院に申し出て、蘆野徳林という方の、儒学者でいらっしゃいますけれども、「無刑録」、無いという字に刑罰、記録の録でございます、「無刑録」という古い本を復刻するようにというふうに提案し、これが日本の刑事政策にとって非常な重要な資源になっております。
「無刑録」には、刑は刑なきを期すと書いてあります。人を処罰するのは将来的に刑罰が要らなくなるようにするためだと、その意味では矛盾を含んでいるというわけです。私の中央大学時代の先生である、恩師である八木國之先生は常にそのことをおっしゃっていました。刑罰は刑罰であるがゆえに持続するのではなく、刑罰は最終的になくなることを目指した制度なのです。
戦後、この刑事政策に基づいていろいろな方法が講じられてきました。戦前、大きな失敗を私どもは刑事政策でしております。正木亮という矯正局長を務められた刑事政策家がいらっしゃいます。立派な方です。戦後は死刑廃止についていろいろと活動されまして、死刑は日本の恥だというふうにおっしゃっています。
その方は、戦前、労働改善法というナチスの法を、これはすばらしいという論文を書かれています。労働をもって人を改善するという考え方はすばらしいというのです。懲役刑に一元化して、労働によって、懲役によって人を改善すれば犯罪はなくなるという考え方でした。当時の時代の流れの中では、それはある意味真っ当なものであったと言えると思います。
しかし、戦後はこのような考え方は捨て去られました。労働は人を教育するためのものではありません。その人の自己実現をするための一つの方法でしかないわけです。そのような考え方が広がりまして、国連の被拘禁者処遇最低基準規則という、原則というのがありますが、これは一九七〇年頃の日本の監獄法、刑法改正のときに非常に大きな手本となったものです。
今から五十年前、まあ五十一年前、二年前になりますか、京都で会議が開かれました。国連の犯罪防止会議という会議です。そのとき日本は、アジアのリーダーになって、刑法を最低基準規則の方向に進めるということで、アジ研と呼ばれるアジア極東犯罪防止研修所で、そこでアジアの人々の矯正の力をアップするという努力をされてきました。
そして、二年前本当は開催するはずだったんですが、二回目の京都会議というのが開かれました。犯罪防止及び刑事司法会議という会議でしたが、そのときに、この拘禁刑の改正というのをなされるということを法務省は一切おっしゃっていません。なぜか。これは、まさに今の世界の矯正の流れに反しているのです。
私たち刑事政策の研究者が声明を出させていただいたのは、この法案が、刑法改正です、刑法の改正です、一般市民に刑罰とは何か、犯罪とは何かを告げるための法改正であるにもかかわらず、法文の出来が極めて悪いのです。極めて悪いのです。
先生方見ていただくと分かると思いますが、この私のレジュメの十一ページ、資料七と書いてありますが、今回の法案の拘禁刑についての十二条の規定がございます。十二条の一項は分かります。二項も、拘禁刑は刑事施設に拘置する。自分が犯罪を犯すと刑務所に入ることがあるんだな、分かります。
三項、御覧になってください。拘禁刑に処せられた者は、改善更生を図るため必要な作業を行わせ又は必要な指導を行うことができる。誰ができるのか。この文章を読んで、誰ができるのか分かる一般の国民はそうたくさんはいらっしゃらないと思います。私は改善の指導してほしいですよと言ったら、その方が認めていただけるという意味なのでしょうか。私は働きたいと言ったら、私は働けるという意味なのでしょうか。
これは、刑罰執行、すなわち行刑における法律の規制を解釈している者が読めば、これは刑務所長はが主語だということが分かります。刑務所長は、拘禁刑に処せられた者に対して、改善更生を図るため必要な作業を行わせたり、あるいは必要な指導を行わせたりすることができるというのは、刑務所長ができるということなのです。一般国民にこういう犯罪、こういう刑罰が科されますよということを示す刑法典です。刑法典にこのような規定を設けることは、極めて出来の悪い条文だというふうに私どもは考えました。
そこで、元に戻っていただいて、声明の中では、まず、この法案が提案された経緯について説明した後、国会においてこの法律案を真摯かつ慎重に御審議いただきたいということを要望しております。次に、刑罰制度に関しては、関連学界、まあ刑法学会です、刑法学会において科学的かつ真摯な検討、国民の議論を踏まえて変更の可否を検討すべきであると。
刑法学会に、今までの刑法改正の場合には、こういう改正をしますというふうに法務省の方から提案、作成者の方がいらして説明をされました。この前の処遇法ですね、監獄法の改正の際には、現在、検事総長の林眞琴氏がいらっしゃいまして、分科会で説明をされて、私も質問をしてお答えをいただきました。そういうことをした上で、刑法学者はこういう意見を持っているんだということを学ばれた上で法案を提出されるという経緯を踏んでいます。
ところが、今年は、今回の案は、三月に閣法として出たときに私たちは初めてこの法案を見ました。五月に刑法学会ありましたが、その際も、分科会の第三部会は刑事政策の部会ですが、その際に若干の説明があっただけで、法務省の方からの説明はありませんでした。是非慎重な審議をして、私どもがこの法案をもう一度検討する時間が欲しいということでございます。
法案の内容に関しましては、まず、三ページ、三という足下の番号がある(2)ですが、まず第一に、懲役刑が実際上重くなる可能性があるということです。先ほど申しましたが、懲役刑は、拘禁して、定役とかつては言っていましたけど、所定の作業を課す刑罰です。必要的です。必ずします。それに改善の指導をするということが加わるのかという、加わるのであれば重くなります。
第二番目に、禁錮刑と拘留刑は、身体を拘束する、刑事施設に収容するというだけの刑罰です。これがなくなるということでしたから問題はないように見えるんですが、違います。現に、拘禁刑や拘留刑、先ほどお話ありましたけど、拘留刑はほとんど科されていませんけれども、禁錮刑や拘留刑に処せられている現在の受刑者の方、その方にとっては、同じ類型の行為を犯した方にとっては重罰化になるんです。
じゃ、どういうときに禁錮刑は使われているかというと、あの池袋で大きな事故を起こした年配の方、九十歳の方いらっしゃいました。あの方は自動車運転過失致死で刑罰科されましたが、禁錮刑を科されています。労働の義務付けをしていません。懲役刑ではないのです。これが何を意味しているかです。働けない人に働けということを強制するような刑罰は、やはりいけないのです。
次に参ります。
もう一つ、先ほど陸奥宗光の話をしましたが、刑法改正に際し、昭和四十九年に刑法改正草案というのが出ております。そこでもいろいろ議論がなされまして、自由刑を一元化するという議論がありました。しかし、そのときに最終的な結論は禁錮と懲役を分けて残すということでした。これは、国事犯に対して懲役刑を科すことは侮辱することになるからだということです。松尾浩也先生という法務省の顧問をされた先生が書いておられますが、国事犯があったので禁錮刑は残ったと書いておられます。これは、陸奥宗光のような人が懲役刑に科せられて刑務所の中に入ったとき、政治家が国を思ってあえて行ったような行為に刑罰が科されたときに、その人に労働を課したり改善のための教育をしたりするのでしょうか。
刑法は国の基です。今後、何年にもわたってこの国の基礎を守っていくわけです。現在の刑法は一九〇七年に作られた古い刑法で、明治四十年の刑法です。しかし、今までこの刑法はこの国を守ってきたわけです。この刑法を変えるのであれば、それだけの気概とそれだけの哲学を持ってほしいというふうに考えます。
私たちは研究者です。キルヒマンという方が、立法者が法の言葉を三言語れば汗牛充棟の書物がほごになるとおっしゃいました。研究を重ねてきていろいろな本を書いても、先生方が改正するとおっしゃれば私たちの研究は全てほごになります。是非慎重な審議をしていただきたいというふうに思います。
以上です。
矢
矢倉克夫#8
○委員長(矢倉克夫君) ありがとうございました。
以上で参考人の御意見の御陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人の御意見の御陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。
質疑のある方は順次御発言願います。
高
高橋克法#9
○高橋克法君 今日は大変ありがとうございます。自由民主党の高橋と申します。
まず、今井参考人にお聞きをしたいと思います。
今井参考人は、犯罪者処遇に関する部会の委員であったと承知をしております。そこで、今回の拘禁刑の創設に関しまして、部会ではどのような意見があったのか、参考人が特に重要と思う意見を御紹介いただければと思います。今、石塚参考人からもるる指摘がございましたので、その辺のところも踏まえて、部会においてどのような意見があったのか、今井先生が特に重要と思う意見があったとすれば、それを教えていただきたい。以上です。
この発言だけを見る →まず、今井参考人にお聞きをしたいと思います。
今井参考人は、犯罪者処遇に関する部会の委員であったと承知をしております。そこで、今回の拘禁刑の創設に関しまして、部会ではどのような意見があったのか、参考人が特に重要と思う意見を御紹介いただければと思います。今、石塚参考人からもるる指摘がございましたので、その辺のところも踏まえて、部会においてどのような意見があったのか、今井先生が特に重要と思う意見があったとすれば、それを教えていただきたい。以上です。
今
今井猛嘉#10
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。お答えいたします。
懲役刑と禁錮刑が併存している現在の状況を見ますと、禁錮刑については、石塚先生からもお話がありましたように、刑務作業が課せられません。それは、国事犯という名称で先ほど御説明ありましたけれども、当時の政治的状況を踏まえて懲役と禁錮を分けていたんだろうということがまず全体として理解されました。
しかしながら、その後ですけれども、まず、現実として、禁錮刑受刑者が非常に少なく、禁錮刑受刑者の大半は、約九割ほどは何も刑務作業をしないことに耐えられないということで、請願作業等を通じて、同じく、懲役刑と同じ、懲役刑受刑者と同じ作業に従事しております。そして、実証的にも、そのような作業をすることによって抑止効果が働き、社会復帰にも役立っているのが実態でございますので、この際、何のために受刑者を拘留しているかというと、社会に適切に戻すためであるということを考えますと、懲役型の自由刑に一本化した方がいいのではないかということで意見がまとまっていったと思います。
また、付言いたしますと、禁錮刑の趣旨は石塚先生御指摘のとおりでありますけれども、これは部会で大変多く出た意見ではありませんが、根底にあったと私が思いますのは、その政治体制を覆すようなために犯罪を行った人は名誉犯であるという考え方は従来はございました。しかし、代表民主政治の中において、革命を評価するような意味合いも持つような禁錮刑なるものは果たしてそれでいいのだろうかというのは、恐らく部会の委員、幹事の共通の了解事項であったと思います。
以上でございます。
この発言だけを見る →懲役刑と禁錮刑が併存している現在の状況を見ますと、禁錮刑については、石塚先生からもお話がありましたように、刑務作業が課せられません。それは、国事犯という名称で先ほど御説明ありましたけれども、当時の政治的状況を踏まえて懲役と禁錮を分けていたんだろうということがまず全体として理解されました。
しかしながら、その後ですけれども、まず、現実として、禁錮刑受刑者が非常に少なく、禁錮刑受刑者の大半は、約九割ほどは何も刑務作業をしないことに耐えられないということで、請願作業等を通じて、同じく、懲役刑と同じ、懲役刑受刑者と同じ作業に従事しております。そして、実証的にも、そのような作業をすることによって抑止効果が働き、社会復帰にも役立っているのが実態でございますので、この際、何のために受刑者を拘留しているかというと、社会に適切に戻すためであるということを考えますと、懲役型の自由刑に一本化した方がいいのではないかということで意見がまとまっていったと思います。
また、付言いたしますと、禁錮刑の趣旨は石塚先生御指摘のとおりでありますけれども、これは部会で大変多く出た意見ではありませんが、根底にあったと私が思いますのは、その政治体制を覆すようなために犯罪を行った人は名誉犯であるという考え方は従来はございました。しかし、代表民主政治の中において、革命を評価するような意味合いも持つような禁錮刑なるものは果たしてそれでいいのだろうかというのは、恐らく部会の委員、幹事の共通の了解事項であったと思います。
以上でございます。
高
高橋克法#11
○高橋克法君 ありがとうございます。
石塚参考人にお伺いをします。
先生の先ほどの御発言の中で、先生は、刑罰の基本政策の変更について慎重な審議を求める刑事政策学研究者の声明、先ほどそれを基に我々に教えていただきましたけれども、その中で、先生の発言の中で、国際的潮流について反しているというようなこともございましたが、是非ともその国際的な潮流というのはどのようなものなのか、もうちょっと詳しく教えていただければと思います。
この発言だけを見る →石塚参考人にお伺いをします。
先生の先ほどの御発言の中で、先生は、刑罰の基本政策の変更について慎重な審議を求める刑事政策学研究者の声明、先ほどそれを基に我々に教えていただきましたけれども、その中で、先生の発言の中で、国際的潮流について反しているというようなこともございましたが、是非ともその国際的な潮流というのはどのようなものなのか、もうちょっと詳しく教えていただければと思います。
石
石塚伸一#12
○参考人(石塚伸一君) ありがとうございます。
国際的な潮流の典型として挙げましたのはマンデラ・ルールズと呼ばれるものでございまして、これは被拘禁者最低基準規則の改定として出されたものであります。
この中で、今日の資料の中にお示しいたしましたが、マンデラ・ルールズの一部を引用しております。これは、監獄人権センターというところが仮訳で出しておりますが、十ページになりますが、規則の三というところで、犯罪を外界から隔離する拘禁刑その他の処分は、自由剥奪によって自主決定の、自己決定の権利を奪うものであり、まさにこの事実のゆえに犯罪者に苦痛を与えるものである、そして、それゆえ、その下になりますけれども、固有の苦痛を増大させてはならないというふうになっていますから、拘禁以外のものの苦痛を加えてはいけないと書いてあります。
その規則の四ですけれども、その一文のところで、刑罰を執行するとき、執行するときです、執行するときは、犯罪者を社会から守り、再犯を減少させること、今井先生おっしゃいましたように、隔離をすることによって犯罪を減少させること、これが目的ですというふうに言っています。そして、下のところですが、社会の再統合、まあ再統合という言い方最近しますが、社会復帰するための拘禁期間が確保、利用されなければならないと書いてある。
これは、刑罰を宣言する刑法と刑罰を執行する際の目的が異なることを意味しています。つまり、刑罰を宣言する目的と実際にそれを執行するときの目的、これは異なるということを示しています。つまり、宣告刑、裁判、その後執行と段階を経るごとに、一般予防的な宣告の意味と執行してその中で社会復帰をするということの意味合いは、だんだんだんだん重点が移動してくるというのが今の国際的な認識です。
こういう流れに、今回は刑法典に規定されるということですので、刑罰執行法、行刑法の中に書かれるんなら別ですけれども、流れに反しているというふうに申し上げました。
この発言だけを見る →国際的な潮流の典型として挙げましたのはマンデラ・ルールズと呼ばれるものでございまして、これは被拘禁者最低基準規則の改定として出されたものであります。
この中で、今日の資料の中にお示しいたしましたが、マンデラ・ルールズの一部を引用しております。これは、監獄人権センターというところが仮訳で出しておりますが、十ページになりますが、規則の三というところで、犯罪を外界から隔離する拘禁刑その他の処分は、自由剥奪によって自主決定の、自己決定の権利を奪うものであり、まさにこの事実のゆえに犯罪者に苦痛を与えるものである、そして、それゆえ、その下になりますけれども、固有の苦痛を増大させてはならないというふうになっていますから、拘禁以外のものの苦痛を加えてはいけないと書いてあります。
その規則の四ですけれども、その一文のところで、刑罰を執行するとき、執行するときです、執行するときは、犯罪者を社会から守り、再犯を減少させること、今井先生おっしゃいましたように、隔離をすることによって犯罪を減少させること、これが目的ですというふうに言っています。そして、下のところですが、社会の再統合、まあ再統合という言い方最近しますが、社会復帰するための拘禁期間が確保、利用されなければならないと書いてある。
これは、刑罰を宣言する刑法と刑罰を執行する際の目的が異なることを意味しています。つまり、刑罰を宣言する目的と実際にそれを執行するときの目的、これは異なるということを示しています。つまり、宣告刑、裁判、その後執行と段階を経るごとに、一般予防的な宣告の意味と執行してその中で社会復帰をするということの意味合いは、だんだんだんだん重点が移動してくるというのが今の国際的な認識です。
こういう流れに、今回は刑法典に規定されるということですので、刑罰執行法、行刑法の中に書かれるんなら別ですけれども、流れに反しているというふうに申し上げました。
高
高橋克法#13
○高橋克法君 ありがとうございました。
余り時間がないので次の質問にさせていただきますが、今回、侮辱罪の法定刑が上がるんですが、法定刑が上がることによって公訴時効の期間も長くなります。
前々から、実はそのネット上のいろいろな誹謗中傷の問題で、実はネット上というのは、誰がネット上で誹謗中傷したかというのを特定をしなきゃならない。しかし、海外からのサーバーのものであると一年以上特定に時間が掛かってしまうという現実があって、実際にそれが行われても、どうせ一年以上掛かってしまったら公訴時効になってしまうからもう諦めてしまうと。そういう状況がたくさんあったというのは僕は現場の皆さんから聞いていたものですから、何とか公訴時効を延ばしてほしいんだと。そうすれば特定できる時間が、余裕ができますから、そのことによってそういった行動を抑えることができる。つまり、公訴時効が延びれば自分が特定されてしまう、罪に問われてしまうという抑止が掛かるので、何とか公訴時効を延ばしてほしいという声はたくさん寄せられていたんです。
ただ、それのために、今回、一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金というのが付いたんですが、実は公訴時効を延ばすためだったら罰金のみ追加すれば公訴時効は延ばすこともできるんだけれども、今回は一年以下の懲役若しくは禁錮というのも付いたわけですね。
これは多分、名誉毀損罪の法定刑との問題というのが、関連というのがあるんだと私は思いますけれども、その辺のところについて、今井先生に、今回の侮辱罪の法定刑の引上げが、いろいろな側面から検討されてこのような形で引き上げられるんだと思いますけれども、その辺のところを少しお教えいただければと思います。
この発言だけを見る →余り時間がないので次の質問にさせていただきますが、今回、侮辱罪の法定刑が上がるんですが、法定刑が上がることによって公訴時効の期間も長くなります。
前々から、実はそのネット上のいろいろな誹謗中傷の問題で、実はネット上というのは、誰がネット上で誹謗中傷したかというのを特定をしなきゃならない。しかし、海外からのサーバーのものであると一年以上特定に時間が掛かってしまうという現実があって、実際にそれが行われても、どうせ一年以上掛かってしまったら公訴時効になってしまうからもう諦めてしまうと。そういう状況がたくさんあったというのは僕は現場の皆さんから聞いていたものですから、何とか公訴時効を延ばしてほしいんだと。そうすれば特定できる時間が、余裕ができますから、そのことによってそういった行動を抑えることができる。つまり、公訴時効が延びれば自分が特定されてしまう、罪に問われてしまうという抑止が掛かるので、何とか公訴時効を延ばしてほしいという声はたくさん寄せられていたんです。
ただ、それのために、今回、一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金というのが付いたんですが、実は公訴時効を延ばすためだったら罰金のみ追加すれば公訴時効は延ばすこともできるんだけれども、今回は一年以下の懲役若しくは禁錮というのも付いたわけですね。
これは多分、名誉毀損罪の法定刑との問題というのが、関連というのがあるんだと私は思いますけれども、その辺のところについて、今井先生に、今回の侮辱罪の法定刑の引上げが、いろいろな側面から検討されてこのような形で引き上げられるんだと思いますけれども、その辺のところを少しお教えいただければと思います。
今
今井猛嘉#14
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございます。
今先生もおっしゃられていたとおりかと思いますけれども、御説明したように、侮辱罪と名誉毀損罪の保護法益は共通であるというのが一般的な理解でございます。そうしますと、また両者の区分けが難しい場合もありますので、名誉毀損なのかなと思ったけれども侮辱罪で処理するしかないような事例も多々ございます。そうしたときに、今のままですと、拘禁刑がない侮辱罪と拘禁刑が付いている名誉毀損罪との間には断絶が大きいですので、連続的な科刑あるいは量刑判断を可能にするためには罰金だけでは足りず、一年という拘禁刑を付けることが適切だと考えられたのだと思います。
それから、先生が御指摘されました公訴時効の延長というものはとても大事なところですが、恐らく抑止的な効果というところはその公訴時効の延長からは自立的なものでありまして、より直截的なものは法定刑の引上げによって生じるだろうと理解しております。
以上です。
この発言だけを見る →今先生もおっしゃられていたとおりかと思いますけれども、御説明したように、侮辱罪と名誉毀損罪の保護法益は共通であるというのが一般的な理解でございます。そうしますと、また両者の区分けが難しい場合もありますので、名誉毀損なのかなと思ったけれども侮辱罪で処理するしかないような事例も多々ございます。そうしたときに、今のままですと、拘禁刑がない侮辱罪と拘禁刑が付いている名誉毀損罪との間には断絶が大きいですので、連続的な科刑あるいは量刑判断を可能にするためには罰金だけでは足りず、一年という拘禁刑を付けることが適切だと考えられたのだと思います。
それから、先生が御指摘されました公訴時効の延長というものはとても大事なところですが、恐らく抑止的な効果というところはその公訴時効の延長からは自立的なものでありまして、より直截的なものは法定刑の引上げによって生じるだろうと理解しております。
以上です。
高
高橋克法#15
○高橋克法君 ありがとうございます。
今回の法定刑の引上げによって、現行犯逮捕について、これは衆議院における審議でも、また参議院における審議でも問題意識として大きく指摘をされていることです。私自身も、この問題がどういうふうになっていくのかというのは大変強い関心を持っています。
衆議院における審議の際に、侮辱罪に係る現行犯逮捕について、まあこれ参議院でもそうだったんですが、実際上は想定されないという政府統一見解が示されました。これについてもいろんな考え方、意見があろうかと思いますが、このことについて、それぞれ今井参考人、山田参考人、石塚参考人のお考えがあればお聞かせください。お願いいたします。
この発言だけを見る →今回の法定刑の引上げによって、現行犯逮捕について、これは衆議院における審議でも、また参議院における審議でも問題意識として大きく指摘をされていることです。私自身も、この問題がどういうふうになっていくのかというのは大変強い関心を持っています。
衆議院における審議の際に、侮辱罪に係る現行犯逮捕について、まあこれ参議院でもそうだったんですが、実際上は想定されないという政府統一見解が示されました。これについてもいろんな考え方、意見があろうかと思いますが、このことについて、それぞれ今井参考人、山田参考人、石塚参考人のお考えがあればお聞かせください。お願いいたします。
今
今井猛嘉#16
○参考人(今井猛嘉君) お答えします。
私も衆議院の議事録拝見いたしましたが、そこで出されている懸念はごもっともなことだと思いますし、政府の回答も、それは適切なものだと思います。すなわち、現行犯逮捕は私人でもできますが、犯罪及び犯人の明白性ということが要件とされています。
侮辱として皆さんが御懸念されているのは恐らく政治的な表現に関わるものだと思いますが、それは、先ほど申し上げましたけれども、代表民主制の基礎となる、より保護がなされるべき発言でございますので、あの附帯決議により、警察官等の意識がそこを確認してくれることによって濫用的な現行犯逮捕はなくなるのではないかと思っております。
以上です。
この発言だけを見る →私も衆議院の議事録拝見いたしましたが、そこで出されている懸念はごもっともなことだと思いますし、政府の回答も、それは適切なものだと思います。すなわち、現行犯逮捕は私人でもできますが、犯罪及び犯人の明白性ということが要件とされています。
侮辱として皆さんが御懸念されているのは恐らく政治的な表現に関わるものだと思いますが、それは、先ほど申し上げましたけれども、代表民主制の基礎となる、より保護がなされるべき発言でございますので、あの附帯決議により、警察官等の意識がそこを確認してくれることによって濫用的な現行犯逮捕はなくなるのではないかと思っております。
以上です。
山
山田健太#17
○参考人(山田健太君) 御質問ありがとうございます。
少し違った観点でお答えをしたいと思います。
問題は、実際に捕まるかどうかということと同様に、場合によってはそれ以上に萎縮が生まれることの問題だというふうに考えております。やじを飛ばせば捕まる、場合によっては懲役刑になる、最終的には有罪にならなくても、逮捕されただけでも前歴が残り、人生が大きく狂ってしまうということもあります。そうなれば、ますます声を上げることをためらうようになるのではないでしょうか。
それを思うとき、例えば、そうですね、法制審の中でのやり取りには、今思い出されました、そこでは、これまで日本社会において表現の自由の萎縮はなかったと取れるような発言がなされております。また、将来においても起こることはないとも言われております。言わば、前提となる状況認識が違っているということであります。
私の認識では、ここ数年の間だけでも多くの表現活動が押し込められている状況にあります。それはまさに萎縮と呼ぶにふさわしい事態だと思います。例えば、二〇一九年のあいちトリエンナーレがそうでした。その後も同様に、美術作品の展示会は中止や延期に追い込まれております。あるいは、ほかの美術展でも作品の撤去や一部変更が続いております。
こうしたことは、表現の自由の制約ではないという認識を前提にすれば、やじを止めることくらい何の問題もないというふうになるのではないでしょうか。問題を問題と意識、認識されない中で、こうした認識を前提にこの法案が理解される、あるいは運用されるということについての危うさを指摘をしておきたいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →少し違った観点でお答えをしたいと思います。
問題は、実際に捕まるかどうかということと同様に、場合によってはそれ以上に萎縮が生まれることの問題だというふうに考えております。やじを飛ばせば捕まる、場合によっては懲役刑になる、最終的には有罪にならなくても、逮捕されただけでも前歴が残り、人生が大きく狂ってしまうということもあります。そうなれば、ますます声を上げることをためらうようになるのではないでしょうか。
それを思うとき、例えば、そうですね、法制審の中でのやり取りには、今思い出されました、そこでは、これまで日本社会において表現の自由の萎縮はなかったと取れるような発言がなされております。また、将来においても起こることはないとも言われております。言わば、前提となる状況認識が違っているということであります。
私の認識では、ここ数年の間だけでも多くの表現活動が押し込められている状況にあります。それはまさに萎縮と呼ぶにふさわしい事態だと思います。例えば、二〇一九年のあいちトリエンナーレがそうでした。その後も同様に、美術作品の展示会は中止や延期に追い込まれております。あるいは、ほかの美術展でも作品の撤去や一部変更が続いております。
こうしたことは、表現の自由の制約ではないという認識を前提にすれば、やじを止めることくらい何の問題もないというふうになるのではないでしょうか。問題を問題と意識、認識されない中で、こうした認識を前提にこの法案が理解される、あるいは運用されるということについての危うさを指摘をしておきたいと思います。
以上です。
石
石塚伸一#18
○参考人(石塚伸一君) 私、刑事政策ですので、その観点から申し上げますが、新たに法律ができ上がったり重罰化の法案が通ったりしますと、経済学の効用曲線のように、最初、非常に高い傾きで犯罪認知件数が増えます。それはなぜかというと、告訴、告発が増えるからです。
ところが、これが増え過ぎますと、捜査機関の対応能力がこれに追い付いてこないことになりますから、そうすると選別的に、これはすべきもの、そうじゃないものを分けていきます。
公訴時効、先ほどの現行犯との関係でいいますと、ネット上の記述についてはこれずっと残っちゃいますので、自分で消したいと思っても、プロバイダーに言ってもそう簡単には消してくれません。そうすると、犯罪状況はずうっと続くわけです。
こういう場合をどういうようにするかということで、衆議院でお話ありましたように、捜査機関が抑制的に運用するという、そういう宣言は分かりますけれども、非常に社会的要請が高いような事件であれば、これは逮捕になるかは別として捜査機関が動くという、そういう選別的な法適用というのは人々の法に対する信頼を損なうことになるので、適正な量の適正な告訴があるという状態をどういうふうにつくるかということが問題になるんだろうというふうに思います。
以上です。
この発言だけを見る →ところが、これが増え過ぎますと、捜査機関の対応能力がこれに追い付いてこないことになりますから、そうすると選別的に、これはすべきもの、そうじゃないものを分けていきます。
公訴時効、先ほどの現行犯との関係でいいますと、ネット上の記述についてはこれずっと残っちゃいますので、自分で消したいと思っても、プロバイダーに言ってもそう簡単には消してくれません。そうすると、犯罪状況はずうっと続くわけです。
こういう場合をどういうようにするかということで、衆議院でお話ありましたように、捜査機関が抑制的に運用するという、そういう宣言は分かりますけれども、非常に社会的要請が高いような事件であれば、これは逮捕になるかは別として捜査機関が動くという、そういう選別的な法適用というのは人々の法に対する信頼を損なうことになるので、適正な量の適正な告訴があるという状態をどういうふうにつくるかということが問題になるんだろうというふうに思います。
以上です。
高
有
有田芳生#20
○有田芳生君 今日はありがとうございます。
最初に、お三人の参考人の方、今井参考人から先ほどの発言の順番のとおりお聞きをしたいんですが、私はずっと法務委員会に所属をしていて、法律というのは物すごく国民の日常生活に密接に関わっているのにもかかわらず、法文を読むとなかなか難しくて分からないよというような一般的な理解があると思うんです。
それで、今度の改正案が成立したとしたら、お三人の皆さん方は、国民にとってこれはプラスになる改正なのか、あるいは非常に危ないものであるのかという、そのことを分かりやすく、特に侮辱罪との関係で御説明をまずお願いいたします。
この発言だけを見る →最初に、お三人の参考人の方、今井参考人から先ほどの発言の順番のとおりお聞きをしたいんですが、私はずっと法務委員会に所属をしていて、法律というのは物すごく国民の日常生活に密接に関わっているのにもかかわらず、法文を読むとなかなか難しくて分からないよというような一般的な理解があると思うんです。
それで、今度の改正案が成立したとしたら、お三人の皆さん方は、国民にとってこれはプラスになる改正なのか、あるいは非常に危ないものであるのかという、そのことを分かりやすく、特に侮辱罪との関係で御説明をまずお願いいたします。
今
今井猛嘉#21
○参考人(今井猛嘉君) 大変難しい御質問だと思いますけれども、私としては、これができ上がったときには、国民の方々には良い法改正ができたとお話しすると思います。それは、侮辱というものが、例えば日常会話で言っているようなものから含めまして相手方の感情をずたずたにするような行為がありますけれども、やはり法定刑が上がったということにつきましては、意見を言うことは大事だけれども、相手方のことをよく考えて責任ある言論をするというのが常識なんじゃないのということを立法者は考えたんじゃないですかねということを伝えたいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →以上です。
山
山田健太#22
○参考人(山田健太君) 御質問ありがとうございます。
一つには、この侮辱罪の対象が、先ほど発言をしましたように大衆表現だと、その可能性が高いんだということに大きなポイントがあろうかと思っております。したがって、日常的に侮辱罪を意識して生活をする人はほとんどいないと思いますけれども、いざ気が付いてみると、自分の発言が侮辱罪に適用されてしまうということが起きやすくなるということがあり得るんだということだと思うんですね。
例えばでいいますと、今、例えば具体的な訴訟でいうと、先ほど少し例も出しましたけれども、解雇された人がその労働争議の中で社長宅に押しかけていって抗議活動をするということが起きて、それに対して社長から、民事訴訟でありますけれども、名誉毀損の訴えがされるというようなことが起きて実際いるわけですけれども、そういうことがより具体的に目の前の問題として、名誉毀損は成立しないけれども侮辱罪なら成立する可能性があるというふうになれば、民事訴訟上でも様々なプレッシャーを受けることになってしまうということは今後考えられると思います。
ただ、それ以上に、今回の場合、非常に大きなポイントは、お話をしてきましたように、ずっと名誉毀損法体系というのは、名誉毀損も侮辱罪も含めての話ですけれども、法体系というのは自由を拡大する方向で動いてきたわけです、この七十七年間、日本では。それが今回明らかに逆方向に転換するということは、この侮辱罪自体はもしかすると適用例がそれほど増えないかもしれません。しかし、今後、いや、もうこれで方向は逆になったんだよと、名誉毀損法体系については厳しくしてもいいんだよという方向で動いていく、あるいは社会がそう認識するというのは、非常に大きな影響があるというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →一つには、この侮辱罪の対象が、先ほど発言をしましたように大衆表現だと、その可能性が高いんだということに大きなポイントがあろうかと思っております。したがって、日常的に侮辱罪を意識して生活をする人はほとんどいないと思いますけれども、いざ気が付いてみると、自分の発言が侮辱罪に適用されてしまうということが起きやすくなるということがあり得るんだということだと思うんですね。
例えばでいいますと、今、例えば具体的な訴訟でいうと、先ほど少し例も出しましたけれども、解雇された人がその労働争議の中で社長宅に押しかけていって抗議活動をするということが起きて、それに対して社長から、民事訴訟でありますけれども、名誉毀損の訴えがされるというようなことが起きて実際いるわけですけれども、そういうことがより具体的に目の前の問題として、名誉毀損は成立しないけれども侮辱罪なら成立する可能性があるというふうになれば、民事訴訟上でも様々なプレッシャーを受けることになってしまうということは今後考えられると思います。
ただ、それ以上に、今回の場合、非常に大きなポイントは、お話をしてきましたように、ずっと名誉毀損法体系というのは、名誉毀損も侮辱罪も含めての話ですけれども、法体系というのは自由を拡大する方向で動いてきたわけです、この七十七年間、日本では。それが今回明らかに逆方向に転換するということは、この侮辱罪自体はもしかすると適用例がそれほど増えないかもしれません。しかし、今後、いや、もうこれで方向は逆になったんだよと、名誉毀損法体系については厳しくしてもいいんだよという方向で動いていく、あるいは社会がそう認識するというのは、非常に大きな影響があるというふうに思っております。
以上です。
石
石塚伸一#23
○参考人(石塚伸一君) 今回行われるであろう提案されている改正は出発点でしかないのだというふうに思っております。
公訴時効を延ばすということは必要ですので、今の捜査の実態を鑑みますと、何らかの、この法定刑を上げるというやり方じゃなくても、特例法を作って公訴時効の期間を長くするという方法はあるので、それで達成できると思います。そのために刑を上げるというのは、本末が転倒しているというふうに理解します。
もう一つ、侮辱の根源というのは差別にあると思うんです。
今回の契機になった方も女子プロレスの選手の方でした。日本の歴史を見て、女性が格闘技をやるということに関して一定の差別的な意識というのが広まっていて、そちらが本体かもしれません。民族的な差別も含んで、今後日本が国際的な国になっていくときに、そういうヘイトクライムの問題についてきちんと対応する第一歩にすぎないと思うので、これで終わったというような形になるのだとすれば、それは、今回の法改正は国民にとって望ましくないものだというふうに理解します。
以上です。
この発言だけを見る →公訴時効を延ばすということは必要ですので、今の捜査の実態を鑑みますと、何らかの、この法定刑を上げるというやり方じゃなくても、特例法を作って公訴時効の期間を長くするという方法はあるので、それで達成できると思います。そのために刑を上げるというのは、本末が転倒しているというふうに理解します。
もう一つ、侮辱の根源というのは差別にあると思うんです。
今回の契機になった方も女子プロレスの選手の方でした。日本の歴史を見て、女性が格闘技をやるということに関して一定の差別的な意識というのが広まっていて、そちらが本体かもしれません。民族的な差別も含んで、今後日本が国際的な国になっていくときに、そういうヘイトクライムの問題についてきちんと対応する第一歩にすぎないと思うので、これで終わったというような形になるのだとすれば、それは、今回の法改正は国民にとって望ましくないものだというふうに理解します。
以上です。
有
有田芳生#24
○有田芳生君 今の侮辱罪の法定刑の引上げに関連して、また今井参考人から順番にお聞きをしたいんですけれども、懲役一年以下というのが加えられましたけれども、それに対する評価というものはどう考えられますでしょうか。あるいは、懲役一年を入れた意味というのはどういうことなんでしょうか。
この発言だけを見る →今
今井猛嘉#25
○参考人(今井猛嘉君) 懲役刑、今後拘禁刑になりますけれども、一年間拘禁されるということはやはり大変な不利益を対象者に与えるわけですが、そのような罰則があるということを鑑みまして、侮辱罪の重さというのをまず国民に広く理解していただきたいということですね。
そして、一年ですから執行猶予が付く可能性もありますけれども、それはそれとして、やはり繰り返しになりますが、名誉毀損罪と連動した法益を侵害する重大な犯罪であることの再確認を国民に求めているという意味では適切なことだと思います。
この発言だけを見る →そして、一年ですから執行猶予が付く可能性もありますけれども、それはそれとして、やはり繰り返しになりますが、名誉毀損罪と連動した法益を侵害する重大な犯罪であることの再確認を国民に求めているという意味では適切なことだと思います。
山
山田健太#26
○参考人(山田健太君) 基本的には、この名誉毀損法制全てに関して懲役刑がふさわしいかどうかについて私自身は疑問を持っている立場にあります。
その上で、今回、侮辱罪が、懲役刑が入ったことによって侮辱罪の意味合いが大きく変わるということになっていると思います。
すなわち、これまでについては、ある種、まあ誹謗中傷といっても、曖昧な表現規制というのはいっぱいあるんですね。例えばわいせつでも、皆さん方、わいせつの定義というのはほぼ分からない。表現規制ってそういうものなんですよ。非常に分かりづらいんですね。侮辱も同じように分からないんです。定義が何もないんです。これは、全て裁判、司法の判断によって一定程度の積み重ねがあるにすぎないわけですね。
その非常に曖昧なものについてきちんと重たい刑罰を科するということは、表現行為そのものに対していわゆる大きな網を掛けるという意味で、全く違った意味合いを持つ法律条文になってしまうということについて是非お考えいただきたいなと思っております。
以上です。
この発言だけを見る →その上で、今回、侮辱罪が、懲役刑が入ったことによって侮辱罪の意味合いが大きく変わるということになっていると思います。
すなわち、これまでについては、ある種、まあ誹謗中傷といっても、曖昧な表現規制というのはいっぱいあるんですね。例えばわいせつでも、皆さん方、わいせつの定義というのはほぼ分からない。表現規制ってそういうものなんですよ。非常に分かりづらいんですね。侮辱も同じように分からないんです。定義が何もないんです。これは、全て裁判、司法の判断によって一定程度の積み重ねがあるにすぎないわけですね。
その非常に曖昧なものについてきちんと重たい刑罰を科するということは、表現行為そのものに対していわゆる大きな網を掛けるという意味で、全く違った意味合いを持つ法律条文になってしまうということについて是非お考えいただきたいなと思っております。
以上です。
石
石塚伸一#27
○参考人(石塚伸一君) 先ほどから出ている拘禁刑ですね、拘留刑なんかについてもそうですが、短期自由刑というのは百害あって一利なしだということについては刑事政策の常識になっています。
その短期は、一か月、三か月、六か月、一年という考え方があるんですけれども、一年の懲役刑の最高刑を言い渡すことは裁判所はないと思います。張り付き現象といいまして、刑罰の一番上に宣告刑が来るようなケースというのはすごく少ないんですね。
そうすると、これどう考えても、こんな侮辱したような人が一年の刑だというのは誰が考えても軽いじゃないですか、窃盗十年ですからね。そういう意味でいうと、侮辱についての評価が逆に有害性が低いんだという宣告をすることにもなるので、そこはじっくり考えなきゃいけないことですし、そのためには、この侮辱という構成要件が非常に、先ほど山田さんもおっしゃいましたけど、曖昧なので、規制がアンバランスになるのはそういうところに原因があるんだというふうに思います。
以上です。
この発言だけを見る →その短期は、一か月、三か月、六か月、一年という考え方があるんですけれども、一年の懲役刑の最高刑を言い渡すことは裁判所はないと思います。張り付き現象といいまして、刑罰の一番上に宣告刑が来るようなケースというのはすごく少ないんですね。
そうすると、これどう考えても、こんな侮辱したような人が一年の刑だというのは誰が考えても軽いじゃないですか、窃盗十年ですからね。そういう意味でいうと、侮辱についての評価が逆に有害性が低いんだという宣告をすることにもなるので、そこはじっくり考えなきゃいけないことですし、そのためには、この侮辱という構成要件が非常に、先ほど山田さんもおっしゃいましたけど、曖昧なので、規制がアンバランスになるのはそういうところに原因があるんだというふうに思います。
以上です。
有
有田芳生#28
○有田芳生君 それに引き続いて、現行犯逮捕の問題なんですけれども、これもお三方に伺いたいんですが、現場の警察官が最終的にその場で判断するわけですよね、政府統一見解があるにしても。
私は、ヘイトスピーチ解消法が二〇一六年にできて、翌日に警察庁が全国の警察官に通達を出したことは非常に喜んだんですが、だけど、現場の警察官というのは変わらないんですよ。この間も、五月二十九日に横浜でヘイトスピーチのデモがあって、私はそこにも行きましたけれども、現場の警察官は物すごく乱暴です。どけと体突き飛ばすとか、そういうことがずうっと続いていて、札幌のあのやじ事件についても、現場も私は行きましたし、当事者の話も聞きました。物すごく乱暴ですよ。
だから、確かに現行犯逮捕はないかも分からないけれども、萎縮効果というのは物すごく今後出てくると思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →私は、ヘイトスピーチ解消法が二〇一六年にできて、翌日に警察庁が全国の警察官に通達を出したことは非常に喜んだんですが、だけど、現場の警察官というのは変わらないんですよ。この間も、五月二十九日に横浜でヘイトスピーチのデモがあって、私はそこにも行きましたけれども、現場の警察官は物すごく乱暴です。どけと体突き飛ばすとか、そういうことがずうっと続いていて、札幌のあのやじ事件についても、現場も私は行きましたし、当事者の話も聞きました。物すごく乱暴ですよ。
だから、確かに現行犯逮捕はないかも分からないけれども、萎縮効果というのは物すごく今後出てくると思うんですが、いかがでしょうか。
今
今井猛嘉#29
○参考人(今井猛嘉君) どうお答えすべき質問なのか自体がちょっと難しいのですけれども、私たちが言えることは、特にここは法務委員会でございますので、こういう法律を作ったときに予想される規範的な効果ということしか言えないんだろうと思います。
その際には、繰り返しになりますけれども、既に衆議院であれだけ御議論があって、附帯決議が付き、そして多分警察庁の方、そして警察官の方にも伝わるようにブレークダウンして、何をしてはいけないのか注意事項が書かれてありますので、これは先生のおっしゃるよりは一歩進むメッセージなのかなと私は思っております。
ただ、御指摘のように、実情についてはまた別問題でございますので、そこは国会で検討していただければと思っております。
この発言だけを見る →その際には、繰り返しになりますけれども、既に衆議院であれだけ御議論があって、附帯決議が付き、そして多分警察庁の方、そして警察官の方にも伝わるようにブレークダウンして、何をしてはいけないのか注意事項が書かれてありますので、これは先生のおっしゃるよりは一歩進むメッセージなのかなと私は思っております。
ただ、御指摘のように、実情についてはまた別問題でございますので、そこは国会で検討していただければと思っております。