山谷えり子の発言 (本会議)

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○山谷えり子君 ただいま、院議をもって永年在職議員表彰を賜り、感謝申し上げます。自由民主党、山谷えり子でございます。
 関口昌一議長、そして、もったいない御祝辞をくださいました松山政司議員会長、誠にありがとうございます。表彰された辻元清美議員、おめでとうございます。
 御支援者の皆様、事務所スタッフ、家族、全ての方々に心より御礼申し上げます。
 参議院での永年在職議員表彰の女性議員は、これまで、加藤シヅエ議員、藤原道子議員、市川房枝議員、扇千景議員、山東昭子議員、橋本聖子議員、福島みずほ議員、そして今回、辻元清美議員と私、山谷で九名となりました。
 さて、私は、占領時代、政治部記者であった父、山谷親平と母、和子の長女として生まれました。父は戦時中は飛行第六四戦隊、加藤隼戦闘隊のパイロット。傷痍軍人となりましたが、大本営発表ではなく事実を伝える記者になろうと考えていたようです。しかし、GHQの厳しい検閲で思いかなわず、悔しさの中で病に倒れ、ふるさと福井に戻り、私はそこで育ちました。今、幸福度日本一、女性社会進出日本一の福井は、神仏への尊崇の念厚く、勤勉で思いやりあふれた土地。ふるさとに感謝しています。
 社会人としては新聞記者志望でしたが、当時、女性は狭き門。就職がうまくいかず、それならばとフリーランスのライターとして渡米。無手勝流取材をするという、がむしゃらなスタートを切りました。帰国後、生活情報紙サンケイリビング新聞社に御縁をいただき、三十五歳で編集長となり、読者とともに生活者の声を大臣などに届けたり政策提言しているうちに、薦められて国会議員となりました。
 最強の応援団長だった夫の交通事故死、その後の二度目の落選、シングルマザーとして三人の子供を育てるなど、山あり谷あり谷ありで、苦しいときは痩せ我慢、艱難なんじを玉にすを言い聞かせながら、そうした日々もありましたが、同時に多くの御指導、お励ましをいただいて歩むことができましたこと、御縁に感謝いっぱいです。
 特に、明治以来、最長の内閣を率いられた安倍晋三首相とは、貴重な時間をいただきました。第一次安倍内閣では、教育再生担当の総理補佐官として、六十年ぶり、当時で戦後五大長時間審議を経て教育基本法改正ができましたこと、また、平成二十六年には、国家公安委員長、拉致問題担当、海洋政策・領土問題担当、国土強靱化担当、防災内閣府特命担当大臣として働けたことは、理想とともに、リアリズム、忍耐の重さをたたき込まれました。
 領土問題担当大臣として、国境離島を明確にし、二百七十三もの島が所有者不明であったことを突き止め管轄を確定させたことや、防災大臣として国連防災世界会議の開催。二十五か国の首脳、百か国の閣僚、延べ十五万人参加という、日本では過去にない規模の国連会議の議長として、東日本大震災の被災地仙台で世界の防災・減災の土台づくりをしたことなど、皆で力を合わせた意義は今も大きいと考えています。
 いまだ解決しない拉致問題は、痛恨の極みです。主権国家として、全ての被害者を取り戻す。力を尽くし、必ず解決します。
 自民党では、長く文化関係の会長を務めさせていただきました。
 伝統文化の美しさ、深さ、そして漫画、アニメ、ゲームなど、文化コンテンツは今や輸出成長産業となり、世界中に日本ファンを増やしています。文化立国を更に発信、地方創生の力としても磨き上げていきましょう。
 歴史には光と影があるにせよ、日本は平和の国、文化和合の国として歩いてまいりました。美しい日本の国柄を誇り、喜びとして、主権国家の構えを更に整え、進取の気性をもって輝く自由と民主主義の国として進みたい。走り続けます。
 日本いやさか。継続は力。どうか皆様のなお一層の御交誼と御指導よろしくお願い申し上げます。
 誠にありがとうございました。(拍手)
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発言情報

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発言者: 山谷えり子

speaker_id: 7820

日付: 2025-12-05

院: 参議院

会議名: 本会議