伊藤茂松 に関する国会発言

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1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) それは大部分が請負工事だろうと思います。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 農地開発営團が解散になりまして、その担当しておる地区五百三十地区ぐらいありますが、これは営團でやつておる地区は大きな地区ですが、突然そういうような関係になりましたので、これは一應全部農林省が引継ぎまして、農林省の経営としてやつて行こう。それでその中に國営として不適当なものがあれば、今後適当の時期に或いは縣営とか、何とか、適当の事業主体に移讓してもよいと考えております。取敢えず一括的に國営としてやつて行こう。從いま

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 緊急開拓開墾事業の実績を申しますが、二十年度には六万四千六百六十五町歩、二十一年度十二万三千五百十七町歩、二十二年度の八月までですが、これは二万五百三町歩、合計二十万八千六百八十五町歩、こういう進度を示しております。  それから百五十五万町歩の面積を再檢討する必要があるか、どうかという御質問でございますが、この点は先程も申しましたように、終戰直後においては、復員軍人とか或いは戰災者とかそういう何といいますか、入

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 確かに行き過ぎの点があることを我々も聞きますが、その点行き過ぎの点があるようですね。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) そうです。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) その点に関しましては内務省とも再三折衝いたしました。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) お答えいたします。十万町歩という基礎を決めましたときには、一地区ごとに大体の地区名はありましたですが、そのうち最も正確な調査資料のあるそういうものから初年度から実現して行つたわけでありまして、二十一年度に決定したものは確か数地区ありましたですが、そのうちの一つが印旛沼の干拓、それからもう一つの例としましては琵琶湖がその一つ、そういうような工合に具体的の資料のあるものから採択して実現しい行つたわけです。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) お答えいたします。あれは百五十五万町歩の開墾と、あの当時は十万町歩の干拓と、そういうふうに二つに分れておつたわけであります。その十万町歩の干拓の中に入つておるのでございます。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 私らもそういう観点に立ちまして、干拓は二万円掛かるとか何とかいいますが、それは増收量を計算したら決してそう高くない。又國土擴張という見地からはこれが唯一の残された途じやないかということで、私共予算は相当かけ合つておりますが、なかなか私らの言うことばかり通りませんので困つておるようなわけであります。確かに一反当りの増收量から計算し、或いは國土開発、國土拡張、そいうい点からいえば、もう干拓というものは最も有利な仕事だ

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 農林省は関係ないのですが……ちよつとないように思います。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 何地区か御存じないですか。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 何川でありますか。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 分りました。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 干拓に関しましては只今お話がありましたように、非常に要望されておるところでありまして、霞ケ浦の干拓も今相当数地区着工しておるわけであります。そのうち一番大きな地区は、今漁業権で反対を蒙つて困つておる話もあるようなわけでありまして、干拓は支障がないと言われますが、漁業権の問題が附き纏つて來ましてなかなか計画には困難ですが、それで委託干拓をやらせる場合には、地方においてすつかり漁業権問題が解決がついた、そういうものだ

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) お答えいたします。印旛沼の干拓ということは二十一年から実施しておりますのですが、あの疏水路と、内務省の利根川の放水路、その附近は初めから非常に議論されておつた所でありますが、安定本部からも双方合同した意見書を出したい、そういう要求がありまして、昨年來数回小委員会を開きまして、技術的檢討をやつております。その結果漸く成案ができたわけでありまして、内務省及び農林省から起草委員を立てまして、そうして決まつた骨子を纏めよ

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) そうです。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) 平地林はああいうふうに偏在しております。よその府縣には余りなくて、特殊の、千葉、埼玉、栃木附近だけなんです。あればあるに越したことはないでしようが、それを開拓にした方が國家的に有利かどうかという大きな観点に立つて判断すべきものだろうと思います。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) それはむづかしい問題だろうと思うのですが……。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) はあ。

1947-10-20 伊藤茂松 国土計画委員会 参議院

○説明員(伊藤茂松君) その点は確かに御尤もなんです。初め、終戰後はもうどしどし復員者が帰つて來る。それから失業者はどんどん出る。そういうわけで開墾の方の準備を整えない中に、そういうふうに入植者に押し立てられたという恰好だつたのです。それで仕方がなしに空いている平坦地ならどこでもよいというので、一應入れて置きまして、それからぼつぼつ開墾を始めたような関係がありますので、初めのうちは確かに組織或いは基礎資料というものが十分でなかつたわけで