古庄玄知の発言 (法務委員会)
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○古庄玄知君 要するに、被疑者、被告人の身柄の拘束に当たっては、裁判所の方が令状を審査した上で拘束する必要があるのかないのかを判断すると、それが令状主義ですね。
このテーマである人質司法については、裁判所が極めて緩やかに令状を発付している。そして、保釈については、保釈するのが原則であって、罪証隠滅のおそれは極めて厳格に解さなければならないのを極めて緩く解していて、検察庁にお墨付きを与えるような運用がされている、これが人質司法と言われるゆえんではないかなと、弁護側とすればそういうふうに思っているんですけれども。そうなると、人質司法と言われるそれは、検察庁に対する言葉であると同時に、むしろそれ以上、検察庁を抑制する立場にある裁判所に対する言葉でないか、あるいは裁判所も人質司法に大きく貢献しているのではないかというふうに我々は思っているところです。
私が、うちの事務所が実際にやった無罪判決が十か月目に出た事件がありましたが、八か月間ずっと身柄拘束されていました。八か月後に公判をやって、証拠調べをやって、恐らくその時点で裁判官が無罪の心証を持ったと思うんですが、八か月たってからようやく保釈が認められました。
要は、心証を取る前の段階は、もう検察官が逮捕、検察官がもう起訴している以上は有罪であると、そういう心証を取っていて、無罪の推定ではなく、これは有罪の推定を取っていたんではないか、それが現場の感覚であるというふうに我々は思っております。
そして、我々現場の弁護人にしても、否認をしたり黙秘をしていると、ああ、それはもう保釈は無理だなというふうに諦めるところがあるんですね。そうすると、やっぱりこれは、弁護人もこの人質司法に加担しているところがあるのかなと。幾ら無理でも何度も何度も保釈の請求をして、それに対して争わないといけないかなという自戒の、自戒の意味も込めて人質司法ということを考えたいというふうに思っております。
我々とすれば、検察庁が幾ら身柄を取ろうとしても、あるいは身柄を取ったとしても、最後は裁判所が救ってくれる、最後は裁判官がいるんだと、こういうふうな刑事司法であってもらいたいのですが、現実は、裁判所は検察庁を追随して、検察庁の後ろ盾になっている。これが現実であって、最後は裁判所が守ってくれるというふうに言えないところが非常に残念であるというふうに思っています。
それをもって、私の質問時間が来ましたので、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。