2023-04-28
参議院
佐藤仁
政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会
佐藤仁の発言 (政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会)
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○参考人(佐藤仁君) 東京大学東洋文化研究所の佐藤と申します。
今日は貴重な機会をいただきまして、ありがとうございます。また、国民の、一般国民の視点からすると、必ずしも人気があるというか、注目されないようなこのトピックについて、日頃、議員の先生方が議論してくださっていることに対して感謝申し上げたいと思います。
私の今日の発言は、ODA大綱の書きぶりとか中身そのものというよりも、長期的に見た日本の開発協力の足腰について、私なりにある種の切迫感を持っていますので、そのことについて少しお話をしたいと思っております。
三つ論点がございまして、お手元の資料を御覧ください。
まず一点目なんですけれども、これまでやってきたことの総括と資源化、これが余りできていないんじゃないかということですね。開発協力というのはどうしても前のめりになるというか、こういうドキュメントを作ると、こうします、ああしますという話がたくさん出てくるんですが、これまでしたことはどうなったのかという総括が非常にないがしろにされることが多いです。この大綱でいえば、前作った大綱で一体何ができたのか、何ができなかったのかというような振り返りというのがきちんとなされるべきだと思います。
私は、このことをすごく考えさせられたのが、たまたま二〇二一年に「開発協力のつくられ方」という本を出しましたけれども、その資料集めに東南アジア各国を回って、八〇年代から九〇年代にかけて物すごく批判された案件を見て回りました。
八〇年代から九〇年代というのは、私ちょうど学生の頃で、その頃出てくる開発協力、ODAの本というのは、ODAがいかにひどいかという本が多かったんですね。いかに公害をまき散らしているかとか、地域住民を追い出して、非常にトップダウンな、かえって害をもたらすものであるかという、いわゆるODA批判が吹き荒れていた時代です。それから二十年、三十年たって、そうやって批判された案件はどうなったのかということを見に行くということで、十六案件見に行きました。
例えば、訴訟にもなったコトパンジャン・ダムとか、あるいは血塗られたODAと言われたフィリピンのバタンガス港とか、あるいは地獄の木を植えるなといって怒られていた東北タイのユーカリ植林とかですね、そういったところを一個一個回ってみて分かったことは、八割以上は今も生きて案件として機能していて、かつ現地の人にかなり感謝されているということだったんですね。
もちろん、全てが全て問題案件が魔法のように優良化したわけではありません。その途中にはいろんな話があって、今日は時間がないので申し上げられませんけれども、しかし、これから分かるのは、開発協力というのはやっぱり時間がたたないと本当の効果が分からないということなんですね。十年とか二十年ぐらいで見ないと本当のことが分からない。それを踏まえて考える。
しかし、日本がやってきたことというのは、問題案件ですら長い期間の中で人々の信頼を勝ち得ているということであって、これをちゃんとアセットとして、資源としてこれからの開発協力に使うべきじゃないかというふうに思うんです。ただ、これが使えていないということなんですね。
私が、その問題案件が優良化したことはすごく驚きましたけれども、もっと驚いたのは、当時援助を批判していた人も、あるいは当時援助を思い切り批判されていたJICAも、この二、三十年後の問題案件のその推移を誰もフォローしていないということなんです。これはやっぱりフォローしなくてはいけないもので、ここの中に実は日本の足腰に関わる宝がたくさん眠っているというふうに私は思っております。
過去の案件を信頼醸成のためのアセットにしていただきたいというふうに思っています。また、それだけのアセットが日本の案件のその多様性とそれから量的蓄積の中に眠っているわけで、これを生かさない手はないと思いますし、信頼という観点では、やはり日本が先進ドナーの中で唯一武器輸出をしてこなかった国であるということもとても信頼の底辺にあると思っていますので、このことも付け加えたいと思います。
二番目の論点に参ります。
これは、援助に関するドキュメントは、その究極の目的をしばしば自助努力とか自立とかというふうに言っています。これ考えてみますと、援助というのは、当たり前なんですけど、他者あっての援助なんですね。しかし、このことがしばしば忘れられて、自立、自立という、それが呪文のように繰り返されると。しかし、自立というのは、よく考えてみますと、何か全部自分で何でもできるようになるということよりは、必要なときに頼れる先があるというのが本来の自立ではないかと私は思っています。
そのように考えますと、開発協力というのは、自分で何でもできるようにする手助けをするというよりは、より良い依存関係をつくっていく、必要なときにお互い助け合う世界の仲間をつくっていく触媒だというふうに考えるべきなんじゃないかというふうに思っています。
実は、日本自身がこれまでの発展の経験の中でいろんな国に助けてもらいながらここまで来たという国であります。明治時代のお雇い外国人とか近代化の歴史はもう先生方よく御承知だと思いますし、戦後のアメリカの対日援助、あるいはもっと直近でいえば、あの東日本大震災のときの世界からの日本に対する援助、こういった日本は援助をされる経験をたっぷり持っている国であるわけですから、そういったことを生かして、より良い依存関係ってどうやってつくっていけるのか。つまり、持ちつ持たれつの関係をつくるためにODAをどう生かせるのかという観点でこれからの政策をつくっていくべきではないかなと思います。
援助の受入れだけではございません。円借款事業、これは援助を出す側ですけれども、円借款事業にしても、これ細かく見ていきますと、円借款の事業の実施については、半分ぐらいが外国の企業が請け負っているんですね。つまり、日本が幾ら国益だ国益だと叫んでみたところで、それを受注して現場で工事をしているのは外国の企業である場合が非常に多いわけです。そうすると、これは持ちつ持たれつの中で日本の援助事業も行われているという認識をやはりしっかり持つべきなんじゃないかなと思います。
というわけで、その自助努力を強調するよりも、やはり良い依存関係をつくっていくという発想転換が私は必要だと思いますし、今回の大綱では、例えば個人の保護とか能力強化という文言が出てきますけれども、やはり一人で生きている人はどこにもいないわけであって、みんな何らかの集団の中で組織の中で生きているわけですから、そういった依存関係の中でこういった個人の保護とか能力強化というのを考えていくという視点が必要なんじゃないかなというふうに思っております。
三点目に移ります。
これが最も私が職業柄も含めて危機感を持っていて、一番今日のお話の中で大事だと思っている点なんですが、人材育成のことでございます。
自らアジェンダを設定できる人材がこの業界にもっといなくてはいけないと思います。ODA大綱にどれだけ立派なことが書かれても、それを担う人がいなければ絵に描いた餅なんですね。担う人はどこにいて、どこから集まってくるのか、これが一番重要なことだと思います。
私自身も自分の学生を何人かJICAに送り込んでいるというか、JICAに入った学生もいますし、受けて落ちた学生もたくさんおりますけれども、実際、JICAは実施機関としていまだにすごく人気のある、学生に人気のある就職先になっています。ただ、残念なことに、三十五歳から四十歳ぐらいにかけて、多くの職員が途中で辞めているという現実がございます。これは、私詳しくは分かりませんけど、周りに聞いている範囲です、もうかなりの数の人が途中で辞めている。これはいろんな理由が恐らくあるでしょうし、別にJICAに限らず、どこの企業だって最近は途中で辞める人多いじゃないかと、あると思います。
ただ、やっぱり国際協力の分野というのは、言わば特殊なというか、途上国のために、そして日本のためにもですけれども、やる仕事というのは、特別の情熱を持って、そして高い能力を持って入った人なわけですね。それが途中で辞めてしまうというのはいかにも残念なことではないかと思います。
その人たちを別に全員が全員を辞めさせないようにするというのは無理だと思いますけれども、やはりその現場の職員の待遇問題というのは是非我々考えるべきじゃないかなと思います。これは給料のことだけではなくて、例えば若い職員がプロジェクトを任せてもらえるとか、やりがいを感じられるとか、いろんな角度からこの現場の職員の待遇というのを考えていかないと、結局この大綱にどれだけ立派なことを書いても、足腰がもう細っていくわけですね。だから、開発協力の担い手をどうやって優秀な人たちを集め、その人たちを支えるかという、その発想が必要だと思います。
私、三十年ほど前にハーバード大学に留学したときに、入学式で、ある教授がこういうことを言っていました。君たち、ハーバードはなぜ成功しているか知っているかと。それは、ハーバードが学生たちをうまくいくように教育しているからではないと、元々成功しているやつを連れてきているから成功しているんだという、そういう話をしていました。これ、もちろん鼻につく言い方だと思います。ただ、一定の真理を僕はついていると思っていて、やはりこの開発協力の世界を盛り上げていってうまくいかせるためには、そこに良い人を集めてくる、良い人を集めてくるにはどうしたらいいかということをやっぱり考えるということが必要だと思います。
そこで、私自身の活動に引き付けて申し上げますと、やはり私が今危惧しているのは、日本国内に様々ある、いわゆる国際協力とか国際開発系の大学院に進学をしたいという日本人が減っているということですね。名古屋とか神戸に国際協力を専門にする大学院ございますが、まあ六割から七割ぐらいが留学生が占めています。別に留学生が国際協力のカリキュラムに入って問題あるわけではありません。結構だと思いますけれども、しかし、日本のODAの主力を担っていく日本人が、自分も開発のことを勉強したいというふうにやっぱり集まってくるような場であってほしいと僕は思っていますので、これをどうしたらいいかというのは非常に考えています。
私が一つ思っているのは、やはり大学院レベルではもう遅くて、日本の学部教育の中でこの開発協力の話題をもっと学生たちに振りまく、振りまくというのかな、そういう話をしてあげる先生をもっと増やさなくてはいけないと思っています。もちろん、先生の講義だけがきっかけではありませんけれども、そういった先生が増えるということによってこの分野に関心を持つ一般の人たちが増えていって、その中にはODA大綱の担い手として現場で活躍する人も増えていくという、そういう好循環が期待できるのではないかと思っています。なので、私自身も今までちょっと大学院のことばっかりやっていて学部の教育サボってきたんですけれども、この秋から東大の一、二年生を対象に開発協力の授業を自分自身やりたいというふうに思っているところです。
最後に書きました国際開発協力の科研、科学研究費の細目を入れると書きました。これ、一見、研究者の利害に引き付けた非常に小さい提案であるように思われるかもしれませんけれども、現在、大学という場所も非常に予算が逼迫していて、みんな外部資金を取ってこい、外部資金を取ってこいと言われます。
開発協力をやっている先生が外部資金を取ろうとした場合に、細目というのがございまして、これは、あなたは政治学ですか、あなたは経済学ですか、あなたは社会学ですかと言われてしまうんですね。私は国際開発協力をやりたいといったときに細目がないわけです。この細目を作っていただければ、開発協力を専門に、誇りを持ってそれを専門にし、そこから予算をもらい、そういう教員が励まされ、かつ励まされた結果を学生に伝えることもできるということであって、こういった大綱の実施に将来不可欠になってくる若手の育成ということも視野に入れて人材育成を図っていく必要があると思います。
この人材育成の問題、本当に逼迫しているというか、私は非常に危機感を持っていて、そういった危機感がこの現在の今の大綱の案を読んでいると全く感じられないので、もちろん人材のことだけではありませんけれども、是非この人材の問題は踏み込んで取り上げていただきたいというふうに思っております。
以上、私、三点申し上げました。一点目は、これからやろうとすることよりも、これまでやってきたことの総括をし、そこから未来を構想するというそういう発想が必要である。二番目は、自助努力とか自立とかということをかたくなに強調することよりも、その良い依存関係を援助を触媒にしてつくっていく、そういう発想転換が必要ではないか。三番目に、自らアジェンダを設定できるような人材の育成。
これ、ここ、済みません、ちょっとまだ一分ぐらいございますので補足いたしますけれども、最近SDGsがはやっています。これも私から見ると、かなり外から降ってきたようなところがありまして、自分で課題を設定するという能力をむしろそいでしまうような面があります。私は別にSDGsを一生懸命やる人に反対ではございませんけれども、世界の複雑な問題に取り組んで自分なりにアジェンダを設定できる人材というのはこれはこれでつくっていかなくちゃいけない。外からやってきたゴールを、じゃ、私はゴール幾つをやっています、私はゴール幾つをやっていますというのは非常に受け身で、自分でアジェンダを作っていくというそういう力につながってこないところがございますので、是非、その現場にたくさん行って、自分でアジェンダを作れる、そういうような人材をつくっていきたいと私自身も思っていますし、そういう環境をつくるための制度設計ということに先生方のお力をお借りしたいというふうに思っております。
私からは以上でございます。ありがとうございました。