赤羽一嘉の発言 (災害対策特別委員会)
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○赤羽委員 今の大臣のお立場で、結構ぎりぎりの御答弁をいただいたというふうに私は評価したいと思います。
私は、これまで、議員生活三十年、ほぼ災害対応を中心にしてまいりましたが、一番大事なことは、私の思いとしては、やはり被災地の皆さんとの信頼関係があるかどうかだということだと思います。
安倍総理は、大変お忙しい総理の任務期間でも、月に一回福島に足を運ばれていた。これは大変な御苦労があったと思いますし、御努力があったとも思っております。
そうしたことがあったればこそ、発災当時というのは、正直言うと、被災地と政府というのは被害者と加害者の関係で、私、現地対策本部長ですから、被災者のためにという思いで一月二日からすぐ現地に入りましたけれども、物すごく殺伐としていて大変な状況、ゼロからの出発ではなくて、マイナスからの出発だったというふうに思います。
そこを乗り越えないと何も政策が生きてこない、実効性を持たないという思いの中で、できるだけ現場に足を運んで、本気で、本気度を伝える、寄り添うということが大事ですし、その思いがあれば、二〇三〇年以降も政府は微動だにしないんだ、いろいろな組織の編成は具体的にはあるかもしれないけれども大丈夫なんだということを、その信頼関係があるかどうかが大事だと思っているんです。
先週の土曜日も、二〇三〇年以降はどうなるんですかと町長は聞くんですね。私、そんなの継続するに決まっているだろう、二〇四五年の除去土壌、五一年以降の廃炉なんて、そんな簡単に終わらないと。それを信じてもらえるかどうかというのは、やはり政府の、特に担当されている大臣の皆さんとの信頼関係に尽きると思います。
残念ながら今政府にいませんので、私が大丈夫だと言っても、なかなか、本当にそうかと思うわけでありますので、是非、福島とは寄り添っていただきたい。そして、今の御答弁どおり、福島の復興、それどころじゃなく、大変な困難だらけですので、様々な知恵を出していただいて、お願いしたいということを強く申し上げておきたい、こう思います。
それでは、今回の本論に入りたいと思います。
防災庁の設置は、冒頭申し上げました、公明党としても私自身も長年の公約でございました。
私自身は、初当選した直後にあの阪神・淡路大震災に遭遇して、私自身も住んでいた家を失ったという体験をしました。当時は、災害対策基本法ですら、政令市の市長ですら自衛隊への出動要請ができない、そんなところから始めたりとか、仮設住宅も、長屋の小さなところで家具も一切入っていないというようなこととか。
今でも振り返ると、三か月ぐらいすると、町中にいろいろお店が開店し始めたときに、毎日、避難所が、食中毒を出しちゃいけないものですから、お弁当が揚げ物ばかりで、高齢者の皆さんは食べられない。だから、是非、食券を配ってもらって、町中のラーメン屋さんとかそういったところでできるようにしたらいいんじゃないかと当時の笹山神戸市長が国にお願いしたんですけれども、当時はそれは駄目だと。食券が金券化されるというか現金に換える。性悪説に立っているのかなと思いましたけれども、そんなことが議論されているような時代から、そして、当然、雑魚寝であったし、トイレもないし、マンホールをトイレ代わりにするみたいな、そんな状況から三十年間で様々改善をされてきたと思います。
私、ちょっと冒頭申し上げたいんですけれども、我々がなぜ防災庁が必要なのかということ、具体的に言いますと、今申し上げた、やはり日本の支援策というのは、被災者の皆さんの尊厳が守られるという意識が薄い。やはり、被災されたというのは、被災者に対して最低限のものを供給するのは義務がある、しかし、それ以上のことは、言葉は悪いんですけれども、ぜいたくは言わないでほしい、こっちも大変なんだみたいなことがあって、体育館に雑魚寝をしてもやむを得ないで済ませてしまう。
しかし、被災者にとってみれば、真面目に働き、税金を納め、家族を養っていた人が、たった三十秒間の震災で家を失い、家族を失い、そして仕事を失った。その人たちに対して、憲法で守られている国民の権利として、その尊厳を守る政策をしなければいけないと常に思っておりました。
今回、能登半島なんかも、私もずっと行っておりましたが、避難所に来られている方たちに対しては随分支援の質も上がってきたと思いますが、恐らく在宅の避難者や親戚の方に行った広域避難者は、率直に言って十分把握されているとはとても思えない。本当に、避難所に来られている方に対してに限るとなってしまっているということは根本的に変えていかなければいけないと思いますし、在宅避難者とか広域避難者も含めて、避難所にいる方も様々な問題を抱えているので、理想的に言うと、災害ケースマネジメントを実施できるようにして、お一人お一人の状況に合わせたきめの細やかな対応ができる、やはりパッケージとして持っておくべきではないか、これをできるのは、やはり国が必要だというのが一つでございます。
もう一つは、やはり一番難しい、復興復旧が速やかにいかない原因は、今、原則は、復興の主体は被災市町村なんですね。
被災市町村は、今回の能登半島ですと、輪島市とか珠洲市とか能登町とか、はっきり言ってそんなに大きくない基礎自治体で、避難所の設営、運営、また被害認定、それに基づく罹災証の発行、様々なことを地元の被災自治体の職員、この職員の人は、大半の方々も被災者だ、家族が大変な状況の中で、精通を余りしていない、マニュアルを持ちながらいろいろなことに対応しているというのは本当に並大抵のことじゃないし、その結果、実は時間も物すごくかかりますし、罹災証明についても、クレームができる、二次判定、三次判定に物すごく時間がかかったとか、結果、被災者の不満も大きく募る、こうしたことを実はずっと同じ激甚災害に際して繰り返してきた。ですから、もう少し何とかならないのかと。
残念ながら、輪島市の職員の皆さん、私が聞いたのは五百二十八人いらっしゃったんですけれども、この二年間で百十六名の方が退職をする。そのうち、二十代から三十代、これから支えていかなければいけない人たちが七割を占めている。こういうことを繰り返すということは何とかしなきゃいけない。
私は、やはり市町村に全て任せっきりということではなくて、防災庁ができた以上は、専門家集団をつくって、各都道府県にはその機能を持たせて、県がもっと責任を持って関わらなければ、これはずっと繰り返してしまうのではないかというのが、防災庁が必要だと思った理由の一つです。これもざっくばらんに言うと、県は予算は出すけれども現場には顔を出さないみたいなところが結構多いので、その点を何とかしなければいけないと私たちは思いました。そしてまた、そうしたこと、もろもろ、防災庁が必要だと。
やはり防災庁、屋上屋だという批判があるんですね。私、FEMAも見に行きましたけれども、アメリカにおいても、FEMAに対しても、日常は何もやっていないじゃないか、何でこんなことにお金をかけなきゃいけないんだと。まさに防災庁も、本当に機能できるかどうかは、無駄に対する批判をどうはね返すのか。余剰の人員と余剰の予算を持たないと、いざというときに機能を発揮できない、私はそう思っておりますが、その余剰を持つことが無駄なんじゃないかということで、結局はなかなか尻すぼみしてしまう、そうしたことをはね返す防災庁にしなければいけないと思います。
ですから、今、まず大臣にお聞きしたいのは、新たにつくる防災庁の哲学というか基本理念はやはり大事だと思いますし、それと役割ですね。関係省庁もありますけれども、国の防災庁と都道府県と被災市町村、この役割。被災市町村しかできない日頃からの事前防災の準備もあると思いますが、いざというときには私は都道府県が出るべきだと思うし、そして、やはり国がハートを持って、基本理念を持って、災害対策基本法の改正にもうたわれておりますが、そうしたことが、文言だけではなくて、新しい防災庁の職員がそうした魂、スピリットを持って、全国の都道府県に指示を出すというか、共につくるような防災庁にしていただきたいな、こう思います。
具体的には大臣の御答弁の後に政府委員に質問したいと思いますが、まず大事なことですから、新しい防災庁が持つべき基本理念とそしてその役割。また、自然災害と原子力災害が東日本は一緒になって複合災害になりました。こうしたことについての取扱いも含めて、ちょっと細かいことになりますけれども、大臣からの御所見と御決意を伺いたいと思います。