神川彦松の発言 (内閣委員会公聴会)

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○神川公述人 御指名によりまして私の意見を申し上げますが、私は過去四十年来国際政治学、国際政治史並びに国際法の研究に従事して参ったのであります。それで私は本日そういう専門家の立場からいたしまして、今の日本の憲法を再検討し、全面的にこれを書き改めなければならないということについての私の意見を申し上げたいと思うのであります。
 まず第一に、今の憲法は本来英語で書かれた憲法である、すなわち英文の憲法であって日本語の憲法ではないということなんであります。
 この憲法がどうしてできたかということは、実は占領中は全く、ほとんど全く日本人には知らされていなかったのであります。その後に、至りましてだんだんアメリカから資料が参り、また著述が出まして、初めてその真相がわかって参ったのでありまして、それはようやく一、二年のことなのであります。でありますから、一、二年前までは、日本人はこの憲法がほんとうにどうしてできたかということは全然知らなかった、いわばわれわれ日本人はつんぼさじきに置かれておったのであります。この数年来、まず第一には、マッカーサー元帥その人が本国に送りましたところの憲法改正に関する報告、御承知のポリティカル・リオリエンテーション・オブ・ジャパンという報告、これは一九五〇年に本国に送られて公表された。これによって初めて、大体において日本のこの憲法がどういうふうにしてできたかという経過が世界に知らされたのであります。それまでは、何人も公けには知らなかった。また国務省が出しましたオキュペーション・オブ・ジャパン・ポリシー・アンド・プログレスというような本、あるいはファー・イースタン・コミッションが出しましたアクティヴィティズ・オブ・ファー・イースタン・コミッションというような記録、あるいはまた占領中の内情に通じておりますマーク・ゲインのジャパン・ダイアリーであるとか、あるいはハーリー・ワイルズのタイフーン・イン・トーキョー、そういうふうな著書か出ました。さらには一昨年日本で、この憲法の原案が初めて天下に発表されまして——むろんその原案は、まだアメリカも日本も発表していないのでありますが、日本内で初めてその原案か発表されました。初めてこの憲法の原案がどういうものであるかということが、一般に、知ろうと思えば知れるようになったのであります。しかしながら、遺憾ながらまだそういう経過というものは、日本人一般には知られていないのでありまして、ほんとうにどういう経過をもってできたかということを一般に認識するに至っていないという現状なのであります。
 この憲法は、普通の憲法と違いまして、全く国際政治の産物なのであります。大体憲法というのはみな国内政治の産物であり、また革命の推進力としての国内的政治権力の所産でなくちゃならない。ところがこの憲法に限りましては、その推進力は、一に外国の政治権力、軍事権力であった。ここにこの憲法の根本的の特色があるわけです。いかなる革命も、いかなる憲法も、その推進力たる政治的権力なしには行われません。こんなことは、皆さんにお説法するまでもないのでありますが、その政治的権力が一に外国の軍事権力、政治権力であった、こういうような憲法というものは、世界あってこの憲法以外にはありません。これに若干似ておるのは、ドイツのボン憲法たけであります。また従って世界の憲法史上にも全く類例のない憲法でありまして、従ってこういう憲法というものは、普通の憲法学とか、普通の憲法史だけではわからないのでありまして、全く国際政治史、また国際政治学的な観点から研究しなければわからないということは当然のことであります。これかすなわち私がこの問題に対して深甚の関心を持ったわけなのであります。
 こういうわけで、今の憲法が外国の軍事権力、政治権力の所産であると申しましたが、それは言うまでもなく戦勝国、特にアメリカでありますが、戦勝国の占領政策の産物なのであります。この第二次世界大戦というものは、無条件降伏という実に有史以来前例のない主義政策のもとに遂行され、また終結いたした。これは私が専門としております国際政治史から申しまして、実に前代未聞の主義方針であります。その主義方針からこの憲法が生まれてきたのでありますから、その主義方針が何であるかということを知ることが、この憲法の性格を知ることの第一なんでありますが、それはもう全世界に知られておるのです。世界においてだれも知らぬ者がないというほど知られておるいわゆる五つのDの政策というものがある。五つのDの政策というものをアメリカは戦争政策とし、また占領政策とし、占領目的といたしたわけでありまして、この五つの政策というのはDという言葉で始まっておりますために、五つのDの政策というふうに世界に知られておる。すなわちその第一は、ディスアーマメント、軍備撤廃ということなのであります。これが第二次世界戦争における米英の中心眼目であったわけなのであります。戦敗国をして完全に軍備撤廃せしめるということが戦争目的の第一であり、従って占領政策の第一であったわけであります。これは言うまでもなく完全にその国の陸海空軍を撤廃することなのであります。そしてそのことは終戦直後に始められ、負けた国はみなその軍備を撤廃させられた。さらにこれを永遠化するということが占領政策のやはり眼目でございまして、すなわちそれが第九条第二項前段として実行されたわけなのであります。それから第二はディミリタリゼーション、すなわち非軍事化の政策といわれておるものでありまして、これはただに形をなした陸海軍ばかりではないのであります。また陸海軍Lはならないが、一変すればすぐ陸海軍になるという一切の実力なのであります。それがすなわち戦力を徹底的に撤廃しない限り、戦敗国を無力にすることはできないという考えから、非軍事化という政策を考えられたのであります。アメリカ占領政策の第一が日本の軍備撤廃並びに非軍事化であるということは、マッカーサーに与えられたところの訓令を見ますと、しばしば繰り返されておりますから、だれも疑うことができない。この非軍事化すなわち戦力の撤廃ということが、やはり第九条第二項前段にうたわれておることも御承知の通りである。第三は、ディスインダストリアリゼーション、すなわち非産業化の政策、これがまた資本主義国の親玉である米英の主たる目的でありまして、戦敗国たるドイツや日本を完全に非産業化する、非近代化する、できれば中世期の農業生産国にするというのが本来の目的であった。それを普通モーゲンソー・プランといって、戦争中から世界に知れわたっておったことは御承知の通りであります。むろんその通りは実行できませんで、モーゲンソー・プランを緩和はいたしましたけれども、ドイツ及び日本を完全に非産業化して、そして世界の資本主義市場というものを米英が永久に独占したいという考え方を持っておったのが第三であります。ところがそのことは同時に第一、第二の政策と相通ずるのでありまして、非近代産業化というものは、近代軍備を持つことはできない。国家をして非近代化させるということは、すなわち非軍事化せしめることなのでありますから、従ってこれは要するにドイツとの両面でありまして、結局は第一、第二の目的にもかなうことなのです。これがすなわち第三の政策である。第四はディセントラリゼーション、これはアメリカの伝統的システムでありますところのフェデラリズムの現われでありまして、すなわちドイツや日本に対して政治的、行政的、経済的、文化的、あらゆる面においてディセントラライズせしめるという政策をとったのであります。ドイツにおいてはそれが十分に行われましたが、ちっぽけな日本では行われませんでした。しかしながらでき得る限り占領軍は行政的に、また経済的、文化的にディセントラライズいたしたのであります。第五がいわゆるデモクラティゼーション、民主主義化であります。民主主義化こそ日本において最も力強く宣伝されましたが、しかしながらアメリカのデモクラティズムは、いうまでもなくアメリカのデモクラシーを世界にしくということで、いわゆるアメリカン・オブ・ライフなのであります。アメリカの生活法を全世界にしいて、アメリカの経済的、政治的、文化的勢力を全世界にいきわたらせることが本意でありましょう。この五つの政策、これを実現することが米英の戦争目的であり、占領政策であったわけであります。これを実現するために無条件降伏という従来前例のない徹底的政策をとったわけであります。でありますからこの五つの政策を実行しますのに、無条件降伏というこれまた前代米国の政策でありまして、いまだかつて行われたことはなかったのでありますが、要するに戦敗国というものを一時滅亡せしめるのであります。これをローマ法ではデベラチオと申しました。すなわち戦争によって絶滅した状態に陥れて、軍事占領の間に戦敗国を思う存分あらゆる方面を料理する。すなわち今中しました五つの政策というものを思う存分に実行するのが、すなわち無条件降伏であるわけであります。でありますから。ポツダム宣言にしても、また降伏文書にいたしましても、これは決して条約でも合意でもありません。これは全く一方的な命令なのであります。このことはアメリカ本国がマッカーサーに与えましたところの権限の文士によってはっきりうたっておる。ここでは時間がありませんから、詳しくは申しませんが、要するにマッカーサー司令官に絶対的な軍事独裁権を与えたのであります。何ものにも制限されないのであります。日本とは何ら条約も合意もないのであります。全くアメリカ及び最高司令官がやりたいと思うこと、またやる必要のあることは何でもかんでもできる。いわば絶対的軍事独裁権をマッカーサーに与えた。そういう軍事独裁権を持って五つの政策を実行したのが、すなわち占領当時であったわけであります。この軍事占領、軍事統治の結果といたしまして、今の憲法ができたのであります。ところがこの憲法を作るということは、アメリカは戦争中から考えております。さすがにどうも先見の明のある国でありまして、戦争の半ば以後、日本を無条件降伏させた後どういうふうに日本を治めるかということを、国務省と陸海軍の三省の合議体でもってよく研究しておりました。そして終戦になりまするや、同時にその政策を次々にマッカーサーに授けたのでありますが、マッカーサーに授けました権限の中に明かに日本の政治制度を改革するとい一項があった。すなわちマッーカーサーは初めから日本の政治制度を改革する。すなわち日本に政治的革命を実行するという権限が与えられているわけであります。ところが遺憾ながら占領の年の末にマッカーサーの手からその権限は極東委員会の手に移ってしまったのであります。すなわち終戦の年の十二月二十六日のモスクワ三国協定によりまして日本の占領統治に関する最も重大な政策とか原則とか、標準というものは、全部これは極東委員会が作る。ただマッカーサーはこれをインプルーブメント、それを実行する任に当るという明確な協定ができて、マッカーサーは憲法に手を入れる権限を失ってしまったのであります。このことは占領の翌年一月に極東諮問委員会の人々がマッカーサーをたずねましたときに、マッカーサーははっきり言っている。もう自分は憲法に関する権限は失われた。ところがアメリカにおいてはそうではなかったのであります。アメリカ本国におきましては極東委員会が発足する前に、新憲法という既成事実を作ってしまいたいという決意を固めました。終戦の翌年の一月七日、国務省、陸海軍の調整委員会、SWNCCと普通いわれておりますが、ステート・ウオー・ネーヴィ・コーディネーティング・コミッティという名前でありますが、その委員会で大急ぎで日本統治制度の改革、すなわちレフォーム・オブ・ガヴァーメンタル・システム・オブ・ジャパンということをきめた。これはSWNCC二二八の文書にあるのであります。このSWNCC二二八の命令によりまして、マッカーサーはたちまち憲法を作るという決意を固めざるを得なかったと思います。これがすなわち占領の翌年の二月二日であります。そこでマッカーサー元帥はこのアメリカの命令と、アメリカの提供しました材料を基礎にいたしまして、部下を督励いたしまして、わずかに一週間、すなわち占領の翌年の二月四日から二月十日に至る一週間で今の憲法の原案を作ったのであります。しかもそれに関係した者はしろうとでありまして、ただ一人憲法の専門家というものは入っていなかった、しろうとがでっち上げたのでありますが、材料は本国から来ておりますから、本国の材料によってマッカーサーの部下の者がわずか一週間で作りましたのが、大体において今日の憲法の原案なのであります。ところが二月十三日に、御承知のように、ホイットニーがケーディスなどを引き連れまして、当時の吉田外務大臣、松本国務大臣をたずねて、それを下げ渡している。これをもとにして憲法を作れ、この通りの憲法を作れとは言わないが、しかしながら根本原則及び基本形態、フォンドメンタリ・オブ・プリンシプルス・アンド・べージック・フォームスという言葉を使いまして、根本原則及び基本形態というものは全部ゆるがしてはいかぬ。もしもこの憲法を作らなければ、天皇の身柄も保障するわけにはいかない、天皇のからだを保障するわけにはいかない、こういうことを申して日本に憲法の改正を迫ったのであります。そこでいろいろ紆余曲折がありますが、とにかくどうしてもこれに従うほか道がないというので、とうとう三月四日から五日、マッカーサー司令部におきまして、日本から出ましたのは結局は法制局の佐藤達夫君一人でありますが、佐藤達夫君一人と、向うはホイットニー、ケーディス、その他司令部の首脳部が総がかりで、一夜のうちに、今のマッカーサー原案というものを基礎にして、逐語訳的に日本の憲法にいたしたのであります。これは大体において先に申しましたマッカーサーの原案と同じでありまして、ただわずかにニカ条だけが変ったのであります。その他多少の違いはありますが、結局九五%までは全然もとの通りのものなんであります。そうしてでき上りましたものが三月六日の憲法改正草案であります。これがすなわち世間でマッカーサー憲法原案と呼んでいるものであります。マッカーサー憲法原案なるものがすなわち三月六日にできたのであります。このマッカーサー原案というものがもし発表されますならば、これは全く英語の憲法である。また司令部が作ったものであるということがはっきりわかりますために、アメリカの政府も、従ってまた日本の政府も、今もってよう発表しないのである。さすがのマッカーサーも良心に恥じるのでしょう、今もってこれを世界に発表しない。しかしながら幸いに一昨年六月、日本の渡辺銭蔵氏が発表してしまった。でありますから、これをわれわれしろうとが読んでも十分わかるのでありまして私も現に持ってきているのでありますが、今の憲法には英文の憲法がついている。コンスティチューション・オブ・ジャパンという英語の憲法がついている。これと比較対照しますと九五%は同じことである。結局今の憲法というものは、マッカーサー憲法原案というものを口日本語に逐語訳したものにすぎない。とにかく向うの書いたものを日本語に訳すのでありますし、しろうとがかかったのでありますから、多くの点において拙訳、誤訳が今もって残っているのであります。そういう憲法がすなわち今の憲法なのであります。むろんその後多少変りました。変りましたけれども、そのおもなるものはファーイースタン・コミッションの指令によって変ったのであります。それはファーイースタン・コミッションの記録を見れば明白でありまして、結局日本側のイニシアチブで変ったものはないのであります。日本側のイニシアチブで変ったものも多少こまかい点はあります。しかしそれとても決して日本側がきめたものではない。なぜならば、これはみな司令部が許可して初めてきまったものであります。なぜならば、これは司令部の承認のもとにできたものであります。この訳語の一点一句といえども、向うの承認なしにはきまらなかった。かくのごとくにして、要するにおもなるところは、すべてみなと言ってもいいくらい、向うのイニシアチブによってきまったものであります。ところがこういうことをすべてみな当時は秘密にしたのであります。なぜならば、これはマッカーサーが、またアメリカが、極東委員会を出し抜いて作らなければならないから、どうしても大急ぎでやらなければならない。また極東委員会の指令を無視したのである。極東委員会がこの指令を幾ら公表せいと迫っても、決してこれを公表しなかったのであります。そうしてまた極端なる検閲政策をとった。当時はすべての出版物みな事前検閲のもとにやったのでありますから、その真相が日本なんかに知れるはずはない。また世界にもなかなか容易には知れなかったのであります。そういうわけでありまして、要するに極秘のうちにやったのであります。なぜそういうような政策をとったかということは、マッカーサーがしばしば述懐しておりますが、マッカーサーはこういうことを申しております。マッカーサーといえども、こういうような憲法のやり方がいいとは思っていないのです。確かにこの憲法のやり方というものは間違っていると思っている。これは先ほど申しました本国政府に対しますところの報告のうちで、こう言うているのです。およそ権力や優越な軍事力によって強制されたものは、圧制の色彩を帯びるばかりでなく、ほんとうのデモクラシーの対蹠物、アンチテーゼである。だから本来こういうやり方というものがデモクラシーであるはずはない。従ってこんなふうにして憲法ができたということが、やがて日本人にわかれば、幾ら日本人だってこれを変えようという考えになることはわかっているから、あたかも日本人が自分の手で作ったかのようにやらなくちゃいかぬ、そのためにそういうやり方をしたのだということを、しばしばマッカーサーはその後語っているわけであります。でありますから、悪いことは知っておるのでありますけれども、それがわかってしまえばあとで本人が変えてしまう違いない、こう考えたのでしょう。これはもうしばしば言うておるのです。銃剣によって日本人に押しつけられたならば、その銃剣が存在する限りは存在し、軍隊が撤退しかつ日本人が彼ら自身が勝手にせられると、その瞬間に彼らはその憲法から免れるだろう こういうことをしばしばマッカーサーは言うておる。これは当然のことなんです。でありますから、マッカーサーはすべてのことを秘密のうちに運んだわけなんであります。かくのごとくにしてできたのがすなわち今の憲法でありますから、これは本来マッカーサー憲法の原案ほとんどそのままである。これを拙訳、誤訳したものが今の憲法である。でありますから、もしほんとうならばこれは英語で発表すべきものなのです。これを下手な日本語で発表したから今日問題が起った。もし初めからフル・テキストで出しておいてくれさえすれば問題はなかった。だから今日でも日本の憲法にはコンスティチューション・オブ・ジャパンという英文がついている。だれでも憲法を最初研究いたします場合には、原語にはどうなっておるのかということを探る。原語がこうなっておるということを知って日本語の翻訳が適当かどうかが判明する。だからコンスティチューション・オブ・ジャパンがオリジナル・テクストだということを知っているし、日本の六法全書にはすべてコンスティチューション・オブ・ジャパンがついているのです。だから本来正直な政府ならば、また占領統治中ならば、英語で公布してしかるべきものなのです。それをいろいろな細工をして、これをあたかも日本政府が作ったように、日本人が作ったように、また御丁寧に明治憲法の七十三条かなんかでやったかのようにやったから、問題が残ったのであります。今は日本の中学生に教師が、今の憲法はこのままでいいかと言いますと、すべてみな異口同音に、このままではいかぬ、どうしても直さなければいかぬと言うそうです。なぜかというその説明を聞きますと、今の憲法はかなづかいが違っている、これは旧式かなづかいである、これは新式かなづかいじゃない、だからこれは全部書き直さなければいかぬと言うそうであります。これはなるほどその通りなんです。昭和二十一年の五、六月ごろにはまだ新式かなづかいがきまっていなかった。旧式かなづかいだった。だから今の憲法の本文は旧式かなづかいになっている。旧式かなづかいだから直さなければならぬというのはもっともなことなんです。でありますから、もし今の憲法がほんとうに英語で公布されておってごらんなさい。これは小学生といえども、これはいかぬ、これは英語の憲法です、これはどうしたって日本語の憲法に直さなければならぬと言うでしょう。中学生ですらそんなことはわかるのです。それがおとなの日本人にわからぬというのはどうしても不思議なことです。(笑声)どうしてこんなことがわからないのですか。これは何と言ってもマッカーサー憲法でしょう。すなわちスターリンが主になって作った憲法はスターリン憲法です。一九三五年のソビエト憲法はスターリン憲法といっている。また一八七〇年のドイツ帝国の憲法はビスマルク憲法といわれている。また明治天皇の憲法は明治憲法といわれているでしょう。これはそれでいいわけでしょう。実際スターリンが作ったのですからスターリン憲法、ビスマルクが作ったからビスマルク憲法、明治天皇が主になって作られたから明治憲法でけっこうなんでしょう。マッカーサーが主になって作ったのだから、マッカーサー憲法と言うのが何が悪いのですか。これほど天下公明なことはないじゃないですか。マッカーサー憲法と言うたらマッカーサーが喜ぶでしょう。マッカーサー憲法がいつまでもそのままで残っているということは、ほんとうはマッカーサーの本意ではないと私は思いますが、とにかくマッカーサー憲法には相違ない。マッカーサー憲法原案ならほとんど誤訳はない憲法なんですから、これがマッカーサー憲法でなくてどうしますか。でありますから、こういうマッカーサー憲法に対しては、日本国の忠良なる公民である私は、遺憾ながら腹から忠誠の念をささげることはできません。(「同感々々」と呼ぶ者あり)私はこれは日本国民に対して訴えたいのです。もしほんとうにこの憲法に忠誠の念をささげる人があるとしますならば、それこそマッカーサー帝国の忠良なる臣民に違いないと私は考える。遺憾ながら日本にはマッカーサー帝国の忠良なる臣民が一ぱい満ちているのです。実に遺憾千万なことであります。何としましても日本人は日本人の日本にしなくはいけません。いつまでも日本がマッカーサーの日本であってはいけませんですよ。なるほどソ連はスターリンのソ連であってもいいかもしれません。またドイツはビスマルクのドイツであってもよかったかもしれません。またある場合には、日本も明治天皇の日本であってもよかったかもしれません。しかしながら、われわれの日本は、何としても日本人の日本でなければならない、こう私は確信するものであります。これが私の意見であります。(拍手)

発言情報

speech_id: 102404914X00119560316_002

発言者: 神川彦松

speaker_id: 31073

日付: 1956-03-16

院: 衆議院

会議名: 内閣委員会公聴会