福田徹の発言 (憲法審査会)
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○福田(徹)委員 国民民主党、福田徹です。
私のホームページには、「誰かのための政治」というメッセージを書かせていただいています。私はこれまで、救急医として、毎日、自分ではない誰かのために働いてきたという自負があります。一方で、政治を見ていると、これは自分のためじゃないかとか、自分の周りの近い人のためじゃないかと思うことが度々ありました。私は、これからも自分ではない誰かのために働く人間でありたい、その決意を書かせていただいております。
そして、我が国の根幹である憲法は誰のためなのか。憲法前文の四つの段落のうち、三つが日本国民は、一つが我々はから始まります。憲法というのは、我々日本国民のためのものと言って間違いないはずです。
現在、内閣の助言と承認によって行われる衆議院解散という国事行為が、政府・与党にとって有利な時期に総選挙をするための手段になっていないか、その議論はあると思います。そして、日本国憲法の原則の一つである国民主権の実現にそれが資するものなのかどうか、それについて議論させていただきたいと思います。
法制局にお尋ねします。発言の後にお答えいただけるとうれしいです。
政府・与党にとって有利な時期に総選挙を行う手段として解散権が行使されること、これは日本国憲法起草時、想定されていたものでしょうか。そして、それは国民主権に資するものでしょうか。
もし、恣意的な解散権の行使が国民主権に資するものでないとすれば、それを防ぐ仕組みが必要です。その手段として司法が解散の憲法適合性を判断することが挙げられますが、最高裁判所は統治行為論を採用してその判断を回避しています。そのため、現時点では解散権の濫用を統制する仕組みはありません。
解散権行使に一定の制約を課すためには、二つの方法が挙げられます。一つは、解散権を行使できる場合を限定する実体的規制、もう一つが、解散に必要な手続で規制をかける手続的規制です。
実体的規制には三つの形が考えられます。一つ目は、憲法の中に解散が認められる要件を入れること。二つ目は、極めて限定的なものとなりますが、第六十九条に書かれている「衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」に限定するもの。三つ目は、第六十九条の内容に、国会自身が解散を決議した場合、いわゆる自律的解散を加えるものです。
自民党委員の方にお尋ねします。これも発言の後にお答えいただければ大丈夫です。
解散権を行使できない、若しくは抑制されているとしたら、議会運営上、何か問題があることがありますでしょうか。
他国の例として、先ほど山下委員からもお話がありましたとおり、イギリスは、元々首相の政治判断で解散できる裁量解散制であったところ、二〇一一年に固定任期議会法を制定し、任期満了又は内閣不信任など一定の要件がなければ解散できない仕組みに移行しました。しかし、二〇一七年と二〇一九年に少数与党政権が続けて誕生して、法案が成立せず解散もできないという、政治が閉塞する事態が生じてきました。その結果、二〇二二年に超党派で合意し同法を廃止し、再び裁量解散制へと回帰しています。
このイギリスの事例は極めて示唆的であり、確かに裁量解散制には解散権の濫用の課題がありますが、解散権を法律で厳格に制限すると政治的硬直を招くおそれもあることを示しています。
とすると、解散が認められる要件を厳しく限定するよりも、手続的規制で解散理由を明確にすることが有効ではないかと考えられます。特に、実体的規制で一つ目の形、憲法の中に解散が認められる要件を入れる場合、それが抽象的な要件を入れた場合、実際の運用が現在と変わらないおそれがあります。
そこで、手続的規制として、実際に解散を行う際に具体的な解散理由を明示し、これについて、国会においてその理由の妥当性について議論することが考えられます。それによって解散権行使の妥当性が国民の前に明らかになり、それをも踏まえて、国民は解散後の総選挙において意思を表明することが期待できる、これが国民主権だと思います。
憲法を国民のためにするために、衆議院解散が国民のためになるものとするために、皆様と最善の議論を尽くしたいと思います。
ありがとうございます。