福島伸享の発言 (政治改革に関する特別委員会)
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○福島委員 私は、本来この議論を、政治家同士なんだから、時間を取って各党で、野田元総理もいらっしゃるわけですから、この議論は何のためかと最初にやらなきゃならなかったと思うんですよ。恐らくみんな、語り出したら、多く語ることはあると思うんですね。それから始めないから、何かさっきからちっちゃなちっちゃな話になっているんだと思います。
私は、その中でやはり一丁目一番地は企業・団体献金の廃止だと思うんですよ。
これまで総理は、様々な収入を確保することが重要とか、一企業の献金が全体の政策を左右することは現実あり得ないとか、憲法上の政治活動の自由とか、いろいろ言っていますけれども、これはほとんど論破できちゃうんですね。憲法上の政治活動の自由で、いつも五十年以上前の八幡製鉄の例を出しますけれども、あれはむしろ巨額の寄附が政治の腐敗を生むという原告側の主張を認めて、それに対応するために立法措置が必要だといって私たちにボールが投げられているわけですよ。こんなのは理由になりません。
よく、一企業の献金が全体の政策を左右することはあり得ないと。一企業が全体の政策を、それはないですよ。一企業が憲法改正まで左右するようなことはないけれども、個別であるのは明らかなんですよ。
鈴木議員は昨日、こう書いてあった。政策がゆがめられたとは私は承知しないと。お役所出身ですよね。財務省に九九年入省ですか。ですよね。その後、国際局とかニューヨークとかに行っていらっしゃいますけれども、私自身は、例えば電力自由化というのに取り組んでおりました。そして、原子力の立地もやっておりました。
今ばらしますけれども、私の役割は何だったかというと、電源立地調査会という、当時の桜井新先生が会長をやっている、電源地域に補助金を配るいろいろな制度を議論する自民党の部会があって、そこに行って議事録を取ってくるんです。その後、議事録を基に課長はそれぞれの議員にA、B、Cとかと評価を下して電事連に渡すというのをやっていて、電力自由化は役所は進めていたけれども、業界は反対してなかなかできなかったという煮え湯を味わわされました。
私は、退官する前は、構造改革特区という、各省の規制を変えるという仕事をやっておりました。最大の抵抗勢力は医師会でありまして、私はある外資系の企業のセミナーで構造改革特区の政策の説明を行いました。これは官僚の職務としてちゃんと届出手続を行った上でのものです。ただ、これは高額の会費のセミナーだったらしいんですね。私は知らないです、呼ばれて行っただけですから。
その後、私とそのときの担当大臣だった鴻池担当大臣は東京地検に告発状を出されました。しかし、それは受理はされませんでした。役所から、私はそのときに、おまえはもう特区をやめて役所に帰って海外に留学してこいと言われたので、私はそのときに、それなら役所を辞めますと言って私は政治に出ているんです。
政策立案に役所で携わっていたら、こういうことは日常茶飯事だと思うんですよ、部会とかに行って議員の先生からつるし上げられて。鴻池大臣と私がやっていたときに、それぞれの自民党の議員の政治資金収支報告書を全部見て、その人の後援会長はどういう人で、どういうところからお金をもらっているかとやった上で根回しに回っていましたよ、そういうのは。
だから、もう皆さん知っているにもかかわらず、何か一つの企業で政策がゆがめられていないとかって、余りにも私は白々しいと思います。ここにいらっしゃるのは、官僚出身者の皆さんが多くいらっしゃいます。政治家になったその初心というのがあるはずなんですよ。私の初心は、さっき言ったように、やはり、政治に邪魔されて構造改革なり経済政策が進められないのを自分が政治家になって何とかしようと思ったのが私の志なんですよ。
だから、先ほど理念をお伺いしましたけれども、もう一度、政治家を志した初心に立ち返って考えませんか。どうですか、鈴木議員。