寺原真希子の発言 (法務委員会)
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○寺原参考人 弁護士の寺原と申します。
本日は、発言の機会をありがとうございます。また、今回法案を提出くださった三党の皆様には、その御尽力に心から感謝申し上げます。
私からは、最高裁判決の位置づけ、婚姻の本質と戸籍の根幹、それから旧姓の法制化では解決しないことの三点について、いずれも感情論ではなく、法的な立場から整理して申し上げたいと思います。
まず第一に、夫婦同氏制度に係る最高裁判決の位置づけですが、お手元の資料一ページにて抜粋しておりますとおり、最高裁は、選択的夫婦別氏制度の合理性を否定したものではなく、むしろ、改姓によるアイデンティティーの喪失感、男女間の実質的不平等、事実婚を選択せざるを得ない人々の存在を認定した上で、事情の変化いかんによっては違憲となる可能性にまで言及しつつ、議論の高まりを国会が受け止めるべきであると述べています。
また、資料二から三ページにまとめましたように、第一次、第二次訴訟を通して合計十名の最高裁判事が現在の夫婦同氏制度は憲法に違反すると判断しており、憲法学界においても、違憲であるとの見解が圧倒的多数説となっています。
その理由は、一言で言えば、婚姻と氏という、いずれも人にとって重要な価値を有するものの二者択一を迫るということの不合理性にあり、憲法十三条が保障する氏名権、十四条一項が保障する平等権、二十四条一項が保障する婚姻の自由や夫婦間の平等、二十四条二項が保障する個人の尊厳や両性の本質的平等がその根拠として挙げられています。
すなわち、これは人権侵害をどう解消するかという問題であって、困っている人の数が多くないとか世論が分かれているといった観点で比較考量すべき問題ではないという点を最初に強調させていただきたいと思います。
同時に、二〇二一年の内閣府による調査結果から試算しますと、別氏での婚姻希望者は約九百三十四万人となりますので、実際には少数とは言えない人数に及んでいるということも申し添えます。
第二に、婚姻の本質と戸籍の根幹について法的に整理をさせていただきますと、まず、婚姻の本質は、資料四ページにありますとおり、最高裁判例によって、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあると解されています。
つまり、同氏は婚姻の本質ではありません。二〇一五年の最高裁判決においても、木内裁判官が、同氏でない婚姻をした夫婦は破綻しやすくなる、あるいは、夫婦間の子の生育がうまくいかなくなるという根拠はないと指摘しています。
同様に、夫婦、親子同氏が戸籍の根幹であるとの理解も不正確ないし誤りです。戸籍の本質、根幹は、法務省より繰り返し答弁がなされているとおり、親族的身分関係の登録、公証にあります。
そのためには同氏であることは必要不可欠ではなく、そうであるからこそ、法制審案は、同氏か別氏かにかかわらず、夫婦、親子を同じ戸籍に入れて家族として登録、公証することを優先、重視したものです。
そもそも、民法は、一九四七年の制定当初より、連れ子再婚、国際結婚など、親子別氏の家族を想定し、包含しています。親子別氏が子の福祉を害するのであれば、それを許さない制度となっているはずですが、そうはなっていません。
資料四ページに示しましたように、令和三年の最高裁決定において、宮崎、宇賀両裁判官も、子の氏とその両親の氏が同じである家族というのは、民法制度上、多様な形態を取ることが容認されている様々な家族の在り方の一つのプロトタイプ、法的強制力のないモデルにすぎない、そのプロトタイプたる家族形態において氏が家族の呼称としての意義を有するというだけで人格的利益の侵害を正当化することはできないと指摘しています。
第三に、旧姓の法制化につきましては、これまで世論調査において中身が明らかにされないまま賛否が問われてきた中で、今回、法案という形で内容を明らかにしてくださった日本維新の会の皆様には心から敬意を表します。
その上で、維新案は、ダブルネームではないとの御説明もなされているところですが、法案を拝見しますと、一人の人物に戸籍姓と旧姓という二つの法的な呼称を認めるというものですから、これはどう読んでも、法的にダブルネームを認めることにほかなりません。ですので、もし世論調査をするなら、一人の人物が二つの法的な氏名を持つことへの賛否を問う必要があると思います。
また、維新の先生の御説明では、私企業に対しては努力義務しか課せないものの、公的書類に旧姓のみが表示される中で、私企業があえて戸籍姓にこだわるとは考え難いということです。
しかし、私は、以前、職場における旧姓使用を求める裁判の代理人を務めたことがありまして、資料五ページに抜粋しましたように、その際、裁判所は、戸籍上の氏は戸籍制度という公証制度に支えられているものであり、より高い個人の識別特定機能を有しているとして、企業側が戸籍姓に固執したとしてもそれは違法ではないとの判決を下しました。たとえ旧姓に法的根拠が与えられたとしても、企業が戸籍姓を使用するというなら、これまでどおり、それに従わざるを得ないことは変わりません。
維新案は、戸籍姓の個人識別機能を無にしようとするものであり、その御説明とは裏腹に、戸籍制度を形骸化させるものです。これに対して、選択的夫婦別氏制度は、戸籍姓の識別機能を保ち、家族や親族を一体として表すという戸籍の本質、根幹に資するもので、改正すべき法律は四つしかなく、旧姓の法制化よりも法技術的にシンプルです。
選択的夫婦別氏を求める人々の願いは、現在もほとんどの男性がそうであるように、シンプルに一つの名前で生きていきたいというもので、生来の氏をわざわざ旧姓にして、それに法的根拠を与えてほしいと願っているわけではありません。旧姓の法制化では、本名である戸籍姓を主に女性が失ってしまうという氏名権の侵害や平等権の侵害という状況は変わりません。
二〇二一年の最高裁決定において、宮崎、宇賀両裁判官も、旧姓の通称使用は、実態としては婚姻した女性にダブルネームを認めるのと同じであるところ、ダブルネームである限り、人格的利益の喪失がなかったことになるわけではないと指摘しています。
最後に、現在行っている訴訟は、夫婦同氏に価値を見出す方々を否定するものでは決してありません。ただ、法律上はどちらが改姓してもよいのに、九五%の夫婦で女性が改姓しているという、結果として男女不平等な状況が長年続いているという実態には男女の社会的、経済的格差が作用していることは、資料五ページにありますように、最高裁判決においても指摘をされているところです。
そういった中で、十日の本委員会において、布柴教授が、自分の意思で選択するということが幸福につながるという趣旨のことをおっしゃっていました。
令和四年の最高裁決定においても、渡辺裁判官が、個人が婚姻相手の氏に変更するとしても、選択的夫婦別氏制により選択の機会が与えられた上で、個人がその意思で婚姻相手の氏への変更を選択したものであるか、夫婦同氏制により氏の変更が事実上余儀なくされた結果であるかには大きな違いがあり、その個人の意思決定がその後の生き方にも影響を与えることに鑑みると、このような選択の機会を与えることこそ、個人の尊厳の尊重であると考えると述べています。
同氏にするにしても、自らの意思として前向きに選択したんだと全ての人が思えるような制度、社会へと国会議員の先生方に導いていただけましたらと思います。
ありがとうございました。(拍手)