荒井優の発言 (経済産業委員会)
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○荒井委員 立憲民主党の荒井優でございます。
今回、経済産業委員の理事として、先週、能登半島の視察に行かせていただきました。
実は、行く前は大変もやもやしていまして、思い起こせば、十三年前の東日本大震災のときは、当時、民間人として被災地に駆けつけて様々なボランティア活動等してまいりましたが、改めて、こういう国の中枢にいる立場で何ができるんだろうとずっと思いながら半年間行くことができずに、また、国の仕事の一環として税金で行かせていただくことに対して、本当にそれがどういうふうに役に立つのかというのをすごく悩みながらではありましたが、結果として、行かせてもらって大変よかったというふうに思っております。
今日は、その質問についてさせていただきたいというふうに思います。
また、あと今日は、行かせていただいたのが理事の皆さん方だけだったと思いますので、是非委員の皆さんにも二つほどお願い事があって、是非、この経済産業委員の皆さんとともに能登半島全体の復興に協力したいと思って、お願い事が二点だけございますので、少し耳を傾けていただければというふうに思っております。
〔委員長退席、中野(洋)委員長代理着席〕
元々、僕自身、ちょうど大学生、二十歳のときに阪神大震災がありまして、当時、一大学生としてボランティアに行き、本当に、古着の仕分とか、大したことはできなかったかもしれませんが、それが原体験にもなっていたかと思っております。
そういった観点から考えましても、今日、資料一をお渡ししてございますが、石川県でも、今、震災復興のアドバイザリーボードというものを組成して様々に議論されていますが、十名いるアドバイザリーボードのうちの六名ほどが、東日本大震災の復興にも直接に関わった若い世代。
もう四十代の後半ですから、この四十代、五十代の人たちを若いと言い切れるかどうか分かりませんが、少なくとも、十三年前は三十代中盤で、若いNPOの人たちが多くて、政府と直接に仕事をするというのがなかなかできない中、被災地で本当に細かく丁寧に、いろいろと歯を食いしばりながらやっていた人たちが、今こうして石川県や政府若しくは各政党の様々なところで話をしたり提言できる立場にいるということは、まさにこういう震災の復興に関わっていくことが、同時に、人も成長していくし、そして新しい復興のスタイルもつくってきているんだなということをすごく感じました。
このことも、最後に、今回、馳知事とお話しさせていただいたときにも、まさにこういった面々が活躍していますねというお話をしたときに、大変、知事も西垣副知事も、喜んでいただいてという言い方はおかしいかもしれませんが、本当に、大変心強いですということをおっしゃっていただきました。
そういった意味でも、当時の僕が、大学生が、ボランティアの活動をして、微力ながら、でも無力ではないという思いでやってきたことが、こうして十年、二十年後に大きく形になるかもしれませんので、是非身近な若い人たちに、今から能登半島のボランティア活動に行ったらいいんじゃないかということをお声がけいただきたいというふうに思っております。
ちなみに、今回、実は、輪島市に行ったときに、わじま未来トークということの復興イベントが、ポスターが掲げてあったんですが、ちょうど先週末行われたんですが、このときのわじま未来トークにボランティアとして、そしてファシリテーターとして参加されていたのは、東日本大震災のときの復興をずっとされている、石巻の雄勝のモリウミアスというところがあるんですが、そこの立花貴さんという方が今回行かれて、ファシリテーションをされていました。
立花貴さんは、十三年前の東日本大震災のときに、霞が関から石巻まで、これは約六時間あるんですが、車を週二回、合計年百回走らせて様々なボランティアの人たちを連れていくんです。実は、霞が関の若い官僚が土日返上でたくさんこの車に乗って、当時、十三年前に雄勝の復興にたくさん関わるんですね。そこからしばらくしてから、実は人事院が、これを是非人事院で全省庁の若手研修に使わせてくれということで、十三年間、毎年やっているんですね。
そういった人たちが今も能登半島でも活躍をしていますし、逆に言うと、今、全省庁でこうやって東日本大震災の復興ボランティアで活動した人たちが皆さん働いているんだということを、是非、こういった人たちが次の時代をつくっていくということも含めて、政務の皆さんや議員の皆さんにも知っていただきたいというふうに思っております。
実は、そういう中で、僕もいろいろ今回行ってきて、その後に、このアドバイザリーボードの皆さんや震災復興に関わった皆さんにいろいろと問合せをしたところ、今回、いろいろな厳しい現状を見てまいりました。特に、もちろん、なりわいの再建ではあるんですが、なりわいの再建は前提として、家の再建が大前提になるわけです。でも、家の再建というのは非常にお金がかかることになっていますが、これはどうやったら本当に復興できるのかというのをいろいろな人に聞いてみましたら、岡本正さんという弁護士の先生がいらっしゃいます、この人も若い先生ですが、この岡本正さんから言われたのは、やはり地震保険への加入が非常に重要だったんじゃないかということを言っています。
公的支援、後で公的支援の話をさせていただきますが、やはり公的支援だけではどうしても家は建たないわけですね。東日本大震災のときには大体家を一軒新築するには二千五百万円ほどかかったと言われていますが、出している公的支援は四百万円なんです。どうしても二千百万円分はお金が出せないわけですね、被災者の方々は。
ちなみに、この地震保険というのは、これは一九六六年、ちょうど約六十年前の新潟地震のときに、田中角栄さんが大蔵大臣として、こういったものを創立するべきだと言って、政府が支援する形でつくった、そういった制度なんだということを僕も今回初めて知りました。
ちなみに、損害保険料算出機構というところで調べますと、各地域の地震保険の加入率というものが出ております。全国の平均では六九・四%、約七割の方が入られているんですが、今回、石川県では六四・七%、平均よりちょっと低いということなんですね。それでも既に九・五万件、八百四十九億円の金が出ていて、その地震保険でお金を出しています。一方、僕の選挙区であります北海道は六二・七%と、平均の七割よりちょっと下がっているわけですね。齋藤大臣の千葉であれば六四・八%、やはり平均よりもちょっと低いわけです。ほかにも、岡山、六八・四、愛媛、七六。そういった形で、結構、地域によって差があるのがこの地震保険なんじゃないかと思うんです。
この能登半島の地震を一つの契機にしながら、やはり地震保険の普及というものは、もう少し、我々、立法府の人たちも、これを普及促進してもいいものなんじゃないかというふうに感じております。
なので、今日、これは一つ委員の先生方への御提言で、是非、地震保険について少し興味、関心を持っていただいて、多くの皆さんに、これから、地震大国ですので、一つの今回の教訓として、是非知っていただければというふうに思います。
まず、今日は一つ厚生労働省にお伺いしたいんですが、今回、被災地を視察する中で、先ほども先生たちからもお話ありましたが、鍵主工業の鍵主社長という珠洲市で頑張られている方からお話をいただいたんですが、やはり社会保険料の負担が非常に企業にとっては苦しいんだと。それで、実は珠洲市は八百五十社ほど会社があるんですが、そのうちの五割が今まだ休業や未定で、一割が既に廃業している、そんなお話もあるんですが、実は、廃業した経営者仲間にとっては、この社会保険料が払えなくて廃業を決めざるを得なかった人もいるんです、そういうお話をいただきました。
東日本大震災のときはこの減免措置が図られたということではありますが、今回はまだ行われていない、難しいということですが、どうして今回できないのか、お答えいただけますでしょうか。
〔中野(洋)委員長代理退席、委員長着席〕