予算委員会公聴会
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会
会議録情報#0
昭和三十年五月二十日(金曜日)
午前十時四十五分開議
出席委員
委員長 牧野 良三君
理事 上林山榮吉君 理事 重政 誠之君
理事 中曽根康弘君 理事 小坂善太郎君
理事 西村 直己君 理事 赤松 勇君
理事 今澄 勇君
稻葉 修君 宇都宮徳馬君
北村徳太郎君 楠美 省吾君
小枝 一雄君 河本 敏夫君
纐纈 彌三君 齋藤 憲三君
福田 赳夫君 藤本 捨助君
古井 喜實君 眞崎 勝次君
松浦周太郎君 三浦 一雄君
村松 久義君 米田 吉盛君
相川 勝六君 愛知 揆一君
植木庚子郎君 北澤 直吉君
倉石 忠雄君 野田 卯一君
橋本 龍伍君 平野 三郎君
福永 一臣君 阿部 五郎君
伊藤 好道君 久保田鶴松君
志村 茂治君 田中織之進君
田中 稔男君 福田 昌子君
武藤運十郎君 柳田 秀一君
井堀 繁雄君 岡 良一君
小平 忠君 杉村沖治郎君
出席国務大臣
厚 生 大 臣 川崎 秀二君
出席政府委員
防衛政務次官 田中 久雄君
大蔵政務次官 藤枝 泉介君
大蔵事務官
(主計局長) 森永貞一郎君
厚生政務次官 紅露 みつ君
建設政務次官 今井 耕君
出席公述人
大阪大学教授 伏見 康治君
長野県知事 林 虎雄君
全国農業会議所
事務局長 楠見 義男君
早稲田大学教授 一又 正雄君
日本官公庁労働
組合協議会議長 柴谷 要君
東京大学教授 武田 隆夫君
委員外の出席者
専 門 員 小林幾次郎君
専 門 員 園山 芳造君
専 門 員 小竹 豊治君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
昭和三十年度総予算について
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この発言だけを見る →午前十時四十五分開議
出席委員
委員長 牧野 良三君
理事 上林山榮吉君 理事 重政 誠之君
理事 中曽根康弘君 理事 小坂善太郎君
理事 西村 直己君 理事 赤松 勇君
理事 今澄 勇君
稻葉 修君 宇都宮徳馬君
北村徳太郎君 楠美 省吾君
小枝 一雄君 河本 敏夫君
纐纈 彌三君 齋藤 憲三君
福田 赳夫君 藤本 捨助君
古井 喜實君 眞崎 勝次君
松浦周太郎君 三浦 一雄君
村松 久義君 米田 吉盛君
相川 勝六君 愛知 揆一君
植木庚子郎君 北澤 直吉君
倉石 忠雄君 野田 卯一君
橋本 龍伍君 平野 三郎君
福永 一臣君 阿部 五郎君
伊藤 好道君 久保田鶴松君
志村 茂治君 田中織之進君
田中 稔男君 福田 昌子君
武藤運十郎君 柳田 秀一君
井堀 繁雄君 岡 良一君
小平 忠君 杉村沖治郎君
出席国務大臣
厚 生 大 臣 川崎 秀二君
出席政府委員
防衛政務次官 田中 久雄君
大蔵政務次官 藤枝 泉介君
大蔵事務官
(主計局長) 森永貞一郎君
厚生政務次官 紅露 みつ君
建設政務次官 今井 耕君
出席公述人
大阪大学教授 伏見 康治君
長野県知事 林 虎雄君
全国農業会議所
事務局長 楠見 義男君
早稲田大学教授 一又 正雄君
日本官公庁労働
組合協議会議長 柴谷 要君
東京大学教授 武田 隆夫君
委員外の出席者
専 門 員 小林幾次郎君
専 門 員 園山 芳造君
専 門 員 小竹 豊治君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
昭和三十年度総予算について
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牧
牧野良三#1
○牧野委員長 これより昭和三十年度総予算案につきまして公聴会を開きます。
開会に当りまして御出席の公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ、わざわざ当委員会のためにお時間をおさきいただきましてまことに感謝にたえません。厚くお礼を申し上げます。申し上げるまでもなくこの公聴会を開きますのは、目下この委員会において審議中でございまする昭和三十年度総予算案の内容につきまして、広く各界の学識経験者であられる各位の御意見を承わりまして、本予算案の審査の参考といたし、審査を一そう権威あらしめたいためにほかなりません。何とぞ各位におかれましては、忌憚なく御意見をお吐きいただきまして、われわれの参考に供していただきたいと存じます。
なお議事の順序について申し上げまするが、公述人各位の御意見を述べられるお時間を、大体二、三十分というお心でお述べいただきたいと存じ、御一名ずつ順次お願いいたしたいと存じます。
なお念のために申し上げまするが、衆議院規則の定めるところによりまして、御発言の際には御迷惑ながら委員長をお呼びくださいまして、しかる後に御発言願いたいと存じます。また御発言の内容は意見を聞きまする案件の範囲を越えないようにお願いをいたしたいと存じます。また委員は公述人の皆様に御質疑をいたすのでございまするが、公述人は委員に対して質疑をなされることはできないことになっておりまするから、蛇足ながら申し添えておきます。
これからお願いすることにいたします。大阪大学の教授伏見康治君より御意見を承わることにいたします。伏見康治君。
この発言だけを見る →開会に当りまして御出席の公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ、わざわざ当委員会のためにお時間をおさきいただきましてまことに感謝にたえません。厚くお礼を申し上げます。申し上げるまでもなくこの公聴会を開きますのは、目下この委員会において審議中でございまする昭和三十年度総予算案の内容につきまして、広く各界の学識経験者であられる各位の御意見を承わりまして、本予算案の審査の参考といたし、審査を一そう権威あらしめたいためにほかなりません。何とぞ各位におかれましては、忌憚なく御意見をお吐きいただきまして、われわれの参考に供していただきたいと存じます。
なお議事の順序について申し上げまするが、公述人各位の御意見を述べられるお時間を、大体二、三十分というお心でお述べいただきたいと存じ、御一名ずつ順次お願いいたしたいと存じます。
なお念のために申し上げまするが、衆議院規則の定めるところによりまして、御発言の際には御迷惑ながら委員長をお呼びくださいまして、しかる後に御発言願いたいと存じます。また御発言の内容は意見を聞きまする案件の範囲を越えないようにお願いをいたしたいと存じます。また委員は公述人の皆様に御質疑をいたすのでございまするが、公述人は委員に対して質疑をなされることはできないことになっておりまするから、蛇足ながら申し添えておきます。
これからお願いすることにいたします。大阪大学の教授伏見康治君より御意見を承わることにいたします。伏見康治君。
伏
伏見康治#2
○伏見公述人 伏見でございます。原子力の平和利用の問題につきまして、私が考えておりますことを、昨日の藤岡由夫教授のお話とも関連させまして申し上げてみたいと思います。藤岡先生と私との根本的な意見におきましては別に少しも違わないのでございますが、多少観点の違った点からの意見を申し上げてみたいと思います。原子力の平和利用に関連いたしまして、よく近ごろ日本の方々が言われることの中に、日本は広島、長崎で原子爆弾を受け、原子力について大へんひどい目にあったのである。従って今度は平和利用の面で大いに恩恵を施してもらわなければならない、そういうような御発言がときどき見受けられるわけでありますが、そうしてその通りでもあると思いますが、しかし平和利用の面というものと、それから日本国民が受けました広島、長崎のときの惨害の面というものは、切り離すことのできない一体のものでございまして、それを常に私たちは念頭に置いて、原子力の平和利用の問題を考えていかなければならないという点を申し上げたいわけでございます。広島、長崎の直後におきまして、まだいわゆる冷たい戦争が始まっておりません間は、世界中の方々が大へん理想主義的な御気分におありになったと見えまして、原子力の国際管理という問題がはなはだ熱心に論議されたわけでございます。そうして私たちが実際そういうことがやがて可能になり、原子戦争の恐怖といったようなものから近いうちにはのがれられるであろうということを信じておったのでありますが、残念ながらそういう問題というものは、その後すっかりたな上げになってしまいまして、いわゆる米ソ間の冷たい戦争の陰に隠れてしまいました。原子力の国際管理という問題は見えなくなってしまったわけでございます。そうして十年ばかりたちました今日になりまして、原子力の平和利用という面がにわかに勢い強く燃え上って来たわけでございます。そこに私は何か非常に不自然なものを感ずるわけでございまして、この原子力の兵器的な面というものに対する十分な防護措置というものを施しておきませんで、ただ平和利用という面だけを私たちはやれやれというような意味で考えていくわけにはいかないわけでございます。この国際管理問題がなぜ暗礁に乗り上げているかというようなことは私の専門外のことでございましてこれは国際外交の非常な機微に属することでございますので、これは皆様方の方が御専門でございますので申し上げようとはさらさら思いませんですが要するにその暗礁に乗り上げた根本的な原因は片方のアメリカ側の原子爆弾をすでに持っているという立場からとそれからソビエトの方が持たなかった、もしくは持っていても劣勢であるという立場から来る意見の違いのように見受けられるわけであります。そこをそのまま、それぞれの立場というものを乗り越えた国際的な原子力管理という問題が実際できるということを、私たちはその当時希望しておったのですが、それがついにそのかきねが乗り越えられなかったということであろうと思います。今日におきましても、原子力の国際管理の問題というものは、決して無視してはならない問題でございまして、何とかしてこの原子兵器というものが使われずに済みますように、私たちは皆様の、ことに日本の政治家の皆様が御努力下さいますようにお願いいたしたいと思うわけであります。
それで原子力の平和利用という面がにわかに強くなって参りましたのは、一昨年の暮れにアイゼンハワー大統領が国連総会において、アトム・フォー・ピースという提案をいたしましてから急に盛んになって来たわけでございますが、そのアイゼンハワー大統領の演説なるものを幾ら読みましても、その兵器の方の国際管理問題というものと、その平和利用というものがどういう関係にあるのかということが、とんと私には了解し得ないわけでございます。いわば平和利用それ自身が盛んになるということは、これは兵器問題から切り離してしまえば大へんけっこうなことでございまして、平和利用が盛んになり、それから国々の間の協調の面が、原子力というようなひもによってさらに強くなって行くということもそれ自身けっこうでございますが、しかし原子力に関しまして私たちが一番強い関心を持っておりますのは、その大量殺戮の威力というところにあるのだと思います。この方を何とか防ぐということを考えずに、平和利用という面だけを取り出して考えるということは、私には不可解なように思えるわけです。そして現実にいろいろな国々がやっております行動というものは、この二つの問題を決して切り離してはいない、そういうふうにしか考えられないわけでございます。たとえばイギリスが昨年の初めから原子力発電所の建設にとりかかりまして、それが来年か再来年あたりにでき上って発電を開始するそうでございますが、このコールダホールという所にできます原子力発電所といったようなものは、これは現在イギリスが兵器のためにプルトニウムの生産を行なっておりますが、そのプルトニウム生産用の原子炉と少しも性質において変らないものでございます。ただ今までプルトニウムの生産をいたします場合に出て参りますおびただしい熱をただむだに捨てておりましたのを、それを有効に発電にも使おうということでありまして、その本来の目的であるプルトニウム生産というものは捨てられておるわけではございません。つまり兵器の生産ということと平和利用というのが抱き合せになっているとしか私には考えられないわけでございます。もちろん純粋に平和利用をする場合にプルトニウムというものは生産されますので、これはどこまでも平和利用の原子力発電所であるということを言い切られましても、その通りでありますが、しかし現実問題といたしましては、イギリスはそのプルトニウム生産という大きな経済的な負担を、平和利用の面に肩がわりさせるためにやっているというのが、私には最も現実的な解釈ではないかと思われるわけであります。
そのほか幾らでも私の考えを申し上げることができますが、要するに現実に行われております平和産業は、原子力兵器産業とからみ合ったものである。従ってもし私たち日本人が、特に広島、長崎というものの思い出というものをいつまでもかたく持っておりまして、原子兵器が使われないための努力というものを絶えず続けて行かなければならないといたしますれば、この原子力平和利用の面におきましても、絶えずこの兵器というものの関連において進んで行かなければならないと思っております。
ただしこう申し上げたからと申しましても、私は、この兵器の恐怖というものが常にある限りにおいては、平和産業の方に手をつけてはならないなどと申し上げているわけではございません。私は相当久しい以前から、学術会議の内部で原子力の研究を開始すべきだということを申し上げまして、いろいろ皆さんの御討論をいただいておるわけでございますが、問題は、この原子力の平和利用というような非常に大きな問題の中に、日本国民として特に関心を持っている、兵器の方へ行かないためにどうすればいいかというその境界点を絶えず慎重に考慮しながら、平和利用の面を盛り立てて行くというその努力のところにかかっていると私は思っているわけでございます。それで私が思いますのには、現在日本で原子力の平和利用というようなものを始めるに際して一番大事なことは、日本が日本独自の立場でまず仕事を始めて行くという問題であろうと考えているわけです。それが特に原子兵器との関係においてそう申し上げたいわけであります。と申しますのは、原子力の先進国と称せられる国々の原子力の事業というものは、アメリカにいたしましてもイギリスにいたしましても、あるいはソビエトにいたしましても、全部兵器産業という形でまず発達したものであります。そういう形で発達したものでありますから、私たち日本人だけが平和利用の面だけを育てるつもりでも、そういう大きな流れに接触すればするほど、兵器への結びつきというものが大きくなって来るわけでございます。で、私たちは、そういう意味において日本人だけが何も平和を愛好する国民であるなどと申し上げるつもりではございませんけれども、しかし原子爆弾によって実際に大きな被害を受けて、三十万人の同胞を殺しているのは日本人でありますので、少くとも原子力に関する限りは、日本人が世界の中で、原子力を平和利用に限定することに対して一番強い関心を示している国民であろうと思いますので、その国民自身が原子力の平和利用をやる場合には一番危険性が少い、よその兵器産業に密着すればするほどそういう危険が増して来るというふうに私には考えられるわけであります。そういう観点から申しまして、日本で原子力の平和利用が始まります場合には、できるだけ日本人自身の自主性のもとにおいてこれをやっていきたい、こう私は考えているわけであります。
ただ最近になって出て参りましたいろいろな話というものが、原子力に関するいろいろな新聞のニュースといったようなものが急にふえて参りましたその理由が、もっぱら外部から参るいろいろなニュースが根本になっている。たとえばどこそこの国がアメリカと濃縮ウラニウム受け入れの契約を結んだといったような記事、つまり外部の動きによって日本の原子力平和利用というものの関心が高まって来ているということは、これは私としては非常に残念なことでございます。数年前私が学術会議におきまして原子力の平和利用の研究をすべきだというような際に申し上げた学術的な意味でのそういう討論の中では、いつも原子力に対してきわめて消極的でおありになった方方が、現在の段階りになますと急に大へん勢いがよくなって、原子力、原子力と言われる方が多くなって来ているように私には考えられるわけであります。そういたしますと、そういう方々はいわば原子力というものの外側だけを考えておられる方々であって、原子力の内部の学問的な進展ということから原子力をやらなければならないというふうにお考えになっているのではないと考えざるを得ないわけであります。私は原子力というものの学問的な力から、原子力は当然日本でもやらなければならないと考えて来たわけでございますので、そういう方々の御意見を近ごろ拝聴する機会の多いのははなはだ残念でございます。そういう意味で私は、日本の原子力というものがそういう外部的な条件によって左右されるのではなくして、日本人自身の内部に自然に育って行くようなものでありたい、こう考えております。
ところが原子力というものは大へん金がかかるものでございます。ちょっとやそっとのお金でもって、この原子力問題が地についた私たち国民の生活に利益になるようなものになりません。お金がたくさんかかるというという意味からも、まず皆様がごく慎重に考えてこの予算の問題を取り扱っていただきたいと希望いたします。
その第一に申し上げておきたいことは、ごく限られた私たちの貧乏世帯の中で、限られた予算を使います上に、その予算をできるだけ正しい使い方をしていただきたいということでございますが、その第一は日本で原子力の研究を自主的にやっていくために、一体何が大切なのであるか。その重心的なところにお金を入れていただきたいということであります。外国からいろいろ技術的な援助を受けることもある段階では必要であろうと私は考えますけれども、その受け入れるということは、あくまでも自分自身がすでに何事かを持っていて、その補助になるという意味で受け入れるべきであろうと私は考えます。外国から受け入れるということがむしろ中心であって、日本でやるということは単にその補助にしかすぎないというような形であるならば、日本の原子力の問題は、日本国民のものにならずに終ってしまうと私は考えます。それで原子力のことについて、一体どういうことが行われるべきかということを申し上げますと、原子力の実際上の課題というものは、今日ではもはや原子核物理学者の手から離れまして、むしろ科学工学者の手に移っているわけであります。と申しますのは、この原子核の分裂連鎖反応ということを行わせる、ウラニウムの原子核にそういうことを行わせるということができるという理屈を発見いたしましたものは、物理学者の永年の研究のたまものでありましょうけれども、一たびそういう科学的な事実というものが発見されてしまいますれば、それから先はその科学者の命じた通りにすればできるのでありまして、これが科学とほかのおまじないというものとの根本的な違いであります。科学的な発見はそれが一たび発見された以上は、万人共有のものになりまして、だれでもそのまねをすることができるものであります。今日におきましては、原子炉というものは、それを作るということ自身はそう本質的にむずかしい問題ではないのでありまして、要するに石炭に火をつけるならば燃えるということと同じであります。ただそれを燃ますためには、適当な物質が必要である。その物質を調達することが原子力問題の主要な眼目になってきているわけであります。そういたしますと、この物質を作るという役目は結局は全部科学工学者の役目でありまして、物理学者の領域の問題でなくなっているということが特に大切であろうと私は考えます。この科学工学者の働きます上での資源の問題、それからそれを育て上げていくという上での技術という二つの面がございますが、その二つの面を日本人自身の中で特にやっていくということが一番大切なことではなかろうかと思います。そういう物質を調達するという面をなくしてしまった、最後の純粋のウラニウムであるとか純粋のグラファイトといったようなものをどこかよそから持って参りまして、ただそれを組み立てて原子炉を作るというのでありますならば、実は私どものような勉強していないものでもすぐできることであります。一番根幹のところはそういう基礎的な物質を自分自身で調達していくその苦労の多い道をとるところにあるのではなかろうかと思います。実際またそういう苦労をして初めて原子力に関する利益は、十全に私たちが味わうことができるようになると思います。原子力からどういう利益が得られるのかという問題はたびたび議論されておりますが、しかしもっぱらその最終産物である原子力発電によるエネルギーだけがいつも問題になっておりまして、もっと別の意味の原子力の副産物をあまりお考えになっていないようでございますので、その点を申し上げてみたいと思います。
原子力の究極のエネルギーというものが発電の形で、私たちの水力や火力に並んで現われるということ自身はけっこうでありますが、そのほかにこの原子力というものを開拓していく上に、技術者は全く今まで経験しなかった新しい課題と取り組まなければならなくなってきています。この新しい課題と取り組みましたために、いろいろの新しい技術の開発が行われているのでありまして、日本がもし原子力の問題をやらなかった場合に、そういう強い問題というものに出会わずに済んでしまいますれば、日本の技術者というものはそういう得がたい問題というものに取り組む機会を失ってしまうことになります。そういうたくさんの技術的な課題を自分自身が克服していくという、そういうことをやってこそ初めて日本の原子力というものが日本自身のものになる、こう考えるわけでございます。ひどく末端的な例を申し上げますが、実際そういう原子力自身を仕上げていくために必要な技術の中から、実は思いがけないような別の面への技術というものが開けていっておるわけであります。たとえば純粋なグラファイトを作るという努力が積み重ねられました結果、ひどく純粋なグラファイトが割合廉価に手に入るようになります。原子炉用グラファイトというものが一つの商品の品目の中に入ってきたわけであります。その結果その純粋なグラファイトを使いまして、るつぼのようなものをつくりまして、あらためて純粋な金属をやる冶金というものをやってみますと、今まで工業的には達成し得なかった純粋な金属の製造ができるようになってきた。そしていろいろな金属工学の方の新しい問題が解けるようになってきたというお話がございますが、原子力とは直接関係のないような面にも、原子力技術というものを開拓していく上での副産物というものが現われてくるわけであります。そういう副産物というものは、みずからがそういう基礎的な仕事をやらずにいましたならば、全然会わずに済んでしまうというわけであります。ただ私たちは最終の形が、電気エネルギーという形で、私たちの家庭の電気の中の何割かが原子力エネルギーでまかなわれておるのだということだけを知るにとどまります。そういう形でなくて、原子力技術というものをみずから経験していく、それを一つ一つかみ砕いていくということによって、原子力に関する利益というものを満喫しなければ、私たち日本国民としては承知できない、そういう立場にあるのではないかと思います。
そういう意味合いから申しまして、私は現在日本の手をつけるべき最大の肝心な点というものは、外国からウラニウムを入れるとか入れないというような問題ではございませんで、ある場合にはそういうものを入れてもよろしいと思いますけれども、肝心な点というものはそこにあるのではなくして、日本におけるそういう意味での自主的な原子力研究の将来を築き上げていくという、まさにそこに問題があるのだと思います。つまりそういう肝心な面から比べますれば、濃縮ウラニウムの受け入れ問題といったようなものは、二の次三の次の問題にしかすぎない。それが現在では、特に新聞紙上におきましては話が転倒しておりまして、その方が最大重要な課題になっており、日本国内における原子力技術の確立といったようなものが二の次、三の次であるかのように取り扱われておる。これが私にとって非常に大きな心配なのであります。どうか皆様の御努力によりまして、日本に原子力技術というものが確立されますように、特に最も根本的な、たとえばウラニウム資源といったようなものからも、ウラニウム資源の国内における探査といったようなことからも、根本的な努力というものを注いでいただいて、ほんとうに日本のためになる日本の原子力という形に持っていっていただきたいと思っておるわけでございます。
この発言だけを見る →それで原子力の平和利用という面がにわかに強くなって参りましたのは、一昨年の暮れにアイゼンハワー大統領が国連総会において、アトム・フォー・ピースという提案をいたしましてから急に盛んになって来たわけでございますが、そのアイゼンハワー大統領の演説なるものを幾ら読みましても、その兵器の方の国際管理問題というものと、その平和利用というものがどういう関係にあるのかということが、とんと私には了解し得ないわけでございます。いわば平和利用それ自身が盛んになるということは、これは兵器問題から切り離してしまえば大へんけっこうなことでございまして、平和利用が盛んになり、それから国々の間の協調の面が、原子力というようなひもによってさらに強くなって行くということもそれ自身けっこうでございますが、しかし原子力に関しまして私たちが一番強い関心を持っておりますのは、その大量殺戮の威力というところにあるのだと思います。この方を何とか防ぐということを考えずに、平和利用という面だけを取り出して考えるということは、私には不可解なように思えるわけです。そして現実にいろいろな国々がやっております行動というものは、この二つの問題を決して切り離してはいない、そういうふうにしか考えられないわけでございます。たとえばイギリスが昨年の初めから原子力発電所の建設にとりかかりまして、それが来年か再来年あたりにでき上って発電を開始するそうでございますが、このコールダホールという所にできます原子力発電所といったようなものは、これは現在イギリスが兵器のためにプルトニウムの生産を行なっておりますが、そのプルトニウム生産用の原子炉と少しも性質において変らないものでございます。ただ今までプルトニウムの生産をいたします場合に出て参りますおびただしい熱をただむだに捨てておりましたのを、それを有効に発電にも使おうということでありまして、その本来の目的であるプルトニウム生産というものは捨てられておるわけではございません。つまり兵器の生産ということと平和利用というのが抱き合せになっているとしか私には考えられないわけでございます。もちろん純粋に平和利用をする場合にプルトニウムというものは生産されますので、これはどこまでも平和利用の原子力発電所であるということを言い切られましても、その通りでありますが、しかし現実問題といたしましては、イギリスはそのプルトニウム生産という大きな経済的な負担を、平和利用の面に肩がわりさせるためにやっているというのが、私には最も現実的な解釈ではないかと思われるわけであります。
そのほか幾らでも私の考えを申し上げることができますが、要するに現実に行われております平和産業は、原子力兵器産業とからみ合ったものである。従ってもし私たち日本人が、特に広島、長崎というものの思い出というものをいつまでもかたく持っておりまして、原子兵器が使われないための努力というものを絶えず続けて行かなければならないといたしますれば、この原子力平和利用の面におきましても、絶えずこの兵器というものの関連において進んで行かなければならないと思っております。
ただしこう申し上げたからと申しましても、私は、この兵器の恐怖というものが常にある限りにおいては、平和産業の方に手をつけてはならないなどと申し上げているわけではございません。私は相当久しい以前から、学術会議の内部で原子力の研究を開始すべきだということを申し上げまして、いろいろ皆さんの御討論をいただいておるわけでございますが、問題は、この原子力の平和利用というような非常に大きな問題の中に、日本国民として特に関心を持っている、兵器の方へ行かないためにどうすればいいかというその境界点を絶えず慎重に考慮しながら、平和利用の面を盛り立てて行くというその努力のところにかかっていると私は思っているわけでございます。それで私が思いますのには、現在日本で原子力の平和利用というようなものを始めるに際して一番大事なことは、日本が日本独自の立場でまず仕事を始めて行くという問題であろうと考えているわけです。それが特に原子兵器との関係においてそう申し上げたいわけであります。と申しますのは、原子力の先進国と称せられる国々の原子力の事業というものは、アメリカにいたしましてもイギリスにいたしましても、あるいはソビエトにいたしましても、全部兵器産業という形でまず発達したものであります。そういう形で発達したものでありますから、私たち日本人だけが平和利用の面だけを育てるつもりでも、そういう大きな流れに接触すればするほど、兵器への結びつきというものが大きくなって来るわけでございます。で、私たちは、そういう意味において日本人だけが何も平和を愛好する国民であるなどと申し上げるつもりではございませんけれども、しかし原子爆弾によって実際に大きな被害を受けて、三十万人の同胞を殺しているのは日本人でありますので、少くとも原子力に関する限りは、日本人が世界の中で、原子力を平和利用に限定することに対して一番強い関心を示している国民であろうと思いますので、その国民自身が原子力の平和利用をやる場合には一番危険性が少い、よその兵器産業に密着すればするほどそういう危険が増して来るというふうに私には考えられるわけであります。そういう観点から申しまして、日本で原子力の平和利用が始まります場合には、できるだけ日本人自身の自主性のもとにおいてこれをやっていきたい、こう私は考えているわけであります。
ただ最近になって出て参りましたいろいろな話というものが、原子力に関するいろいろな新聞のニュースといったようなものが急にふえて参りましたその理由が、もっぱら外部から参るいろいろなニュースが根本になっている。たとえばどこそこの国がアメリカと濃縮ウラニウム受け入れの契約を結んだといったような記事、つまり外部の動きによって日本の原子力平和利用というものの関心が高まって来ているということは、これは私としては非常に残念なことでございます。数年前私が学術会議におきまして原子力の平和利用の研究をすべきだというような際に申し上げた学術的な意味でのそういう討論の中では、いつも原子力に対してきわめて消極的でおありになった方方が、現在の段階りになますと急に大へん勢いがよくなって、原子力、原子力と言われる方が多くなって来ているように私には考えられるわけであります。そういたしますと、そういう方々はいわば原子力というものの外側だけを考えておられる方々であって、原子力の内部の学問的な進展ということから原子力をやらなければならないというふうにお考えになっているのではないと考えざるを得ないわけであります。私は原子力というものの学問的な力から、原子力は当然日本でもやらなければならないと考えて来たわけでございますので、そういう方々の御意見を近ごろ拝聴する機会の多いのははなはだ残念でございます。そういう意味で私は、日本の原子力というものがそういう外部的な条件によって左右されるのではなくして、日本人自身の内部に自然に育って行くようなものでありたい、こう考えております。
ところが原子力というものは大へん金がかかるものでございます。ちょっとやそっとのお金でもって、この原子力問題が地についた私たち国民の生活に利益になるようなものになりません。お金がたくさんかかるというという意味からも、まず皆様がごく慎重に考えてこの予算の問題を取り扱っていただきたいと希望いたします。
その第一に申し上げておきたいことは、ごく限られた私たちの貧乏世帯の中で、限られた予算を使います上に、その予算をできるだけ正しい使い方をしていただきたいということでございますが、その第一は日本で原子力の研究を自主的にやっていくために、一体何が大切なのであるか。その重心的なところにお金を入れていただきたいということであります。外国からいろいろ技術的な援助を受けることもある段階では必要であろうと私は考えますけれども、その受け入れるということは、あくまでも自分自身がすでに何事かを持っていて、その補助になるという意味で受け入れるべきであろうと私は考えます。外国から受け入れるということがむしろ中心であって、日本でやるということは単にその補助にしかすぎないというような形であるならば、日本の原子力の問題は、日本国民のものにならずに終ってしまうと私は考えます。それで原子力のことについて、一体どういうことが行われるべきかということを申し上げますと、原子力の実際上の課題というものは、今日ではもはや原子核物理学者の手から離れまして、むしろ科学工学者の手に移っているわけであります。と申しますのは、この原子核の分裂連鎖反応ということを行わせる、ウラニウムの原子核にそういうことを行わせるということができるという理屈を発見いたしましたものは、物理学者の永年の研究のたまものでありましょうけれども、一たびそういう科学的な事実というものが発見されてしまいますれば、それから先はその科学者の命じた通りにすればできるのでありまして、これが科学とほかのおまじないというものとの根本的な違いであります。科学的な発見はそれが一たび発見された以上は、万人共有のものになりまして、だれでもそのまねをすることができるものであります。今日におきましては、原子炉というものは、それを作るということ自身はそう本質的にむずかしい問題ではないのでありまして、要するに石炭に火をつけるならば燃えるということと同じであります。ただそれを燃ますためには、適当な物質が必要である。その物質を調達することが原子力問題の主要な眼目になってきているわけであります。そういたしますと、この物質を作るという役目は結局は全部科学工学者の役目でありまして、物理学者の領域の問題でなくなっているということが特に大切であろうと私は考えます。この科学工学者の働きます上での資源の問題、それからそれを育て上げていくという上での技術という二つの面がございますが、その二つの面を日本人自身の中で特にやっていくということが一番大切なことではなかろうかと思います。そういう物質を調達するという面をなくしてしまった、最後の純粋のウラニウムであるとか純粋のグラファイトといったようなものをどこかよそから持って参りまして、ただそれを組み立てて原子炉を作るというのでありますならば、実は私どものような勉強していないものでもすぐできることであります。一番根幹のところはそういう基礎的な物質を自分自身で調達していくその苦労の多い道をとるところにあるのではなかろうかと思います。実際またそういう苦労をして初めて原子力に関する利益は、十全に私たちが味わうことができるようになると思います。原子力からどういう利益が得られるのかという問題はたびたび議論されておりますが、しかしもっぱらその最終産物である原子力発電によるエネルギーだけがいつも問題になっておりまして、もっと別の意味の原子力の副産物をあまりお考えになっていないようでございますので、その点を申し上げてみたいと思います。
原子力の究極のエネルギーというものが発電の形で、私たちの水力や火力に並んで現われるということ自身はけっこうでありますが、そのほかにこの原子力というものを開拓していく上に、技術者は全く今まで経験しなかった新しい課題と取り組まなければならなくなってきています。この新しい課題と取り組みましたために、いろいろの新しい技術の開発が行われているのでありまして、日本がもし原子力の問題をやらなかった場合に、そういう強い問題というものに出会わずに済んでしまいますれば、日本の技術者というものはそういう得がたい問題というものに取り組む機会を失ってしまうことになります。そういうたくさんの技術的な課題を自分自身が克服していくという、そういうことをやってこそ初めて日本の原子力というものが日本自身のものになる、こう考えるわけでございます。ひどく末端的な例を申し上げますが、実際そういう原子力自身を仕上げていくために必要な技術の中から、実は思いがけないような別の面への技術というものが開けていっておるわけであります。たとえば純粋なグラファイトを作るという努力が積み重ねられました結果、ひどく純粋なグラファイトが割合廉価に手に入るようになります。原子炉用グラファイトというものが一つの商品の品目の中に入ってきたわけであります。その結果その純粋なグラファイトを使いまして、るつぼのようなものをつくりまして、あらためて純粋な金属をやる冶金というものをやってみますと、今まで工業的には達成し得なかった純粋な金属の製造ができるようになってきた。そしていろいろな金属工学の方の新しい問題が解けるようになってきたというお話がございますが、原子力とは直接関係のないような面にも、原子力技術というものを開拓していく上での副産物というものが現われてくるわけであります。そういう副産物というものは、みずからがそういう基礎的な仕事をやらずにいましたならば、全然会わずに済んでしまうというわけであります。ただ私たちは最終の形が、電気エネルギーという形で、私たちの家庭の電気の中の何割かが原子力エネルギーでまかなわれておるのだということだけを知るにとどまります。そういう形でなくて、原子力技術というものをみずから経験していく、それを一つ一つかみ砕いていくということによって、原子力に関する利益というものを満喫しなければ、私たち日本国民としては承知できない、そういう立場にあるのではないかと思います。
そういう意味合いから申しまして、私は現在日本の手をつけるべき最大の肝心な点というものは、外国からウラニウムを入れるとか入れないというような問題ではございませんで、ある場合にはそういうものを入れてもよろしいと思いますけれども、肝心な点というものはそこにあるのではなくして、日本におけるそういう意味での自主的な原子力研究の将来を築き上げていくという、まさにそこに問題があるのだと思います。つまりそういう肝心な面から比べますれば、濃縮ウラニウムの受け入れ問題といったようなものは、二の次三の次の問題にしかすぎない。それが現在では、特に新聞紙上におきましては話が転倒しておりまして、その方が最大重要な課題になっており、日本国内における原子力技術の確立といったようなものが二の次、三の次であるかのように取り扱われておる。これが私にとって非常に大きな心配なのであります。どうか皆様の御努力によりまして、日本に原子力技術というものが確立されますように、特に最も根本的な、たとえばウラニウム資源といったようなものからも、ウラニウム資源の国内における探査といったようなことからも、根本的な努力というものを注いでいただいて、ほんとうに日本のためになる日本の原子力という形に持っていっていただきたいと思っておるわけでございます。
牧
岡
岡良一#4
○岡委員 昨日は藤岡先生から、きょうは伏見先生から原子力の問題についていろいろうんちくを傾けられての御意見をいただいておるのでありますが、先生も先般ヨーロッパ諸国、またインド等をお回りになりまして、それぞれの国における原子力の現在の研究の進み方については、親しく見聞をしてこられたお方でありますので、いささかそういう大局的な立場から、なお具体的問題についての先生の御所見を伺いたいと思うのであります。
最初にぶしつけなことをお尋ねいたしますが、新聞等で伝えられるところによると、今度の原子力に関する御調査でヨーロッパへ御出張のときに、先生は英国の方はお入りになれなかったというようなことをちょっと聞いておるのでありますが、そういうことはあったでございましょうか。
この発言だけを見る →最初にぶしつけなことをお尋ねいたしますが、新聞等で伝えられるところによると、今度の原子力に関する御調査でヨーロッパへ御出張のときに、先生は英国の方はお入りになれなかったというようなことをちょっと聞いておるのでありますが、そういうことはあったでございましょうか。
伏
伏見康治#5
○伏見公述人 言葉を濁すようでございますが、イギリスに入らなかったのでもあり、入れなかったのでもあり、その両方、中間のところであろうと私は考えております。と申しますのは、私は客観的な事実だけを申し上げますと、東京のイギリスの出先のところには一ぺんヴィザの申請をいたしました。しかしそのときは、私以外の調査団の方々も一緒にみなヴィザを申請されたのでありますが、それはいわば保留になって、私たちが出発するまでは出なかったわけであります。次に私たちはパリにおいて再びヴィザの申請をするということになったわけでございますが、その際私は申請をいたしませんでした。従ってある意味におきましては、ヴィザの申請を出したのであり、後の段階ではヴィザの申請をしておりませんので、そういう意味で、行かれなかったのと行かなかったのと、ちょうど中間の状態であろうと思っております。
この発言だけを見る →岡
岡良一#6
○岡委員 別に先生に何か苦しい御答弁を求めようと思うのではないのです。ただそういうことを新聞などで見まして、原子力の問題について、学術会議のまじめな良心的な皆さんが、この問題の公開性、自主性、そしてその自由ということをかねがね主張しておられる。私どもはその科学者としての高い良心にはいつも敬意を表しておるわけであります。そこでたまたまそういう意味では先生も筋金入りの方であった。その方がヨーロッパにお入りにならなかったということについて、私どもは何かその間の消息をなお率直にお聞きをしたいと思ってお尋ねをしておるのでありますが、その辺のところ、先生の御心境と申しましょうか、技術的なヴィザの手続の問題じゃなく、もう少し打ち明けたところを伺わしていただければと思いますが、お差しつかえのない範囲をお伺いいたします。
この発言だけを見る →伏
伏見康治#7
○伏見公述人 ただいまの大へん御親切な御質問に対しまして、お答え申し上げます。私は、日本の国内にはただいまのところいわゆる軍備というものはございませんので、本質的な意味での秘密というものはなかろうと考えております。従って日本の国内におきましては、いろいろないわゆる学術会議の原子力に関する三原則の劈頭に掲げてございます原子力に関する情報の公開性といったようなことを、どこまでも貫けるものと考えているわけでございます。しかしながらアメリカやイギリスの原子力研究というものは、あくまでも兵器研究でございますので、それには必ず秘密がまつわっているわけでございます。私たちがアメリカやイギリスのいろいろな原子力に関する研究の情報を得ようといたします場合に、日本の秘密といったようなことをきらいます私たち学者の側から申しまして一番問題になるのは、そういうアメリカやイギリスの秘密のつきまとっている情報というものを、どう始末したらいいかということであったと思うのであります。私たちは、すでに公開された、いわゆるディ・クラシファイされたそういうデータというものは、喜んでアメリカやイギリスからちょうだいしようと思うのでありますが、しかしクラシファイされている、秘密に属しているものを無理に開いていただこうというようなことをしてはいけないと考えているわけでございます。それをいたしますれば、日本の平和なるべき原子力研究というものが、兵器研究というものとまぎれ込み、入り乱れてしまうおそれがあるからであります。私自身もできればいろいろな場所に行って大いによその国の知識も得たいわけでございますけれども、しかしその場合に、無理じいをしてそういうことをするということは、その国の兵器研究というものと結び合ってしまうということを警戒しなければならぬ点がございます。私がアメリカやイギリスに参りませんでしたのは、ある意味においては、そういうことをしいてすることによって、むしろ私のおそれておりました兵器研究との結び合せというものが濃くなるという点を避けようと思ったからでございます。今後の原子力というものをやっていきます上におきましては、先進諸国の知識というものを受け入れなければやっていけないことは、これはどうしても承認しなければなりませんが、その際あくまでも、そういう意味の兵器的なものとのつながりということを必ず排除しながらやっていくということを、念頭に置かなければならぬと思っております。
この発言だけを見る →岡
岡良一#8
○岡委員 先生の先ほどの御公述の中で、現在ではやはり原子力の研究または応用というものは、平和利用と兵器への利用というものが不可分な関係にある、こういうふうなお話がありましたので、そういたしますれば当然進んだ国の進んだ技術なり理論というものに親しく接触しようと思った場合にはやはりこの兵器利用の面にも触れていかなければならないというようなことに事実上なるのじゃないでしょうか。
この発言だけを見る →伏
伏見康治#9
○伏見公述人 そういう機会にたびたび出会わなければならぬということは、十分予想されるわけであります。そこのけじめを一々の場合にどういうふうにやっていくかということが大事な問題でありまして、そういうおそれがあるからといって全然原子力に手を触れてはいけないという態度は建設的ではないと私は考えておるわけであります。つまりその限度というものを一一の場合についてはっきりときめていくべきである。ある一部の議論をなさる方は、そういう限度というものを全然設ける必要はないのだというふうにお考えになり、あるいはそういう限度というものを非常に強くお考えになって、何も手をつけてはいけないというふうにお考えになる方があるわけでございますが、私はそういう立場をとりませんで、一々の場合について、ここまではいい、これから先はいけないというふうに十分に吟味しながら進んでいくべきであると考えているわけです。
この発言だけを見る →岡
岡良一#10
○岡委員 お気持はわかりましたが、そこで先生ヨーロッパを御見聞になって、原子力の利用面について各国では、たとえば民間がおもに力こぶを入れ、資金なり技術なりすべてを民間の手で運用しておる、あるいは国の統制力が非常に強い、そのいずれの方が多いのでしょうか、そういう点について承わってみたいと思います。
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伏見康治#11
○伏見公述人 お答えいたします。これは国によって多少差がございまして、原子力をエネルギー源として使うということを将来の目標に置きまして、そうして国として何か仕事をしようとしておるのが大部分でございます。民間と申しましても、民間が将来のエネルギー源としての原子力の研究を始めようとしている場合にも、現在のスタートの姿は国として動いているわけでございまして、つまり国家的な一つの研究体制というものを作ろうとしておるわけでございます。その指導権が民間側にあるのか、あるいは国というのもおかしいが、国民全体のそういう動き方——どっちでも同じようなものでしょうが、いわゆるお役所的な面から来ているのか、あるいは民間産業的な面から来ているのかということは、これは国によってそれぞれ違いがございまして、ことに小国的な場合には民間産業的なものの方が力が強いように思われるわけですけれども、しかしいずれもでき上っている形態は国家の仕事としてやっているわけでございます。たとえば原子力委員会という名前はどこでも使っておりまして、その実体も同じように思われますけれども、実はみんなそれぞれの原子力委員会がそれぞれ国々の特有の制度を持っておりまして、一がいに申せませんけれども、しかしとにかく何らかの意味において国の事業としてやっておられるように思われたわけでございます。
この発言だけを見る →岡
岡良一#12
○岡委員 さらにきのうもお話が藤岡先生から出ておったようですが、イタリアとかトルコ等にアメリカの濃縮ウランを供与することになったけれども、これに対するそれぞれの当事国間の双務協定にはあまり大したものはないじゃないか、こういうような意見が出ておった。しかし最小限度でもやはり協力の条件として、その機関なり性質なり範囲なりというようなものは、これは当然日本とすれば受け身としてやはり向うの意思を受けなければならないと思うのです。それから秘密保全の保証は当然やはりあると私は思う。そのほか他国にこれを譲渡しない保証とか、特にはまた必要なる面については、それらのデータの自由なる交換もやはり妨げられるのじゃないかということも考えられるわけですが、そういうようなことがあり得るかどうかという先生のお見通し、またそういうことがあり得るとすれば、やはり学術会議でかねて御決定の日本の全科学者の良心的な決意と思うのですが、自由、公開、そして自主、この限界というものはここでもくずれてしまうということに相なり、しかも国家間の双務協定でありますから、国家のいわば権力的な強制によって、学問の自由、自主、公開性がくずれる、こういう危険が私には多分に考えられるわけです。こういう点は先生方諸国をお回りになっての事例について、また日本におけるいろいろな現実について率直にどうお考えになりますか。
この発言だけを見る →伏
伏見康治#13
○伏見公述人 ヨーロッパのいろいろな国々が、やはり歴史的にいろいろな違った状態にございまして、ただいまお尋ねの御観点から申し上げましてもいろいろさまざまでございます。
たとえばベルギーという国を見ますというと、この国は御承知のようにアフリカの植民地コンゴー地方に大へん大きなウラニウム鉱山を持っておりますので、そういう意味で、特に原子力ということでいつも思い浮べられる国でございますが、この国は戦争中ドイツに占領されておりましたような、そうして政府が国外に逃げ出しておるような状況におきまして、このベルギー領コンゴーのウラニウムをアメリカ、イギリスに売るという何か秘密条約をつくっておるわけでございます。で、そういうベルギーという国家といたしましては非常に不利な状況においてつくられましたその条約といったようなものが、その後改訂はされておりますでしょうけれども、その悪い条件というものがいまだに根を引いておりまして、今日でもイギリス、アメリカにベルギー領のコンゴーのウラニウムが非常にたくさん行っておりまして、現にアメリカの使っておりますウラニウムのほとんど七〇%というものがベルギー領コンゴーから補給されて行っているというお話でございます。しかもそのベルギーの国民というものが、ベルギーが幾らでアメリカにウラニウムを売っているのか、どういう値段で売っているのかということを知らされていないというような、非常に秘密の雲に閉ざされた協定のもとに仕事をさせられているわけであります。あのベルギーの国内にもたくさんの原子力物理学者、原子核物理学者がおるにもかかわらず、ごく最近まで原子核研究、あるいは原子力研究というものが行われなかったわけですが、ことし中に大きな原子炉をつくるということになって、今盛んに研究されている最中でございます。せっかく自国の植民地にその莫大なウラニウム資源を持っておられながら、しかもその国の科学者が原子力という問題に今まで十分手をつけることができなかったというようなことも、その占領中の不利な状況における外国のいろいろな制約といったようなものが物を言っているのではなかろうかと私には考えられます。
ところが一方、全く別な立場で、御自分の国の研究を全く自主的にやっておられる国もございます。たとえばスエーデンといったような国は、御自分の国の中にはさしたるウラニウムの豊富な鉱石を持っておられないのでありますが、しかしオイル・シエールというような油を含みました岩石の中に、ごくわずかずつ含まれているウラニウムを処理して、それを何とか自国内で非常に苦労をしながら、ウラニウム資源を開発しようと努力をされている国がございます。そしてその方の原子炉は昨年の夏動き出しているわけでございます。
こういうふうに、ウラニウム資源を持っておりましても、あるいはむしろ持たない方が適当な国でありましても、その国の置かれました国際的な環境の違いによりまして、その国の原子力研究というものの性格がまるで変ってきているわけでございます。日本も資源的には、原子力研究に関してはいろいろな弱点を持っておると思いますが、しかし私たち国民が自主的にこれをやっていくつもりであるかそうでないかというその心がけ——心がけでどうなるものとも考えませんけれども、少くとも心がけにおいて自主的なものでなければ、このベルギー的な思わしくない状況にいく。もし心がけがよければスエーデン的な望ましい方向にいくのではないかと考えております。
ところで現在言われております濃縮ウラニウムの受け入れの際に要求されているいろいろな条項というものについてのいろいろな御質問でございましたが、そういういろいろな条項というものが実際に一体どういう具体的な形をとるかということは、これは実際に当ってみなければ今日においてはあらかじめどうということを申し上げられない性格のものでございます。実際非常に工合の悪い場合には、私たち学術会議の三原則と実際ととても相いれることのできないような線が出てくるかもしれません。それからまた、場合によりましてはそういう三原則の精神とさして矛盾をしないような線で協定が結ばれるかもしれません。どっちになるかということは、結局私たちか自主的にこういうところまでは譲れる、こういうところは譲れないというはっきりした私たちの考え自身を打ち出していくところにあるのだろうと思います。その外交的なときの私たちの物の考え方の強さ、それがしっかりしているかいないか、そこに問題があるのであって、そのときに、いただくのでありますからどういう条件でものみますといったようなこじき根情を出しましたならば、私たちはひどい目にあうということだけを申し上げておきたいと思います。
この発言だけを見る →たとえばベルギーという国を見ますというと、この国は御承知のようにアフリカの植民地コンゴー地方に大へん大きなウラニウム鉱山を持っておりますので、そういう意味で、特に原子力ということでいつも思い浮べられる国でございますが、この国は戦争中ドイツに占領されておりましたような、そうして政府が国外に逃げ出しておるような状況におきまして、このベルギー領コンゴーのウラニウムをアメリカ、イギリスに売るという何か秘密条約をつくっておるわけでございます。で、そういうベルギーという国家といたしましては非常に不利な状況においてつくられましたその条約といったようなものが、その後改訂はされておりますでしょうけれども、その悪い条件というものがいまだに根を引いておりまして、今日でもイギリス、アメリカにベルギー領のコンゴーのウラニウムが非常にたくさん行っておりまして、現にアメリカの使っておりますウラニウムのほとんど七〇%というものがベルギー領コンゴーから補給されて行っているというお話でございます。しかもそのベルギーの国民というものが、ベルギーが幾らでアメリカにウラニウムを売っているのか、どういう値段で売っているのかということを知らされていないというような、非常に秘密の雲に閉ざされた協定のもとに仕事をさせられているわけであります。あのベルギーの国内にもたくさんの原子力物理学者、原子核物理学者がおるにもかかわらず、ごく最近まで原子核研究、あるいは原子力研究というものが行われなかったわけですが、ことし中に大きな原子炉をつくるということになって、今盛んに研究されている最中でございます。せっかく自国の植民地にその莫大なウラニウム資源を持っておられながら、しかもその国の科学者が原子力という問題に今まで十分手をつけることができなかったというようなことも、その占領中の不利な状況における外国のいろいろな制約といったようなものが物を言っているのではなかろうかと私には考えられます。
ところが一方、全く別な立場で、御自分の国の研究を全く自主的にやっておられる国もございます。たとえばスエーデンといったような国は、御自分の国の中にはさしたるウラニウムの豊富な鉱石を持っておられないのでありますが、しかしオイル・シエールというような油を含みました岩石の中に、ごくわずかずつ含まれているウラニウムを処理して、それを何とか自国内で非常に苦労をしながら、ウラニウム資源を開発しようと努力をされている国がございます。そしてその方の原子炉は昨年の夏動き出しているわけでございます。
こういうふうに、ウラニウム資源を持っておりましても、あるいはむしろ持たない方が適当な国でありましても、その国の置かれました国際的な環境の違いによりまして、その国の原子力研究というものの性格がまるで変ってきているわけでございます。日本も資源的には、原子力研究に関してはいろいろな弱点を持っておると思いますが、しかし私たち国民が自主的にこれをやっていくつもりであるかそうでないかというその心がけ——心がけでどうなるものとも考えませんけれども、少くとも心がけにおいて自主的なものでなければ、このベルギー的な思わしくない状況にいく。もし心がけがよければスエーデン的な望ましい方向にいくのではないかと考えております。
ところで現在言われております濃縮ウラニウムの受け入れの際に要求されているいろいろな条項というものについてのいろいろな御質問でございましたが、そういういろいろな条項というものが実際に一体どういう具体的な形をとるかということは、これは実際に当ってみなければ今日においてはあらかじめどうということを申し上げられない性格のものでございます。実際非常に工合の悪い場合には、私たち学術会議の三原則と実際ととても相いれることのできないような線が出てくるかもしれません。それからまた、場合によりましてはそういう三原則の精神とさして矛盾をしないような線で協定が結ばれるかもしれません。どっちになるかということは、結局私たちか自主的にこういうところまでは譲れる、こういうところは譲れないというはっきりした私たちの考え自身を打ち出していくところにあるのだろうと思います。その外交的なときの私たちの物の考え方の強さ、それがしっかりしているかいないか、そこに問題があるのであって、そのときに、いただくのでありますからどういう条件でものみますといったようなこじき根情を出しましたならば、私たちはひどい目にあうということだけを申し上げておきたいと思います。
岡
岡良一#14
○岡委員 先生のお気持はよくわかるのです。ただ、アイゼンハワー大統領がせんだって原子力の共同利用、濃縮ウランの百キロ提供というふうなことをはっきり申し出された。そうするとまたこれに呼応したようにモロトフさんの方からも、やはり東欧諸国に対する原子力の平和利用に対する申し出があり、現在の段階では東西両陣営の、いわゆるコールド・ウォーの焦点が原子力の平和利用という名において行われているのじゃないかということを私どもは危惧しておるわけであります。そこでお尋ねをいたしますが濃縮ウランをかりに受け入れた場合に、これはきわめて小規模な実験炉ということに相なろうと思いますが、これがいよいよ実用面にまで十分発展し得るという、実用的な段階になるのには、大体どれくらいの時間的な経過が各国の事例からもかかるものなのでしょうか。それからもう一つは、そのような段階になったときには、やはりそれは主たる産物として常に兵器に利用し得るプルトニウムその他が生産され得るというようなものなのでありましょうか。その点をお聞かせを願いたいと思います。
この発言だけを見る →伏
伏見康治#15
○伏見公述人 あとの方からお答え申し上げますと、原子炉のいろいろの形にもよりますけれども、普通考えられる原子炉でございますれば、それを運転するときに出て参りますいろいろな副産物の中には、そのまま原子兵器に使えるものもございます。実際技術的に申しまして、原子力というものと原子兵器との問の技術的な意味での区別はございませんので、ごく先の方では多少の違いはございますけれども、根本的な点におきましてはその間に差はないのでございまして、一方で役に立つものは他方でも役に立つとお考え下さるべきであると思います。実際もっと爆発的でない方のものにいたしましても、たとえばノーチラス原子力潜水艦というものを動かすのであるか、あるいは何か商船を動かすのであるか、これは技術的には全く同じことであろうと私は考えます。そういうふうに商船を駆動するという場合にも、目的は兵器である場合もありますし、平和的な貿易の道具である場合もありますでしょうし、つまり技術そのものの中には別に戦争も平和もないということ、一般的なことにしすぎているかもしれませんけれども、原子力の場合もそうであると私は思います。
次に最初の方の御質問、すなわち原子力発電といったようなものがどのくらいのあとになったならば実用化するかという点でございますが、ただいままでのところ、いろいろな国々でいわれております原子力発電は、いわば見せもの的な意味を持っているか、あるいは原子兵器産業というものの裏側として考えられている原子発電であるかのどちらかであると私は考えております。たとえば、イギリスが昨年の初めから始めましたもの、あるいはアメリカがピッツバーグの近くに昨年の九月にくわ入れ式を行いました、そういう何万キロワットと申します原子力発電所は、いずれもいわばこういうことが技術的にできるぞということを世界にデモンストレートするための、いわば原子力発電所でございまして、そういうものは普通の意味で実用品ではないと私は考えます。それはちょどテレビジョンならテレビジョンが一台二十万円も三十万円もする時代のことに該当いたしまして、別にテレビジョンの道具が商売にならなかったという当時に相当すると思うのであります。では商売になるような原子力発電が一体いつごろになってできるかと申しますと、それについてはもちろん見通しに困難な要素がたくさんございますので、非常にばく然としたことしか申し上げられないのでありますが、まず非常に早くて十年の後、大体のところが十五年から二十年くらい先というのが普通の見通しではなかろうかと考えております。日本で原子力発電そのものに関する研究をやるとかやらないとかいうことは一応無関係に、世界の趨勢としてそうであるということを申し上げたわけでございます。日本でやる場合にそれに追いつけるかどうかということは、つまり日本の政策としてどれだけ原子力にお金をつぎ込むか、そのつぎ込み方によって非常に制約されるわけでございまして、非常にたくさんの自由なお金が使えるものといたしますならば、先進国並みの仕事を今からやっても決しておくれをとらないようにやれるとは思いますが、そのためには相当大きな経済的な負担を国民にかけることになろうと私は考えます。日本といたしましては、日本でやりながらも、なおかつ欧米の水準におくれないようにするためには、よく検討された道をとっていかなければならないと考えます。
そういう方法によってなおかつ欧米の水準に近づき得るであろうと申しますゆえんをちょっと御説明申し上げますと、たとえばアメリカとイギリスという国がそうであると思います。アメリカの方はイギリスに比べましてまず一けた上、十倍の金額を原子力に対して注ぎ込んでおります。ですから十倍だけ速度が早く原子力発電所ができたはずですが、そうではなく、むしろアメリカの方が実験的な、デモンストレーション的な原子力発電所にはおくれをとっているわけです。それには別な意味が働いているわけでもございましょうが、なかんずくアメリカの研究の方針というものは非常に多目的と申しますか、非常に多種多様な原子炉の型をシラミつぶしに研究するというような研究の仕方をやっております。ところがイギリスの研究の仕方は、ある特別な原子炉の型に取りつきまして、その特別な型の原子炉というものをそのまま発展させていくという方法をとっておりますので、その一つの型だけがぐんぐん進展していってアメリカの水準まで追いついているというような形になっているわけでございます。日本が原子力の研究をいたしますにつきましても、アメリカ式の何でもかんでもやるといったような形ができないことは明らかでありますが、日本は日本なりに一つの研究の方針を確立しておきますならば、あとから出発いたしましても、実際に原子力発電が実用化される暁には、十分日本の国民の要望にこたえるような技術が確立されるわけだ、こう考えているわけでございます。
この発言だけを見る →次に最初の方の御質問、すなわち原子力発電といったようなものがどのくらいのあとになったならば実用化するかという点でございますが、ただいままでのところ、いろいろな国々でいわれております原子力発電は、いわば見せもの的な意味を持っているか、あるいは原子兵器産業というものの裏側として考えられている原子発電であるかのどちらかであると私は考えております。たとえば、イギリスが昨年の初めから始めましたもの、あるいはアメリカがピッツバーグの近くに昨年の九月にくわ入れ式を行いました、そういう何万キロワットと申します原子力発電所は、いずれもいわばこういうことが技術的にできるぞということを世界にデモンストレートするための、いわば原子力発電所でございまして、そういうものは普通の意味で実用品ではないと私は考えます。それはちょどテレビジョンならテレビジョンが一台二十万円も三十万円もする時代のことに該当いたしまして、別にテレビジョンの道具が商売にならなかったという当時に相当すると思うのであります。では商売になるような原子力発電が一体いつごろになってできるかと申しますと、それについてはもちろん見通しに困難な要素がたくさんございますので、非常にばく然としたことしか申し上げられないのでありますが、まず非常に早くて十年の後、大体のところが十五年から二十年くらい先というのが普通の見通しではなかろうかと考えております。日本で原子力発電そのものに関する研究をやるとかやらないとかいうことは一応無関係に、世界の趨勢としてそうであるということを申し上げたわけでございます。日本でやる場合にそれに追いつけるかどうかということは、つまり日本の政策としてどれだけ原子力にお金をつぎ込むか、そのつぎ込み方によって非常に制約されるわけでございまして、非常にたくさんの自由なお金が使えるものといたしますならば、先進国並みの仕事を今からやっても決しておくれをとらないようにやれるとは思いますが、そのためには相当大きな経済的な負担を国民にかけることになろうと私は考えます。日本といたしましては、日本でやりながらも、なおかつ欧米の水準におくれないようにするためには、よく検討された道をとっていかなければならないと考えます。
そういう方法によってなおかつ欧米の水準に近づき得るであろうと申しますゆえんをちょっと御説明申し上げますと、たとえばアメリカとイギリスという国がそうであると思います。アメリカの方はイギリスに比べましてまず一けた上、十倍の金額を原子力に対して注ぎ込んでおります。ですから十倍だけ速度が早く原子力発電所ができたはずですが、そうではなく、むしろアメリカの方が実験的な、デモンストレーション的な原子力発電所にはおくれをとっているわけです。それには別な意味が働いているわけでもございましょうが、なかんずくアメリカの研究の方針というものは非常に多目的と申しますか、非常に多種多様な原子炉の型をシラミつぶしに研究するというような研究の仕方をやっております。ところがイギリスの研究の仕方は、ある特別な原子炉の型に取りつきまして、その特別な型の原子炉というものをそのまま発展させていくという方法をとっておりますので、その一つの型だけがぐんぐん進展していってアメリカの水準まで追いついているというような形になっているわけでございます。日本が原子力の研究をいたしますにつきましても、アメリカ式の何でもかんでもやるといったような形ができないことは明らかでありますが、日本は日本なりに一つの研究の方針を確立しておきますならば、あとから出発いたしましても、実際に原子力発電が実用化される暁には、十分日本の国民の要望にこたえるような技術が確立されるわけだ、こう考えているわけでございます。
岡
岡良一#16
○岡委員 この間国際見本市といわば軌を一にしたようなかっこうでゼネラル・ダイナミックス社長ジョン・ホプキンスさんがお見えになって、いろいろと原子力の平和利用についてアピールをしておられます。そこであの会社の実情というふうなものを仄聞すると、結局日本で実験炉を作るというときには、アメリカの政府が濃縮ウランを供給する。それに必要なる実験炉についてはいわば日本としてはほとんどプラント輸入というようなことになる。そこで一体日本の進んだ事業体がこれに対して何か参画し得る余地などというものは相当大幅にあるのか、ほとんどないのじゃないかというような心配をする向きもありますが、先生のお見通しはどうでございますか。
この発言だけを見る →伏
伏見康治#17
○伏見公述人 ただいまの御質問は大へん大事だと思うのです。現在——現在と申しましてももちろんことしじゅうというような意味ではございませんで、この数年の間にもしアメリカの原子力発電所を受け入れるような場合には、もちろん今おっしゃいましたような意味での可能性が非常に強いわけです。つまり日本の工業界は原子力発電に関して何も手が出せないという状態になろうと思います。実際私の見るところでは、アメリカが日本に原子力のことを押し売りしたがっているゆえんのものは、まさにそういう形で押し売りしたいのでありましてい日本の中にいろいろな形でつながりをつけた上で、日本に原子力発電所の可能性の大宣伝をやった上で、日本に原子力発電所そのものを売り込もうとしている。従って日本といたしましては、原子力の技術者といったものを本質的には養成する必要はない、たとえば外国から自動車を輸入いたしまして、日本ではそれを運転する運転手だけを養成しておけばいいというような意味で、原子炉の運転手をアメリカの原子力学校へ訓練に出しまして、それで話が済んでしまうわけでありまして、あと何もかもアメリカから輸入するという形で実際出てくるわけでございます。これはまだすぐ商売になるというわけではない。私先ほど申し上げましたが、すぐ商売になるわけではなくても、その次の段階におきましては商売になるわけでございますので、最初は少し損をしてやっていく、その次は得をするという段階であろうと私は考えるわけであります。初めから恩恵的に日本のエネルギー資源をただふやしてくれるということではなかろうと思いますが、一番私のおそれますのは、そういう形で日本に原子力が持ち込まれまして、日本が最終産物としてのエネルギーだけを買わされて、日本自身は原子力に関する何らの副産物をも得ることができないという形で日本の中に原子力が植えつけられるということは、私としても非常に残念なことだと思うのであります。
この発言だけを見る →岡
岡良一#18
○岡委員 そういたしますと、先生の御公述また私の問に対するお答え等を総合いたしまして、先生のお考えとしては、現在濃縮ウランを受け入れるという姿は、今日の段階では結局力による平和の確保とでもいうようなアメリカの外交政策と、アメリカのコマーシャリズムのいわば重ね合わされた日本への一種の進出以外のものではどうもなさそうだ、むしろ日本とすれば単に原子力発電というふうなこと以外にも、やはり日本の原子物理学者の建前としては、十分日本の自主的な研究において原子力の平和利用への道はあり得るし、また同時に日本の自主的な研究のためにも、天然ウラン原鉱の探鉱というふうなところに重点を置くべきだ、同時にまた日本の学者としてはある一方の側の原子力平和利用の圏内に日本が入るよりも、やがては大きく国際的な利用の段階があり得るので、そういう場合自由にあらゆる諸国のデータを総合的に日本も入手し得るチャンスを目がけてこの際待機するのが正しい、こういうふうなお考えのように承わるのですが、そのように理解をしてよろしゅうございますか。
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伏見康治#19
○伏見公述人 最初の方の御意見を私が持っているかどうかということは、私は政治家ではございませんので申し上げたくないと思うのですが、最後の少くとも八月のジュネーヴ会議で、いろいろな世界じゅうのデータがごく近いうちに入るのでございますから、その上で日本がどういうふうに具体的に事を始めるかということをきめることが、一番望ましいという点につきましては満腹の賛成でございます。
最後に私もう一つ申し上げておきたいことは、日本の原子力にコマーシャルな面が入ってきていることは事実でございまして、そのコマーシャルな線で日本の商業、産業関係の方々もお考え下さるように、できるだけよくそろばんをはじいていただいて、日本国民がそろばんの上で損をなさらないように御計算下さることをお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →最後に私もう一つ申し上げておきたいことは、日本の原子力にコマーシャルな面が入ってきていることは事実でございまして、そのコマーシャルな線で日本の商業、産業関係の方々もお考え下さるように、できるだけよくそろばんをはじいていただいて、日本国民がそろばんの上で損をなさらないように御計算下さることをお願いしたいと思います。
牧
齋
齋藤憲三#21
○齋藤委員 私は伏見先生のお書きになりました中央公論の「原子力平和攻勢にどう対処するか」という論文を拝読いたし、さらに本日ここにおける御意見を拝聴いたしましたから、大体先生の原子力平和利用に関するお考えは承知しております。私も先生のお考えの大部分に対しましては賛成であります。ただ私たちは、量子物理学者でもありませんし、また科学者でもありません。どうしてこの濃縮ウラニウムの受け入れをめぐりまして、かように激烈な論議が戦わされるのかと申しますと、将来の人類社会はいずれエネルギー源として原子力の平和利用によってほんとうの平和が確立されるのではないかという点に大きな期待をかけている。この期待があるために、量子物理学者であるといなとにかかわらず、原子力の平和利用に非常に大きな期待をかけているのでありまして、そこで私はこの論文にもない根本的な問題についてお伺いをしたいと思うのでございますが、簡単でよろしゅうございますからお答えを願いたいと思います。
申すまでもなく今日までのエネルギー源は、重力によるエネルギー源と化学反応によるエネルギー源とによってわれわれは生活をしておったのであります。それが一段と進歩いたしまして核の分裂によるエネルギー源というふうになりまして、ここにはかり知るべからざる大きな根本的な革命がもたらされたわけであります。さらに今日量子物理学者が新しい検討を加えている素粒子に対しての一般の進歩が進みますと、また大きな新しい核の分裂というものが発見されるかもしれない。そういたしますと無限に大きなエネルギー源というものが出て参ります。これに対して、先生は将来のいわゆるほんとうの平和というものは、この大きな核エネルギーの力によって打ち立てられるというふうに想像いたしますかどうか、この点についてお伺いいたします。
この発言だけを見る →申すまでもなく今日までのエネルギー源は、重力によるエネルギー源と化学反応によるエネルギー源とによってわれわれは生活をしておったのであります。それが一段と進歩いたしまして核の分裂によるエネルギー源というふうになりまして、ここにはかり知るべからざる大きな根本的な革命がもたらされたわけであります。さらに今日量子物理学者が新しい検討を加えている素粒子に対しての一般の進歩が進みますと、また大きな新しい核の分裂というものが発見されるかもしれない。そういたしますと無限に大きなエネルギー源というものが出て参ります。これに対して、先生は将来のいわゆるほんとうの平和というものは、この大きな核エネルギーの力によって打ち立てられるというふうに想像いたしますかどうか、この点についてお伺いいたします。
伏
伏見康治#22
○伏見公述人 非常にむずかしい微妙な問題でございまして、どうお答え申し上げていいかよくわからないのでありますが、全く技術的な面だけについて、ただ一言思いつきました点を申し上げてみますと、原子力というものは、よく言われておりますように僻遠の土地に発電所を据え付けるという場合に、ほかの石炭などによる発電所というものを据え付ける場合と比べまして、非常に有利なわけでございます。従ってこの原子力発電といったことが非常に盛んになりました場合には、現在エネルギー資源から遠ざかっておりますために未開発に終っているというような土地、後進国に終っておりますような土地が、先進国と同じ技術的な水準にまで成長し得る可能性がある、そういうことは原子力発電の一つの特徴でございますので、原子力発電が将来十分世界中に普及いたしました場合には、世界中の貧富の差というものは現在ほどではなくなり、従って平和がより保たれやすくなるであろうということは申し上げられます。しかしその程度のことしか私にはわかりません。
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齋藤憲三#23
○齋藤委員 先ほど先生は平和利用の面といわゆる兵器の面とをあげ。原子力研究においてはこれらはたての両面のごとく切り離すことができない問題であるというお説を述べられたのでありますが、これは私も当然だと思います。人類のいかなる科学の進歩の過程におきましても平和的に利用するのと戦争的に利用するのとはこれは一つのスイッチの切りかえによっていかなる場合でも可能であると考えます。それは電気でありましても飛行機でありましても同じことだと私は思います。そこで先生にお伺いいたしたいのは、これも簡潔でよろゆうございますが今日のごとく水素爆弾とかあるいは原爆が発達いたしまして、さらにそれに音速を越える爆撃機が電波の誘導によって飛ぶ、あるいはレーダーが進歩するというような場合におきましては、おそらく世界の対立する二大潮流の中心部、すなわちアメリカ首脳者あるいはソビエトの首脳者の頭が狂わない限り第三次戦争というものは起きないのではないか、もし起きるとすれば、これは人類が全部壊滅する、それでありますから、われわれは日本の百年の大計に対する政治を思いますと、戦争は起きないのだ、原爆戦争は起きないのだという世界観に立って一切の問題を割り切っていくのが正しいのではないか。こういうこを今の科学者、いわゆる原子力を研究しておるところの科学者といたしましてはどういうふうにお考えなさるのが適当か、これについて失礼でございますけれども、お伺いいたしたいと思います。
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伏見康治#24
○伏見公述人 ただいまの問題も大へんむずかしい問題でございますが、私の考えをただ簡単に申し上げますと、ただいま齋藤さんはアメリカの首脳部もしくはソビエトの首脳部の頭が狂わない限り第三次原爆戦争というものは始まらないだろうという予想を立てられたわけでございますが、その点は私も同感でございます。実際頭が狂わない限り原爆戦争というものはおそろしくて両方ともできないだろうと思うのでありますが、ただ齋藤さんの言われました頭の狂わない限りという前提が私には非常に不安心なのでございます。と申しますのは、ついせんだっての第二次世界大戦にいたしましても、ヒトラーや日本の東条の頭が狂ったせいであるとしか私には考えられないからであります。つまりそういう方々、一国の中枢の地位におありになる方の頭脳というものがいつも健康であるという保証をまず立てませんければ笑い今おっしゃいましたようなことを安心してわれわれ考えるわけには参らないのであります。拍手
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齋藤憲三#25
○齋藤委員 もう一、二点お伺いたしますが、この新聞記事を見ますと、濃縮ウラニウム受け入れについてやかましい論議が戦わされておるようでありますが、これは私たちから考えますと、濃縮ウラニウムをわずか六キログラムを受ける受けないということは何も問題ではないと思います。濃縮ウラニウム二%ないし二〇%というものを六キロ受けるとか受けないとかいうことは、あんなに新聞論調をにぎわすことは少しもない。わずか片すみで片づく問題ではないかと考えております。それがどうしてああいうふうに大きく取り上げられるかというと、結局するところ濃縮ウラニウムというものの概念がはっきりしないために、何か特別な品物のように考えるからああいう大きなことになるのではないか。そうでなければ先ほどから論議されておりましたように、いわゆる大きな政治的な外交上の問題がある。そういうことで私もずいぶん調べてみたのですが、別段トルコとアメリカとの間の双務協定及びアメリカとイタリアの間の双務協定というものは何もさしたるところのものではない。それから新原子力法というものも私ずいぶん読んでみたのですが、百二十三条に規定されておる、いわゆる五十四、五十七、百四というようないろいろな条項の中にこれは全部共通したところの安全保障というような字を使っておる。二%ないし二〇%の濃縮ウラニウムというものに対しては、ただ原子力法の用語でもってああいうことを言うのであって、二%ないし二〇%の濃縮ウラニウムそのものの実体は、むしろ一つの商品であって、何もそう騒ぎ立てる必要のない品物である、私はそう考えるのであります。現に一月三十日の朝日新聞ではソ連においても中共その他五カ国に、同じ双務協定だと思うのですが、原子炉を作るべきところのウラニウムをやはり供給しておる。これは世界のポピュラライズされたところのものであります。ただその国が今まさに来たらんとするところの原子力平和利用時代にどうして早く飛び込むかという体制をお互いに整えようとしておるだけの話で、これは大したことではないと考えておりますが、先生はこれをどう考えておられますか。
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伏見康治#26
○伏見公述人 おっしゃる通りに、濃縮ウラニウムを受け入れるか受け入れないかということは、日本の原子炉を築き上げていく上におきましてはその一こまにすぎないわけでございまして、あまり本質的に重要な問題ではないわけでございます。そういうことを先ほどから実は御説明申し上げたつもりなのであります。ところが日本には現在日本で自主的に原子力をやっていくという方針がまだ確立されておりません。そのために、いわば日本は原子力に関して完全な真空状態になっておるわけでございますので、その中で出て参りました濃縮ウラニウム問題というものは、きわめて重要性を持つことになるわけでございます。つまりほかに日本の原子力体制というものがありまして、その中の一こまとして濃縮ウラニウムの問題が出てくるのでありますならば二の次の問題でありますけれども、現実問題としては、まだ日本に原子力のゲの字も実はないような状態なのであります。従ってそこヘアメリカというバックを控えている濃縮ウラニウムというものが出てくるということは、その濃縮ウラニウムというものがいかにも力を持ってくるわけでございます。そういう意味で重要視してかからなければならなかったのだろうと思います。
そこで次に濃縮ウラニウムを受け入れる場合のいろいろな条件というものは問題にならないのじゃないかとおっしゃいましたが、実際私もそうであることを希望しております。実際そうなるかもしれないと思っております。しかしそれはあくまでも外交交渉の中で日本側がどれだけ強く出るかどうかというところにかかわってくるのではないかと考えております。現にフィリピンとアメリカとの間の何か濃縮ウラニウムの受け入れに関する協定がございまして、その協定の中にやはり条項があるのでございますが、その条項がフィリピン側で発表いたしましたものとアメリカ側で言いましたものとで多少食い違いがあるようでございます。その食い違っているところが大へん大事だと思うのでございますが、そのフィリピン側のあげました条項の一つには、フィリピンにおけるウラニウム資源を保全しなければならないということが書いてございます。つまり濃縮ウラニウムを受け入れて、濃縮ウラニウムそれ自身に関するいろいろな秘密条項を守らなければならないということは、これは常識的に考えても当然だと思うのでありますが、その濃縮ウラニウムとは直接関係のないほかの場面にまで、そういうものを受け入れるためにいろいろな制約が加えられてくるということは、近いところに何か先例があるような気がいたします。そういう思いがけないところにいろいろな制約が入ってくるというところが問題なのでありまして、そういう点を一つこれからの外交交渉の中で十分慎重にやっていただきたいと希望するわけなのでございます。
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齋
齋藤憲三#27
○齋藤委員 もちろん、今先生のおっしゃるように濃縮ウラニウムを使うところの原子炉がいいか、あるいは天然ウラニウムの増殖炉がいいかということは今後の問題であって、これは日本の自主的な研究によって解決しなければならぬ問題だと私は思うのであります。それのためにはやはり濃縮ウラニウムというものは日本の工業体制においてはなかなかつくり得ないのであるから、この際実験炉用として持ってきて、そうしてこれを研究材料にする。その際にはもちろん公開しなければならない、秘密の点は一つもないようにしなければならぬ、これは申すまでもないことだと思う。同時にこの濃縮ウラニウムと対比して天然ウラニウムをどう使用するか、一体どうして重水をつくるか、グラファイトをつくるか、あるいはジルコニウムの研究をやるかということまで、これはもちろん日本としてやっていかなければならない。われわれもそういう主張において今回の三億六千万円の予算には賛成しておるようなわけであります。それは私は日本人である限り間違いないと思う。ただどうしても日本が入手しがたいところの濃縮ウラニウムというものは、やはりこれはわれわれとしてはどうしても受ける方がいい、私はそう考えておるのでありますが、その点を一つ御了解願いたいと思います。
時間もございませんから私はこれで質問をやめますが、最後に一つ、これは学術的に先生にお伺いいたしておきたいのは、六月号の中央公論にこういうお話があるのです。「この話のついでにいうと、ウラニウムの金属の結晶構造は大変複雑なもので結晶物理学的に興味がある。特に六〇〇度附近で結晶構造の変化つまり変態が起ることが、原子炉技術の一つの問題点になっている。」こういうのがございますが、これは六百度辺でウラニウムの結晶体というものがどういうふうに——結晶体が変って熱が出るのですか。そうじゃないのですか。
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伏
伏見康治#28
○伏見公述人 大へん技術的な御質問でおそれ入りました。結晶の変態と申しますのは、普通の氷のようなものにもあるわけでありまして、温度とか圧力の状態によって結晶が一つの形から他の形に変ります。そのために金属なら金属の外形が変形をいたしましたり、あるいは密度が変ったりいたしますわけです。密度が変るという意味は、つまり体積がふくらんだり縮んだりするわけでございます。そのことのために、そういう高温で原子炉を働かせようといたします場合には、その変態点を通過いたしますときにウラニウム棒が変形いたしまして、そのためにいろいろ故障が起ってくる、そういうことでございます。
この発言だけを見る →牧