植田隆子の発言 (外交・安全保障に関する調査会)

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○参考人(植田隆子君) 御紹介にあずかりました植田隆子でございます。
 今日は、非常に大きなテーマをいただいておりますが、その中でリスクリダクション、危機低減というところに中心を置いてお話しできたらと考えております。
 どうしてこういうテーマを選ぶのか、それから、既に事前にお配りしたものであるとか、今日の五枚の報告の、この順番でお話をするということの中身でございますが、地域的にヨーロッパのお話が出てくると。これは、自分の経歴の中で、八年ぐらい時期を置いてヨーロッパに、研究所にいたりとか、それから三年ずつですね、九〇年代の初めに日本のベルギー大使館でヨーロッパの安全保障、これは物すごい激動の時期で、ソ連がなくなったりとかですね、行ってすぐ湾岸戦争になったんですが、ソ連が崩壊したりとかいう激動の時期で、そこからしばらく置いて、今から十年ぐらい前ですね、今度は同じブラッセルのEU代表部で三年ぐらい勤務をしておりました。よくこれだけ大学を休めたということもあるんですけれども。
 それで、EU代表部に行っておりましたときも、これは日本とEUとの今のEPAとかSPAをつくる前の時代で、そのためにEUを引っ張り出すと言ったらちょっと変な言い方ですが、日本の方が非常に熱心だったので一生懸命交流をしておりました時代でございます。ただ、やっぱりこのときも結構大きな国際的な出来事が起こっていて、着任してすぐ、ロシアの侵攻ですね、これはジョージアという小さい国に侵攻したと、それで非常に大きなインパクトがあった。
 そういうところから始まった問題でございまして、ただ、別にその自分の研究対象がヨーロッパでも、大使館とかEU代表部に勤めているからには日本のことを、アジア情勢を説明すると。で、十年ぐらい前に起こっておりましたことというのは、EUの今の対中政策と違っておりまして、天安門のときにEUは制裁をしていると。対中制裁をしていると。それは対中武器輸出禁輸であったわけですね。中国に対する武器輸出をしないと。それを、今から十年ぐらい前というのは今のEUの中国政策と違うので、武器を輸出したい国というのがEU圏の中にもございまして、それを解除しようとする動きがあったと、それを解除されないようにするというのも私の仕事の一つだったわけで。
 このアジア情勢、日本を取り巻く安全保障情勢などもそのときは御説明をしており、その後も、EUやNATOや、もう一つ今日出てくるのがOSCEという組織でございまして、組織は後ろの方に、アジアを取り巻く組織というのが最後に付いておりまして、その後ろから二番目のページに、欧州の主要な枠組みということで、NATOとかEUとか、ちょっともう日本よりも、あるいはアジアよりも更に複雑に、しかも非常に固い組織がたくさんつくられておりますので、そういうことをやっておりました。
 それで、日本の安全保障政策はどんどんいろんな議論が出て動いていると思いますが、対抗抑止という、特定の国から自分の国を守るために行っている措置、これは必要でございますが、これだけが非常に前面的に出てくると、日本の国の位置が米国と違って中国とかロシアという大国に非常に近い、それから北朝鮮もあるということで、もう一つ何か対立を緩和するような措置がつくれないものかと。こういう措置の緩和を一生懸命考えていた地域がたまたま私が専門にしているヨーロッパ方面だったので、そういうことも踏まえてお話ができればということで、この報告を組んでおります。
 それで、一のところでございますが、二度の世界大戦は欧州で発火をしたということで、戦争をとにかく防止したいという意欲はヨーロッパに強いと。戦争の防止に成功しているのは欧州連合であると、EUであると、ですからEUの加盟国間では戦争は起こらないと断言できると私は考えております。
 それで、それは統合による平和ということで、日本と同じ民主主義の価値に基づくと。で、石炭と鉄鋼、このような資源をめぐって争っていたと、それはもうやめようねということで石炭鉄鋼共同体というのを設立したところから始まりまして、今では経済・通貨、外交安保、警察・刑事協力に協力分野を拡大していると。まあ経済統合のように、のレベルとは外交安保とか警察・刑事協力は違いますけれども、していると。で、入りたいという国もそこに書いてありますように結構多いというか、入っていない国から見れば経済的な繁栄の象徴のように映っているようでございます。
 それで、次に欧州の紛争予防のための枠組みというところに参りたいと思いますけれども、これは、そのためにつくられた組織というのが、後ろの方のカラーの枠組みのところにある欧州安全保障協力機構という、OSCEと今名前がそうなっている組織でございます。
 これは、七五年にヘルシンキ宣言、ヘルシンキの十原則というのを打ち立てて、これは冷戦のときのデタントの時代ですが、東西、それから中立国も集まって立ち上げた会議体でございました。それで、十原則についてはもうそこに書いてあるとおりで、これは国連憲章と並んで国が尊重すべき原則ということで、よく加盟国以外でも出てくる原則でございます。東西間あるいは中立国も入って合意したものでございますので、西側の原則ではないということでございます。
 それで、この七五年に発足した会議の連続体だったCSCEは、ヨーロッパの大きな激変に直面して常設機構になりました。ちょうどこの頃、私はブラッセルのベルギー大使館に勤務をしておりまして、それで、ブラッセルからこういう状態を見たり、一九九二年の七月、ちょっと下、次のところにあるんですが、ヘルシンキで首脳会合をOSCEのレベルで開いたんですね。それも応援出張に行ったりとか、この時期はそういうことをやっておりました。ソ連が崩壊した後のヨーロッパというのは一体どうなるんだろうかと、それから民族紛争がユーゴスラビア辺りで出てきていると、そういう、かなり混乱して、次の国際秩序をつくらなければいけないという時期で、そのときにCSCEというのを強化するという発想が出てきていたということでございます。
 それで、そこに書いてありますように、七五年から軍事情報の交換のような軍事的な信頼醸成措置というのは発足しておりましたんですが、それを更に精緻化していくと。基本的には大西洋からウラルまでの地区の、地区と言ったらいいのかどうか分かりませんが、非常に詳細な情報交換措置とか、相手の軍隊を視察したり査察したりできるというような、非常に精緻な、制度が更に精緻化されてきて、現行のはウィーン文書二〇一一という二〇一一年にできたものを、多少ちょっと手は加えられておりますが、使っております。
 ただ、ここの軍事的なCSBMというのは陸上編成兵力です。それで、海軍力に対する規制というのは、これは香田様の御専門、米国が好むところではないというふうに理解をしておりますし、ヨーロッパの場合は陸上戦力との戦いに基本的には初めぶつかってなるんだろうということで、この軍事的信頼醸成措置は現在まで続いております。
 それから、OSCEの決定はコンセンサスですから、まあコンセンサスビルディングなので、いきなり全会一致だ、議決するということではないんですけれど、コンセンサス方式でやってきていると。
 それで、日本の場合は、先ほど少し申しましたけれども、大西洋からウラルまでの間のエリアで何らかの軍備管理措置ができてくると、九〇年代の初めに日本が心配しておりましたことは、ソ連ないしはロシアの兵器がウラル以東に移転されてくるのではないかと。ですから、そこのところは日本にとっては好ましい事態ではないので、ヨーロッパ方面の軍縮というのが日本にとって懸念事項になるということもあり、このCSCEに自分も何らかの形で関与したいという発想になりまして、九二年の七月からオブザーバー的で発言権があるというので出始めているということになって、今日に至っております。
 それで、ほかにもパートナー国というのは、域外のパートナー国というのをOSCEは持っております。
 それで、ウクライナでございますが、このウクライナについて、OSCEも当然、ロシアもウクライナも含む組織でございますから、取り上げております。二〇一四年の三月から二二年の三月末まで、ロシアを含むコンセンサス方式の決定やりますから、五十七全参加国の合意でウクライナの要請によって非武装の特別監視団を置いていたのですが、ロシア一国の反対で継続できなかったです。
 このSMMという、スペシャル・モニタリング・ミッションと言っていたと思いますが、日本も要員を派遣したりとか資金も支援をしておりました。しかしながら、ロシアも入れてずっと、ウィーンに本部がありますから、参加国は代表部も置いており、ずっとOSCEは活動を続けております。
 次に、日本を含むアジア地域の枠組みの意義というふうに書いております。多国間の安全保障協力体というのは、この地域は何があるのかと。これは、五ページに参加国を分かるように資料を入れさせていただいておりますが、ASEAN地域フォーラムであるとかASEAN拡大国防大臣会議という枠組みがございます。
 それから、安全保障に特化しておりませんけれども、日中韓の三国協力という枠組みがございます。この三国協力事務局、私も何回か行ったことありますけど、二〇一一年の九月にソウルに発足をして、日本からも要員を派遣して活動をしております。
 それから、直接的に結び付くかどうかということはありますけれども、過去に朴槿恵大統領が北東アジア平和協力構想というのを、二〇一四年からというふうにお配りしたものに書いてありますが、二〇一二年の十一月に大統領選の候補だった時期にウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿してあるという記録もありまして、これを打ち出しており、日本とかアメリカも結構好意的に受け止めていたように記憶をしております。これは、対象国は南北朝鮮と日、米、中、ロ、モンゴルということで、北東アジアの国を対象にした構想でしたけれども、その後引き継がれなかったということでございます。
 三番目は、CUESと呼ばれている海上衝突回避規範、これも信頼醸成措置でございまして、これも香田様の方がずっと詳しいので、私はちょっとだけお話ししますが、二〇一四年の四月に合意して、米中ロを含む二十一か国が参加していて、海上衝突回避で、これは西太平洋ですよね、合意をしてずっと実施されてきているという枠組みで、重要な枠組みだと思います。
 それから、四番目でございますけれども、日露海上事故防止協定、これは九三年に発効したものがございまして、年次会合が開かれております。二十五回目の年次会合、これは日本と、まあ基本的には東京とモスクワだと思うんですが、交代交代に開催をされており、一番最近なのは二〇一九年のモスクワでございます。二〇年に東京で開こうとしたんですが、ホームページに載っておりますような御説明だと、コロナで開催できず現在に至っているということのようでございます。
 それから、次の五番目、日中防衛当局間の海空連絡メカニズム、これはもうまさに香田様がお詳しいんだと思いますが、一八年の六月に運用が開始されまして、これは防衛省が中心になって外務省はオブザーバーで出ているというふうに聞いておりますけれども、第一回が一八年の十二月、二回が二〇年の一月、三回が二一年の三月ということで開かれており、ホットラインを開設するという準備が、今、技術的細部の調整中というふうに聞いておりますが、一応その両者の間で決まっているというふうにお伺いをしております。
 それで、ヨーロッパ方面でどういう戦争を防止するための努力がなされてきているのか、それからアジアの方ではどのような動きがあるのか、二国間とそれからマルチの枠組みでどのようなことがなされてきているのかというのを簡単に御紹介をしてまいりました。
 それで、提言と申しましたらちょっとおこがましいかもしれませんが、やはり外交的に解決すると、外交的にリスクを下げたいというのは接触することが必要であると。で、コンタクトというふうに言う信頼醸成措置になるんですけれども、アポイントメントを取ろうとしても相手が応じないと、だから会えないということに、何というんでしょうかね、制度が常設化されていないとなりがちであると。ただ、国際機構のようなものがつくられていて、小さい事務局があって、それで、国連はもう物すごく大きいんですが、組織体になっていると。EUにしろNATOにしろ、そのような組織体であると。
 ですから、組織体、国際機関になってしまえば、総会であるとか専門委員会とかそういうのをつくるので、開催日程が決まるのでアポイントメントを取る必要がなくなってくると。その日の何時にそこに行けば、皆さんが今日お集まりになっているみたいに、集まれると。それで、何というんですかね、議題がなくて無理やり集まるというふうにはしない方がいいんですけれど、隔週ぐらいで対面でこのようにお話しできるような意見交換ですね、何かルールをそこで作るところまでいかなくても、単に接触をして、自分の国の安全保障政策について説明すると。
 日本だったら十二月に大きな文書が出たので、それを関係国に直接御説明して質疑応答するというような方式も一つのリスクリダクションになると思いますし、本当に何か、例えば今回の米中間で起こっているような問題が起こった場合に、危機状況が起こったときに緊急会合を招集すると。そういうことができれば、招集したからといってすぐに問題が解決しなくても、とにかくコンタクトができない、意思疎通ができないというよりははるかに危機低減がしやすいのではないかと。こういうことを、あらゆることが常設機構化されているヨーロッパを見ていて考えた次第でございます。
 どうも御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 植田隆子

speaker_id: 28267

日付: 2023-02-08

院: 参議院

会議名: 外交・安全保障に関する調査会