2025-04-15
衆議院
沢渡一登
東日本大震災復興・防災・災害対策に関する特別委員会
沢渡一登の発言 (東日本大震災復興・防災・災害対策に関する特別委員会)
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○沢渡参考人 皆様、おはようございます。
日本財団ボランティアセンターの常務理事をしております沢渡と申します。
本日は、このような発言の機会をいただき、誠にありがとうございます。
私は、二〇〇七年に発生した中越沖地震以来、ボランティアという観点から、様々な災害現場に携わってまいりました。特に東日本大震災では、発災直後から現場に入り、現地コーディネーターとして、千名を超える学生ボランティアの受入れやボランティア現場の調整を行ってまいりました。また、昨年、能登半島地震では、民間のボランティア団体として、延べで九百名を超えるボランティアと職員の派遣を行っております。このような経験を基に、本日は、ボランティア団体の事前登録制度について意見を述べさせていただきます。
まず最初に、ボランティア団体の事前登録制度が創設されることは大変喜ばしいことだと考えております。
最近でこそ、被災地の社会福祉協議会が立ち上げる災害ボランティアセンターには、過去に災害ボランティアセンターを運営した経験のある応援職員が迅速に派遣されますので、ボランティア団体との面識があり、連携がスムーズに進むことも多くなってまいりました。
しかし、これまでの被災地では、発災直後でただでさえ多忙を極めている自治体の災害対策本部や災害ボランティアセンターに、自分たちが何者であり、どのようなことができるのかという専門性を理解してもらうというのに時間と労力を要していました。
今回の事前登録制度が創設されることで、登録の有無や登録内容を確認することが可能になり、初動期における災害対策本部や災害ボランティアセンターとボランティア団体との連携が格段にスムーズになると期待しております。
また、初動期という観点では、大規模災害時には、高速道路や主要な一般道において緊急通行車両以外の車両の通行が禁止されますが、この事前登録制度が根拠となって、登録を受けたボランティア団体の車両も緊急対策に従事する車両として緊急交通路を通行するための確認標章を受けることができるようになることを強く望みます。
東日本大震災の際には、この緊急通行車両確認標章を得るために大変な苦労がありました。何か所も都内の警察署を回りましたが、確認標章を発行してくれることはありませんでした。最終的に、日本財団の所管官庁である国土交通省の協力により確認標章を受け、車両の燃料の確保や、現地までの一般道の渋滞を回避することが可能となり、支援のスピードを格段にアップさせることができました。
能登半島地震の発生直後には、半島特有の道路事情により、SNSを中心に、現地に向かうボランティアへの非難が起こり、最終的には、県からの自粛要請へとつながりました。これはあくまでも個人のボランティアへの自粛要請ということでしたが、一般的にはまだまだ、個人ボランティアとボランティア団体との違いというところは十分に理解されておりませんので、ボランティア団体は、非難を覚悟で現地入りするか、現地に入ることに二の足を踏むかという結果になってしまいました。
今回の事前登録制度が、災害発生時において専門性のあるNPOやボランティア団体の存在は必要不可欠なものであるということの認知を高める後押しになることを期待しています。
専門性のあるNPOやボランティア団体が、事前登録制度が創出されることで、ある意味、国のお墨つきを得て、緊急通行車両として迅速に被災地に入り、スムーズに自治体や災害ボランティアセンターと連携し活動を開始することができるということは、NPOやボランティア団体にとって、事前登録制度を利用する大きなメリットとなり、事前登録制度に登録する大きなモチベーションになるというふうに考えております。
ここまで、事前登録制度が創出されることにおいてのメリットについてお話しさせていただきましたが、ここからは、事前登録制度を創出するに当たっての注意点についてお話しさせていただければと思います。
ボランティア元年と言われる阪神大震災から三十年を迎えましたが、この間に、災害ボランティアを取り巻く環境は大きく変化してまいりました。
阪神大震災では、テレビから流れる神戸の惨状にいても立ってもいられなくなり、百万人を超えるボランティアが全国から駆けつけました。この阪神大震災が大きなうねりとなり、ボランティアは災害支援の担い手として日本に定着しました。
そして、阪神大震災をきっかけに、被災地の社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを立ち上げ、全国から集まるボランティアを受け入れ、支援が必要な被災者とマッチングをするという役割を担うようになりました。
その後、災害が発生すると、災害ボランティアセンターが迅速に立ち上がり、ボランティアの受入れがスムーズになった一方で、システマチックになり、様々なことがルール化されたことの弊害として、災害ボランティアとして対応できない案件が増えるということが起こりました。
例えば、住民の安全確保のために自治体が実施主体となって被災した建物を調査する被災建物応急危険度判定というものがあり、赤色が危険、黄色の要注意、緑色の調査済みという判定ステッカーが建物に貼付されますが、災害ボランティアセンターから派遣される個人ボランティアは、基本的には、緑色の調査済みの建物でしか活動することができません。
この判定ステッカーは、あくまでも建物の外観により、余震等による二次被害を防止するものであり、建物に問題がなくても、門柱や外壁が傾いているだけで、赤色の危険、黄色の要注意になることもあります。そのような場合、災害ボランティアセンターから派遣されるボランティアは活動することができませんので、最終的には、住民さんだけで後片づけを行わなければならないということがございます。
二〇〇七年に発生した中越沖地震では、ブロック塀が傾いたり、完全に倒れてしまっているケースが多くありました。そのため、ブロック塀が倒壊した家屋にはボランティアを派遣できないことがありました。
そこで、日本財団と技術系NPOは、柏崎市災害ボランティアセンターと連携し、災害ボランティアセンターから派遣されるボランティア、一般ボランティアでは対応できない案件を特殊案件として引き受けることになりました。ブロック塀の処理には、コンクリートカッター、電動はつり機、大ハンマーなどの工具を使い、ブロック塀を細かく破壊し、土のう袋に詰めるという作業が必要でした。このような工具を用いたボランティアは、ボランティア保険の関係もあり、一般ボランティアで処理することが難しいため、災害ボランティアセンターからの依頼に基づき、特殊ニーズとして、技術系NPOが案件の処理を担いました。
このように、災害ボランティアセンターと技術系NPOが連携し、災害ボランティアセンターでは対応できない案件を技術系NPOが対応するという案件のすみ分けが行われたのは、この中越沖地震が最初ではないかと思います。
その後、東日本大震災をきっかけに、NPOやボランティア団体が急拡大しました。
阪神大震災をきっかけに、市民活動が活性化し、様々なNPOやNGOが誕生しました。それらの団体が、東日本大震災で災害支援に立ち上がったのです。未曽有の大災害にあって、これまでNPOやNGOが培ってきたノウハウや専門性を生かそうと、次々に東北に向かいました。その中には、ふだんは海外支援を行っているNGO、障害のある方の支援を行っているNPO、障害がある方の当事者団体、マイノリティー支援を行っている団体、看護師の職能団体、移送サービスを行っているNPOなど、様々なバックグラウンドを持つNPOやボランティア団体の姿がありました。
それまで、災害というと、災害支援に特化した災害系のNPOやNGOが被災地に入ることはありましたが、災害という枠を超えて様々なNPOやボランティア団体が躍動する姿に、新しい時代の幕開けを感じました。
私が支援に入っていた宮城県石巻市では、石巻専修大学に石巻市災害ボランティアセンターが設置され、個人ボランティアの拠点となりました。また、石巻市災害ボランティアセンターの声がけで、石巻市で活動を行うNPOやボランティア団体との情報共有を目的に、NPO・NGO連絡会も設置されました。このNPO・NGO連絡会は基本的に毎晩開催され、石巻市内で活動を行うNPOやボランティア団体が石巻専修大学に集まり、炊き出し、瓦れき撤去、生活支援、子供支援など様々な分野において、支援の重複や、逆に支援が入らない地域をなくすための調整が行われていました。
また、NPOやボランティア団体から上がってくる、自治体との調整が必要な案件や地元の方に間に入ってもらいたいような案件があれば、このNPO・NGO連絡会が窓口となって調整を行うという機能を果たしていました。この同様の取組は、その後の災害においても引き継がれ、その後の災害においても行われております。
昨年発生した能登半島地震では、ボランティアが扱う重機がクローズアップされました。半島特有の交通事情もあり、発災直後には多くの道路が寸断されました。それにより緊急車両も足止めをされ、人命救助や捜索、その後の復旧にも大きな遅れが生じたと言われています。
そのような中、技術系NPOは機動力を生かし、自ら持ち込んだ重機やチェーンソーを駆使し、次々と道を切り開いていきました。また、警察や消防からの要請により、技術系NPOが行方不明者の捜索に加わるということもありました。雪の降った日には、緊急車両がすぐに出発できるよう早朝から雪かきを行っていたのも技術系NPOだということを忘れてはいけません。
そして、能登半島地震では、ボランティアの自粛要請により、現場では慢性的な人手不足の中、災害関連死を防ぐために、温かい食事を提供し、被災者に寄り添った活動を行っていたのもNPOやボランティア団体でした。一般ボランティアが入ってくることができない時期に能登半島を支えていたのは、間違いなくNPOやボランティア団体だと言えます。
被災者に寄り添った活動を続けてきた結果、この二十年で、技術系NPOの技術力は格段の進歩を遂げました。二〇〇七年の中越沖地震ではコンクリートカッターや電動はつり機を使用したことを先ほどお話ししましたが、現在では、重機でその作業を行うことも多くなりました。重機一台で約百名分の仕事をこなすと言われています。重機を活用することで、人にしかできない作業に人員を割くことも可能になります。
このように、自分が携わってきた災害現場を振り返っただけでも、NPOやボランティア団体の守備範囲は広く、専門性は多岐にわたります。そのため、NPOやボランティア団体の登録制度の創出に当たっては、技術系、炊き出し、避難所支援、メディカル、福祉など、それぞれの団体の専門性を生かすことのできるカテゴリーごとの登録制が必要なのではないかと考えます。
また、登録制が、ただ登録するだけで終わりではなく、カテゴリーごとに、日頃からの連携を深めるためのネットワーキングや、支援の力を高めるための研修や勉強会を開催することも必要ではないでしょうか。また、局地的な災害も多く発生しておることから、地域やブロックごとでネットワーキングすることも重要だと考えます。
加えて、技術系に関しましては、先ほども御説明させていただいたとおり、重機一台で百名の仕事をこなす反面、万が一事故が起きた場合には、命に直結するような大きな被害をもたらす可能性もあります。そのため、日頃からの訓練や新たな技術の習得が重要になります。
私が常務理事をしております日本財団ボランティアセンターでは、本年三月に、茨城県つくば市に日本財団災害ボランティアトレーニングセンターを開設しました。このトレーニングセンターには、自前の重機やダンプを常設し、平時は訓練を、有事の際には、重機をダンプに搭載し、重機のオペレーションが可能なメンバーが迅速に現場に入るという体制を構築しました。
このようなトレーニングセンターも活用いただきながら、技術系NPOの登録団体の定期的な訓練や技術力を見定めた上でレベル分けしていくことも今後必要かもしれません。
ドイツのTHWと呼ばれる連邦災害技術支援庁では、八万人を超えるボランティアを育成し、災害時に出動できる体制をつくっていますが、ボランティアになるためには、一週間単位でのトレーニングの受講と試験を受けることがマストになっています。その試験においては、二回目の試験に落第するとボランティアを辞めなければならないという厳しいルールがあると聞きます。
災害大国である日本も、NPOやボランティア団体の事前登録の創出とともに、特に技術系NPOにおいては、受講が必須となるトレーニングプログラムの開発やレベル別の試験の実施も今後検討する必要があるのではないかと考えます。
一方で、ボランティアの語源であるラテン語のウォロは、英語のウィルの語源でもあるように、ボランティアの最も中心となるものが自発性です。この自発性に基づき、これからも起こるであろう大災害において、きっと新たなNPOやボランティア団体が誕生すると思います。そのときに、この事前登録制度が、新たなものを排除するのではなく、新たなものを受け入れるプラットフォームでなければなりません。
登録制度の入口のハードルは低く、でも、その中でしっかりと、カテゴリーや地域ごとのネットワーキングや能力に応じたレベル分けと成長の機会を提供することで、個々の被災地での経験をリセットするのではなく、次の災害につなげていくことが重要であるということを強調し、私の発言を終えたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)