岡村晴美の発言 (法務委員会)

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○岡村参考人 名古屋で弁護士をしております岡村晴美と申します。
 弁護士になって十七年目になります。取扱分野は、DV、性虐待、ストーカーの事件が八割、残りの二割で、職場のパワーハラスメント、セクハラ、学校のいじめの事件を担当してまいりました。
 離婚事件に関しては、これまで千五百件ほどの相談を受け、受任した事件は六百件ほどです。DV事件を担当してきた弁護士として、今回の改正に反対の立場からお話しいたします。
 ここ数年、困難女性支援法の成立、DV防止法の改正、性犯罪に関する刑法改正など、困難や暴力にさらされている女性の支援法の整備が進められてきました。しかし、支援の現場にいる私たちは、それを実感できてはいません。
 現在、DV被害者は受難のときを迎えています。日本では、まだまだ男女の賃金格差が大きく、ワンオペ育児という言葉に象徴されるとおり性別役割分業意識が残り、経済的に劣位に置かれる女性の多くは、家庭の中でDVを受けても、子供を育てるために我慢を重ねるという現状があります。
 DVには、身体的暴力はもちろん、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、社会的隔離などの非身体的暴力を含みますが、それが社会に周知されているとは言い難く、身体的暴力が重いDVで、非身体的暴力は軽いDVであるという誤解があります。
 DVの本質は支配です。暴力は手段。海外では、ドメスティック・バイオレンスという言葉を改め、ドメスティック・アビューズという言葉が使われるようになっているそうです。
 DVに関する無理解の下、子連れ別居をしたことを、そこだけ切り取って、連れ去り、実子誘拐などと非難する風潮が生まれています。DV被害者に対して誘拐罪での刑事告訴や民事裁判、被害者側弁護士に対する懲戒請求、自分こそが連れ去られ被害者である旨をSNS等で発信し、配偶者や子供、その親族の写真や個人情報を公開するなど、加害行為が別居後にも終わらず、むしろ復讐にも近い形でエスカレートするケースが増えています。
 離婚や別居でDVが終わるという時代はもう終わりました。適切な言葉がないのですが、海外ではポスト・セパレーション・アビューズと言うそうです。日本においても非常に深刻な被害が生じていますが、世間に知られていません。離婚後もパパもママもという言葉は心地よい響きですが、離婚後も子供を紛争に巻き込み続ける危険性について真摯に受け止めなくてはいけません。
 共同親権制度の導入を求める人たちの中に、離婚後の子供に対する養育責任を果たすことを目的としている方もいるでしょう。しかし、親権を権利と捉え、強く親の権利を主張して、自分の思いどおりに子供に関われないのは単独親権制度のせいであるという誤解に基づいた主張も散見され、家事事件の現場で紛争性を高めているという実態があります。
 例えば、未成年者等の健全な育成を監督するために別居親が面会交流を求め、面会交流の不実施について違約金を定めるよう主張するなどした事案では、監護状況の監視を目的とする面会交流は、必要性がないばかりか、子を別居親と同居親との間で精神的に板挟みの状況に置きかねないとして、子の利益に反すると判断されています。
 また、別居親が同居親に対し、父子断絶をもたらした、しつけもできず監護親として不適格などと非難を繰り返し、年三回、一回二から四時間の面会交流を認めた審判を足がかりに、間接強制を繰り返し申し立てるなどした事案では、その抗告審において、別居親と子との面会交流は禁止されています。
 これらの事案は、共同親権制度が導入された場合に、共同から除外されるのでしょうか。共同親権制度の必要性について、不信感を根拠に監視し合うということにあるようにも解されており、不安でなりません。
 二〇一〇年代以降、家庭裁判所は、面会交流について積極的に推進してきました。二〇一一年の民法改正で面会交流が明文化され、二〇一二年、裁判官が論文を発表すると、面会交流は原則実施論と呼ばれる運用となりました。調停の席で、どんな親も親は親、虐待があったからこそ修復をしていくことが子供のためという説得がなされ、DVはもちろん、虐待も、子の拒否すらも軽視されて、同居親にとっても子供にとっても非常に過酷な運用がなされてきました。
 法制審議会では、二〇一〇年の調査に基づいて、離婚直後は紛争が激しいが、三年とか五年で落ち着いてくるということが紹介されていましたが、二〇一一年以降、実務は様変わりしています。
 家族の問題の根本は、人間関係です。離婚後に面会交流ができる人は自分たちで自由にやれています。規律とか約束とかなく面会がやれているのがベストなんです。それができない人、つまり自分たちで決められない関係にある人たちが法律、裁判所を使います。その結果、困難な事案ほど、面会交流の細かい取決めが求められ、審判で命じられるということになりました。面会交流時の殺人事件や、面会交流中の性虐待事件も起こっています。これは極端な事件ではありません。氷山の一角です。
 このような実態を踏まえ、二〇二〇年、家庭裁判所は、運用を改め、ニュートラルフラットの方針を示しました。原則、例外ではなく、ニュートラル、フラット、そういう公平な言葉を二個も重ねて、事案に向かうということが提案されたのです。
 面会交流は子供のためによいものという推定の下、DVや虐待などの不適切ケースは調査によって除外できるという考えで、弊害を生じさせてきました。これは、共同親権制度の導入を考えるときにも参考にすべき経験です。親権の共同は子供のためによいもの、そういう推定に基づいて原則共同親権と解釈することは、子供の利益を害します。
 共同親権制度の賛否が聞かれることがありますが、私は、共同親権か単独親権かという問題の立て方に違和感があります。離婚後の父母と子の関わりをどう考えるかという問題であり、法制度の在り方にはグラデーションがあるはずです。
 現行法では、離婚後の同居親が親権を行使する場合、つまり子供のことを決める場合、単独でもできるし、別居親と一緒に決めることもできます。一人で決める、つまり単独親権と、相談して決める、つまり共同親権、これを選択して行使することができます。
 しかし、共同親権制度が導入され、共同親権が適用されれば、単独で行使することは、例外事由に当たらない限り許されなくなります。つまり、同居している監護親が一人で決めることができなくなるということです。他方の親に拒否権を与えることになるのです。単独行使ができるのか、単独で行使すると違法になるのかというのが共同親権問題の正しい捉え方です。父母の意思疎通の困難さを軽視して共同親権を命じれば、子に関する決定が停滞し、裁判所がDVや虐待を見抜けずに共同親権を命じれば、DVや虐待の加害が継続することになるということを深刻に捉える必要があります。
 他方で、日常の監護に関する共同の規定は、現行法においても、民法七百六十六条という規定が既に存在しています。共同養育に関しては、当事者間で協議ができないときには裁判所が審判で命じることができます。親権の有無と面会交流の実現とは別の問題です。面会交流については、非合意型の審判制度を認めつつ、親権という子供に関する決定に関わる規律については、父母双方の合意がある場合のみ共同行使を選択できる現行法こそ、子供のために最善で最適解の落としどころだと考えます。
 今回の法改正は、子供の養育責任を果たさない親に責任を果たさせるものではありません。子供が別居親に会いたいときに会える手続を定めたものでもありません。同居親の育児負担を減らすものでもありません。男女共同参画を進めるものでもありません。選択肢が広がって自由が増える制度でもありません。父母が協議して共同親権を選べるようになるという説明がなされることがありますが、それは論点ではありません。それに反対している人はいないんです。共同親権制度は、自由を広げる制度ではありません。相談して決めることができそうな人たちにとっては必要がなく、相談することができない対立関係にある人ほど強く欲する制度、それが共同親権制度です。
 親権の共同行使の合意すらできない父母に、それを命じたところでうまくいきません。第三者機関がサポートできるのは、双方に合意がある面会交流に限られていることに留意する必要があります。DVや虐待が除外されなければ、共同親権は支配の手段に使われる可能性がありますが、改正法に抑止策はないに等しいのが現状です。
 法制審議会の家族法部会で要綱を決議した際には、三名の反対、一名の棄権があったものの、多数決で採決されました。これは、多様な意見を取り入れてということが先ほど大村先生から言われましたが、端々にある極端な意見を切って中庸を取ったというのではありません。DV被害者やシングルペアレント支援者の意見がただ単に切り捨てられたということになります。どうか、国会で慎重に議論してください。
 法制審議会で中心的な役割を果たした棚村政行委員は、取材に対し、共同親権が望ましい場合の基準や運用については十分な議論ができなかったと述べています。結論ありきで、議論が不十分なまま推し進めるのは絶対にやめてください。
 反対や慎重な検討を求める声はたくさん上がっています。二〇二四年一月、弁護士有志から法務省に対し、慎重な議論を求める申入れを行いました。その際にも多数の切実な声が寄せられました。代表的なものを二つ御紹介します。
 一つは、ごく普通の離婚の場合でも共同親権制度の導入は子供のためにならないという点。離婚というものの本質は元夫婦間の信頼関係の決定的な破綻。信頼が破壊された父母間が法的手続を利用している。信頼関係にない父母による共同親権は子供のためにならない。
 二つ目、共同親権制度に対する深刻な懸念の声を届けても真摯な対応はなく、皆、失望していますという点。現行法でも何ら共同養育をすることに問題はない。相談者、依頼者から深刻な懸念の声を聞いている。フォロー、ケアの担保なくして法制化はあり得ません。
 二〇二四年二月に実施された弁護士ドットコムのアンケートでも、要綱案に八割が反対という結果が出ています。法案提出前の議論についても、八割が議論は尽くされていないと回答しています。離婚の現場はどう変化するかという問いに対しては、紛争が長期化する、対立が深まる、取決めが細かくなる、トラブルにつながる、結婚や離婚を諦める人が増えるという声が寄せられています。子供にプラスになるという意見は、子供の養育に共同していく意識が醸成されるという理念的なものにとどまるのに対し、子供にマイナスになるという意見は、保育園入園妨害など、子の福祉に反する状況が発生する、養育親が進学や病気の際に速やかに方針決定できないなど、子供の生活に直結しています。
 導入されようとしている改正案は問題が山積みで、十五分の間に指摘し尽くせるものではありません。
 最も懸念されるのは、共同親権制度が適用された場合、同居中であっても別居後であっても、他方の親の許可が必要となり、許可を取らなければ違法とされ、慰謝料請求されるということになることです。これを抑止する手当てがありません。ポスト・セパレーション・アビューズの武器が無限に加害者に与えられます。対策なく法改正されることになれば、家族法は、ストーカー促進法、嫌がらせ支援法となりかねません。
 裁判所の人的、物的の資源の拡充もなく、規定が先行することに対しても大きな懸念があります。現在でも家裁はパンクしています。二か月に一回も期日が入りません。共同親権制度が導入された場合、共同親権か単独親権か、共同親権にした場合、監護者を定めるか定めないか、監護者を定めなかった場合、監護の分掌、教育は父だが医療は母など取決めをするのかしないのか、はたまた、平日は母、休日は父などの監護の期間の分掌をするのかしないのか、複数申し立てられた項目の採否を家裁が全て判断することになります。これは多様性の反映ではありません。制度の複雑化です。
 そして、せっかく決めても、共同と決まった場合に問題が生じれば家裁に持ち込んで決めてもらう必要が生じ、今後に備えて、単独親権を求める申立ても併せて起こることでしょう。そして、単独と決まっても、また今度は共同への親権者変更が起こされる可能性があります。
 祖父母等、第三者の面会交流が認められたことによる面会交流事件の件数の増加、審理の長期化も避けられません。
 中間試案に対する各裁判所の意見にも、争点が複雑化し、審理が困難で長期化し、申立てが濫用されるという意見が随所で上がっていました。これは容易に推察できる具体的かつ深刻な懸念です。
 現場の感覚で申し上げるなら、裁判官、調査官の増員は二倍、三倍では足りません。過重な事件を抱えた家庭裁判所が迅速に審理を進めようとすれば、原則共同親権の運用に流れ、説得しやすい方、つまり弱い方に痛みが強いられ、子供やDV被害者の意見が封じられることになるでしょう。
 現場から声を上げても意思決定機関に届くすべがなく、今回、このような機会を賜りましたこと、本当にありがたく思います。今回お出しした資料が百六十六ページにも及んでおりまして、議員の皆様におかれましては、大変御迷惑なことかもしれません。しかし、この半分は、私ではない、現場の弁護士の切実な声を集めたものになっています。すごく大切な法案です。是非お目を通していただきたいと心より思います。
 以上が私からの報告です。ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 岡村晴美

speaker_id: 33135

日付: 2024-04-03

院: 衆議院

会議名: 法務委員会