青木盛久 に関する国会発言

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2002-05-08 吉田公一 外務委員会 衆議院

○吉田委員長 これより会議を開きます。  国際情勢に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人として元ケニア共和国駐箚特命全権大使青木盛久君に御出席をいただいております。どうぞよろしくお願いいたします。  青木参考人におかれましては、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、まことに御苦労さまでございました。  この際、お諮りをいたします。  本件調査のため、本日、政府参考人として外務省大臣官房審議官黒木雅文君、総

2002-04-26 吉田公一 外務委員会 衆議院

○吉田委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りをいたします。  国際情勢に関する件調査のため、来る五月八日水曜日、参考人として元ケニア共和国駐箚特命全権大使青木盛久君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 最前申し上げましたように、平和解決に向けての日本政府の御努力に対して人質全員が非常にうれしく、心強く思ってきたということはぜひこの際御報告させていただきたいと思います。  ただ、日本政府がどうすべきだこうすべきだということは現在この場で私が申し上げることは適当ではないと存じます。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) この点につきましては、現在この場で私が軽々に申し上げるより、やはり調査委員会の結論の中でしっかりとした判断を下していただくのが適当ではないかと存じます。申しわけございません。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 私も人質でございまして、やっぱり人質としての私の最大の責務は元気で生きていること、そして人質の皆さんが元気で生きているということが政府の平和解決へのさまざまな努力の少なくとも邪魔にならないということで、私の今の気持ちではそれ以上のことは実は人質の立場からできることはなかったのではないかなと思っております。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 最初の時期でございますが、突入されてから彼らが部分解放を行うことしの正月初めまでの時期でございます。この時期は私はできるだけ多くの人質たちを解放してもらいたい、その中にあって日本人の皆さん、できるだけ多くの方を、できれば民間の方は全員解放してほしいという方向で努力してまいりましたことと、たまたま公邸でございますのでさまざまな備蓄の品がございます。こういったものも活用しながら人質の皆さんの生活環境をできるだけ改善し

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 私は実はそのようなことをやることが私の心身を疲労させるゆえんではないかという判断を持ちまして、とにかく黙って生きてくるということだけを考えておりました。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) まず、テロリスト側が部分解放ということを実施していた間は、何とか日本人の皆さん、特に民間の皆さんを一人でも多く釈放してもらいたいと思っていろいろ努力をしてまいりました。しかし、彼らがもうこれ以上の部分解放をしないと言った瞬間から私としては、実は私も人質でございますので、動きがとれなくなりまして、交渉はできなくなったという状況がございます。そして、武力解放につきましては、それが起こるまで全く気がつかなかったというこ

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) まさに私としてはその点責任を痛感しているわけでございまして、進退をお伺いするだけでは不十分であろうということから、大臣に対しまして辞意を表明させていただいたということでございます。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) そのようなことではございませんで、つまり交通規制という中には当然車両の規制、車両のチェックも入るわけでございますが、私どもといたしましては、とにかく人の出入りが非常に多い機会でございますので、これの規制を中心にした警備を実施していくということでありました。また、最前もお答え申し上げましたとおり、ペルー側から警備の強化の申し入れがあり、それを私どもが拒否したということは一切ございません。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 私の前任者が帰国する時点ではあの家は空き家だったわけでございます。そこにドイツのNGOが入って事務所にしたということでございまして、私もその点については一応安心をしたわけでありますが、やはり夜間は無人になるということに思いをいたさなかったことはまことにうかつであったと深く反省している次第でございます。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) そのとおりでございます。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) あれは、両陛下のお写真と橋本総理の写真をテロリストたちが私どもに返してくれまして、保管していたのをあのときに公邸から持って出たわけでありますが、実はあれはフジモリ大統領が私にくれたのでございます、あの写真を。総理のお写真をフジモリ大統領が私に渡されたということでございます。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) これも最前御報告申しましたとおり、もしこれは危険というようなことでレセプションの中止、延期ないしは大幅な規模縮小を必要と考える場合には請訓せよという訓令でございましたが、私は請訓をいたしませんでした。これは私の判断でございました。申しわけございませんでした。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 私がいただいた訓令は、日時及び規模については事後に報告せよということでございました。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 難しいところとは思いますが、私はあれで十分だと思っていたわけでありまして、これは全く間違いであったということでございまして、まことに申しわけございませんでした。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 私の年賀状は実は週刊新潮の松田編集長あてのものを全部あれしたわけですが、私自身はあのような認識は持ちつつも、しかしそれが例えば大使館に対する直接のテロ攻撃に結びつくというふうなことは予想していなかったということでございます。まことに申しわけないと思っております。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 西崎大使は、JICAの専門家暗殺事件が起こりました一九九一年、その起こりました直後に現地に赴かれまして、九二年の十二月には大使館の爆破事件といったものも経験しておられます。いわばペルーの治安情勢が最も悪かった時期に現地にいらっしゃったわけであります。それに対して、私が赴任した時点では、その後のさまざまな推移、特にセンデロ・ルミノソとMRTA、両方とも最高幹部が全員逮捕されたということもございまして、治安情勢は顕著

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) そのとおりでございます。まことに申しわけありませんでした。

1997-05-13 青木盛久 外務委員会 参議院

○参考人(青木盛久君) 私が参りまして前回が実は三度目の国祭日のレセプションでございましたが、一回目のレセプションは着任直後ということもございまして前任者のリストを受け継ぎましたが、二回目から先ほど申しましたような日系人の皆さんを大量にふやしまして、従来千組程度であったものを千二百組というような規模に拡大した次第でございます。