石田昌宏の発言 (厚生労働委員会)

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○石田昌宏君 ありがとうございます。
 とても長い定義なんですね。ただ、方向性については特に異論はないし、各現場でそのとおり努力してきているとは思うんですけれども、逆に言えば、もう全体を包括ってきれいな言葉なので、ある意味、きれい過ぎて、そこから議論が進まないというか、思考が停滞してしまっているんじゃないかという気がしてならないので、若干そこについてちょっと話長めにしたいと思うんですけど。
 先日、コロナの前ですから過日ですけれども、地域包括ケアのいわゆる先進的に実践されているという地域に行ってきました。確かに、様々な地元の介護サービスと行政も一体的になって、要介護者に対して訪問とかデイとか包括的なサービスをしていました。個人個人の事情もかなり把握していまして、丁寧にやられているなと思いましたし、実際に訪問したデイでは利用者の方も、ここはとてもいいんだよ、いいところだよというふうに笑顔でおっしゃっていました。
 本当にいいなというふうに思っていたんですが、そのデイサービスから出て地域を車で走っていたら、田んぼや畑がいっぱいあるんですけれども、また広場とか商店街もありましたけど、人がいません、全くいません。ところが、デイサービスの中だけはすごいたくさん地域の人がいっぱいいるんですね。これ考えて、これ地域包括ケアなのかなというふうに、こう思いました。
 何となく私たちがイメージしている地域というのは、田んぼとか畑がある中で農作業をしている人がいたりとか、そこで子供が遊んでいたりとか、休んでいたりとか、いろんな人がいろんなことをしていますし、例えば、商店街一個取っても、買物する人、売る人だけじゃなくて、ただ歩いている人、ぼうっとしている人、いろんな人がいて、人がたくさんいながらいろんなことをしている人が同時に見えている姿というのがあるんですけど、今、その地域包括ケアの先端地であってもそんな人はいないし、むしろ地方よりも都会の方がたくさん人が歩いていて、むしろその姿が近いのかなというふうに思います。
 地域って何だろうなとか、地域包括ケアって何だろうなということを改めて考えてみると、いろんな疑問が生じてくるわけです。何かこう見ている景色と実際行われてくることは違うんじゃないかなとつくづく感じるんですね。
 そこで、そもそも地域って何だろう、地域って本当にあるのかなということを考えながら行きたいんですけど、例えば、都会見ていると、今、タワーマンションどんどん建っています。すごいなと思いますけれども、あれどうも人口を見ると、一棟当たり千人から三千人ぐらい暮らしています。ですから、地方へ行くと村一個とか町一個分あるんですね。ですから、最近、私はあれが建つのを見るたびに、ああ、地方で村が一個なくなったなというふうに思っています。逆に言ったら、逆にそのタワーマンション一個を村というふうに考えて、もう管理人ってやめて村長とかと呼んだらどうかなと思っていますね。
 タワーマンションの中に全部、診療所、訪問看護、デイだ、保育所だ、スーパー、全部生活支援機能を埋め込んでいって、さらに、住民同士のつながりをつくると。自治会をどう活性化するか、そういったことを進めていって、また、自分の部屋以外の居場所をあの中どんどんつくっていったら、これ地域包括ケアになるんじゃないかなというふうに思いました。むしろその方がやりやすいのかもしれません。
 ところが、そういったことを考えると、障害が生じていて、マンション丸ごと一つを例えば一つの介護事業所で見たらいいんですけど、それをやると同一建物減算とかそんな仕組みになるんですね。ところが、村で、介護事業所が一つで十分なところで、村でそれをやると全然それ問題ないわけです。縦の建物でやると駄目だけど横だといいみたいな、そんな話になっていて、そもそも何だ、地域はという話が出てきたりとか、いろんな実態と法律がずれている感じがしています。
 よくよく考えてみたらば、私、若い頃に精神科で働いているときに、確かに、社会復帰支援していましたので、この患者さんをどこどこの訪問看護ステーションで担当しているんだと思いましたけど、議論は、どこの訪問看護ステーションに担当してほしいという、こういう議論は全然しませんでした。むしろ、どこのステーションにいる誰々さんに見てもらったらいいなというふうに個人を挙げて、最後調整をしていました。だから多分うまくいったと思います。
 地域というのは、地図上の場所のことではなくて、人と人とのつながりのことであって、そこをいかに大事にするかという政策をつくるべきであって、逆に、地域という言葉でそれが逆に阻害されてしまっているんじゃないかということを感じるわけですね。ですから、地域包括ケアというのは、一人一人をちゃんと見て、そしてその人に合ったケアをする、ただそれだけでいいんだというふうに思います。
 そう考えると、いろんな仕組みの変換が必要で、例えばケアマネジャーというのは、地域資源をつなげるとか言っていますけど、地域資源つながるだと人のイメージは全然出てきません。むしろ、利用者にとって最も最適な人がケアするにはどうしたらいいのかということをすることであるというふうに思います。しかし、それを細かく考えようが考えまいが、要は報酬の算定していれば、それだけで、何というのかな、収入は変わってこない仕組みになっています。
 訪問看護とか介護というのは、もちろん患者さんの家を訪問して家族に代わってケアをすることは大事ですけれども、同時に、家族とか近所の人が助け合うことができるように逆にケアの仕方やコツを伝えていくとか、家族や近所のつながりのある人と一緒に買物に行ったり近所付き合いができるようにそれをサポートするとかというふうにいうことが大事だと思うんですけど、実際、自宅以外の場所に訪問すると点数にも何もなりません。自宅以外のところに行くから意味があるんだと思います。
 デイだって、デイサービスでどう時間を過ごすかが大事になっていて、そこでリハビリをするのか、風呂に入るのか、いろいろとやっていますけれども、大事なのは、デイそのものではなくて、デイが終わった後に家に戻って例えば夕食を家族と食べるときに、今日デイやってこんなことあったんだよと言って、団らんの時間が豊かになることで家族の人間関係を豊かにしていくことが大事であるんだけど、そのことは全く報酬では関係なく、中で行われていることだけがやっぱり議論になってしまいます。
 施設に至っては、基本的には施設に入るということは人間関係やつながりがなくなってしまう。だから、一番大事なのはむしろ、コロナで本当にできなかったんですけど、面会をどうするかとか人にどう会い続けるかということであって、また地域の人のボランティアをいかに中で活用するかとか活躍するかであって、逆に言えば、例えば町の祭りとかです。中で祭りをするんじゃなくて、町の祭りにどうやって参加できるのかとか、そういったことにこそエネルギーを使うべきであるんだけど、これにエネルギーを使っても報酬には一切ならないという仕組みになっています。
 政策もそうで、人と人とのつながりを大事にするというふうに原点を置き直せば、一番やっちゃいけないのが、良くない、一番やらなきゃならない政策は孤独とか孤立をどう避けるかという政策になるはずであって、またそれに関連してハラスメントとか虐待だとかいじめ、こういうのは人と人との関係を破壊しますから、むしろこれをしないような政策をもっともっと全体の政策の中の力点の中心に置かなきゃならないと思います。
 地域ケアというのは、包括ケアというのはそういった概念であって、場所にとらわれずに人と人とのつながりを強調した議論として考えていったらどうかというふうに思うんですけれども、これはもう御感想で結構ですので、大臣、あれば是非よろしくお願いします。

発言情報

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発言者: 石田昌宏

speaker_id: 31166

日付: 2023-05-23

院: 参議院

会議名: 厚生労働委員会