渡辺利綱 に関する国会発言
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○菅家委員 自民党の菅家一郎でございます。 よろしくお願いいたします。 三月十一日、東日本大震災からちょうど十年を迎えるということになりますが、改めまして、犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族の方々、いまだに避難を余儀なくされている方々に心からお見舞いを申し上げたいと存じます。 当時を振り返ってみますと、私は会津若松の市長をさせていただいておりまして、震災直後に大熊町の当時の渡辺利綱町長さん方が市長室
○赤澤委員長 これより会議を開きます。 環境の基本施策に関する件について調査を進めます。 この際、去る十八日に行いました福島県及び茨城県における放射性物質汚染対策等に関する実情調査につきまして、参加委員を代表して、その概要を私から御報告申し上げます。 最初に、福島県の富岡町にある管理型処分場、フクシマエコテッククリーンセンターにおいて、関係者から説明を受けつつ視察いたしました。 同処分場を活用した特定廃棄物の埋立処分事業
○渡辺利綱君 大熊町も、今まで原子力発電所に対する依存というのが物すごく高かったということで、今度の事故では、もろもろの対応に苦慮しております。 最初の生活支援ですが、やはり今、義援金とか賠償金に頼らざるを得ない。仕事につく方が少ないですし、また、一部、復旧といいますか、第一原発に定期的に通っている人もいるわけですけれども、関連企業とかあるいは協力企業にいた人たちは解雇というような形で、先行きに大変不安を持っております。 就労さ
○渡辺利綱君 私たち、六五%とさっき言いましたけれども、会津若松市に大半がお世話になっているというような状況ですが、あとは、北海道から沖縄まで、四千人の方々が全国に散在しております。そういう中で、情報が足りないというようなことを一番よく言われます。 安否確認というのが当初できませんでしたが、会津に来てから、コールセンターを立ち上げたり、あるいはブログ等でいろいろ努力いたしまして、今は九九%、ほとんどそれぞれの所在が確認できるようにな
○渡辺利綱君 ただいま双葉町長、富岡町長が言われることと同じです。 私たちも、避難生活を支えているのは何だといったら、やはり、自分たちの生まれ育った町に帰るんだ、それが唯一の支えだと言われます。そうした中、本当に戻っても生活できるのか、帰っても仕事はあるのかというようなことが次に来ます。ですから、除染、化学的な除染もあるでしょうし、物理的な除染もあるでしょうし、戻れるような環境づくりのために努力してください、そういうふうに言われます
○渡辺利綱君 福島第一原子力発電所一号機から四号機まで立地しております大熊町長の渡辺です。 全町民が避難を余儀なくされておりますが、これまでの御支援に感謝申し上げます。 大熊町では、三月十二日から田村市を初め二市二町の一次避難所でお世話になりまして、四月二日より会津若松市に移動して、役場出張所を開設して町民の安否確認を進めるとともに、幼稚園、小学校、中学校を分校として開校いたしました。 一万一千五百人の町民のうち、県外に避難