泉田裕彦の発言 (災害対策特別委員会)
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○泉田委員 おはようございます。自由民主党の泉田裕彦でございます。
本日、トップバッターで質問させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
まず、能登半島地震と、そして昨日、台湾で発生いたしました地震で亡くなられた皆様に対しまして心よりの哀悼の誠をささげますとともに、被災した全ての皆様にお見舞いを申し上げたいと思います。
大臣におかれましては、日本での地震の経験を基に、是非、台湾への、被災者への支援を進めていただければと、この場をおかりしてお願い申し上げたいと思います。
それでは、質問に入らせていただきたいと思います。
地震ですけれども、これは大きく三つぐらいのフェーズに分かれて、対応していかなければいけないニーズが大きく変わってまいります。まず初動をどうするかというお話と、それから初期対応をどうしていくのか、さらには復旧復興、中長期に及ぶものをどうしていくのか、大きくニーズが変わってまいります。
能登半島地震、これは一月一日という大変厳しい環境下で発生した地震でございました。そこから約三か月を経過したということでございます。初動、初期対応はどうだったかというのは、一度振り返ってみる時期に入っているかなというふうに考えております。
二〇〇四年のことですけれども、私、知事選には当選をしていたんですけれども、前任者が金曜日に花束をもらって退庁する、その空白の四十八時間、月曜日に就任予定だったんですけれども、土曜日の午後五時五十六分に中越の地震に遭いました。一月一日も大変厳しい状況なんですが、トップが空白になるときの地震というのも、これは大変緊張感が走ったということをまざまざと思い出しました。
そして、この中越の地震なんですけれども、ピーク時の避難者は十万人以上ということで、今回の能登半島地震の三倍ほどの避難者が出ました。そして、全損、被害住家ですね、これも十二万棟ということでして、能登半島地震のおおむね三倍の被害が出たということでございます。覚えていらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、山古志村に全村避難を要請をして、牛をヘリコプターで運ぶというような事態にもなりました。つまり、孤立する集落が山間部に点在をするという状況でした。
そういう、十月二十三日の発災ということだったんですけれども、避難者につきましては、二か月後の十二月二十四日だったかと思いますけれども、には、体育館等への避難者、二次避難という言葉は当時はなかったですけれども、これも含めて、全員仮設住宅に入っていただけたということでございました。
そこで、大臣にお伺いをしたいんですが、今般の能登半島地震、既に三か月を経過をいたしました。まだ避難者がかなりの数残っているというふうに承知しておりますが、現在どうなっているのか。
そしてまた、みなし仮設も含めて、仮設住宅の提供が始まっていない人たちがかなりいらっしゃると思いますけれども、これはなぜなのか、どう評価されているのか、お伺いをしたいと思います。