田口太郎の発言 (国民生活・経済及び地方に関する調査会)
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○参考人(田口太郎君) ただいま御紹介いただきました徳島大学の田口と申します。
地域づくり、住民協働という立場でお話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
まず、自己紹介ですけれども、私は、バックグラウンドとしては建築の都市計画の出身で、ただ、ハードではなくて、ハード、ソフト両面から市民を中心とした町づくりの研究みたいなことをしたいと思っております。今日は徳島から参っておりますけれども、徳島の小さな、実は私、八年前に小さな農村に移住をしまして、今、平山先生からあったとおり、若い人ではなかったかもしれないんですが、築九十年の古民家をリノベーションして今生活をしていると。十一世帯の集落で、私より若い人はうちの家族だけというところで生活をしております。
この生活をしてみてすごく気付いたことは、それまでは、都市部からフィールドワークとして地域に入っていっていろんな研究をしてきてそれを発表してきたんですけれども、やっぱり外から入るとどうしてもキーパーソンにしか出会えないという問題が実はあって、実際に生活をしてみると、キーパーソンが語る地域づくりの現状と実際の生活者の普通の人の地域の状況というのに大分乖離があるなという印象も実はありまして、やっぱりその辺りをもうちょっと丁寧に見ていかなくてはいけないんじゃないかという問題意識の下に、結構そのコミュニティーの意識みたいなことをすごく大事に、あるいは、いろんな国の動きがありますけれども、居住者側の視点でどう見えているかということをすごく大事に私はふだんの研究をやっております。
まず、今回私にお声掛けいただいたことの一つにコミュニティーの変遷について話をしてほしいということだったんですが、よくコミュニティーというと、地縁型コミュニティー、あるいはテーマ型コミュニティー、あるいは血縁型コミュニティーということを言っているんですが、実は、かつてはその地縁型コミュニティーというものが地域の中核にあって、全員参加で活動し、その利益を全員で受容するということが一般的だったのが、最近は結構、町内会に加入するのかしないのか問題というのがあるように、町内会でも価値観の多様化が、多様化しているので、地域活動を何でしなきゃいけないんだということを声高に叫ぶような人たちが出てきていると。
そうすると、その人たちは、実はその地域活動をしてくれている人のおかげで治安が守られていたり衛生面が守られたりいろんな利益があるんですけれども、その利益を享受はしている、だからこれはフリーライドだというような批判が起こってきてしまっているというのが、町内会どうするんだ議論ではよくあるんですけれども。
ただ一方で、これを無理やり地縁コミュニティーに組み込んでいくというのは余り現実的ではないですし、じゃ、そこで頑張っている方々って、そんなにフリーライドの人たちに対して目くじら立てて怒っているかというとそうではなくて、結構自己実現みたいなところで冷静に判断しているなという気がしておりますし、あるいは、最近NPO等いろんな担い手が出てきておりまして、彼らは、自分が住んでいない地域の公共的な利益に対してもいろんな活動をしていると。
ですから、今まで、住んでいる人たちが、受益者が負担をするべきであり、負担者が受益をするべきであるという議論だったんですが、それが必ずしも行って来いの関係にはなっていないという現状があるのかなというふうに理解をしています。
ですので、これは、都市部ではこういうことが多くて、じゃ、農村部はいまだに地縁型だということ多いんですけれども、私、実際農村で暮らしていても、農村でもこれかなり広がっているという印象です。特に三十代、四十代ぐらいの若手世帯だと、例えばお祭りには参加しないとか、あるいは、私住んでいる自治体は常備消防がないので消防団の活動がすごく大事なんですけれども、消防団活動出てこないとかですね、やっぱりそういうようなことが多々起こっております。
こうなってくると、やっぱり、だからといって、彼らを強制的に参加させるというわけにはいかないので、このコミュニティーがどんどん変わってきて、今地縁コミュニティーを支えているという人たちは、地縁コミュニティーを大事にしたいというテーマコミュニティーになっているというのが現実的なところかなというふうに私としては理解しております。ですので、この辺りを今後どう考えるかですね。
じゃ、テーマコミュニティーは良くないのかというとそうではなくて、個人個人の単位でいうと、なかなか、いろんな趣味とか考え方が多様化しているときに、やっぱりどうしても地域にいると自分と同じような考え方を持った人が少ない中で、テーマコミュニティーとかSNSが広がったことによってそういう人たちにとっても居場所がどんどんでき上がってきたという面でいうと、すごく意味があったのかなというふうには思っています。
ただ、何でこれを申し上げたいかというと、先ほどの平山先生の議論にもあったとおり、基本的に、今、日本の地方の政策というのは、いかに人口を確保するかということに物すごく比重が置かれていて、人口減少が地域課題の一丁目一番地だとなっていると。人口を増やせば何でも解決するんだという雰囲気があるんですけれども、実際住んでいる人の中身というのはこれぐらい変化しているにもかかわらず、これも恐らく、人口が増えればいいというのは全員参加型コミュニティーというのが前提に立ってしまっていて、これをもう一度考え直さなくてはいけないんじゃないかということが私の基本的な考え方です。
これは、まち・ひと・しごと創生本部の会議に出ていたときにすごく感じたことなんですけれども、施策と人口の関係ということが全く整理されていないという現状があるからだと思っています。例えば、経済産業施策なんかで人口を捉えるときというのは、商圏人口であったり労働力人口であったり、そういうようなことが中心になっています。ただ、商圏人口ということをよく言うんですけれども、今我々のライフスタイルというのはどんどんインターネットにシフトしていっているということもあって、特に物販に関しては商圏人口という概念自体が今後成立し得なくなってくるんじゃないかという話もあります。
あるいは、労働力人口に関しては、これも先ほどの両先生からも話があったとおり、移住者と地域の仕事というのがマッチしないとか、あるいは、よく若年女性の流出が問題だという話になるんですけれども、これ、他方、言い方を考えると、若年女性のキャリアが相当上がってきていると、だからいいことなんではないかというふうに考えられるんですよ。ちょうど高度経済成長のときというのは、若年男性のキャリアがすごく上がって大学進学率が上がるわけですね。その結果、都市部に出ていって、いわゆるホワイトカラーというような職種に就いていっていたと。今地方にあるのが、どうしてもやっぱりそういった職種が少ないということもあるので、なかなかそこに人手が足りないという話になってくると。そこは、先ほどの石田先生の話にもあったとおり、外国人労働力がかなりそこを支えているという印象がございます。
それに対して、じゃ、地域振興という立場で見たときに、やっぱり担い手をどう確保するか。だから、単純に人が住んでいれば担い手になるかというと、やっぱりそこの人の価値観であったり、あるいは地域の人たちとの信頼関係であったり、そういったこともあるにもかかわらず、やっぱりここに対して十分な考え方というのができていない。
ですから、とにかく、例えば、今移住という政策が各地で進められていますけれども、結局、人をたくさん集めるということに注力されているわけですね。ただ、その人がどういうタイプの人なのかによって、地域にとって、どういう地域になっていくかって大分変わってきてしまうんですね。この辺りの議論が明らかに欠落してしまっているというのが今地方の移住に関してはちょっと問題があるかなというふうに思っていますし、就農という話もあったんですが、これも、やっぱり地域で長らく農業をやられてきた方の農業のやり方と移住者が好む農業のやり方がちょっと違うということもあって、その辺りの関係性というのがなかなか崩れているということもあります。
他方、自治体の皆さんと話していると、やはり地方交付税の算出根拠であったり、最近だと森林環境税の算出根拠としての人口というのがすごく効いてくるという話があって、そのために人口が必要だという意見があるんですが、これは、私としては、研究のためというか、これはもう単純に税の再分配の問題であったりするので、余りここは論じないというスタンスでふだんは考えております。
じゃ、地域の人たちがどうして衰退感を抱えているかということを簡単に申し上げると、これはよく私が出している図なんですけれども、一番下の曲線というのは人口です。で、人口が、真ん中にある曲線ですね、人口というのは二次曲線的に減っていくんですが、昔は人の数が担い手の数だったんですけれども、今は、価値観が多様化することによって、人口より実際の担い手の数は少ないという状況に陥っていると。ただ、じゃ、人口が減ると同時に、地域の維持に必要な労力ですね、そういったものが減っているかどうかというと、同じようには減ってくれない。
かつては、これは多かったというふうに思っています。例えば、田舎に行くと、お祭りの山車の上で太鼓をたたけるのは長男だけだったとか、抽せんで選ばれた子だけだったとか、あるいは、いまだに、集落の出事みたいなこと、集落作業というと一世帯一人出てくればいいという話が一般的なんですけれども、恐らくこれも、人が割と多かった時代に分かりやすいフィルタリングの方法であったというふうに解釈できるかなと思っています。ところが、今は、この地域の維持に必要な労力を実際の担い手の数が下回ってしまっていると。
じゃ、どうして地域は存在し得ているかというと、今、この少ない人たちが過剰に頑張っているという現実があるからだというふうに思っています。例えば、自治会の役員の任期みたいなものがすごく延びているとか、もっと、大きな消防団とか、今の多分、若手の消防団は、恐らく退団するめどが立っていないというのが現状だと思います。ほとんどアリ地獄状態になってしまっているので、この辺りがすごく衰退感につながっている。こういう状況を見ていると、若い人たちがますます担い手から距離を置くということも起こってしまうので、この辺りをどう解消するかということがすごく大事なポイントかなというふうに思っております。
今、自治体がいろんな施策打っている現実があるんですけれども、これ、地方創生とかで言われている施策というのが、生活者のレベルでいうと、ほとんど今、無関心化しているという状態が起こっています。これ単純に言うと、いろんな町づくりの取組あるんですが、これ、心理学のマズローの欲求段階と地域の行動動機みたいなものを比較して考えると、上の方が価値創造型の取組です、新しいことを、事おこしをしていこうというもの。下の方は、どっちかというと、今困っていることを穴埋めしていこうということが多いんですけれども、何となく、自治体の施策で多いのは、上の取組が圧倒的に多いんです。例えば、新しい移住者と一緒にカフェをやろうとか、六次産業化を進めていこうとか。
何でこれに対して地域の人たちが無関心になってくるかというと、地域の人たちが困っているのはもっと下の部分なんですね。例えば、移動の問題どうするんだとか、買物の問題ってどうするんだ。この辺りにほとんど手だてが行われずに、上の方の取組ばかりに今、残念ながら地方創生のお金の大半がそっちに流れてしまっていると。これは、政策の問題と同時に、マスコミがそっちばっかり報道するという問題も当然あるんですけれども、ただ、これが、地域の人たちの自分たちの生活が良くなる実感と地方創生で行われているいろんな施策のずれみたいなものがあって無関心化を呼んでいるなという印象がすごくあります。
では、地域をどうしていかなくちゃいけないかというときに、私、最近、自治の空白という言葉を多用するようにしているんですけれども、基本的には地域づくりというのは自治の再生だと思っています。自治というのは自分たちで自分たちの地域をどう運営していくかという力ですね。かつては行政による団体自治と住民による住民活動というのが両方力を持っていたので、ある程度オーバーラップをして、どっちがやるんだという、両方やっていればいいという話はあったんですけれども、自治体は今どんどん財政が苦しくなってきて縮小していると。住民は少子高齢化で縮小していると。で、今ここの間に隙間が生まれてしまっているというのを私は自治の空白と呼んでいます。
例えば、かつては潤沢に行われていたような公共サービスが少しずつ減っているとか、あるいは道路の草刈りが年三回やっていたものが一回になってしまったとか。こういったようなことによって景観が少しずつ悪化していて今の現在があると。ただ、この隙間というのは今後増えるしかないというのが現状としてあって、住民の皆さんは、この隙間の感覚ですね、この喪失感みたいなものを強く感じていらっしゃると。この隙間が埋まらない限りは地域は良くならないわけで、いろんな施策は、じゃ、この隙間をどう埋めるということに役立っているかどうかというところがどうしても抜け落ちてしまっているという現状があるかなというふうに思っています。
具体的には何なのかというと、そもそもこの全体のパイみたいなものが本当にこれだけ必要かどうか、人口が減っていく中でこれだけのことを今やり続けなきゃいけないのかということも一方で議論する必要があります。例えば、今農村に行くと非常に、これは田畑の区分所有が行われているということも一因ですけれども、非常に非効率で耕作放棄が起こっていると。ですので、ここをある程度集約化させて効率よく自然に返していくというような議論も当然必要ですし、今まであちこちでやってきた祭り事ですよね、地域のいろんな行事みたいなものを少し棚卸ししていくということも一方で必要かなというふうに考えております。
じゃ、それだけで埋まるかというと、埋まらない。じゃ、そこはどうするかというと、ICTの活用というのも一つあるのかなと。例えば、高齢者の見守りみたいなものを、かつては集落で、黄色い旗運動といって朝起きたら黄色い旗を掲げましょうみたいなことをやってきましたし、それがちょっと、デジタル化をしようというと、ポットのスイッチが押されたかどうかということを考えようという話がコロナ前はあったんですけれども、いまいち地域に普及していかないというのは、恐らく顔が見えないからということが大きかったと思います。
ところが、コロナによって、結構、地域のおばあさん方にもLINEが普及したという現実があるかなと思っています。こうやって、言ってしまうと、こういったテレビ会議システムみたいなものが末端の居住者にまで普及していくとなってくると、この見守り機能みたいなものはこういったものを利用していくということも一つあり得るのかなと。高齢者では無理ですよという議論をよく聞くんですけれども、いやいや、でもコンピューターよりタブレットの方がはるかに扱いはしやすくなっているので、こういったことを模索するということも一方で大事なことかなというふうに考えております。
先ほどから話題になっている移住者であったり関係人口という話も、これも今の関係人口の議論ということをすごく僕が懸念していることは何かというと、ほとんど都市側の議論として行われていることです。都市側の人たちが自分たちのQOLを高めるために農村とも関わりたいであったり、あるいは農村に観光に行くだけでは物足りないから地域の人たちと交流したいと。ただ、それによって交流させられる側の地域の論理というのはほとんど考えられていないわけですね。
一方で、じゃ、地域は人手がないかというと、人が足りないわけで、だったら、自分たちにとってどういう人たちとつながっていくかということを考えた上で、そこにフィットするような人たちとのコミュニケーションを取っていくということが必要かなというふうに考えています。
幸いに、これ、DIDから農村、農業集落への距離というのを農林業センサスで調べてみると、今九割ぐらいの自治体が一時間以内でDIDに到達できるんですね。だから、例えば、私が今十一世帯の集落で生活をしていますが、高齢化率でいうと七〇%ぐらいですけれども、そこから私、今職場までの通勤時間三十分です。
こういった暮らしが幾らでもできちゃうのが地方の一つのメリットでして、にもかかわらず、自治体という枠をはめた瞬間、人口減少だと、仕事がないという話になるんですけれども、もっとネットワーク型のライフスタイルというか、移動するライフスタイルということを前提に捉えていいんじゃないかということの問題提起も申し上げておきたいと。
そこで、じゃ、地域の人たちとの新しい担い手として関係人口ということが盛んに言われるんですけれども、関係人口というのも、今までは、都市側の論理じゃなくて地方側の論理でいうと、例えばそこから出ていった子供たちとか、あるいはそこに住んでみたけれども移住し切れずに出ざるを得なかったような人たちというのはある程度信頼関係ができていますので、そういう人たちと継続的に付き合っていく。
例えば、先ほども話に出た地域おこし協力隊という人たちが地域へいっぱい入っていますけれども、あれも今、定住率というものがすごく評価軸になっています。ただ、定住しなくたって、東京にいて地域の宣伝をいっぱいしてくれる人はいっぱいいますし、だから、何か地域に定住しなければ失敗かというと、そんなわけではないんですよね。むしろ地域から出ていった転出者の人たちの方が地域との関係づくりは非常に上手だったりしますので、こういった人たちにもっと注目するべきですし、いかに出ていった人たちはその関係人口の枠内にとどまってもらえるかどうかということが一つ地域が問われていることかなというふうに思っています。
こういうことを考えていくと、これは私がネットワーク型自治という言葉で呼んでいるものなんですけれども、今までその地域の住民だけでいろんなことをやっていこうというような考え方から、地域の外に出ていった人とか地域の外の信頼できるような人たちとどういうネットワークをつくっていくか。
これはよく関係人口論で言われるんですが、この関係人口の一つ大きなポイントというのは、誰でもいいというわけではなくて、ここに、実は関係人口の語源としては、かつて交流人口という言葉があり、もうちょっと根っこでいうと、一九八八年に磯村英一さんが信託市民という言い方をしているんですね。ここで信託という言葉がすごく大事だと思っていまして、この信じて託するというような関係性のネットワークというものを地域がどれだけ持てるかどうかということが今後問われているのではないかというふうに私は考えております。
こういうことをやりながら、ネットワーク自治というものをどう高めていくか、つくっていくかというのはこれから地域に課せられていること。だから、どうしても地方創生でジリツというと立つという字が使われているんですけれども、今、独立的な地域づくりというのは現実的ではなくて、地域の中がその周りの人たちをいかにコントロールしながら、だから律するという字を使うべきで、そちらのような地域づくりをどう進めていくかということが必要かなというふうに思っています。
その上で、じゃ、地域において何が必要なのか。ただ人を集めればいい、先ほど受援力というお話を石田先生してくださいましたけれども、地域の自治をするときに企画機能と実行機能という二つで自治力は規定できるかなというふうに考えていまして、実行機能というのは、今大学連携とか関係人口とかいろんな動きがあるので何とかなる気はするんですけれども、圧倒的に今落ちているものが企画機能です。自分たちの地域で今何が問題でどういうことを考えなきゃいけないのかというような企画機能がもう自治体のレベルからして非常に低下してしまっている。そこに、先ほど平山先生からあったように、頑張っている自治体にしかお金が行かないという状況があると、どんどんどんどんこの考える力格差みたいなものが地域の中で広がってしまっているという現実が非常にあるのかなというふうに思っています。
その上で申し上げたいことが、じゃ、実際地域に入ってみると、地域に入って新しい町づくりの例というとすごく美しいストーリーが語られるんですけれども、これはあくまで地域の中の上澄み的な前向きな人たちのストーリーであると。その裏側に九割五分ぐらいの無関心であったり普通の人たちの物語があるにもかかわらず、今いろんな施策というのは、このトップ層に対する支援施策に注力されているんです。
ただ、恐らく、地域を盛り上げていこうということを考えると、上を引き上げるというよりも下を押し上げるということの方が必要なんじゃないかということを是非申し上げておきたいと。この部分が、もっと言うと、上を引き上げるというのは、公共としては、支援するというよりも規制緩和をしてあげるといって露払いをしてあげた方がよかったかもしれない。にもかかわらず、下の方というのは今ほとんど手落ちになっていて目が向けられていないという現実があります。やっぱりそこのところを盛り上げていかないと、地域は最終的に上がっていけないんじゃないかというふうに私は考えております。
実際、昨年が、二〇二七年で、来年が、二〇二七年です、あっ、二〇二七年です。この年というのは、団塊世代が後期高齢者に入ってくるので、地域の、今まで集落は粘り強いと言われてきたんですけれども、この集落がいよいよ維持がかなり困難になってくると。ところが、ほとんど今までこの集落対策というのが、考える対策みたいなことが行われてこなかったので、気が付けばもう手遅れという集落がこれから続出してくるんですね。
これは非常に不幸なことだと思っておりまして、何をするべきかというと、やっぱり地域の状況に応じて今何をしなきゃいけないかということを自治体が集落単位で考えていくというようなことが必要ですし、少なくとも全ての集落に、自分たちの集落の今後のことを考えてその方向性を考える機会の提供というのが必要なんじゃないかということは最後に申し上げておきたいと思います。
例えばこれ、私が今一生懸命各地でやっていることなんですけれども、単純に集落の年齢構成の現在と十年後を比較してみるだけで、十年後の戦力がどれだけ低下するかということを簡単に視覚化することができます。これをやったところは結構問題意識を持って、自分たちの生活がどう変わるかということがイメージできますので、そこに対して対策が打てるんですけれども、こういう機会すらなく、気が付いたらもう全てじり貧になってしまっていたという地域がいっぱい出てきてしまっているという現状がありますので、是非、この辺りは施策として是非応援していただきたいなというふうに思っております。
最後ですけれども、今地域づくりというものがどうしても攻めのきらきらした施策に非常に偏っているところがあって、いま一度、福祉的な守りということを是非大事にしていただきたいと。
もう一つは、主体的に考える機会ということがすごく減っていて、今、国が一生懸命いろんな支援制度を用意してくれているがために、地方はそれに乗っかるばかりになってしまっているような傾向があって、自分たちにとって何が必要で何が不必要であるかということを考えるということを今ちょっと失いつつあるということが、これは、なかなか人材が不足していて、考えているだけの人的な余裕がないということも実際あるんですけれども、これも踏まえて是非考えていただけると、地域の主体的な戦略というのが作れていくんじゃないかなというふうに思っている次第です。
以上で私の発表を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。