神田憲次の発言 (内閣委員会)
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○神田(憲)委員 おはようございます。自由民主党の神田憲次でございます。
今日は、四名の参考人の先生方にお越しいただきました。本日は誠にありがとうございます。
早速、質疑の方に入らせていただきます。
先ほど、大曲参考人の方からも、令和二年のときの状況というお話がありました。そもそもは、令和元年の十二月に、中国武漢市での肺炎の症状のような感染症とおぼしきものがWHOに報告されるというところからスタートされるわけです。
三月の九日の日だったんですが、ちょうど地元紙に、懐かしいダイヤモンド・プリンセスという名前が登場しました。それは、三重県の鳥羽港にダイヤモンド・プリンセス号が入港して、三年ぶりの再開であるということが記事として出ておったわけです。
我が国にとっては、このダイヤモンド・プリンセスが、二月の一日でしたか、横浜港に寄港して、そこに乗組員が千名余りと、それから乗船されている観光客二千六百名余り、合計三千六百名余りで、五十七か国の人がということだったと思います。この中に確定症例が七百十二例ありましたし、それから実際に十四例の死亡というようなことがもう既にこのダイヤモンド・プリンセス号の中で起きていたというのが、我が国に大いなる困難を持ち込むということになった。これが最初のCOVID―19だったということかと思います。
まず、大曲参考人にお伺いしたい点は、この一番最初の段階の救命救急、医療の現場で最前線でこの困難に立ち向かわれたときの状況及び患者さんを診断したときの率直な御意見をお聞かせ願えたらと存じます。