日下正喜の発言 (法務委員会)
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○日下委員 今回の民法改正を含めて、これからも重要な法律が審議されていくと思います。本当に停滞は許されない今状況でございますので、大臣の大きなリーダーシップを御期待申し上げたいと思います。
次に、死刑制度というか、死刑について、少しお話を伺いたいと思います。
今回、死刑に関しての失言、むしろ、その根っこにある認識に対して、多くの国民が疑念を抱いたと思います。
私がこの夏、死刑制度を考えようと読んだ本に、ノンフィクション作家の堀川恵子氏が書いた「教誨師」という本があります。
教誨師とは、各宗派の教義に基づき、死刑囚や受刑者に向き合い、心の豊かさを説き、改善更生に努める活動をボランティアで行う宗教家のことです。
この教誨師は、長年にわたり、幾人もの死刑囚と向き合い、寄り添い、刑の執行に立ち会い、今は直前でカーテンで仕切られるようになっていると書いていましたけれども、現実を見詰めてきた方の実話です。教誨師には守秘義務がありますから、自分が死ぬまで表には出さないという約束の下に書かれた本でございます。
その中に、著者が法務大臣経験者から聞いた話として、
在任中、死刑の執行業務を管轄する矯正局長を大臣室に呼んで、「死刑制度について検討したいので、執行に立ち会った経験のある職員に話を聞かせてほしい」と頼んだ時のことだ。高級官僚と呼ばれる人々は、たとえその命令を断らなくてはならないことが分かっていても、一旦は命令を持ち帰り検討するふりをする。ところが局長は、その時だけは「それだけはご容赦下さい、誰も思い出したくないのです」ときつい口調で即答したという。現場を知る者はみな、口をつぐんでしまう。
死刑執行を行うのは、どこにでもいる普通の人間だ。たまたま刑務官という仕事に就いたばかりに、我が子を抱くその手で、今、目の前で生きている人間を処刑しなくてはならない。衣食住になんの不自由もなく、不条理な身分制度という鋳型もなくなった現代社会にあっても、いまだ「死刑執行人」という仕事が存在し、有無を言わさずそれをやらされている人たちがいる。
と。
また、著者は、この教誨師がふとつぶやくようにその口から漏れた言葉が忘れられないと。それは、本人が執行されても、死刑が執行されてもという意味だと思いますが、本人が執行されても、幸せになった人間は誰一人もいませんと。
著者は言います。教誨師に限らず、死刑という難題に真剣に向き合ったことのある者なら、その立場を問わず、誰もが共通して胸に感じる虚無感のようなものがある。社会事件について遠く忘れ去った頃、死刑は執行される。世間で言われるような、とうとう敵を取ったとか、正義が貫かれたなどという勇ましい感慨も、達成感も、そこにはない。被害者遺族も、もろ手を挙げて喜んでいるわけではないだろうと。そして、私たちは死刑のある国に生きている。いかなる事情があるにせよ、生身の人間をくびり殺すことが合法とされる現場について、もっと現実を知り、想像力を働かせ、その結末がどんな社会的な利益をもたらしているのか、いないのかを考え続ける義務があると言っています。
齋藤大臣は、在任中に死刑執行に係る決裁をする場面があった場合、その手続にどのような心構えで臨まれる覚悟か、お考えをお聞かせください。