赤嶺政賢の発言 (憲法審査会)
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○赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
今年は、戦後八十年の年です。
かつて日本は、朝鮮半島や台湾を植民地化し、中国大陸を始めアジア太平洋諸国を侵略しました。国内では、国家総動員の方針の下、戦争に反対する人々を弾圧して、国民経済や国家予算、学術研究など、ありとあらゆるものを戦争遂行のために動員しました。日本の植民地支配と侵略戦争で、アジア太平洋地域で二千万人以上、日本国民三百十万人が犠牲となりました。
この反省から、日本国憲法は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、九条で、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を定めました。戦争につながる一切のものを排除することを求めたのであります。
この憲法九条の精神は、凄惨な地上戦を経験した私たち沖縄県民の命どぅ宝の思いと重なるものです。
沖縄は、国体護持を至上命題とする大本営の下で、本土決戦を遅らせるための捨て石とされました。沖縄に配備された旧日本軍第三二軍は、軍、官、民、共生共死の一体化の方針を徹底し、住民を根こそぎ動員しました。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊など、中学生の年齢の少年少女たちまで動員し、男子学徒は戦闘の最前線へ、女子学徒は負傷兵の看護を担わされました。さらに、鉄の暴風と呼ばれた艦砲射撃の中で、ごうに避難している住民に軍の弾薬や食料の運搬を強制したのであります。
沖縄戦の縮図と言われている伊江島では、乳飲み子を背負った女性にまで米軍陣地に切り込むことを強制しました。石垣島や波照間島では、住民にマラリア生息地への移動を命じ、宮古島でも、餓死や病死で犠牲になる住民や兵士が相次ぎました。日本軍は方言を話す住民をスパイとみなし、多くの県民が虐殺されました。
第三二軍の牛島司令官は、首里城の地下に構築した司令部が陥落するのを目前にして、多くの住民が避難していた本島南部へ撤退しながら、持久戦を継続することを決めました。狭い地域に住民と兵士が混在する極限状態の下で、住民は、米軍の無差別攻撃だけでなく、日本軍からも弾雨の中でごうから追い出され、食料を奪われ、泣きやまない赤ちゃんに手をかけることを強要されました。軍に自決を強いられ、米軍に投降しようとした人は背後から切り殺されたのです。
軍隊は住民を守らない、これは、沖縄戦経験者の証言と幾多の研究によって裏づけられた、揺るがすことのできない歴史の教訓です。
ところが、今、この侵略と加害の歴史を否定する言動が相次いでいます。これは絶対に看過できない問題です。
自民党の西田昌司参議院議員は、沖縄のひめゆりの塔の説明を歴史の書換えなどと言い放ちました。沖縄戦経験の証言と沖縄戦研究の積み重ねを真っ向から否定するものです。さらに、中谷防衛大臣は、陸上自衛隊第一五旅団が多くの県民の批判にもかかわらずホームページに再掲載した牛島司令官の辞世の句を、平和を願う歌だと強弁しております。県民に投降することを許さず最後まで戦い続けるよう強制した句を美化し、沖縄戦の実相をねじ曲げるものであり、断じて認められません。
重大なことは、こうした歴史を修正する動きが、自民党政権が進めている大軍拡と一体で進められていることです。沖縄が戦場になることを前提に、南西諸島の重要軍事要塞化と住民疎開計画の具体化が進められています。沖縄戦の教訓を真っ向から踏みにじるものであり、断じて容認できません。
今必要なのは、戦争の心配のない東アジアをつくるための、憲法九条を生かした平和外交です。戦争ではなく平和の準備を進めることこそ日本政府の責任だということを強調して、発言を終わります。