奥野総一郎の発言 (総務委員会)
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○奥野(総)委員 立憲民主党の奥野総一郎でございます。
早速質問に入らせていただきます。
最初に、放送法四条の方のお話をさせていただきたいと思います。
お手元にお配りをしております、答弁を二つ載せております。
三月に、大臣に私が御質問させていただいたときに、昭和三十九年の四月の答弁において、政府から、極端な場合には、一つの番組でも、政治的公平性を確保していないと認められる場合があると、この三十九年答弁で言っている、そこから今回は変わっていないんだ、そういう趣旨の答弁があったかと思います。ただ、これをよく読むと、結構、一つの番組について見るということに否定的な答弁なんですね。
事例は、八時、ゴールデンタイムに、池田総理が突然割って入って、十五分間、ストの問題について政府の説明をした。これを見ると、民放ぶち抜きで、各局全部で枠を使ってやった。ちょっと今では考えられないようなことだったんですね。
それに対して、当時の社会党側から、政治的公平性に反するんじゃないか、こういう話がありまして、停波の問題なんかも当時から議論はされてはいるんですが、政府側はこれに対しては、むしろ政治的公平性は守られているんだ、こういう答弁をしています。全体で見て、例えば、成田書記長とか太田総評議長が別のところで意見を述べているからいいんだ、その全体を見て言っているというような話もしていますし、ある期間全体を貫く放送番組の編集の考え方としてバランスが取れていればいいんだというようなことも言っているんですね。この時点では、放送番組全体とかそういう言葉は使っていないんですが、今と同じような考え方を述べていて、バランスが取れているんだということを言っています。
その中で、上の宮川答弁ですけれども、真ん中辺にあったように、ある一つの番組が、極端な場合を除きまして、これが直ちに公安及び善良な風俗を害する、あるいは、これが政治的に不公平なんであるということを判断する、一つの事例につきましてこれを判断するということは、相当慎重にやらなければいけませんし、慎重にやりましたとしても、客観的に正しいという結論を与えることはなかなか難しい問題であろうということ。それから、もう一つ、番組の内容について、いろいろな自由ということを別に考えなければならない、表現の自由とかという意味だと思いますが、個々の番組について、一々これを判断して、常にテレビ番組あるいは放送番組の内容を監視していくというのはできない、こう言っているわけですよ。
これは、一つの番組について見るのは難しいという答弁なんですね、実は。だから、そうは言っていないんです。
私、二〇一六年のときに安倍総理ともやりましたけれども、あのときは、一つの番組を見ればいいじゃないですか、こういうトーンだったんですね。見ることはできます、見ればいいじゃないですかと。私は、それに対して、検閲じゃないですか、こういうことを申し上げたんですけれども、そういう答弁だったんです。明らかに違ってきているんですよ、昭和三十九年答弁と現在と。
じゃ、今のスタンダード答弁って何ですかというと、確かに、この昭和三十九年答弁は今と同じ、そういうふうに捉えれば、個別の番組を見るということについてはよくないんだというトーンで答弁をしていて、じゃ、それについてきちっとまとめたものが、この平成六年三月二十四日の江川答弁。これが多分、従来は、この問題のスタンダード答弁だったと私は認識しているんですよ。
これは非常にコンパクトにまとまっていて、下の方ですね。政治的に公平であるとは、政治上の諸問題を扱う場合には、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏することなく、いろいろな意見を取り上げ、放送番組全体としてバランスの取れたものでなければならない、こう言っていて、一言も、一つの番組についてという話は触れていないんですよね。
この答弁というのは、例の椿発言の問題でもめたときですけれども、もし一つの番組を見るというようなことを言ってしまったら、大騒ぎになったと思うんですよ。それこそ停波とか、そういう話につながりかねない大騒ぎになったと思うんです。だから、それを打ち消すために、こういう答弁、全体を見ているんですという答弁をしていると思うんですね。
これがスタンダードだったとすれば、あるいは昭和三十九年の答弁の取り方にもよるんですが、一つの番組を見るということは、政府は一貫して言っていないんじゃないかと思うんですね。だとすれば、今回の、あれは二〇一五年か、高市答弁というのは、補充と言っていますが、新しい見解をつけ加えたんじゃないですか、違う意味合いをですね。三十九年答弁にしても、平成六年江川答弁にしても、個々の番組を見ることについては非常に消極的な、江川答弁はこれにそもそも触れていないです、触れていないということはやらないということだと思うんですが、話だったものが、個々の番組まで見ていいんだということで、明らかに内容が変わったと思うんですね。
ちょっと長くなりましたけれども、大臣、この辺りを説明いただければと思います。