曽徳深の発言 (法務委員会)
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○参考人(曽徳深君) 御存じのとおり、横浜は、一八五八年か九年、開港しています。そのときに外国から商人が日本に来ました。そのとき、外国ばかりではなくて、近県、千葉あるいは静岡辺りからも日本の方がたくさん集まってきています。だけど、外国人が日本に来るということは初めてのことなので、居留地として、いわゆる中に制限、居住を制限することをやって、じわじわといわゆる外国となじむことをやっているわけですね。それを四十年掛けて、やっと一八九八年か九年に内地雑居令というのができて、そのときに、外国人は内地に入っていいよ、日本人はいいよということで。
だから、横浜自身のいわゆる土着の人は何かといったら実はいなくて、全部よそ者が集まっている。いろんな文化の背景を持った生活習慣の違う人たちが集まってきて、そこでだんだんと、いわゆるお互いにコミュニケーションをして、経済活動に従事してコミュニティーをつくったわけですよね。
居留地は、その後、ほかの西洋の人たちがみんな出ていって、中国人が主に残って今の中華街になったんですけど、あの街は別に中国人がつくった街ではなくて、あそこに一緒にいた日本の人たちとつくった街であって、普通、外国人が外で何かエスニシティーの社会をつくるときには、大体ゲットーみたいな形になっちゃうんですよ。ところが、まさにそうではなくして、全く新しい価値のある街としてできたということは、やはり外国人と日本人がお互いに隣近所になって支え合いながら新しいものをつくり出している。
だから、これからどんどん外国人が入ってきて日本の社会のあちこちに根を下ろしたときに、実は新しい種がまかれて、日本もまた新しい発展のものができるんじゃないかなと私は思っています。だから、私は、中華街は自分に非常に誇りに思っています。