海野三朗の発言 (商工委員会)

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○海野三朗君 少し話が古くなりましたけれども、やはりこの問題に関係しておると思いますからお伺いをいたすのでありますが、去る昭和二十二年に理化学研究所が株式会社になるということで私が衆議院におりました時代に仁科君と尾形輝太郎博士とが出席をいたしまして、株式会社にすることについての理由の説明がございました。そのときに私はこの研究というものは商売とは全然違うのであって、研究自体はもうかっても、もうからなくても一路真理の探求にあるのであるということを私は力説いたしました。株式会社になるというと、もうかったときはいいけれども、もりからないときは会社が立ち行かないことになる。それでは本来の研究の要旨が達せられないのじゃないか、ということを申し述べたのでありまするが、その当時仁科君はとにかくペニシリンで相当もうかるからぜひその株式会社でやらせてもらいたいという意見でございました。当時反対をいたしましたのは私が強くこれを反対したのです。研究所が株式会社をやるなんてとんでもない話である、学者が商売をやるなんということは研究の使命を忘れたるものであるということを私が申した。ところが仁科君の説明ではとにかくもうかるからやらせてくれと、こういう主張でありました。それで私が研究の本来の使命を説いているのにその使命には関係せずにただもうかるからやらしてくれと言われるならば、理屈の範囲を越えたるものであるからわれまた何をか言わんや、私は当時そういうふうな要求に対しては反対の理由を述べただけでそのままこれを通過せしめたのであります。ところが二、三年を出でずして仁科君が死んでしまい、私が仁科君が死んだあと理研をたずねましたところが、各部門の研究担当員たちが、私のところに寄りまして皆ざんげをした。尾形輝太郎君始め、衆議院においてあなたが、反対をされたのはもっともであった。今日われわれの給料も遅延というような状態になって何ともしようがないありさまになっておって、どうもあなたに対しては頭が上らないと尾形輝太郎博士初め皆申しておったのであります。今日この研究所の、株式会社科学研究所の法案が出るに当りまして過去の事案に徴してみると、確かに株式会社で出発したのが誤まりであったということを事実において証明しておるものであると私は思うのでありまするが、この点に対してはこのままで将来株式会社でいく方がいいとお考えになっておるのであるか、今現実のこの現われたる姿は株式会社ではだめなのである、やはり私が以前に述べましたように財団法人組織にして政府が年々少くとも十億くらいの金を出さなければならない。そうしてこの十億の金というものはちょうど息子の学資にひとしいのである。学資にひとしいのであるからして、これは国家が年々この研究に対して金を支出すべきものであるということを私が申し述べたのであります。ところがその説が当時不幸にしていれられず、終戦直後でありましたために、アメリカの圧力があったのかしれませんが、いわゆる学者の畑に育ちました私どもから申しまするならば、株式会社にしたということはいわゆる曲学阿世の徒のやったことである、仁科君のやり方は曲学阿世の徒のやり方であろうといって痛烈にこれを攻撃した、果せるかなその後の理研のありさまを見ますというと、私か当時極言したことが的中している。この事実を率直に認めていただきまするならば、株式会社でやって行くということそのこと自体が誤まりであると私は考えるのでありまするが、この点に関しまして提案者の方々はどういうふうな御所見を持っていらっしゃいますか、その点をお伺いいたしたい。

発言情報

speech_id: 102214461X03119550723_005

発言者: 海野三朗

speaker_id: 13534

日付: 1955-07-23

院: 参議院

会議名: 商工委員会