石田光規の発言 (内閣委員会)

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○石田参考人 おはようございます。早稲田大学の石田と申します。本日は、よろしくお願い申し上げます。
 私は、孤独、孤立に関して二〇〇五年ぐらいからずっと研究をしておりまして、今日は、このA4一枚の資料の紙に沿って、孤独、孤立に関して、何で今注目していく必要があるのかというふうな社会的な背景と、あともう一つは、法案を立ち上げる意義について簡単にお話をさせていただきます。
 まず最初に、一つ目の丸の、じゃ、孤独、孤立になぜ注目する必要があるのかというふうなところでございます。
 基本的に、私たちの社会というのは、一九九〇年代の終わりぐらいから、かなり一人になりやすい、いわゆる集団が優先の、家族であればこういうことをしなければいけないですとか、会社に入ったらこういうことをするのが当たり前だというよりも、どちらかというと個人を優先するような、そんな社会になっていった、そんなところがございます。
 個人を優先する社会になりますと、基本的には、それは人間関係、人づき合いにもそういったことが及んでまいりまして、その会に入るかどうか、あるいは懇親会に参加するかどうかはその人の自由だというふうな感じになっていく。そうしますと、こちらの資料にも書いてありますように、基本的には一人になりやすい、ですから、今までだったらやはり集団の力学があってなかなか一人になれなかったんだけれども、でも、簡単に一人になれるようになった。
 ただ、そうなってしまうと、ある程度自分から積極的に動いていかないと、つながりの中に入れない、人間関係をつくれないというふうな事態が生じてくる。ですから、二〇〇五年ぐらいから徐々に徐々に孤立死のお話とかというのも出始めていたわけです。
 そのような感じになりますと、つながりに関しての二つの不安というものが生じてまいります。
 まず一つ目は、私自身にはもうつながりができないのではないか、私ってずっと独りぼっちではないのかというふうな形で、関係ができないかもしれないという不安が一つ目に生じる。もう一つは、じゃ、仮につながりができたとして、そうしたらどうなるのかというと、できたとしても、やはりそのつながりを維持していかないといけないというふうになりますので、今あるつながりも壊れてしまうんじゃないか。
 若い人には結構典型的に見られておりまして、友達がいるように見えるんだけれども、でも、その友達というのは一生懸命維持しているようなつながりなので、少し油断すると私はつながりからはじかれてしまうというふうな、そんな二つの不安というものを抱えている。
 そういうふうになってきますと、基本的には、これまで孤独、孤立というのは、それこそ一九七〇年代ぐらいは高齢者の方々の問題であった、ですとか、一九九五年の震災が起きたときには被災者の問題であるというふうな認識があったわけなんですが、二〇〇〇年代ぐらいから、誰もが孤立に陥ってしまうかもしれない、あるいは誰もが孤独感を抱えて精神的に厳しい状態になってしまうというふうなことでありまして、基本的には社会全体の問題として孤独、孤立というものが立ち現れてきたというふうなところがございます。
 さらに、コロナ禍がありまして、コロナ禍というのは、じゃ、誰とつき合えばいいのかということを基本的には日本国民が一斉に考えてしまったというところがございますので、そうなってしまうと、じゃ、その相手に選ばれなかった人はどうなるのかというと、つき合いから、あるいは、つながりからあぶれてしまうというふうなことが出てまいりまして、だからこそ、二〇二一年に孤独・孤立対策担当室が立ち上げられたといった背景がございます。
 二番目の大きい丸の、じゃ、孤独、孤立について問題であるというふうな形で議論を立てますと、一人でいることの何が悪いんだ、孤独、孤立というのも基本的には人間の成長のためには大事なことなんだですとか、あるいは、もっと踏み込んで言えば、人権の侵害なんだというふうな言葉もございます。
 こちらも、もちろんそれはそのとおりでございまして、幾ら孤独、孤立に関して悪い影響があるといっても、無理やり、じゃ、誰かを引っ張り出してきてつながりの中に入れるということがよいのかどうかというと、やはりそういうことではない。
 ただ、その一方で、やはり孤独、孤立の研究、私自身研究をしておりますと、研究の結果を見ると、孤独感を抱いている人ですとか、あるいは社会的なつながりの中にいない人というのは基本的には非常に厳しい状況に置かれている。心身の状況が非常に悪いですとか、健康が悪化してしまうですとか、精神的にも病んでしまうですとかというふうなことがよく言われている。
 そういった個人の心身の健康のみならず、社会に関しても結構いろいろなことが言われておりまして、例えば、みんなが個人になってしまって孤立してしまうと、なかなかほかの人と連絡が取れなくなってしまうというふうになると、社会として何かを動かすですとか、社会として何かをやっていくというときには、やはりなかなか、困難に立ち会ってしまうというふうなところがございます。
 そういったようなところから、確かに個人の権利というのを守ることは大事だというふうには考えつつ、やはり、研究の結果を見ていくと、基本的には孤独、孤立というのは非常に大きな社会問題でありますし、それこそイギリスで孤独、孤立の対策担当というものがつくられましたのは、それによって社会保障費というものが物すごく上がってしまうからこそ、今まさに対策をしていく必要があるというふうな形で言われていたわけです。
 今後、恐らく日本社会というのは単身化が進んでまいりますので、そうなってくると孤独、孤立というのはまさに大きな問題関心としてこれからも、それこそ十年、二十年、三十年単位で日本社会に大きな問題として立ちはだかる可能性があるということでありまして、だからこそ、今、法案を立ち上げて、そういったものに対してしっかり対策をするというふうな必要がございます。
 では、三つ目の丸の、法律が今できることの意義というのはどういうことなのかと申しますと、まず一つ目として、持続的な対応、あるいは包括的な対応ができるということがございます。
 やはり、孤独、孤立というのは社会構造までも含んだ非常に大きな問題ではございますので、単年度で何かをしました、それが解消しました、じゃ、それをやめましょうというふうなところにはなかなかならないわけです。そうなってきますと、法案として立ち上げて、しっかり継続的な対応をするというふうなことが求められる。
 あともう一つは、包括的な対応と申しますのは、やはり孤独、孤立というのは非常に多様な問題が絡んでまいります。例えば、個別の事例を挙げてみても、ケアがあって貧困があってとかいうふうな形で、いろいろな複合的な問題が絡んでまいりますので、そうなってくると、既存の個別のメニューでは、個別の問題には対応できるんですけれども、当事者全体の問題に対応できるかどうかというと、なかなかそれが難しい。そういったような事情もありますので、法案を作って連携体制を強化していくというふうなことが重要になっているというわけでございます。
 二番目の、社会に対する意識の涵養というふうなところなんですが、基本的には、誰とつき合う、つき合わないも個人の自由というふうになってしまいますと、別に一人でいるのはその人がそれでいたいんだからいいじゃないか、その人は一人になりたいんだから何が悪いのなんというふうな話になってしまうわけです。
 ただ、先ほどもお話ししましたように、孤独、孤立というのは実は個人の心身に対してかなりの悪い影響を及ぼすということが明らかではありますし、それこそ、脳の中の痛みを感じるような部分というものが、孤独感の高い人というのは同じように作用しているなんというふうな、そんな研究もございます。
 そのような形で、孤独、孤立というものがやはり社会の一つの問題なんだというふうなことを認識していただくことも必要だと思いますし、もう一つは、じゃ、困っている当事者がどうなっているのかというと、現状、やはり我慢をしてしまうという人が非常に多いわけなんですね。
 そうなってくると、やはり、我慢をするのではなくて、もう少し声を上げやすい、そういった状況をつくっていくということも、なかなかこれも個人だけで頑張るというふうになると難しいので、そういった側面的な支援をする、あるいは、それこそ法律ができるということは非常に大きいことでございますので、社会の意識としてそういうものを高めていくというふうな、そういった意義がございます。
 最後に、各組織への円滑な支援というところなんですが、現在もNPOですとかたくさんの組織があるんですが、やはり、なかなか運営が厳しいですとか持続するのが厳しいというふうなことがございますので、各組織を連携しつつ、そういった組織を支援するシステムというのをより強化することができるというところで意義があるというふうに考えております。
 ちょっと短い時間ではございますが、私の報告は以上とさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 石田光規

speaker_id: 33362

日付: 2023-04-26

院: 衆議院

会議名: 内閣委員会