松本侑三の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)
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○松本参考人 皆さん、こんにちは。私は千島歯舞諸島居住者連盟理事長の松本です。
私は、択捉島留別村天寧で天寧郵便局長の三男として生まれ、そこで幼少期を過ごしました。
本日は、当委員会の逢坂委員長、そして各委員の先生方の御高配を得ながら、こういうような説明できる場を設けていただきましたこと、もう感謝に堪えません。
また、常日頃より私たちの活動に御理解、御援助いただいております皆様方に、併せて、この場をおかりしてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
本来であると、皆さんにお配りした資料の順にお話を進めていかなければならないと思うんですが、その前に、私、島民として、私たちの気持ちをまず最初に伝えさせていただきたいと思います。
私の生まれた島、択捉島は、湖沼と湿原の島と言われ、自然が豊かで、そして極めて漁業資源を中心にした資源が豊富な島です。
先ほどと同じことを申し上げますが、間違いなく、世界の海洋生物の中で、千島列島はいわゆる海洋生物のサンクチュアリーと呼ばれております。原生態系といいまして、そのぐらい生態系が保たれて、あれだけ豊かな海が存在するところはほかに見られないのではないかと思っております。
私たちはそこであらゆるものを失ってしまいました。それは、不動産であり、動産であり、そして、そこで生活する権利すら、あるいはそこで生まれた歴史すら失ってしまいました。
言い方を変えます。当時のソ連軍によって不法に占拠され、そして、その施政下に置かれ、インフラが整備される段階ぐらいから私たち島民を全て追い出して、島の退去を命じておりました。
私たちが島で失ったものは余りにも大き過ぎます。私の考えもあるんですが、私たちの運動として、私たちが島で失ったものはどんなものだったのかな、どういう形で失ったのかということ、それを調べながら、そして、島をどういう形に私たちはしたいのか、そういう展望を持って私たちは運動に取り組んでおります。
実は、私たちの連盟につきましては、そこに資料がありますが、昭和三十三年、元島民とその後継者によって国内唯一の組織として結成されたものであります。その中で、先ほど申しましたが、昭和三十三年に社団法人としてこの組織が設立されたということです。そこに至るまでに紆余曲折があったことは事実です。その中で、私たちは、現在は、富山、関東、そして北海道、十五支部を設けながら、それぞれの活動を全体として私たちの運動として捉えながら運動を行っているところであります。
私たちの連盟は、活動内容としては、北方四島の返還要求運動というのが、もちろんそれが主眼ですが、その中で、元島民や後継者による語り部を使いながら啓発活動を進めるとか、パネル展をする、それからいろいろなイベントをしながら署名活動をする。この署名活動については、先月、百万部を持って衆議院の皆様方の前に、要請をいたしました。と同時に、そのときに、石破総理にも、要望として要望書に書かれているようなことが関連団体の方々から述べられて、要望されたところです。
私は常々思うんですが、私たちの活動というのは、やはり、島での記憶、これを様々な形で記録する、そして、その記録は、文章、写真だけじゃなくて、いろいろなものとしても存在するものがあるので、そのあらゆるものを使いながら記録されたものをまた周りにいる人たちに伝えていかなければならない。そういうことを前提にしてこの運動に取り組んでまいっております。
それでは、これより、皆さんにお配りした要望書の内容に沿って、端的にお話を進めてまいりたいと思います。
北方領土の早期一括返還につきましては、現在、日ロ間で非常に冷え切った状態になっていると思います。ましてや、ロシア側から、ウクライナ侵攻後、いわゆる平和条約交渉の中断という形で一方的に宣告され、そのまま動かない状態になっているのも事実であります。
そういう中で、私たちは、令和五年、二年前ですか、ちょうどこの委員会で、私、そこで同じような発言をした記憶があります。そういう形で、令和二年以降、本当に何の動きもない状態になっているというのは非常に残念に思っております。領土問題の解決の道筋がいまだに示されていないということについても無念さを感じている、そういうことであります。
ただ、私たちが皆さんとともに考えていかなければいけないと思うのは、これは北方領土だけの問題ではないんだ、これは国の領土の問題だ、主権の問題であるんだということを前提にして私たちの運動は進められております。
私たちがいろいろな形で世論を喚起することによって、いろいろな運動をすることによって、国民世論が四島の返還が必要だという高まりを見せる、それを背景にしながら、国に外交交渉を強力に進めていただけるようお願いするような形を取っております。
次に、北方墓参の早期再開についてのお話です。
皆さん、北方墓参というと、私たちが島に行く方法は三種類あるというのを御存じだと思います。まず北方墓参、それからビザなし交流、そして自由訪問の三つであります。
北方墓参につきましては、一九六四年、当時のソビエト政府と日本政府が、人道的見地という合意から実施されているもので、しばらく、それはビザなし交流、自由訪問が始まる前のときからつながっていた内容です。
現在、ロシア側は、ビザなし交流、自由訪問については合意の停止を一方的に発表しておりますが、北方墓参については触れられておりませんが、私たち、北方墓参というのは私たちの運動の原点だ、そういうふうに考えております。
ということは、一つは、私たちが、私たちの家族と一緒に、あるいは後継者と一緒にその地を訪れ、そこに眠っておられる祖先あるいは親類の方のお参りをできる、そのことによって私たちは領土への思いを更に強くすることができる、これが一つ目です。
二つ目としましては、私たちが行くことによって、私たちの島への思い、あるいは先祖に対する、お墓に対する思いをロシアの島民の方にそこで伝えることもできますし、また、その中でロシアの島民の方と交流を持つこともできるわけです。
もう一つは、三つ目は、こういう活動をすることがすごくマスコミ、報道の方に取り上げられて、全国に報道されるということで、いろいろな方に知っていただけるチャンスでもある。
そういう意味で、私たちは、北方墓参の早期再開ということを、今、私たちが一番可能性があってできそうなものだと思っているのは北方墓参の再開だ、そういうふうに思っております。まず、その辺からひとつ外交交渉を始めていただけるよう、政府には要望しております。
次に、後継者の育成支援活動につきましては、私たちの会の二世、三世、四世の割合が七五%。ということは私のような元島民の数は二五なんですが、実質はもっと少ないと思う、そのぐらいの形になっている。
とすると、この運動を更に継続するためには、後継者の皆さんにもっともっと頑張っていただけるような土壌をつくっていかなきゃならないし、そういう組織にしていかなければいけないと思っております。いろいろなところから助成金を得ながら、後継者活動委員会、後継者啓発委員会、スキルアップ研修会とか、いろいろな形で後継者を育てることも同時にやっております。
次に、北対協の融資についてですが、これにつきましては、すごく私は単純に考えております。ということは、まず、そもそもこの議員立法ができた時点での内容を考えたときに、島民と漁業者が対象であった。そして、昭和四十年ですか、議員立法を一部改正して、それを一人だけ継承できるという形になった。その条件が極めてきつい。だから、現在、後継者がこの制度を利用しているのは十数%という形になっております。そこで、後継者全体がこれを利用できるというような形に持っていっていただければと思っております。
戦後八十年が過ぎてしまいました。私たちが今一番恐れているのは、この問題解決が遅れることによって国民の関心が薄れていくこと、これを一番危惧しております。
そのために、様々な形で、総理にも三回、岸田総理にも二度、石破総理には一度ですが、お願いする中で、私たちは、やはり国民世論の一層の喚起ができるような啓発活動を進めていただきたい、そういう要望をしております。
それと同時に、次世代を担う子供たちへの学校教育の問題でもあるんですが、ちょっと余談になりますが、実は私も教員をやっていましたので、やはり、総合的な学習の時間というのが今ありまして、あれの時間をもっと増やしていただくとか、郷土に対する、そういう勉強の時間を増やしていただくというような形をもって、そういう形の中で北方領土のことを知って、理解してもらえる子供をたくさんつくる。
そういう生徒さんをたくさん育てていきたいと思いますし、また、学校の先生方にも、私も北教組の組合員でした、私も分かるんですけれども、教え方なんかについても、やはりいろいろな形で、教科書を教えるのではなくて教科書で教える、そういうような形で、皆さんが考えて、教職に立たれる方が立っていただけるような形、先ほど言いました、生徒さんにもそういう形で理解を深めていけるような形、そういうふうにしてもらえるようなことを望んでおります。
最後になりますけれども、戦後八十年が経過しました。元島民の平均年齢はもう九十歳を超えようとしております。私は若輩者です。まだもうちょっとだけ間があります。全国にこの運動を広げるために、皆さんの御尽力をいただきながら、関係団体の皆様と協力、連携しながら、外交交渉の後押しになるような活動をこれからも続けていきたい、そういうふうに思っております。
私は、自由に私たちの祖先が眠る地を訪れ、お参りをしたいんです。私は、自分の生まれた地を自由に踏んで、そこで過ごしたいんです。
以上です。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)