谷田川元の発言 (国土交通委員会)
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○谷田川委員 大臣は本当にいろいろな人の顔を立てることを非常に重要視される方なので、非常にそういう答弁をしていただくのはありがたいんだけれども、ただ、残念ながら、ほとんど前には進んでいないと、私は認識を現在持っています。
今、成田方式という言葉をお使いになりましたけれども、でも、それは防音工事ぐらいまでなんですよ。移転については、踏み込んでいないんですよ、成田方式は。だからもう、成田空港は、大体、今、離発着回数が年間二十五万回ぐらいですよ。ところが、それが五十万回になるんですよね、計画では。そうすると、なおさら騒音下の皆さんは非常につらい思いをされるんですよ。
ですから、先のことを考えると、この谷間地区の皆さんの騒音問題、法律がこうだからじゃなくて、必要であれば、法律を変えるとか新しい法律を作る、そういう必要性が私はあると思うんですよ。今日は答弁を求めませんが、そのことも是非大臣のリーダーシップでやっていただきたいと思います。
それで、次に、今日のメインテーマなんですが、旧下総町高倉地区の移転問題について質問したいと思います。
お手元に私の配付した資料があると思うんですが、パネルで見ますと、まずちょっと、このパネルを説明する前に、成田空港の歴史について一つ触れないと、この経緯が分からないと思うんです。
昭和五十三年に開港したときは、四千メートル滑走路一本だったんですよね。それでは不便だ、何とか平行滑走路を造ろうと、B滑走路、当初二千五百メートルの計画だった。ところが、土地買収が難航して、にっちもさっちもいかなくなって、途中で円卓会議というのが行われまして、地域の話合いを重視して、空港は地域と共生するんだという円卓会議が行われまして、その結果、幾ら土地買収が難航しても強制収用は行わないことが決まったんです。その結果、二千五百メートルの平行滑走路は整備するけれども、地権者の皆さんと十分話合いをして、話合いがつかない場合には幾らでも待つ、そういう方針だったんですよね。
ところが、二〇〇二年のワールドカップ、皆さん、日韓ワールドカップを覚えていらっしゃいますね。そのときは、成田空港、一本の滑走路じゃとても航空需要を賄い切れない、だから二〇〇二年のワールドカップまでには何とか二本目の滑走路を造らなきゃならないということで、当初は、この辺に二本目の滑走路、B滑走路があるんですが、その南側。こっちが北側です、こっちが南ね。南側の方の地権者がなかなかうんと言うことを聞いてくれなかった。その結果、暫定で、二千百八十メートルで二本目の滑走路は完成したんですよ。
そして、二千百八十メートルだとジャンボ機が飛べないから、何とか二千五百メートルに延伸しようということで、この黄色のところ、皆さん手元の資料を見ていただいて、ここが、二千五百メートル延伸時の、騒音が結構うるさいので、この黄色い部分の人は移転してもいいですよ、移転を補償しますよというふうになっているんですね。
それで、法律では、住宅がここにある人が、この黄色い区域内に関連する土地、農地等を持っていれば一緒に買い入れますよというふうになっているんです。いいですね。ですから、二千五百メートルの延伸時にこの黄色いところに住んでいる皆さんは、自宅があれば、もちろん、その移転は国が補償してもらえる。しかし、この黄色いところから一歩出たところに、この赤いところ、ピンクのところに農地があったときは、二千五百メートル移転時はこの農地を買ってもらえなかったんですよ。買ってもらえない。もう既に二千五百メートルで移転した人は、わざわざ騒音下のところに行って農業を続けているわけですよ。
ところが、平成二十九年と記憶していますけれども、機能強化、いわゆる二千五百メートルの滑走路を三千五百メートルにする、そういう決定がなされたんです。あと、三本目の滑走路も造ると。その結果、再度三千五百メートルの移転補償区域が広がったわけですよ。
ところが、この高倉地区の皆さん、当時、空港会社の関係者から、もうこれ以上の北側への延伸はありません、そういう説明を受けて、このとき土地を売っているんですね。ところが、残念ながら、南側の地権者の方々に同意を得られず、やむなく三千五百メートルの延伸にしたという経緯があると思うんですが、航空局長、私の説明、間違っていませんね、今までのところ。