小島勇人の発言 (憲法審査会)
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○参考人(小島勇人君) 当時、私も現地に入って最初にびっくりしましたところは、支援しようにも支援するその場所がないと。そういう、まず場所的な確保、まあ野戦病院的な、よく工事現場にある四角い箱の事務所みたいのがありますけれども、それが公園の空き地に置かれておりました。
それで、私ども川崎市が最初に入ったのはそういうところですが、そのまず横で、被災した、またお亡くなりになった方の管理を行う部署が仕事をしている。そういう過酷な環境の中で、パソコン操作ままならない。そういった後で、今度は給食センターという場所に移行して、そこでパソコン作業等をするようになったということでございます。
いずれにしても、現地の方々は、非常に、被災されていない、陸前高田でもちょっと山側の方は特段被災されていないんですけれども、平野のところは全て流されてもう何もない状況ですので、そういった方たちの、まずはどういう形で支援したらいいのか。私たち、選挙をやるという前提で行っていますけれども、傍らで何かちょっとほかに手伝うことはないのかという、そういう気持ちにならざるを得ない、ただ漫然と何か選挙の準備だけしていればいいという気持ちにはなかなかなれない、そういう状況でありました。
いずれにしても、あとは、地元の人たちも、地元の選管もそうですけど、役所の人間、方々の気持ち、まずそこにどうやって私たちとして寄り添うかと。俺たちは支援しているんだぞという、そういう傲慢な態度じゃなくて、一緒にやりましょうと、そういう気持ちを強く感じて、相手の方にもそういう形で対応したということでございます。
いずれにしても、今思うと涙が出るような、そういう過酷な状況で、私も最初には、六月でありますけれども、入ったときに、一関から車で陸前高田の平野に降りたときに、これはひどいなと、テレビで見るのと全然違うと、一瞬鳥肌が立つ、そういう状況を覚えておりますし、選挙管理委員会事務局のあった市役所も全部津波で流されていますけれども、抜け殻としての役所が残っている、そういったところを見てきて、これはとにかく選挙どうやってやるのかなと、それはまず思いました。ですから、にわかに行って支援ができるものではないなと、そういう感じがしました。
ですから、震災の状況にもよるんですけれども、陸前高田だとか、多分大槌町もそうだったと思いますけれども、とにかく役所の人たちが亡くなっちゃっているわけですね。もうそういった中でどうやって仕事をしていくかということが非常に強く感じられましたし、そういったこともないとも限らないわけですね、南海トラフ地震があるとか首都直下地震があるとか言われておりますので。
ですから、いずれにしても、受援を受ける立場、支援をする立場になり得ますので、何かそういったことを考えていったらいいのかなというふうに思います。ちょっとまとまりませんけど。