田中均の発言 (国際問題に関する調査会)
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○参考人(田中均君) それはすぐれて日本をどういう国にしたいかということにかかってくると思うんですね。日本の安全を担保する、とにかくアメリカの後ろにくっついていれば日本の安全は担保される、当然その核の抑止力なんていうのはアメリカに依存するよりほかないわけだから。したがって、アメリカの喜ぶことをするということの延長として、まさにインド太平洋で日本が武器輸出をやってフィリピンとかいろんな国の軍事力の向上を助けるということは、それはアメリカは喜ぶでしょう。
だけど、本当にそれでいいですかということが問われているわけで、私は、日本にとってベストな形は、例えばサッチャーの英国のような形にすることだと。それはどういうことかというと、イギリスはアメリカに対する影響力が最も大きな国だった、最も大きな国だった。だから、要は、日本がアメリカに影響力を行使できる国にするためにはどうするかという議論だと思うんですね。
皆さん、日本という国はアメリカに追随してきたと思われるかもしれないけど、全くそうじゃないんですよ。例えばイランの話だって、イランの核交渉が始まったのは一九九〇年代の終わり、あっ、二〇〇〇年代の初めなんですが、あのときにヨーロッパに頼まれたんですね。EU3がイランと核交渉したいのでアメリカの了承を取り付けるのを助けてくれないかと言われた。当時はパウエル国務長官で、ネオコンの気違いみたいな人が国務次官をやっていた。私はリチャード・アーミテージという人に頼んで、何とかアメリカはヨーロッパのイランに対する交渉をうんと言ってくれないかということで、結果的にはうんと言ってもらったんですよ。そこからEUとの交渉が始まり、それがそのP5とドイツ、あのときに僕は日本は入るべきだったと思いますけどね、P5とドイツの交渉になり核合意ができた。アメリカは抜けていたわけですね。まさに、そのときに日本としての役割は発揮したんですよ。
それから、中国との国交だってそうなんですよ。アメリカの言うとおりはやらなかったわけだし、正常化した後、日本はまさに田中角栄さんが切り開いた。中国の応援だったわけですね。ですから、あっという間に日本は、一九七八年に円借款を始めて、圧倒的に中国に対する最大の援助国になったんですよ。私たち、アメリカからもう文句言われた、日本の円借款、ひも付きだと、だから日本の経済を助けるためにやっているじゃないかと、猛烈に文句言われた。
それから、天安門事件があったのが一九八九年ですが、その後まさに制裁をしたんですね。その制裁を破ったというか、真っ先に総理大臣、海部さんを中国にやったのは日本だった。それは文句を言われましたよ。アメリカが一貫して日本に対して持ってきた、もっと人権の配慮があっていいんじゃないかということを言っていた。
あのときに日本はサミットにも入れようとしたんですね、中国をね。だけど、それは、要するに、ヨーロッパ並びにアメリカにロシアを入れるべきだという話になって、結果的にはロシアが入ったわけですけどね。
だから、私は、アメリカに追随してきたわけじゃないと、これまでだってね。世の中にそれを見せることはなかったけど、やっぱりアメリカに対しててこを持つ、アメリカに対して影響力を強めるということが日本の外交にとって必要じゃないかと。アメリカが喜ぶことだけやっているのが日本の外交なんですかということが事の本質だと思うんですよ。最も安易な道を取れば、それは戦闘機を百機買い、それはアメリカの装備品を買って、トランプが喜ぶ姿を見ていればそれでいいと。で、私はそれでいいとは思いません。