松井芳郎の発言 (外交・安全保障に関する調査会)
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○参考人(松井芳郎君) 松井でございます。
レジュメをお配りしてあると思いますのでそれに沿ってお話ししますが、どうも今のお二人のお話が大変生々しい現場のお話で、レジュメもカラー写真の入った分かりやすいレジュメだったんですが、私のものは無味乾燥でありまして、申し訳ございません。
依頼をいただきましたときにいただいたテーマ、これはこの調査会の議論を、多分、事務局の方でまとめられたテーマだと思いますが、人道危機における国際法の意義や役割、そして国際人道法の必要性や履行確保等に関わる課題を話をしろという御要望でありました。このテーマに即して、国際法における武力がどのように規制されてきたかということを中心に話をさせていただきます。
武力の規制というのは、国際法は長年にわたって二つの局面で行ってまいりました。一つは、レジュメの一のところにまとめておりますが、戦争に訴えること、どういうときに戦争に訴えていいのか悪いのかという、学者が使う、ラテン語だとユス・アド・ベルムの規制があります。それからもう一つは、一旦起こってしまった戦争ないし武力行使をどのように行うべきなのかという規制、ユス・イン・ベロと申しますが、そういう言わば戦い方の規制であります。この二面に即してお話をまとめてあります。
歴史的な発展を軸にお話をいたしますが、ここで伝統的国際法と現代国際法という言葉をしばしば使いますので、冒頭に一言定義を申し上げておきたいと思いますが、伝統的国際法というのはおおむね第一次世界大戦頃までの国際社会を規律した国際法でありまして、これが両大戦間に変化を始めて、第二次大戦後、次第に現代国際法の姿が明らかになるという流れになっております。
そこで、こういう二つの段階で武力の規制がどのように進んできたかという形でお話しすることになると思いますが、人道法のお話については、今お二人のお話の中で現場を踏まえた非常に詳細なお話がございまして、私が用意した中で言わずもがなのことも入っておりますので、皆さんがお二人の話を聞いて理解されていると思われる部分はレジュメにある部分でも省略をしたいと思います。
さて、その伝統的国際法の時期でありますが、戦争に訴えることの規制、ユス・アド・ベルムは実は規制がございませんでした。国は、何を理由にして戦争を始めるかという戦争原因の自由と、それから、そのような理由が存在することを認めて戦争を行うことを決定する戦争決定の自由、両方を持っていたというわけであります。もちろん、この時期にも一定の正しい理由がある戦争だけを認めるのだという正戦論があることはありましたけれども、これは現実の国際法とはならず、学説上あるいは宗教上の議論にとどまったと言わなければならないだろうと思っております。
これに対して、戦争の行い方の規制は、先ほど赤十字の歴史の話もありましたが、それとともに長い歴史がありまして、いわゆる戦時国際法ないしは戦争法が規制をしてまいりました。
しかし、これには非常に不十分な点が多々ありまして、最も重要な限界として、戦争法が適用されるのは当時の国際法主体と認められていた文明国の間の戦争だけであるという限界がありました。したがって、非文明国との戦争や植民地戦争には適用できない、それから内戦にも不適用であるというふうにされておりました。それから、当時の戦争というのは、国際法上の用語としては、武力紛争一般を指すのではなくて、国が戦争の意思、戦意を表明することによって生じる状態と理解されておりましたので、戦意の表明がない事実上の戦争にも戦争法は適用されませんでした。
適用の限界がそのように非常に多かったわけですが、もう一つ、内容上の限界としては、戦争法の主要な保護法益は、交戦者の平等を確保する、言わば決闘のルールのようなものでありまして、人道的考慮がなかったわけではないと思いますけれども、これは副次的なものにとどまりました。そういう限界があったということでございます。
このような伝統的国際法は、レジュメでいいますと二の場所でありますが、両大戦間に構造転換の時期を迎えます。これについては二点だけ簡単に申し上げます。
一つは、構造転換をもたらしてきたのが国際社会のどのような勢力かということであります。一番国際法の教科書にもよく出てくるのは、ラテンアメリカ諸国のイニシアチブで幾つかの武力の制限に関する条約が結ばれておりますが、そういうふうに、伝統的国際法で武力が使い放題ということで抑圧されてきた中小国が一つのイニシアチブを取っております。それから、先進国では様々な平和運動、社会運動がやはり伝統的国際法の在り方に対する批判を展開いたしました。そして、第二次世界大戦後になりますと、非同盟諸国が非常に強い主張をしてきたということは御存じだろうと思いますし、一定時期には旧社会主義国も一定の役割を果たしたことは否定できません。
そして、その現代国際法の主要な軸というのはどういうものかといいますと、一つは、今日の話の中心である武力行使禁止原則であります。それからもう一点は、今日は詳しいお話はできませんけれども、人民の自決権、そして人々の人権が国際法上確立してきたということも大きな現代国際法の要素になっております。
それでは、話を武力行使禁止原則に戻しまして、レジュメの三の部分でありますが、武力行使禁止原則は国連憲章で確立したというふうに言われております。戦争を違法化しよう、国際法上違法化しようという動きは主に国際連盟規約に始まりまして、よく知られているところでは一九二八年の不戦条約、そして、それを経て、第二次大戦後の国連憲章で武力による威嚇又は武力の行使を禁止いたしました。先ほど問題になった戦争という言葉の使用は意識的に避けているわけであります。この原則は国連憲章の原則でありますけれども、それにとどまることなく、一般国際法、慣習国際法上の原則となり、したがって、全ての国を拘束するんだということについては実務家も学者も一切疑っていないというふうに思います。
それから、もう一点気を付けておきたいのは、武力行使禁止原則は、それ自体で重要であるだけではなくて、国際法の多くの分野に影響を与えているということであります。例えば、武力行使とその威嚇によって生じた領域取得を合法的なもの、合法なものとして認めてはいけないという考え方が確立してまいりました。それから、武力行使とその威嚇によって強制された条約は無効であるという考え方も現代国際法では確立しております。さらに、最近話題になることが増えましたけれども、侵略行為を主導した個人は刑事責任を負うという国際刑事法の原則も、その基礎には武力行使禁止原則がございます。というふうな大きな影響を国際法の各分野に与えているということですね。この点は留意したいと思います。
ただ、この武力行使禁止原則は、言うまでもなく大変大きな限界を持っておりまして、何よりもその実効性をどのように担保するかということであります。
国連憲章は集団安全保障という制度を設けまして、相対立する諸国も一緒に協力して平和の維持と回復を行うんだという、言わば内部向け、対内的指向性という言い方をよくすることがありますが、そういう仕組みをつくりました。この仕組みは、対外的指向性、つまり外部に仮想敵国を想定して同盟政策でもって平和を維持しようという伝統的な考え方に比べて、理念的には進歩したものであると言ってよろしいかと思います。ただし、集団安全保障の場合は、戦争によって平和を実現するという矛盾を内包していることも否定できないわけでありまして、しかも、まあ当然のことと言えますが、大国や強国に対しては事実上発動することができないという限界を持っております。これを言わば制度化したのが安保理事会の拒否権というふうに言うことができるかもしれません。
それから、武力行使禁止原則には例外がございまして、国連憲章に基づく国連の措置と自衛権がこの例外に当たりますが、憲章の措置は括弧に置きまして、自衛権発動は何よりも発動する国が決めるわけでありますが、その決める国のやり方は安保理事会の監督の下にある建前になっております。しかし、拒否権を有する常任理事国とかその支持を得た国にとっては、安保理事会ではこれは制約にならないということは言うまでもありません。
それから、国連憲章、これも御存じのことでありますが、集団的自衛権という従来知られていなかった新しい考え方を導入いたしまして、その分だけ自衛権の範囲を言わば拡大したということにも留意する必要があります。
それから、もう一つ重要な限界として、これはお二人のお話にも大変繰り返して登場をいたしましたが、冷戦終結後の武力紛争の大部分は国内紛争、非国際的武力紛争であります。これに対して、国連憲章は国家間の武力紛争を想定して作られております。もちろん、非国家行為体による武力にも対応できないわけではありませんが、国連がこれに対応するについては様々な限界がありまして、御存じのように十分な対応ができていないというのが現実のことでございます。
それでは、そういう武力行使禁止原則の発展と並んで、戦争法から国際人道法への発展ということがあるというのを読んでお話しいたしますが、国際人道法については、お二人で大変詳細なお話がありまして、また赤十字の簡単なパンフレットも配っていただいていますので、これは基本的には省略をしたいと思います。
要するに、戦争法ではいろいろ適用に限界があったけれども、国際人道法の場合は、少なくとも国際的武力紛争については全面的に適用されるというようになりましたし、非国際的武力紛争、内戦でも一定の人道法規則が適用されるようになっております。
それからもう一点、これも先ほどからお話にもあった公平の原則と関わりがありますけれども、戦争法が平等適用であったというのは当然のことで、つまり、交戦者の平等の確保が保護法益だったから平等適用だったわけですね。ところが、武力行使禁止原則が確立しますと、武力紛争が起きた場合は侵略者とその犠牲者がある、両方に人道法を平等に適用するというのはおかしいんじゃないのという説が出てまいります。しかし、あくまでこれは実定法では平等適用が確立しているわけですね。それの主な理由は、保護法益の性格によるんだろうと思っております。
つまり、伝統的な戦争法は交戦者の権利を保護することが保護法益だったのに対して、人道法はそうではなくて、武力紛争に関わる個人の人権や人道的待遇を確保するということが保護法益になっておりますので、したがって、侵略者にもその犠牲者にも平等に適用されるという結果になるわけであります。
それからもう一点、先ほどのお話を伺っていても必要な追加と思いますが、ちょっとレジュメに書いていないことですけれども、一点追加をしたいと思うんですが、国連による措置とか自衛権の行使というのは武力行使禁止原則上は適法な行為になりますが、それにもかかわらず、そういった適法な行為にも国際人道法の適用があると。つまり、国際人道法に従って敵対行為を実施しなければならないということを是非確認する必要があると思います。
ウクライナは、もうこれは国連でも何度も確認されたように、ロシアの侵略に対して自衛の戦争を行っておりまして、この戦争といいますか、自衛の武力自体は適法だと思うんですけれども、数日前の報道でも、その非人道性のために広く非難されておりまして違法の疑いが強いクラスター弾を使用しているという報道がございます。
それから、イスラエルのガザ北部攻撃も、御存じのようにハマスによる攻撃に対する自衛権の行使というふうに主張しておりまして、この自衛権の行使という主張についてもいろいろ問題があると思いますけれども、この主張自体は認めるとしても、文民や民用物、まして病院等に対する広範な無差別攻撃は大方からジェノサイドであると批判されておりまして、人道上、合法と見る余地は全くございませんということを、ちょっとレジュメにないわけですが、追加させていただきたいと思います。
それで、人道法による規制内容の拡充ということでは二点挙げましたが、これは既にお話がありましたので省略をしたいと思います。
そこで、人道法の課題、五のところに飛びますが、一つは、内容上も一層の拡充が必要であることは言うまでもありません。上、レジュメに書きました二つの基本原則、区別原則と不必要な苦痛を与えたらいけないという原則ですが、この二つの基本原則は言うまでもなく全ての兵器、全ての戦闘方法に適用されます。しかし、一般原則による禁止については解釈の対立があり得るわけでして、それを特定的に禁止する条約を作っていくということが望ましいことは言うまでもありません。クラスター弾条約とか対人禁止条約が、対人地雷禁止条約がその例であります。
核兵器の使用についても、区別原則からしても、不必要な苦痛を与える兵器の禁止の原則からしても、一般原則上は禁止されているというふうに理解されますけれども、核兵器国とその同盟国はこうした理解を共有しておりません。御存じのように、核兵器禁止条約がございませんけれども、こういった諸国はこの条約にも入っていないということで、こういった国に働きかけて核兵器禁止条約に加盟させ、核兵器の禁止を国際法上確立することに努める必要があるというふうに考えております。
最も重要なのは履行確保ですね。かつての戦争法の主要な履行確保は戦時復仇でありました。つまり、やられたらやり返す、やり返されるのが嫌だったらやるなという考えですが、これは言うまでもなく濫用の危険が非常に大きいし、実際に濫用されてまいりましたので、人道法では、戦時復仇は廃止はされませんでしたけれども、厳しく制限されております。これについては、先ほどお話のあった赤十字国際委員会、それから事実調査の制度等ができておりますけれども、まだまだ不十分だということであります。
それで、時間がなくなりましたので、結びのところは一言ずつ、特に日本の課題に触れる部分だけを申し上げようかと思います。
要するに、国際法はいろいろな意味で大きな発展を遂げてきたけれども、特に履行確保、違反に対する対処が極めて脆弱だということを押さえなければいけないということであります。
したがって、紛争が始まって以降は打つ手が大変少ないわけでありますから、紛争の発生自体を予防する、あるいは発生した紛争が武力紛争に至らないように鎮める、そういう予防外交が重要になります。また、一旦発生した武力紛争については、とりわけその犠牲になる一般市民への人道的支援が重要となってまいります。
このような紛争予防、それから人道的危機への対処、いずれも平和的生存権を憲法に掲げる日本は重要な役割を果たすことができるというふうに思われます。日本は西側諸国の一員ではありますけれども、現在紛争が多発している地域とはそれほど大きな地政学的利害を持ってはおりませんので、紛争の予防や解決に大きく貢献できますし、また、人道的危機への対処についてもこれまでも様々な経験を積んできておりますので、今後とも、これもお二人の報告にありましたように、役割を果たすことができるだろうというふうに思っております。
で、そういう活動を国際社会でやるのは言うまでもなく……