纐纈厚の発言 (財政金融委員会)
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○参考人(纐纈厚君) 現在、明治大学国際武器移転史研究所で客員研究員に就いております纐纈と申します。
今回は、このような場で意見を述べさせていただく機会を頂戴し、誠にありがとうございます。
私のお話は、先ほども、黒江参考人もお触れになりました戦略三文書、私は安保三文書と呼ばせていただきますけれども、この問題点につきまして、そもそも論になるかもしれませんけれども、五点ほどお話し申し上げ、その後、財源の問題、そして、我が国が向かわなければいけない安全保障の本来のあるべき姿はどこにあるのかといった問題につきお話をさせていただきたく存じます。
まず、五点ほど、この批判的な問題を触れさせていただきます。
レジュメ、いろいろ書いてございますけれども、一点目は、今回の三文書におきまして非常に特徴的なことは、中国への敵視認識というものが非常に明々白々に、ある意味では赤裸々に語られたこと、これであると思います。早速、中国を始め近隣アジア諸国は、これに対する懸念の表明を繰り返しております。
私は、中国という国との関わりというのは、経済関係含めまして大変大きな、重要な国であります。現在、中国は、二千七百兆円というGNP、もう既に世界第一位、これIMFの統計でございますけれども、第二位の二千二百兆円のアメリカを約五百兆円もの差を付けている超経済大国になりました。
何も、経済大国だから中国との交流を進めるという意味ではなくて、それだけ大きな経済的なパイを持っているわけですから、この国を敵視することは、同時的に、我が国民の経済力、生活力をも阻害しかねないと思います。なので、私は、中国に対する敵視論というのは根本的に間違いだと思っています。
二点目には、軍事ブロックの問題でございます。
今、日本は、日米安保、いわゆる日米同盟のみならず、AUKUS、クアッドなどなど多国間軍事ブロックに参入が相次いでおります。また、この度には、準NATO諸国入りすら検討されている由でございます。
私は、このような軍事ブロック化というものが、戦前の事例を見るまでもなく、世界に紛争の種をまきかねないという意味で、私は、軍事ブロックではなくて平和ブロックをつくるべきだと繰り返し説いてまいりました。
この問題は、国際、様々な問題がございます。その解決方法はいろいろございます。けれども、この三文書が示すところは、国際的な様々な事象に対して軍事的に対応する、つまり軍事には軍事をという、そういう関係性の中で国際秩序にこれを是正しようとしている。このことは私は根本的に誤りだと思っております。
三点目に、この三文書に示された内容、幾つかもちろん問題はございますけれども、私は長い間、軍事史研究者として国家総動員体制史を勉強してまいりました。それとの絡みでいえば、国家資源の防衛力への集中ということが大変ある意味では強く強調されていると思います。
人材も、それからこの資金も、ある意味では防衛のために一元的に集中するという、その方向性が果たして我が国のこれからのことを考えた場合取るべきスタンスなのかどうなのかと、これはもう十分に吟味しなければならないというふうに思います。まさに、国家総動員体制というものが戦後バージョンでつくり替えられようとしているのではないかという大変大きな懸念を持つものでございます。
四点目でございます。
戦前の国防三文書、帝国国防方針、国防に関する兵力、帝国軍の用兵綱領というものが一九〇七年、明治四十年に策定されました。ちょうど日露戦争後三年後でございます。以来、三回ほどこれが改定されまして、一九三六年、つまり盧溝橋事件の前年に戦前最後のいわゆる国防三文書が改定されました。
国防三文書が示したことは、日本があくまで戦争によってこの国力を世界に発揮していくという前提で書かれた公文書でございます。それと同じような基調でもって書かれたものが防衛三文書ではないかというふうに思います。
やはり、戦前の国防三文書も、仮想敵国、戦前は、帝国海軍はアメリカであり、帝国陸軍は旧ソ連でございました。アメリカ、ソ連という世界の陸軍大国、海軍大国を敵視することによって、日本が、軍拡に次ぐ軍拡によって膨らんでしまった軍事力、そして軍事力をかさに着て非常に侵略的な戦争に走ってしまった。そのことを歴史の教訓にたどるならば、ここの国防三文書とうり二つのこの安保三文書、これ大変大きな問題、ある意味では将来禍根を残しかねない大きな公文書だと私は思っております。
五点目に、統合司令部設置という話が出てまいりました。これは、もう随分前からこういうものが検討されていることは民間人の私もよく承知しておりました。
その統合司令部というのは、一口で言えば、戦前でいうと大本営、つまり、帝国陸海軍を一元的に統制、作戦運用するという、そういう統合機能を与えられたものが大本営だとするならば、この統合司令部もある意味ではそうしたものにまさに類似したもの、あるいは新しい戦争指導部ができた。このことによって、日本は、まあある意味では戦える自衛隊、戦える防衛力を整備したということにはなっておりますけれども、平和国家日本がそのような戦争指導部を形成することのプラス面とマイナス面、メリット、デメリットを勘案した場合には、さあどちらでしょうかという問題はきちっと考えておかなければいけないだろうというふうに思います。
続きまして、防衛費増額の問題でございます。
もうこれは再三議論されておることでありますから目新しいことは特段ございませんけれども、一口この場で申し上げたいことは、これだけの防衛費というものの増額が逆に外交力の柔軟性を欠くことにはなりはしないか。日本はいつも防衛力という名の軍事力を背中にしょって外交を展開するということは、やはりそこは、外交力を十全に発揮することではなくて、むしろ軍事力が表に出てしまう、表出してしまうという可能性を常に背負った外交力の展開になると。そうしますと、非常に広い、柔軟性を担保された外交力こそ本来の外交力であるべきなのが、これができなくなるという懸念を持ちます。
今、ある学会では、防衛外交という言葉がはやり出しておるやに聞いております。防衛力と外交力を一体化して、そして諸外国に対するある意味では圧力を掛け、そして外交力を発揮していくという考え方でございます。これが果たして本来のあるべき外交力の展開か、私は大変疑わしいというふうに思っております。
真ん中のグラフ、これはもう御案内のとおりのグラフでございます。
日本は経済的に大変相対的に劣化状況にありまして、今から十年前は、世界のGNPに占める日本のGNPは何と一六%、ひところは一割国家と言われましたが、十年後の現在におきましては、世界に占めるGNP比率が一〇%ダウンの六%に落ちております。こういう財政状況下でこれだけ巨大な防衛力を用意するということの矛盾というのは、多くの国民、有権者はやはり疑問に思っているのではないかというふうに思います。
また、三番目の表を御覧ください。
今、アメリカは世界に現在十七、八万のアメリカ軍を展開しておりますけれども、現時点では日本のアメリカ駐留軍が世界で一番でございます。五万五千という状況になっております。
となりますと、駐留米軍に対する同盟強靱化経費というそうですけれども、これが現在、大体四千億円を軽く超しております。これが恐らく今後も大変財政の逼迫に拍車を掛けるのではないかというふうに思えてなりません。そういう意味でも、やはり防衛力の強化が日本の貧困化に結果してしまうというおそれを多分に持ちます。
そして、三番目のところでございます。
ここは、私が一番今日は申し上げておきたかったところなんですけれども、それじゃ、どうするんだと、そういう、ある意味ではリアリズムに反して、理想論ばっかり言っていいのかというのは当然出てまいります。そしてまた、防衛力強化のために日頃尽力されている方々に敬意を表しつつも、私は、日本の安全保障を担保するための抑止力強化、向上という言葉が繰り返し繰り返し出てまいります。でも、皆さん、こんなふうに考えてみてください。昨年、二〇二二年四月、あっ、ごめんなさい、二月のロシアのウクライナ侵略、あれをどう評価するのでしょうか。私の見立てはこうなんです。アメリカを中心とするNATO諸国、もう現在三十か国近くなりましたですね。強大な軍事力を欧州に備蓄、配置しております。それでもロシアの侵略を防げなかったのではないでしょうか。ここはやはりしっかり踏みとどまって考えるべきだと思います。
私が申し上げたいのは、幾ら強大な抑止力を蓄積しても侵略は止められない、止められなかったという歴然たる事実、これをどう理解するかと思います。日米安保があったればこそ、例えば中国や朝鮮の侵略を受けなかったと説く方もおられます。果たしてそうでしょうか。そうで私はないと思います。確かに中国の戦略を見ますると、これは六ページのところに書いておりますけれども、二〇一九年の中国の国防白書を見てみますと、これは中国語でありますけれども、チャンドゥウェイシアと言いますけれども、これは日本語に訳しますと、戦略的抑止と訳します。ウェイシアという言葉は、もっと正確に訳しますと、威圧、プレッシャーですね、軍事力によるプレッシャーを意味します。つまり、中国もある意味では強大な軍事力をこさえて、そして言うところの抑止力を高め、そして覇権政策を貫徹しようとしている。ということは、中国も抑止力に依存している、そしてまた日本も戦略三文書、安保三文書に示されたように、抑止力に依存しようとしている。つまり、相互抑止が働いて、その結果、どういうことになりましょうか。中国の軍拡、そして日本の防衛力増強という名の軍拡、つまり相互にお互いに軍拡のスパイラル、負の連鎖にはまり込んでしまっている、そのことをどう捉え返すのかということだろうと思います。私は、必要なことは反撃能力を持つことではないと思います。
今、参考人で御出席の黒江哲郎氏が毎日新聞のコメントにこう書かれております。日本が仮に反撃能力を持たないと宣言しても彼らは軍拡をやめないだろうと、そのとおりだと思います。そのとおりだと思います。そういう意味では、黒江氏のコメントの内容はまさに合理的かつ論理的です。なので反撃力持つのではなくて、なので反撃力、つまり抑止力に頼らない防衛力の構築、あるいは安全保障政策の構築というものが求められているというふうに私は思います。
そのことをこの中盤のところに書かせていただいております。相互抑止関係の清算の方途を試みる必要、これがある、その一つの方法としては、もちろんこれは正解ではなくて、学会のレベルでは一方的軍縮とか同時軍縮とか、そういう新たな軍縮論も様々な形で議論されております。優先すべきは、反撃能力の保有ではなく、交渉促進のための意欲である、このことを申し上げたい。
そして、もう一つ付け加えさせていただくならば、今、核抑止の問題が様々な場で語られていると思います。議員の先生方も、よく核抑止というものが必要である、そのとおりだと思います。しかし、こういう問題もございます。ロシアがウクライナに侵略したもう一つの理由は、核抑止力が担保されている、つまり核抑止という均衡、いわゆる安定が得られた、なので通常兵器で侵略しても構わない、つまり核抑止という考え方が逆にロシアの侵略戦争を呼び込んだという捉え方も私はしていいのではないかと思います。そういう意味でいうと、抑止論というのは、核抑止であれ通常兵器による抑止であれ、これは大変危険な選択肢だというふうに思いますし、この日本国民のみならず、アジア諸国民をも多大な犠牲を強いる可能性のある考え方だと私は思っております。
そういう意味で、これからの日本の安全保障の在り方は、抑止力に依存するのではなく、換言すれば、抑止力というある意味では神話に依存するのではなく、そこから脱却して新しい交渉力、外交力を身に付け、それで日本の未来を切り開いていく、このことが最も問われているのにもかかわらず、巨大な防衛費というものをこさえて、そして先ほども少し触れましたけれども、貧困化というものを導きかねないとするならば、これは大変大きな問題でございます。今真剣にこの法案を審議されている先生方を前にしては大変失礼な物の言い方かもしれませんけれども、無駄とは言いませんけれども、余り有効ではない力を蓄えるために貴重な財源をこさえるということ自体、果たしてどうなのかなというふうに思います。
ほかの点につきましては、もう時間がございませんので、後ほど御質問等がありますれば、お答えさせていただくことにいたします。
ありがとうございました。