伏見康治の発言 (予算委員会公聴会)
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○伏見公述人 あとの方からお答え申し上げますと、原子炉のいろいろの形にもよりますけれども、普通考えられる原子炉でございますれば、それを運転するときに出て参りますいろいろな副産物の中には、そのまま原子兵器に使えるものもございます。実際技術的に申しまして、原子力というものと原子兵器との問の技術的な意味での区別はございませんので、ごく先の方では多少の違いはございますけれども、根本的な点におきましてはその間に差はないのでございまして、一方で役に立つものは他方でも役に立つとお考え下さるべきであると思います。実際もっと爆発的でない方のものにいたしましても、たとえばノーチラス原子力潜水艦というものを動かすのであるか、あるいは何か商船を動かすのであるか、これは技術的には全く同じことであろうと私は考えます。そういうふうに商船を駆動するという場合にも、目的は兵器である場合もありますし、平和的な貿易の道具である場合もありますでしょうし、つまり技術そのものの中には別に戦争も平和もないということ、一般的なことにしすぎているかもしれませんけれども、原子力の場合もそうであると私は思います。
次に最初の方の御質問、すなわち原子力発電といったようなものがどのくらいのあとになったならば実用化するかという点でございますが、ただいままでのところ、いろいろな国々でいわれております原子力発電は、いわば見せもの的な意味を持っているか、あるいは原子兵器産業というものの裏側として考えられている原子発電であるかのどちらかであると私は考えております。たとえば、イギリスが昨年の初めから始めましたもの、あるいはアメリカがピッツバーグの近くに昨年の九月にくわ入れ式を行いました、そういう何万キロワットと申します原子力発電所は、いずれもいわばこういうことが技術的にできるぞということを世界にデモンストレートするための、いわば原子力発電所でございまして、そういうものは普通の意味で実用品ではないと私は考えます。それはちょどテレビジョンならテレビジョンが一台二十万円も三十万円もする時代のことに該当いたしまして、別にテレビジョンの道具が商売にならなかったという当時に相当すると思うのであります。では商売になるような原子力発電が一体いつごろになってできるかと申しますと、それについてはもちろん見通しに困難な要素がたくさんございますので、非常にばく然としたことしか申し上げられないのでありますが、まず非常に早くて十年の後、大体のところが十五年から二十年くらい先というのが普通の見通しではなかろうかと考えております。日本で原子力発電そのものに関する研究をやるとかやらないとかいうことは一応無関係に、世界の趨勢としてそうであるということを申し上げたわけでございます。日本でやる場合にそれに追いつけるかどうかということは、つまり日本の政策としてどれだけ原子力にお金をつぎ込むか、そのつぎ込み方によって非常に制約されるわけでございまして、非常にたくさんの自由なお金が使えるものといたしますならば、先進国並みの仕事を今からやっても決しておくれをとらないようにやれるとは思いますが、そのためには相当大きな経済的な負担を国民にかけることになろうと私は考えます。日本といたしましては、日本でやりながらも、なおかつ欧米の水準におくれないようにするためには、よく検討された道をとっていかなければならないと考えます。
そういう方法によってなおかつ欧米の水準に近づき得るであろうと申しますゆえんをちょっと御説明申し上げますと、たとえばアメリカとイギリスという国がそうであると思います。アメリカの方はイギリスに比べましてまず一けた上、十倍の金額を原子力に対して注ぎ込んでおります。ですから十倍だけ速度が早く原子力発電所ができたはずですが、そうではなく、むしろアメリカの方が実験的な、デモンストレーション的な原子力発電所にはおくれをとっているわけです。それには別な意味が働いているわけでもございましょうが、なかんずくアメリカの研究の方針というものは非常に多目的と申しますか、非常に多種多様な原子炉の型をシラミつぶしに研究するというような研究の仕方をやっております。ところがイギリスの研究の仕方は、ある特別な原子炉の型に取りつきまして、その特別な型の原子炉というものをそのまま発展させていくという方法をとっておりますので、その一つの型だけがぐんぐん進展していってアメリカの水準まで追いついているというような形になっているわけでございます。日本が原子力の研究をいたしますにつきましても、アメリカ式の何でもかんでもやるといったような形ができないことは明らかでありますが、日本は日本なりに一つの研究の方針を確立しておきますならば、あとから出発いたしましても、実際に原子力発電が実用化される暁には、十分日本の国民の要望にこたえるような技術が確立されるわけだ、こう考えているわけでございます。