寺田静の発言 (沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会)
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○寺田静君 寺田と申します。
会派入りをしまして、本委員会では初めての質問の機会をいただきまして、感謝を申し上げます。
本日は、沖縄における子供と女性を取り巻く課題について取り上げたいと思います。
私自身は秋田県の選出ではありますけれども、沖縄には親戚もあり、また多様な学びのことで御意見をいただいているフリースクールがあって、年に一、二度は沖縄訪ねております。そうした場で見聞きをいたします子供たちのことについて、また女性たちのことについて取り上げたいというふうに思います。
冒頭、私の問題意識を御紹介する意味で、琉球大学教授、若年女性の支援のフィールドワークなどを行っている上間陽子氏の言葉を御紹介をしたいと思います。
大学の仕事の一方で、私的、公的なスーパーバイザーの仕事として、暴力の被害者である未成年の子供たちに関する相談を請け負うようになった。
ある日、学校やNPO団体などから、折り入って御相談したいことがありますと連絡が入る。親から暴言を吐かれて家にいられない子供がいるが、児童相談所には、その程度では保護できないと断られたがどうしたらいいか。援助交際をしているといううわさがあるが、本人にどう尋ねたらいいか。生徒がレイプをされたらしいのだが、どう対応したらいいか。兄弟がみんなそろって不登校で、姉に当たる子が兄弟の面倒を見ていることが分かったが、どうしたらいいか。
虐待、少女買春、強姦、ネグレクトゆえの不登校などの相談が一つ入ると、矢継ぎ早にやらなくてはいけないことが出てくる。残しておくべき証拠の確認、児相や医療機関の紹介、何よりもその子とどう話すか、保護者とどう話すかを相談し、今日から明日にかけての近い見通しと、半年くらい先までの遠い見通しを立てる。
起きた事柄によって、行うべき取組は異なる。それでも、暴力を受けるという意味を理解することは、それから長く続く支援の入口にあって必要不可欠なことだ。
私たちは生まれたときから、体を清潔にされ、なでられ、いたわられることで成長する。だから体は、その人の存在が祝福された記憶をとどめている。その体が、押さえ付けられ、殴られ、懇願しても泣き叫んでもそれがやまぬ状況、それが、暴力が行使をされるときだ。そのため、暴力を受けるということは、その人が自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう。そのように述べられています。
こうした上間先生の御著書などでは、夜の沖縄の町で働く少女たちの過酷な現実が描かれています。親の暴力やネグレクトから逃れるために家を出て、行き場を失った末に夜の町に出て、十代で妊娠、出産し、シングルマザーとして孤立する少女たちもあります。多忙を極める学校現場では彼女たちのSOSを拾え切れずに、これまで公的な支援の目から、網の目からこぼれて、この自分を大切に思う自尊心が徹底的に破壊されているということがあります。
こども家庭庁にお伺いします。
沖縄の子供の貧困、大臣も先ほど述べられていた子供の貧困の背景には、単なる経済的な困窮だけではなく、こうした若年女性に対する暴力の連鎖、また孤立といった極めて支援が届きにくい実態があることについて、政府としての御認識をお伺いします。