齋藤裕喜の発言 (原子力問題調査特別委員会)
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○齋藤(裕)委員 立憲民主党の齋藤裕喜と申します。
私は、福島県浜通りの国会議員として、そして福島第一原子力発電所に日本で一番近い国会議員として、本日は様々な角度から質問をさせていただきたいと思います。
私たちは福島第一原子力発電所の事故を経験いたしました。昭和から百年、戦後八十年となりましたが、幾多の問題、課題を乗り越えて先人の方々が築いてこられたからこそ今があると思っております。事故の前には、普通の、私も含めてですけれども、電気があるのが当たり前、御飯を食べられるのも当たり前、その当たり前の日常がどれだけ大切なことかを、東日本大震災、原子力災害のときに、多くの貴い命が失われる中、私たちに教えてくださいました。
東日本大震災からは十五年目となり、風化、そして、福島では風評はいまだに残っています。福島には、美しい自然、地域があり、そこには人や親戚がいて、家族がありました。そして、伝統や文化、産業もありました。その全てが原子力災害によって失われることになってしまいました。
先日、福島県の要望活動に福島県知事の内堀知事も来られておりましたが、福島地域の方々から私がお預かりしている言葉は、たった一言です。どうか一日でも早く元に戻してほしい。皆さん、福島の人たちと話をするときは、目を見て話していただきたいと思います。そして、その目の更に奥深い悲しみを理解して、感じてほしいというふうに思います。
今や、原子力発電所が立地していない、被害がない地域の人たちは、私たちには同じようなことが起こらないと過小評価する楽観バイアスが働いているのかもしれません。人間はリスクを過小評価します。リスク評価を誤るおそれも十分考えられます。ですが、既に皆さん、今でも、この瞬間もリスクを負っていることを、いま一度心にとどめておいていただきたいと思います。
福島第一原子力発電所の過酷事故は、一旦発生すれば、被害の上限をいまだに確定することすらできていません。そして、最終処分場が決まっていない中で、これは本当に大変なことだと思っております。
核種の半減期については、千年を超えるもの、そして、万年を超えるものすらあります。そんな中で原子力政策が進められていること、今だけ、私たちのときにだけ、これで、これからの将来世代に先送りをしている、事故の経験が生かされることなく、地域や人々の、そして世代間の分断が、今後もこのままでは一向になくなることはありません。
それでは質問に移らせていただきます。
第六次エネルギー基本計画から第七次エネルギー基本計画の変更についてお尋ねをいたします。
第六次エネルギー基本計画には、原子力依存度は低減する、必要な規模を持続的に活用、新増設、リプレースはしない、原子力の運転期間は四十年、一回に限り二十年の延長を可能としていましたが、第七次エネルギー基本計画では、再エネと並び原子力も最大限活用、廃炉を決定した原子力発電所の敷地内で次世代革新炉の建て替えの具体化を進める。一定の停止期間に限り追加的な延長を認める理由として、これは実質六十年以上の運転を可能にするという政策転換を、変えた理由について、まずお答えください。よろしくお願いいたします。