野田佳彦の発言 (財務金融委員会)
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○野田(佳)委員 ありがとうございます。
そこででありますけれども、今日の中心的な質問の中身というのは、三月の金融政策決定会合で異次元の緩和を終了させたという大きな方針転換をされたことについて御質問をしていきたいと思うんです。
私は、トータルで見た場合、異次元の金融緩和が始まって、十一年間続いてきた。十一年も続けてしまったことについては極めて疑問に思っておりまして、海外の要因ではあったと言いながらも、物価上昇が始まったのは二〇二一年の九月から、ずっと消費者物価は上がり続けて、そして二〇二二年の四月からは二%を超えるようになり、先ほどの御報告にありましたとおり、足下は二%台後半、いっときは三%を超えたときもありました。という流れでずっと来ているわけです。そういうことを考えると、本来は、二期十年の黒田総裁の終盤に決断すべきであったと私は思います。
少なくとも、あのマイナス金利の解除や、イールドカーブコントロールの撤廃や、あるいはETFも新規に買わないような、大きな三つの柱を全部変えるのではなくても、例えば野球でピッチャー交代するときに、先発したピッチャーが次のピッチャーのためにマウンドをならすじゃないですか。これが私は基本的なマナーだと思うんです。
せめて、去年、植田総裁がチャレンジされた七月と十月のイールドカーブコントロールの微修正のようなことなどは、少なくとも黒田総裁のときに始めておくべきであったという意味では、十一年もかかったということは遅過ぎると思います。でも、技術的な問題であるとか、日銀という組織を把握しなければいけないなどなど、いろいろな情勢を分析をするという意味で、植田総裁の下で一年かけたということは、これは私は妥当だと思っているんですね。
その中でも、いわゆる二%の物価上昇を見通せる可能性をどう見るかについては、三月もあったけれども、四月は、例えば四月一日に短観の発表があったし、四日には支店長会議があったし、より参考資料が整ってきたり、春闘の結果も、よりもっと分かってくるような時期だったと思うんです。あえて四月じゃなくて三月にしたのか。
ここはちょっと微妙だと思うんですが、私の想像ですけれども、やはり円安の流れが出てきていることに心配があったから少し早めの判断をしたのではないかと思いますが、この点についていかがでしょうか。