森まさこの発言 (環境委員会)
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○森まさこ君 自民党の森まさこでございます。
石原環境大臣、御就任おめでとうございます。
就任の翌々日、復興大臣と同じ日に早速福島県にお入りをいただき、内堀知事と面会していただきました。ありがとうございます。また、その後も副大臣、政務官を伴って大熊町と双葉町へ入られました。所信的挨拶の冒頭にも、東日本大震災からの復興を掲げていただきました。石原大臣は、環境副大臣のときにも福島の復興を御担当なさり、また東日本大震災の直後にも福島県に入られているということで、その思いの強さを感じたところで、期待をしております。
東京電力福島第一原発事故から来年の三月十一日で十五年がたとうとしていますが、福島の復興再生の取組はいまだその途上にあります。原発事故後、我が国は世界で初めての大規模な除染を行い、これに伴い除去土壌等が大量に発生しました。これらは、双葉町と大熊町の方々の苦渋の決断により、両町にまたがる中間貯蔵施設に保管されています。
石原環境大臣が所信的挨拶で述べられたように、これらの除去土壌等は、中間貯蔵が開始された二〇一五年から三十年後、つまり二〇四五年三月末までに県外に搬出し、最終処分することが法律で決まっています。これは、いわゆるJESCO法、いわゆる中間貯蔵・環境安全事業株式会社法において定められているものであり、県外最終処分は国としての約束かつ責務とされています。しかしながら、県外最終処分まで残された時間はあと二十年間。福島県民は、膨大な除去土壌の県外搬出が果たして現実になるのか、大変不安に思っています。
環境省は、中間貯蔵を開始してから十年の間、関係の検討会、いわゆる中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会、これは資料四の二でございます、それにありますとおり、二十回開催をし、資料四の二ですね、最終処分に向けて必要となる除去土壌の減容や再生利用技術について検討を行ってきたとしています。
当初の時期の二〇一六年に出した工程表が資料三の一にありますけれども、資料三の一を見ていただくと分かるとおり、二〇一六年ですね、二〇一五年に法律ができた翌年です。二〇二五年以降、つまり今年以降はほとんど白紙となっています。そこから九年たって、ようやく資料三の二の工程表ができました。しかし、資料三の二は資料三の一に書いてあることの繰り返しにすぎないという指摘がされています。
県外最終処分については、これを政府一体となって推進していくためとして、その後、内閣総理大臣を除く他の全ての国務大臣が構成員である閣僚会議、すなわち福島県内除去土壌等の県外最終処分の実現に向けた再生利用等推進会議が設置されました。この会議では、本年五月の第二回会議において基本方針が決定し、さらに夏頃をめどとしてロードマップが示されることになり、ようやく最終処分に向けた工程が明らかになるとの期待が高まりました。これがこの夏の参議院選挙の直前のことでございます。
参議院選挙が終わり、八月の第三回会議において示されたロードマップには、これが資料三の三に掲げておきましたが、これが八月に示されたロードマップ、これは当面五年間という直近の取組を示すものにすぎず、しかもその内容に今までと違う記載はなく、具体性のある記載はほとんどありませんでした。
中でも重要な最終処分の候補地については、二〇三〇年頃に候補地の選定、調査を開始するとあります。そして、二〇三五年に選定を行い、そこからさらに用地取得、建設、運搬等を行うとされておりますが、このペースで本当に二〇四五年県外最終処分に間に合うのでしょうか。この先の大規模な工事、住民の皆様の、受入先の住民の皆様の理解醸成、地域とのリスクコミュニケーションなどを考えると時間が足りないのではと不安ではならない、その声が福島県選挙区の私には多く寄せられています。
環境省は、中間貯蔵開始後の十年間、県外における再生利用の実証事業を実施することができませんでした。
資料三の三。今説明しましたが、これが出て、その後、石原大臣が御就任したので、今まで述べたことは大臣が御就任前のことでございます。
十一月十三日に知事が環境省にわざわざ来まして、大臣にお会いをしました。これが資料一でございます。福島県の新聞に写真入りで載りました。そして、そのときに福島県からの緊急提言を渡しました。それが資料二でございます。この資料二に県民の思い、県知事の思いが書いてあります。今私が述べたように、本当に県外処分進むんだろうか、その思いでございます。
十一月十三日のその翌週、十一月二十二日にも自民党の小林鷹之政調会長が福島県に移動政調会としてお越しになりまして、内堀知事に面談しました。私も同席しましたが、知事は開口一番、この県外の最終処分について、もっと具体的に、もっと迅速にということを口にされました。その後開かれた福島県での移動政調会についても同様でございまして、福島県自民党県連の政調会長からも同じことが要望されました。もちろん、復興再生土の利用は一歩前進し、これをどんどん広めていかなくてはなりません。それはもちろんのことでございますが、最終処分においてのもっと具体的なロードマップについて、県民が願っていることでございます。
現在行っている県外再生利用は、本年七月に行った総理官邸前庭における二立方メートルと、九月に霞が関の中央官庁九庁舎において実施した七十九立方メートルにすぎません。ほんの僅かな量の再生利用ですら、実施まで十年間を要しているのが現状です。最終処分については、再生利用するものよりも放射能の濃度が高く、受入れには一層の困難が予想されます。
ここで一例を申し上げます。資料五を御覧ください。
環境省は、このような県内に中間貯蔵施設を建てたり県外に移転したりする地元住民との非常に濃密な折衝については、経産省や国土交通省よりは経験が少なく、不得手な分野なのではと心配をしております。この資料五が、平成二十七年から平成二十九年の表なんです。中間貯蔵施設に係る用地取得の推移です。
平成二十三年が大震災が起きたときですから、その四年後です。このときに私が環境部会長に就任し、平成二十七年が自民党の環境部会長、平成二十八年が参議院の環境委員長を務めました。震災の翌年の平成二十四年から平成二十六年の二年間は少子化大臣をしておりましたので、それが終わってすぐ、環境部会長を自分で希望してなったんです。なぜなら、この少子化大臣を務めている間に福島県民の声が、今と同様に、環境省の行っている中間貯蔵施設における業務についての不満、心配、不安、この声が非常に高かったから私は環境部会長になりました。
当時、平成二十三年の原発事故当時、政府は、三年後を目途に中間貯蔵施設を建てると言っていました。しかし、この表を見てください。三年後どころか四年後です。四年後に中間貯蔵施設が建ったどころか、用地取得は、下のオレンジ色を見てください、一ヘクタールしか用地を取得しておりません。六百ヘクタールのうちの一ですから、六百分の一、〇・一七%しか用地を買収していなかったんです。四年後ですよ。
私が環境部会長になり、環境委員長と含めてこの二年間の間に、ほぼ九〇%の用地買収を成し遂げました。どうやってやったか。環境省が、環境省の官僚だけが、期せずして、意図せずして、強制的に避難をしている土地の持ち主のところに、避難所に行ったり仮設住宅に行ってピンポンって押しても、出てくるわけがないです。手紙を出して返ってこないんですと部会で説明しました。返ってくるわけありません。先祖代々の大切な土地を、そこに絶対帰ろうと思ってつらい避難生活をしている皆様が、その上に中間貯蔵施設を建てるなどということに同意をするわけがないんです。しかし、説明はそれだけです。それをずっと続けていって、一ヘクタールをずうっと何十年も続けていくんですか。
そこで、私は、環境部会で福島県の宅建業界を呼びました。福島県の宅建業界が、避難している皆様の住みか、アパートの提供、苦労する中で避難している人たちの心情に一番寄り添った方々です。その方々と環境省との二人一組のペアで皆様の元を訪れて、本当につらい避難生活させてしまったね、申し訳ないね、何とかあそこをきれいにして戻れるようにするから。しかし、そのためには、廃炉作業進めるためにはどこかに中間貯蔵施設を置かなくてはならない、何とかこらえてくれ、みんなのために何とか同意してくれないか。それを福島県の宅建業界の、お一人お一人の不動産業者からお話をしてから環境省が環境省ですと名刺を出すと、そのやり方でやってきたんです。
この表のとおり、中間貯蔵施設が進んできたことを……(発言する者あり)今大事なことをお話ししていますが、これを見ると、今の福島県民の、中間貯蔵施設が三十年後に、二〇四五年に必ず県外搬出できるか、そのために環境省がしっかりと具体的な取組をしているのか、不安に思うのも無理はないと思います。
それを大臣に質問したいと思いますが、この委員の表を見ると、女性の数が少ないですね。この女性の数は政府で増やすと決めていましたが、先ほどお示しした委員は全て男性です。そして、新しく今回つくられた検討会も、女性が十二人のうち一人しかいません。大臣が就任前の委員の選定ではございますが、これも含めて、大臣のお覚悟をお述べいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。